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姿なきコスト

 ん、すまん、つぶらやくん。どうやらカードの残額が足りないようだ。すぐにチャージするから少し待ってくれないか?

 ――ふう、お待たせ。人が並んでいて、時間がかかっちゃったよ。これじゃ切符を買うのと大差ないね。

 オートチャージにすればいいじゃないかって? 確かにそっちの方が便利だろうけどね、私はお金を手で扱っている感覚を、薄れさせたくないんだ。

 給料とかは手渡しで受け取ると重さを感じるが、口座振替だとそうはいかないだろう。

 実際に私たちに触れられることなく、振り込まれて、消えていくお金たち。そいつらの存在を感じられないから、金銭感覚が薄れるのかもね。だから、私はチャージする時の、お金の重みを忘れたくなくて、オートチャージは使っていないんだ。

 守銭奴ならぬ守重奴というものかも知れないね。効率は悪いかもしれないが、変える気はないよ。

 なんで、そんなにこだわるかって? それは昔、こんなことがあったのさ。


 交通用のicカードが姿を現したころ、私は上京してきたばかりだった。

 仕事をしながらでも夢を追いかけたい。そんな純な思いで、実家を飛び出してきたんだよね。ふふ、今考えると、青臭いながらも、行動的だったなあ、私は。

 毎日、きっぷを買う手間を省ける上に、何かハイテクな香りがする、などという理由で、発売ほやほやのicカードを購入。昔ながらの磁気定期券を使っている同僚を見て、時代を先取りしてやったぜ、という、ささやかな優越感に浸る。

 私は日替わりで別の事務所に出勤する立場だったから、通常の定期券は効果が薄い。一番遠い区間の定期券データを入れていたけれど、別途チャージもしていたんだよ。

 ただ、当時は対応している改札も、駅で一つや二つあるかといったところ。たまたまカードを持っている同士の最後尾に並んだ時は、忌々しささえ覚えたほどだったね。


 そんなこんなで、私が仕事を始めて、三年が過ぎた。

 夢を追って出てきた手前、自分の面倒を見ること以外、わき目もふらずに頑張り続けていたよ。だが、頑張れば必ず夢がかなうんだったら、こんな世界になっているわけが、ないと思うんだ。

 私は夢に対して、何も成果を出せないまま、生きるためだけに仕事をしていた。

 仕事によって、命をつないでいる。社会の歯車になんか、なりたくないって、学生の時にさんざん思っていたことだったのに、気づけばそれになっていた。

 今になれば、その歯車の歯一本一本が欠かせないものだと分かったんだが、それを知るには、まだ若かった。目の前のことに必死で、思い通りにいかないことに歯噛みして、暇を見つけて、ぼやいてた。

 当初は誇らしく思っていたicカードも、今や行き帰りのルーティンワークを支える、小道具の一つに過ぎなくなっていた。

 そんな時に、ある異変が起こったんだ。

 

 その日の朝。私は先ほどと同じように、カードにお金をチャージした。私は一週間分をまとめてチャージするようにしていてね、週初めにチャージするのが、習慣になっていた。

 寝ぼけまなこで、機械にお札を突っこみ、改札に通す。いつもの一週間の始まりだ。

 ところが、その日の帰り。改札にicカードを押し当てた私は、通行止めを食らった。「カードをチャージしてください」とのことだ。

 バカな、と思った。今日はチャージした金を使う余地などなかったんだ。

 まさか、寝ぼけていて、本当にチャージをし損ねていたのか? 私は、駅員さんに声をかけ、カードのチャージと使用の履歴を調べてもらう。

 結果、私は朝にしっかりチャージをしていた。だが、帰りにタッチした時、残高はほぼゼロになっていた。一度も改札を通していないのに、だ。当時は改札以外にicカードで買い物ができるシーンは少なく、私には縁のない場所だった。


 まだicカードが使われ出して間もない。何かしらの手違いがあったのだと思ったが、同じようなことが間隔をおいて、何度か続き、私の貯金を減らしていった。偶然ではない。

 お金をすられている。私が至った結論はそれだった。姿も重さもないお金を盗まれたとは、何とも奇妙な感覚だったが、確実に私の財布は軽くなっていた。

 やむなく、カードの使用を封印。切符の購入に切り替える。

 更に叶わない夢へと投資を続けていた私は、貯蓄もほとんど残っていない。首が回らなくなるのも時間の問題だった。日雇い労働でも探そうかと、一人、部屋の中で真剣に考えだした時。


 布団の上に放り出していた、携帯電話がなった。てっきり、仕事の呼び出しかと思って、億劫な気持ちがあふれ出したが、表示された名前を見ると、母親の名前。はるか昔に、登録した実家の番号だったんだ。

 三年間、連絡を取らなかった実家から、なぜ? まさか、家族の身に何かあったのか、と私は通話ボタンを押す。

 だが、受話器越しの第一声は、母のお礼だった。

 なぜ、お礼をされるのか。わけがわからなかった私が母を問いただすと、母も不思議そうな声を出した。「誕生日プレゼントを贈ってくれたんじゃないのかい?」と。

 ふと、机の上のカレンダーを見る。今日は母の誕生日だった。

 だが、今の今まで親の誕生日だと認識していなかった私は、プレゼントの用意などしていない。

 ならば、一体誰が。私は疑問を晴らすべく、残り少ない現金を握りしめ、実家行きの電車に飛び乗った。


 出迎えてくれた両親は、パッと見、元気そうだった。

 だが、父も母もしわや白髪が増え、三年前に比べて、一層老け込んだように見える。

 家の中に通された私は、母の言うプレゼントに目を通す。

 以前、母が欲しいと言っていた革財布。父の好物である芋焼酎。そして、エクササイズやものづくりまで、色々なことを体験できるリラックスカタログ。


「夢をかなえるまで頑張る、と言っていたんだから、こんなに気を遣わなくていいわよ。あたしたちはあんたが元気にやっていることが分かっただけで、十分。もっとお金は、自分のために使いなさい。あんたが自分らしく生きることが、あたしたちの願いなんだから」


 言葉は気丈だったけど、母の目には涙が浮かんでいたよ。今まで好き勝手してきたけれど、たった一人の息子なんだ。私の姿を見て、安心できたんだろう。

 同時に私も、久しぶりの母の言葉に、心が揺れちゃってね。会社に連絡を入れて、少しの間、休みをもらって、実家でゆっくりした。

 後で調べて分かったんだが、プレゼントの額は、私のicカードから抜きとられた額と、同じだったんだ。


 それから、一年が経つ間に、父も母も寄り添うように息を引き取ってしまった。もし、あのプレゼントがなければ、私は二人の死に目に会うことが、できなかったかもしれない。

 私のカードからお金を盗んだ、姿なき泥棒に、「お前が夢を追えるのは両親のおかげ。最後に孝行しておけよ」と促されたみたいだった。

 今となっては、私を落ち着かせてくれた泥棒に、感謝をしているよ。

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