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しょうゆ騒ぎ

 お〜お〜、また目玉焼き論争が始まっているぜ。好きだなあ。まあ、俺たちは蚊帳の外でのんびり語ろうや。

 つぶらやは目玉焼きに何をかけるよ? 

 ふ〜ん、しょうゆか。奇遇だな、俺もだ。何というかな、あの「しょっぱい感じ」がいいんだ。舌をビンビンに刺激してくれる。しょうゆの味や香りに、ひどく惹かれてしまうんだ。

 実は俺、当初はしょうゆ嫌いだったんだが、ある事件のせいでころっと変わっちまった。興味があるなら話そうか。


 しょうゆにはいくつかの種類があるのは知っているな?

 うちのじいちゃん、ばあちゃんが愛用しているのが、「たまりしょうゆ」。それも小麦を一切使わない奴だ。

 俺がたまりしょうゆに抱いた感想は、味が濃厚ということだ。こいくちしょうゆに比べると、「濃いなあ」という感覚が強かった。実際に塩の量は変わらないらしいんだがな。うすくちしょうゆの方が、塩分が入っているという話だ。

 ちょっと調べたところ、しょうゆ全体の生産のうち、こいくちしょうゆは90パーセント近いのに、たまりしょうゆは2パーセントくらいしかないんだとか。だが、じいちゃん、ばあちゃんの田舎では、この2パーセントがとても大事だったんだぜ。


 じいちゃん、ばあちゃんの田舎には、通称「しょうゆ神社」がある。その田舎一帯では、点在するしょうゆ神社が、しょうゆの売り買いや管理をしているんだ。これは何百年も前から続けられていて、そこで暮らしている限り、神社が販売する「たまりしょうゆ」のお世話になる。そして、一日三食、どれにも何かしらの形で、しょうゆを使うことが義務づけられているんだ。

 俺も小さい頃は何の疑問も抱かずに食べていたんだが、やがて塩分過多の食生活に警鐘を鳴らす番組を見過ぎた俺は、エセ健康マニアになっていた。塩分控えめの食生活。しょうゆなんぞ言語道断、とな。

 そして、俺が小学校5年生になった時のこと。


 夏休みに両親が海外出張することになって、俺はじいちゃん、ばあちゃんの家に預けられた。食事を除けば、山あり川あり、子供の冒険心をくすぐるには、持ってこいの場所だったよ。食事を除けば、な。

 俺はいろいろな場面で、しょうゆを摂ることを余儀なくされた。卵やほうれん草にかかっているのなら、まだいい。お菓子のせんべいを食べる時も、しょうゆをべたべた塗られてから出されるし、夜食に軽く茶碗一杯分のご飯をもらったら、しょうゆ漬けにされた。

 一滴、二滴くらいなら、俺も文句は言わねえよ。もはや、つゆだく状態なんだ。それもお残しはあかんとのこと。「こんなにしょうゆ飲んだら死ぬ!」って、しょうゆまみれのご飯を、ベソかきながら口に運んだぜ。あふれる、独特の味とうまみは、俺の舌を何時間もとらえて離さなかった。

 たまらずに文句を言うと、「いい子でいるためだから、こらえな」の一点張りだったよ。

 おかげで俺は、しょうゆに拒否反応を感じ始めたんだ。


 夏休みも半ばを過ぎた日のこと。

 俺は朝からずっと布団の中にいた。目は覚めていたが、起きたくなかったんだ。起きたらまた、しょうゆづくしの朝ご飯が待っている。「もう、勘弁してくれ」というのが正直なところだった。だから、今日は一日、寝て過ごそう作戦だ。腹が減っても、あのしょうゆだらけの飯を、三食とるよりはるかにましだ。

 じいちゃん、ばあちゃんが声をかけても、狸寝入りをする俺。部屋に入ってくる足音を聞いて、身体をがくがく揺さぶられても、狸寝入りをする俺。

 このまま昼まで眠ってやる、と意気込んでいたけど、不意に口をこじ開けられたかと思うと、ストローを突っ込まれた。すぐに次の展開が読めた俺は、パッと目を開く。

 俺が口に突っ込まれたのは、調理用じょうごの先っちょ。そして目の前に、しょうゆのボトルを持ち、じょうごの円錐部分に向かって注ごうとしている、じいちゃんとばあちゃんの姿があった。

 

 とっさに、じょうごを吐き出して逃げる俺。後ろから呼ぶ、じいちゃん、ばあちゃんの声に耳を貸さず、パジャマのままで外へと飛び出した。

 行くあてなどなく、やみくもにあぜ道を走り回る。とにかく家から離れたい一心だったんだ。

 だが、ほどなく俺の足はおかしくなった。止まろうと思っても、止まらないんだ。俺の命令を無視し、山に向かって一直線に走る。

 それだけじゃない。俺はいつの間にか、腕を振ることをやめていた。そしてひとりでに両手が、俺の首へと伸びていたんだ。首をつかんだその手は、握力を緩めることなく、のどを潰しにかかってくる。

 もう、何が何だかわからなかった。夢中で走りながら、自分の息の根を止めようとしている。ここまでの持久走で、肺の酸素はほとんど残っていない。苦しくて苦しくてたまらない。

 目の前の景色がにじみ出した時、前方にバラバラと大人たちが現れて、こちらに向かってくるのがわかった。そこから、俺の記憶は飛んじまったよ。


 気がついた時、俺は小さなお堂の中に寝かされていた。そばには神妙な面持ちの神主さんが正座していてな。中身がたっぷりと入った、一升瓶を抱えていた。

 神主さんが、身体の異常がないかを尋ねてくる。それに応じて、俺は手足を動かしてみる。脳からの指令が、きちんと行き届いていた。

 あの時、俺の視界に現れたのは、村の大人たちだったらしい。首を絞めながら走り続けていた俺は、ひどい酸欠状態で、意識を失っちまっていたんだと。

 本来なら救急車が呼ばれるところだったが、じいちゃんとばあちゃんから、俺がしょうゆを摂取していないことを聞いたみんなは、気を失っている俺の口元に、しょうゆを垂らしながら、しょうゆ神社へと運んだらしい。そして、神主さんに預けられて、今に至るまでこのお堂に寝かされていたんだとか。

 神主さんいわく、俺のようなケースは珍しくなく、過去に何回かあったらしいんだ。そのいずれもが、しょうゆをしっかり摂らなかった人が被害に遭っている。そのため、今でも神社では、お手製の「たまりじょうゆ」を各家に用意しているんだと。


 だがよ、俺は疑問に思うんだ。

 大豆オンリーのたまりじょうゆっていうのは、熟成に三年はかかると言われる代物。それを田舎の全家庭分、コンスタントに用意するというのは並大抵のことじゃない。まだ、俺の知らないカラクリがあるのかもしれん、と。

 ただ、確かなのは、あれ以来、俺はしょうゆ以外の調味料に関して、ほとんど味覚がマヒしちまったらしい、ということだな。

 



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