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積年の氷室

 こーちゃん、なんだか冷蔵庫の効きが悪くなったと思わない? 最低温度にしているのに、ラクトアイスがふんわりやわらかくなっているんだけど。そろそろ買い替え時かなあ。

 この夏、かなりの暑さだったからねえ。冷蔵庫もバテちゃったかな。こーちゃんちの冷蔵も、買ってからだいぶ経っているんでしょ? めんどくさがらずに、替えた方がいいと思うけど。

 え? だったらお前が全部やれ? あ〜あ、もう完全にゆとりのない社会人だね。こーちゃんストレス溜め過ぎなんじゃない? 1に睡眠、2に食事。適度に息を抜きなよ。ほい、麦茶でも飲んで、頭冷やしな。

 それにしても、いつでも冷たいものが用意できるって、いい時代になったものだよね。暑い日でも冷たいものが味わえる。これ、昔は今ほど手軽にできたものじゃないらしいよ。

 この冷たさを巡る話もいくつか残っているんだ。こーちゃん、こんな話は知っているかい?


 日本で時期を問わず、大々的に冷たい飲み物を味わうことができるようになったのは、明治のころらしい。中川嘉兵衛さんという人が、財産を投げうって、函館で調達した「函館氷」によって、庶民が氷を手にする機会が多くなった。

 今でこそ製氷技術が発達して、身近にあるのが珍しくなくなっている氷。これの貯蔵に適した施設が、奈良時代から姿を現わしている。こーちゃんも知っているであろう、「氷室ひむろ」と呼ばれる、貯蔵庫だ。

 最近の研究だと、奈良時代から氷室は全国に点在し、庶民も利用していたらしいことが分かっている。とはいえ、確保するだけで、安全性まで十分に調べられない時代。文字通り、肝を冷やす事態も多かったと聞くよ。


 その年も、氷室が開かれる時期がやってきた。例年に比べて、非常に暑い年であり、いつも氷室に蓋をしているかやぶきの一部が損傷するという事故があったが、どうにか氷は保存できていたんだって。

 当時の氷と、密接な関係を持っていたのは、お酒。特にお神酒の調達に関して、氷は大事な役割を担っている。気温が上がって、発酵が進んで、酢になったりしたらまずいからだ。

 酒を酒のままで保ち、神に捧げる。これを当たり前に続けるために、氷室は欠かせないものだった。

 神事に使うだけの氷が用意されると、文武百官に分配。更には民間の氷業者にも行き渡って、人々は涼をとる。いつもと同じ夏が過ぎていくのだと、この時は誰も疑わなかったらしい。


 ところが、氷が出回るようになって十日ほど経ったころ。氷水を飲んだ年寄りが、次々に体調をくずす事態を起こした。ただお腹を壊しただけならまだいい方で、ところかまわず大きな声で叫んだり、獣のごとく一心不乱に地面や土壁に爪を立て、ずっと掘り続けるような奇行を繰り返したりすることもあったみたい。

 彼らはいずれも、同じ場所で氷水を振る舞われた者たちだった。以降、高齢者に冷えた飲み物を用意することは控えられ、水もまた、公認された井戸水のみ使用することが呼びかけられた。


 しかし、数日が経つと、同じような症状が、今度は若者たちの間で広まることになった。

 役人たちの調べによると、いずれも氷水を飲んだり、氷を直接、口に入れた者ばかり。そして、日照りの下にも関わらず、「寒い、寒い」と寒さを訴える声が絶えなかったんだ。

 原因は氷にある。氷室管理の責任者である、主水司もんどのつかさは、主命により氷室の調査・点検を命じられて、兵を率いて氷室へと向かう。

 天然の洞窟を利用した氷室は、氷の貯蔵場所を過ぎても、なお奥深くへと続いている。足場が安定しない、落盤の恐れがあるなどと判断され、十数年、踏み入ることのなかった場所。調査の一団はその危険地帯へと足を向けた。


 確かに奥は、洞窟の手前側よりも冷えている。しかし、十数年前に立ち入った時に比べて、肌に感じる冷気は明らかに劣っていた。

 彼らが首をすくめたのも、辺りに漂う冷気のためではなく、つららを伝って垂れ落ちる雫が、うなじを刺したためだったんだ。

 やがて、洞窟の奥までたどり着く一行。辺りを調べ始めた一行は、以前に立ち入った際にはなかった、ひび割れを見つける。その足元から、とくとくと水が流れ出ているのだ。その水量は少ないながらも、流れは洞窟の入り口まで伸びているように見えた。

 ひび割れは細かったものの、帯同していた者の中で、一番細身の男が横向きになることでどうにか入り込めたみたい。内部を調査するために、男は割れ目の奥へと進んでいく。


 割れ目の奥には、人が三十人ほど入れるくらいの空間が広がっていた。

 その空間には、人間、猪、熊……あらゆるものが氷に閉じ込められて、無造作に置かれていたんだ。よく見ると、それらの氷は、一様に汗をかくようにして多量の水を流していた。

 彼があっけに取られていると、突然、冷たい風が彼に向かって吹きつけた。吹雪の中にいるかとさえ錯覚する寒気の中。彼が目にしたのは、居並ぶ氷たちをかき分けて現れた、高さ八尺あまり。全身毛むくじゃらの大男だったということだよ。


 命からがら報告に戻った彼の証言で、例の氷室は封印されることが決まった。

 更に都が京にうつったことで、奈良近くの氷室は、軒並み閉鎖されることになったんだ。

 今となっては、名前すら残っていないその氷室。彼が目にした毛むくじゃらの大男は、今でもそこにいるのかな?

 


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