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サボりの教示者

 お〜い、こーちゃん。休もうよ。

 え? まだ三十分も経ってない? だってさー、好きでもない勉強に対する集中力が、何時間も持つと思う? こーちゃんだって、嫌いなことを何時間もやるなんてまっぴらじゃないの?

 社会に出て、仕事をやってたら、嫌もくそもない?

 ああ、やだやだ。好きなことして、死ぬまで暮らせたらいいのなあ。おサボり天国万歳だよね。

 あ、でもこの前、サボりも考え物だって話を聞いたなあ。

 え、こーちゃん聞きたいの? それこそサボりなんじゃないの? まあ、好きなんだから、仕方ないよね。うんうん。


 日本人って、明治あたりから諸外国を猛烈に追いかけ続けてきてさ。今でも「働きすぎ」っていう評価を下されがちじゃない。俗にいう「ワーカーホリック」って奴だっけ。

 聞いた話だと、終電で帰って、始発で出勤。それどころか、何日も会社に泊まり込みもあり得るんでしょ? 身体持たないって。サッカーで45分ハーフをずっと走りっぱなしのようなものだって。

 でもさ、45分ハーフの中で、自分がボールに触れる時間って、そんなに長くないと思うよ。相当なワンマンチームでもない限り。

 なのに、四六時中走っていることを強要してさ、その姿を見せない奴には、やれ気迫がないだの、やれ熱意がないだのと、責める人が多かったんだけど。僕だけ? ずっと走ってて、大事なシーンで下手こいたらどうするの?

 実際に苦言を呈したら「そうならない体力をつけろ」だって。やれやれだね。泳ぎ続けないと死んでしまう、まぐろか何かと勘違いしているんじゃないの。


 僕の年が離れた兄さんの話なんだけど、小学校からずっと同じ学校、同じクラスだった友達が一人いるんだ。もうね、マイペースというか、一人よがりというか、傍若無人というか、好き勝手な人だったらしいんだよ。

 休み時間に黙々勉強していることもあれば、授業中に昼寝はするし、漫画は読むし、だったらしいよ。さすがに、お酒やタバコみたいな臭いがするものは、授業中は自重したらしいよ。授業中はね。

 そして、時々、豚の貯金箱を取り出して、ジャラジャラとこれ見よがしに鳴らしていたらしい。傍目に、何とも嫌なやつだと思ったって。

 宿題をやってくるのも、その日の気分次第。先生にやってこないのを咎められて、「やりたくないから、やりませんでした」と、もはやすがすがしい返事をしたっていうから、大した逸材だよ。


 そんな色々カリスマがにじみ出る彼だから、模倣犯もわんさかいた。先生たちも、彼という先達がいる以上、かなり厳しく取り締まったみたい。

 たいていの奴は、先生の凄みにびびったり、反発して厳重注意されたりで、くじけるものだけど、元凶の彼自身が折れることはなく、貯金箱を揺らしていた。

 確かにサボりの多い彼だったけど、勉強や運動をやる時には、優秀な結果を残して学校に貢献したから、先生たちも困った顔をするものの、一線を越える注意はされなかったらしい。能ある鷹は何とやらに、とられたんだね。

 次々と自分の追従者を作りながら、決して追いつかれない先を走り続ける姿に、兄さんは呆れながらも、どこか憧れを感じたんだって。


 そして、腐れ縁は極まり。彼とは同じ会社に勤めることになった。

 彼は相変わらずの、ゴーイングマイウェイだったけれど、兄さんはもう学生の時のような感想を持つことができなかった。

 自分の給料を、時間で換算するようになったからだ。こーちゃんは、したことない? 月々の給料から、自分の時給が何円くらいかって。

 会議、掃除、その他の業務に、何円のコストが発生しているか。それを考えると、無駄にはできない気持ちが、満ち満ちてきちゃったんだってさ。今では、社畜ロードへの偉大な一歩だったんだと、自虐しているけどね。

 そして同時に、奔放に振舞う彼に、怒りが湧いてくる。あいつのサボりで、どれだけのコストが無駄になっていくのか。もし、あいつがサボっている時間を、仕事に充てていたら、どれだけの成果をあげられているのか。

 相変わらず貯金箱にご執心な彼を見れば見るほど、考えれば考えるほど、むかっ腹が立ったと話していたね。


 そして繁忙期を迎え、納期が迫ってくる。

 社員一同は、強制的に会社に缶詰されて、商品の調整に追われていた。全員が飯を食いながらパソコンと向き合い、トイレ、タバコ、仮眠程度の休憩を申し訳なさそうに取る中で、相変わらず友人は、仕事と関係のない雑誌をまったりと読んでいたり、貯金箱を鳴らしていた。ただ、その顔には不満げな表情をたたえていたけど。

 最初のうちは舌打ちしていた一同も、二日、三日とデスマーチが続くと、彼のことを気に留めなくなってきた。構っている時間すら惜しかったからだ。

 そして、一週間が過ぎた頃。


「なあ、もっと気を抜けよ。向こうでトランプでもしようぜ」


 兄さんが無精ひげを生やし、目の下にクマをこさえながら頑張っている間、マイペースに働きながら休んでいた彼は、顔色がとてもよかった。そんな彼からの、貯金箱を鳴らしながらの呼びかけだったんだ。心なしか、貯金箱の音が小さい。

 いい加減に腹が立った。どうしてこいつはここまで空気を読まないのか。そして、ついに口走っちゃったんだよね。

「お前がもっと手を貸してくれれば、仕事はもっと早く終わるんだ! 遊んでいる暇があったら、とっとと手伝え! 間抜け野郎」とね。

 彼の顔は青ざめたけど、誰も何も言わなかった。もちろんそれは口だけのことで、顔にはこれ以上ないくらい、嘲りの色が浮かんでいたんだって。

 だが、彼は叫び返した。


「こっちはもう限界なんだ! 壊れそうなんだよ! お前ら全員、壊れちまえ! 仕事の奴隷め!」


 彼は外に飛び出していったけど、兄さんも限界だった。切れた兄さんは、一発ぶん殴ってやろうと思って、彼を追いかけて外に出たんだけど、そこで異様な光景を見ることになる。


 会社を出てすぐのところに、彼の背広とズボンが落ちていた。

 加えて、ワイシャツや下着も、それらの下からすべて出てきたんだ。ただ、肝心の中身たる彼は、どこにも見当たらない。携帯も背広の外ポケットに入っていたから、連絡は取れない。

 それらの服の脇に、空っぽになった彼の貯金箱が転がっていた。

 彼が後生大事に握っていた豚の貯金箱。けれど、その顔にいつもの柔和な笑みはなく、耳元まで口が裂けた、何ともおぞましい笑顔になっていて、口の端からは赤い液体がしたたっていたらしいよ。


 彼とはそれっきりで、今どこで何をしているかは分からない。

 身内もいないから、本当に消えてしまったとしか言えなかった。

 その様は、まるで最初から存在していなかったかのようだったって。

 



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