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登山と吐息

 はい、つぶらやくん、ガム食べる?

 いや〜、連日の飲み会とか、参っちゃうよね。胃袋しかり、人付き合いしかり。身体と心が痛めつけられちゃうよ。せめて吐く息くらいは、感じよくしておきたいものだね。今日もまだ、誰に会うか分からないし。

 しかし、口の臭いというのは様々な原因があるらしいね。今日のように食べたものが原因のこともあれば、歯周病が原因のこともある。口呼吸が原因だったり、自分の思い込みが原因だったりする時すらある。

 その口臭に関して、私が父から聞いた、興味深いものを紹介しようか。


 先ほど言ったように、口臭というものの原因は様々だ。多くは医療に役立てられたんだが、問題は、思い込みから発する口臭だ。

 実際には口臭がない。もしくは口臭がほとんどしないにも関わらず、自分の息が臭うのではないか、という恐れを常に抱いてしまう症状だ。

 聞いたところによると、これらは思い込みによる以上、原因は口や胃ではなく、脳に存在する。ずっと前に「臭い」と言われたこと。周りのみんなが、自分に対して鼻をつまんだこと。それらのトラウマが原因になり、被害妄想はもちろん、脳が自ら、しないはずの口臭を作ってしまうことすらあるのだって。

 しかし、脳みその働きなど、まだ明らかにされていない時代。その口臭をどのように改善していくかが大きな課題だった時期がある。


 第二次世界大戦が終わり、10年余りが過ぎてやってきた、第一次登山ブーム。山岳部、ワンダーフォーゲル部が増加。サラリーマンの間でも、土日をフルに使って山に出かける人などが多く出てきた。

 たいていは土曜日の午前中で仕事を終わらせて、午後には山に出かけるというのがサラリーマンパターン。それでも私たちのように昼間から飲みにつき合わされたりすると、臭いが抜けなかったりして、大変なことになる。しまいには、実際に臭っていないにも関わらず、「自分の息が臭いんじゃないか」などと、妄想に駆られる始末。

 久々に会って気分を害しちゃならないと、一部の人たちは密かに思い悩んでいた。


 当時、学生で一人暮らしだった私の父も、口臭に悩みを持っている一人だった。

 以前、山登りの仲間に「口、臭うね」と言われたのが相当ショックだったと言っていたよ。病院にも行ってみたけれど、原因はよくわからなかった。自分なりの口臭対策も取ってみたけれど、良くて一過性。根本的な解決にならない。

 頭を抱えていた時、家のポストにあるチラシが投げ込まれていた。紙には


「きれいな空気と水で、あなたの臭いを洗いませんか」と書かれていた。


 あまりにタイムリー過ぎて怪しさを覚えたけれど、一応、目を通してみる。要するに山登りの案内だった。紹介されている山は、以前から汲むことができる自然の湧水が出ることで、少し名が知られていたけれど、父はまだ登ったことがなかった。

 気休めでも、やらないよりはましか。そう思った父は、次の講義がない日に、件の山へ向かってみることにしたんだ。


 山に向かうまでの間に、父は情報収集をした。首尾よくその山に登り、しかも口臭で悩んでいた友人が見つかって、話を聞いてみる。

 例の山は、レジャー登山に向いていて、山登りの経験者であれば軽装でスイスイ進むことができるらしい。頂上では山の名前を冠した湧き水を汲める、石組みの泉がある。

 そばにある立て札によると、水を飲んだ後、「ヤッホー」と山々に呼びかけるように促されているらしい。そうするとご利益があるんだとか。

 ただ、実際に叫んでみたところ、あたりにそこまで高い山がないせいか、やまびこは返らず、代わりに小さな地震に遭ったらしい。

 それ以降、友人は以前より口臭を指摘されることが少なくなり、頭がスッキリするようになったとのことらしい。


 当日。父は予定通り、例の山を登り始めた。

 聞いていた通り、本格的な装備は必要なく、ハイキング感覚で登っていけるレベルの山で、いささか物足りなさを覚えるものだった。だが、今回は山に登ることよりも、湧き水によるゲン担ぎをするのが目的だ。

 迷いない足取りで進んでいった父は、半日足らずで頂上にたどり着く。前情報通り石組みの泉と、「ヤッホー」まで行うことを促す立て札。そして、「ヤッホー」と声を出している人が、何名か見受けられた。

 実際どれほどのものなのか。疑う気持ち8割ほどの父は、泉のそばに置かれていたひしゃくで水を汲み、空いている手に中身を移して、口にあてがった。


 うまい。つめたくないが、すっきりとしたのどごし。同時に頭が、マッサージされているかのように気持ちよくなってきた。

 確かにこれはいい気持ちだ。心地よさにつられるがまま、父はさほど高くない山々に向かい、「ヤッホー」と力の限り叫んだんだってさ。

 すると、友人が話した通り、やまびこが返ってこず、代わりに地面が揺れた。ただ、話に聞いていたような小さいものではなく、その場にいた全員が「あっ、地震だ」と認識できるくらいの揺れだったらしい。

 揺れそのものは十秒程度で収まったものの、どこか気味が悪いのも確か。父も含めて全員が足早に、山を下りて行ったそうだよ。


 それからの父は、口臭で悩むことはなくなった。視野が広がったというべきかな。自分がやらなきゃいけないことが、びんびん頭に訴えかけてきてね、それらの前では口臭など些細な問題に過ぎなかったんだそうだ。

 例の山なんだけど、それからも細々と地震が起こっていたらしい。しかし、父がのぼってから数年後。豪雨と共に、大規模な土砂崩れがあって、しばらく近寄ることができなくなってしまった。

 再び、人が登り始めた時には、頂上にあった石組みの泉は影も形もなく、代わりに泉と同じくらいの大きさの穴が開いていた。

 穴は周りを柵で囲まれて、登山コースからも外された。その山の頂上付近に近寄ることが禁止されたんだ。

 山の中心部まで続いていると思しき穴は、泉の崩壊と共に、何者かが穴から抜け出したんじゃないかと、ずいぶんうわさされたらしいよ。



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