ボールに込める、その魂
おほ〜、つぶらやじゃねえの。珍しいところで会ったな。
スポーツシューズを探している? ようやっと運動不足から脱出する気になったか。もう若くないんだし、無理のない範囲で頑張れよ。
俺か? ちょっとボールとティーをな。余裕があればクラブも見ていきたいんだが。
そ、お察しの通り、接待ゴルフの準備よ、おほほ。そこそこ上手い方ならいいんだが、下手の横好きな方だと、なかなか。OB連発もどうかと思うから、ほどほどに飛距離やパットを調整よ。
あれ、意外そうな顔して、どうした? 「そんなに上手いのか」と言いたげだな。
話してなかったっけか。俺、こう見えてもシングルプレーヤーよ。腕に覚えがあるっていう認識でいい。ガキの頃から、親父に連れられてプレーしているうちに、ゴルフに馴染んじまったみたいだな。おかげで今、恥をかかずにすんでいるけど。
何か面白い話はないか? 相変わらずの聞きたがりだな、お前。かれこれ、何十年かプレーしているわけだ、おかしな目にも遭ったさ。それで良ければ話そうか。
ゴルフって奴が、他の球技と比べて目立つ特徴といったら、審判がいないことかな。
失礼、語弊があった。審判は自分自身と言っていいだろうな。大会とかではスコアをつけてくれるマーカーがいるが、練習ラウンドでは自分一人で回ることもある。プレーの内容によっては、自分で自分に大量にペナルティを課すハメになるんだぜ。完璧主義者にとっては屈辱だろうな。
当然、スコアを誤魔化せば、失格だ。ゴルフはボールを打つ回数の少なさを競うスポーツ。みんなどれだけスコアを縮められるか、コースと自分のメンタルを相手取って、18ホールを回りきる。慣れないうちは、めちゃくちゃ疲れるな。
今でこそスコアが安定してきた俺だが、130から140叩く時期は長かったぜ。
その日、俺は一人で練習ラウンドをしていた。キャディさんをつけずに、セルフバッグでな。まだまだ経験値不足だった俺は、距離感を含めて色々コツを身につけときたかったんだ。
そういう目的なら、誰かと一緒に回った方がいいだろうに、自分のスイングを見られたくないなんて羞恥心から、つまらない意地を張ったよ。ちょうど仕事も失敗続きで、上司にどやされまくり。内心、むしゃくしゃしていた。
そんなもろもろの思いが、ショットに影響したんだろうな。俺のボールはフックしまくりだった。左に曲がり過ぎだったんだ。
プレーしていたのは、ウチの接待ゴルフでよく選ばれるタイプの林間コース。起伏は少ないんだが、木々が高くてな。フェアウェイを外れて、ラフで止まったらついている方だ。ほとんどが林の中に直行コースなわけよ。
一人でプレーしていて怖いもの。それはロストボールだ。打ったボールが行方不明になっちまうペナルティだ。
一緒に回る人がいれば、人海戦術で見つかる確率も上がるんだがなあ。林の中に生い茂った草の根を掻き分けて、小さいボールを見つけ出すのは、なかなかの苦行だぜ。
探せる時間は、わずかに五分。ゴルフがいかに他の組との協調が大事かが分かるよな。9ホールを回って、すでに100近く叩いていたから、格別の荒れ模様だったことを覚えている。
俺が林の中でガサゴソやっていると、近くでだいだい色のセーターを着た人が、アイアンを持ちながら、俺と同じような動作で、草と草の間をのぞいていた。前を回っている三人組の一人だったはずだ。どうやら手分けして探しているらしく、近くにお仲間さんは見えない。
三人と一人のスピードの違いを踏まえても、今日の俺とどっこいくらいの調子だったんじゃないか、と思う。上手かったら、林のお世話にならないだろうし。
お互い、苦労しますね、なんて軽く声を掛け合いながら、ボールを見つけたら教え合うことを約束。捜索を続けた。
とっととロストボールにしてペナルティを払い、プレーを再開しろ、と言いたいところだろ。だが、その日の俺は、ストックのボールを、それまでのプレーで全部なくしてしまっていたんだ。全部、俺のくせ球の犠牲というわけだ。
ボールがなくて、プレーを終えざるを得ない……なんて、情けないだろ。
残り一分。そうやって林の奥へ奥へと向かっていった時、不意に声を掛けられた。
「これ、あんたのボールでないかい」
見ると、お年を召したキャディの衣装をまとったおばあさんだったよ。手には、泥で汚れたボールを持っている。
俺はボールをよく見せてもらう。確かに俺のボールに似ているが、いつも自分でボールに書いているイニシャルと、水玉模様がない。他の人のボールと間違えないためにつけている、目印だ。
俺のボールじゃない、と言ったんだが、おばあさんはいざという時には使いなさい、と無理やりボールを握らせて、そそくさと去っていく。
確かにこれ以上は、他の人の迷惑になるかも知れない。だが、自分が用意したボール以外を使ったら誤球のペナルティ。これはロストボールより重い。
何より俺は、ルール以前に、自分が築いたものを手放してしまう気がした。駅伝でたとえたら、たすきをつなげずに繰り上げスタートするようなもの。堪えられねえ。
ボールをしまい込んで、引き続きボールを探す俺。残りは二十秒足らず。
見つけた。木の根元だったが、どうにか林の外に向かって、アドレスが取れる。
俺は安全のために「フォア―!」と叫んで注意を促すと、素早くスイング。傷を深めないためにも、無茶をせずに出すことを優先した。林の外では、追いついてきたと思しき後ろの組の人が、「ナイスアウト」と声をかけてくれたよ。
前の組も先に進んでいる。どうやらボールが見つかったらしい。俺も遅れを取り戻すために、引き続きアドレスに入ったよ。
だが、次のホールで事件が起きちまった。
どうにか追いついた俺は、前の三人組がティーショットを終えるのを待っていたんだ。打順は、さっきボールを探していたオレンジ色のセーターの人。
ドライバーを振りかぶり、ティーの上のボールをヒット。うなりをあげるスイングに「ナイスドライブ」と言いかけたが、その前にあの人が叫んで、ティーグラウンドに倒れこんじまった。
慌てて駆け寄る仲間に支えられて立ち上がったその人は、頭と耳から血を流していたよ。医療係が呼ばれてプレーは中断。前の組のあの人はクラブハウスで、治療を受けることになったよ。
あの人の打ったボールは、フェアウェイ脇のバンカーに置き去りになっていた。ボールの上部が割れていたそのボールは、林の中でキャディのおばあさんが渡してくれた、あのボールと瓜二つだったよ。
もしかして、あの人。おばあさんから受け取ったボールでプレーしちゃったんじゃないか、と不安が頭をよぎったね。