天空の贈り物
げげっ、雨か〜。今朝の天気予報じゃ、このあたりは晴れって聞いていたんだけどなあ。最近、天気予報が当たらないと思いませんか、こーら先輩?
うう、洗濯物の恐怖ですよ、今ごろ大惨事になっていること間違いなし……先輩は部屋干しなんでしたっけ。どうりで涼しい顔をしているわけです。
とはいえ、結果論でしょ。たまには外干しした方がいいですよ。臭いが気にならないんですか? まあ、アバウトなところは先輩らしいですけど。
なんか私たちって、天気に翻弄されていると思いませんか? 雨風は、昔は昔で大変だったとは思いますが、今の私たちだって、電車や飛行機が止まったりして、大幅に時間が狂うでしょう。それによって失われる利益、誰にも補填できやしません。でも、時期や場所によっては、天からの恵みだって、感謝することこの上ないです。
その天気が実際、どんな「贈り物」なのか。それを巡る、ある事件の話、先輩は興味ありませんか?
天気というのは、現代の技術を駆使しても、8割強くらいの的中率でしか予測がつかないと、聞いたことがあります。あまりに細かい範囲での予測は、データが不足してしまって難しいそうなのですよ。
だから、穴が生まれる。今日みたいに、市全体では晴れマークだったとしても、区単位では雨の時があるわけです。逆もまた然りです。私の地元でも、天気が当たらないことで有名だって、おばあちゃんが言っていましたよ。標高が高い、というのも一因でしょう。
ただ、そのような奇妙な天気の時には、十分に気をつけなさいとも聞いたことがありますね。
今をさかのぼること、数百年前の江戸時代。
私の地元は、石工や絵師を志す人が集まっていたそうです。山は天気が変わりやすいですからね。天候の変化から霊感を得るという目的も、あったと思いますよ。
昔は今よりも明かりが少なく、テレビやパソコンみたいに、近くでものを見ないといけない機会も限られていましたから、目が悪くなる人も少なかったと聞いています。そんな彼らにとって、高地における天体観測もまた、創作の題材として重宝されたとか。
そして、蘭学などの西洋の学問が取り入れられたことで、新しい知識が入って来る。その中には彗星に関するものもあり、ちょうど一年後には、長い長い尾を引く、特大のものが見られるとのことだった。
職人たちは、ある人は各々の作品作りや骨休めを行いながらも、一年後に訪れる「天空の贈り物」を心待ちにしていたみたいですね。
しかし、強く願えば願うほど、望みは遠ざかるものです。神様は人間のことを愛しすぎて、そのいたずらも、度がすぎるのかもしれません。
その彗星が観られると予測されていた二週間あまりの間、その村の空には雨気が満ちて、雲がたれこめていたそうです。職人たちは雲の向こうにある彗星に想いを馳せましたが、それを嘲り笑うように、やがて空からは雨が降り注いできたとのこと。冬が近いにも関わらず、とても温い雨だったようです。
限られた機会を逸したことに、一時は無念を覚えた一同でしたが、根っから芸術家肌の職人たちです。その悔しさもまた創作意欲に変えて、構想を練り始めたと聞いています。
ただ、この出来事は天空だけでなく、地上でも長く尾を引くことになりました。
長い雨が止んだ後、最初に異変に気づいたのは石工たちでした。
村の裏手の穴は、共用のゴミ捨て場となっており、生活で出る生ごみはもちろんですが、書き損じた原稿、下書き。納得のいかない作品たちが、職人たちの憤りをぶつけられて、無残な姿で打ち捨てられていたのです。つい先日には、納得のいかない石の仏像がバラバラに砕かれて、放り込まれていました。
何日も雨ざらしになっていた、砕かれし石像。その両目からは涙のように、白いすじが頬を伝い、顎まで伸びていたそうです。それにとどまらず、人をかたどっていた絵や像の瞳からは、一様に涙が垂れ落ちていました。
人の形をしたものが涙を流す。それは、芸術家として作品に命を与えられた証であるのだと、その場にいた者たちは聞いたことがありましたが、内心では複雑だったようです。
確かに、今回の出来事は、自分たちが傑作を作ったことを示す、一つの証拠にはなります。けれども、芸術的な傑作が、そのまま大衆的な傑作になるとは限らないことを、職人たちは理解していました。
芸術家としての誉れも、売られる側からしたら恐れを抱くものとしか思えない。見世物にしようにも、その時々で涙をしっかり流さなくては、予め書いたと取られるに決まっている。こんなことならば、涙など流してもらいたくなかったとさえ、芸術家たちは思ったそうです。
されど、いずれも自分たちの力作。どのように処理すればよいか、彼らは頭を抱えることになりました。何より、今までの創作活動で疲れていた彼らは、今日は疲れた頭を休めて、明日、対処を考えることにしたようですね。
翌日。涙を流した石像たちは、一斉に姿を消しました。
それだけではありません。絵師たちの絵の中に書かれた人物たちも、いたはずの空間から消えてしまい、そこだけ奇妙な白紙が出来上がってしまったとのことです。そして同時に、自分たちの衣類が、何枚か無くなっていたのです。
一体、何が起こったのか。混乱する皆でしたが、ちょうど昨日から、ふもとの町の買い出しから戻ってきた職人の一人が、全員を集めました。そして問います。
「昨日、この村に団体が立ち寄ったのではないか」と、
彼は買い出しから戻る途中の山道で、奇妙な集団を見かけたといいます。
背の高さがバラバラなのはまだしも、歩き方がぎこちないことこの上なく、すれ違いざまにあいさつをしても、一切、見向きせず、声もあげず、会釈すらしなかったとのこと。
ですが、着ていた衣服は、いずれもこの村の人々のものでした。皆が数少ない服を譲ることは考えづらく、こちらへの反応のなさもあって、盗人かもしれないと思った彼は、足を速めて村に戻ってきたとのことです。
彼らの行方は、何年たっても掴めませんでした。
彗星は、姿が目に映らなくても、しっかりと贈り物を届けてくれたのでしょう。ただ、受け取ることができたのは、人間ではなかったようですけどね。