塗りそこねの世界
ちょっと〜、つぶらやくぅん。空も海も青だからって、同じ色使っちゃダメでしょ。一面の水色天国じゃない。
境界線のない世界を描いてみた? はいはい、物書きお得意の、パッと向ききれいごとで、その実、ハリボテないいわけ、ごちそうさまです。
芸術家気質って、妙にプライドが高い人が多いのよね〜。頭を下げればそれで済むのに、ぐずぐず正当化しちゃって。難儀な生き物にしか見えないわ。
あたし? あたしはプライド皆無だから、取り繕ったりしないわ。いいものはいい。悪いものは悪い。はっきりさせとかないと、虫の居所が悪くてしょうがないわね。その結果の「悪い」というレッテルなら甘んじて受けるわよ。その分、ダメ出しもさせてもらうけど。
でもね、一番突っ込みづらいのが、空白。絵でも文章でも。
書き損じたのか、何か意味があるのか。わからないから口出しづらいわね。
迷うなんて、らしくない? いやあ、昔、こんなことがあったのよ。
私の性格は小学校から変わらないわ。自分にとっての基準が最優先。
気に入ったものは、とことん入れ込むけれど、気に入らないものには、けんもほろろな態度をとることにためらいはない。
中途半端や、どっちつかずの姿っていうのが、どうも鼻についちゃってね。白黒をはっきりしたくてしょうがなかったの。
絵は画用紙いっぱいに、文章なら原稿用紙いっぱいに、無理をしてでもつぎ込んでいた。色々なものが埋め尽くしている中で空白ができてしまうと、その手つかずの残された部分に不憫さを感じる、我ながら変な感性よ。何だか、仲間外れに思えてしまってね。
だけど、必ずしも染めるばかりではいけないと、私が学んだことがあったの。
その日は運動会の種目決めがあると、予め告知をされていたわ。
朝のホームルームの時間を使うと聞いていた私は、少し早めに家を出た。ちょうど日直だったから、出席表を取りに来い、とかいろいろ仕事を押し付けられるのは、目に見えている。
やがて、学校に向かう最後の横断歩道。青信号の時間が短いから、私は早足で渡っていく。横断歩道の白い部分だけ踏みながら。
白、黒、白、黒……。
小気味よく、歩みを進める私。ほとんどスキップしていた。
白、黒、白、黒、白、白、白……。
「えっ」と思った時には、もう踏んでしまっていたわ。しま模様の中に紛れ込んだ、白いお団子をね。
びっくりして足を離す。離れたところを中心に、ぱっと色が切り替わって、他の部分と大差ない黒色に染まった。目の錯覚、で片づけるには、鮮やか過ぎる出来事。
それでも考え込んでいる場合じゃない。信号はもう点滅を始めたし、日直の仕事がある。一抹の不安を振り切って、私は走ったわ。
ホームルームも種目決めも滞りなく終わった。あとは出席簿を職員室に返しに行けば、朝の仕事は終了。私にとって、日直の残りの仕事は消化試合のようなものだから、気が楽だったわ。
だけど、今日はみんなの視線がちらちらと、やけに私に集まりがち。見ての通り、私は飛びぬけた美貌なんかない地味女だったから、なんで注目を浴びるのか意味不明。男子だったら、ズボンのチャックが開いている、と言ったレベルの存在感かしら。
ご飯粒とかを盛大につけていたかなあ、とやたら身なりを気にする私に、友達の一人が声をかけてきた。
「ねえ、今日はやけに白くない?」
友達が手鏡を貸してくれた。それに映る服の端は、確かに、日に焼けたように白くなっている。長年使っているとあり得るけれど、この服はおろしてから、まだ数えるほどしか着ていない。
洗剤が溶け残っているのかな、と服を手でこすり出す。友達は続けたわ。
「あんたの顔も、どんどん白くなっているよ」
私は改めて鏡を覗き込む。夏が過ぎたばかりで、小麦色に焼けていたはずの肌が、夏前くらいに戻っていた。
時間が経つにつれて、私の注目度がどんどん上がっていき、先生には体調の心配すらされる始末。
午前中は大丈夫と言っていたけれど、昼休みになって、トイレの鏡に自分を写した時にはびっくりしたわ。
服に入った紺のチェックは、もはや漂白剤をかけたかのような薄さ。顔はおしろいを塗った役者のよう。髪にも白いものが混じり出したし、何より、私の瞳は色を失い始めていたわ。
十分、二十分と時間が経つたびに、視力が急激に失われていくのが分かる。とうとう先生が早退を勧めてくれた時には、隣に座っている子の輪郭が、ぼんやり分かるくらいだった。
保健室に行くように勧められたけど、私は断って、例の横断歩道に向かう。考えられる原因はあそこしかない。
白んでいく頼りない視界をたずさえて、私は道行く人にぶつかりかけ、車にひかれそうになりながらも、どうにか横断歩道までたどり着いたわ。
雪に覆われたかのように、ほぼ真っ白い景色の中でも、それははっきりと見えた。
横断歩道の線一本分。その中で、紺色、黒色、茶色……私から奪った色たちが、稼働している洗濯機の中身みたいに、ごちゃ混ぜになって、渦巻いていた。
取り戻さなきゃいけない。私が一歩踏み出すと、誰かに肩を掴まれる。白くて、姿が見えない。「死ぬぞ」とも聞こえた。
構うものか、と思ったわ。こんな真っ白な世界で生きていくなんて、耐えられない。
私は制止を振り切って、色の渦に足を踏み入れた。途端、目の前が鮮やかになる。そして、飛び込んできた赤信号。
私が反射的に飛びのくと同時に、けたたましいクラクション。先ほどまで私がいた位置を、真っ赤なスポーツカーが突っ切っていったわ。間一髪だった。
さっき私を制止してくれた、サラリーマンらしきおじさんが「それ見ろ、あほんだら」って顔でにらみつけてて、私は頭を下げるばかりだったわね。
それからは、私を取り巻く白かったものたちも色を取り戻して、今に至るわ。
つぶらやくんも、十分気をつけてね。
偶然、空白を見つけたら、何らかの意味があるかも知れないから。