帰ります、あなたのもとへ (歴史/★★)
こーちゃん、実家には帰ってるか? ならいいんだがな。
一人暮らしに慣れて、電話やメールのやり取りをしていても、顔はしっかり見せるべきだぜ。
自分が元気でやっていることのアピールだけじゃねえ。親の姿を見届ける意味もある。
あれほど大きく、あるいはおっかなく、あるいは憎たらしく思っていた親。
それが、小さく、あるいはやさしげに、あるいは愛おしく思うようになっている。
人生刻んだ顔と顔を付き合わせ、酒でも飲めれば、愉しみはその内にあり、とね。
だが、それは互いに長生きできたらの話だ。
親が大きく、おっかなく、憎たらしい存在のまま、目の前から失せる。
背中を追い、影を払い、うっぷんを晴らすため、世界に自分をぶつけ出す。
よくあるマザコン、ファザコンの悪役像って奴かねえ。手垢がつき過ぎて、こーちゃんのような物書きには、飽き飽きの設定か?
だが、子には子の苦労があるように、親には親の苦労ってのもある。
父と母。夫と妻。最も近い、他人同士といえるだろう。
一つ、ある家族を巡る、昔話をしてやろうか。
今でこそ、生きながらにして、別々に居を構えることがおかしくない家族。
だが、同じところに住みながら、死に別れを経験する家族の方が多い時代がある。
戦の時代だな。人の命が、紙切れのように吹き飛んでいった。
夫が不意に帰らぬ人となり、妻は生涯で幾人もの男に肌を許す。結果、父親違いの子供たちが増えていき、家系図の複雑化に一役買っていると言えるだろう。
今でこそ、死亡フラグだとか言われている、必ず帰る、とか、帰ったら夢を果たす、とかのやり取りが、本気の本気で行われていたんだ。
それをパロディして使う、今の時代。不謹慎に思うか、平和な世だと思うか。
そこの解釈は書き手であり、読み手でもある、こーちゃんたちに託すとしよう。
戦国の世。戦はたいてい、農閑期に行われた。
農民が兵士を兼ねていたし、戦には飯が必要だ。それを踏まえずに戦にとっこんだ大名は、外敵よりも内々からの攻撃によって、滅び去った。
だが、食を支える農民たちも、大名あって生活できている。辛いから、気にくわないからなんて理由でサボったら、首と胴が離れる時だろう。
とある貧農の家も、戦支度にてんてこ舞いだった。
若い夫婦の子供は、まだ二歳にもならない。粗末な家の中、おぼつかない足取りで、ほこりや小さな生き物と戯れるのが、日々の楽しみのようだった。
「必ず、帰ってきてね」
妻が槍を夫に捧げる。
「ああ、きっと」
夫は静かに槍を受け取る。言葉はそれで十分だった。
妻と接吻を交わし、押さえたトカゲに、尻尾を切られて逃げられた、子供の頭をなでて、夫は家を出ていく。
幾度と経験し、生き残った戦。今回も、それと同じであることを信じて。
しかし天運は、この夫婦を引き裂きたいと思ったらしい。
夫の参戦した軍は、ある城を攻撃するための進軍中、同盟勢力の裏切りによって、はさみうちに遭ったんだ。
すべての命を投げうち、もののふの誇りを見せて、敵勢力と共に散るか。それともトカゲの尻尾になるであろう、「しんがり」を残し、撤退して再起を図るか。
軍議の末、選ばれたのは、後者。そして、全滅すらあり得る「しんがり」を、夫の属する部隊が受け持つことになったんだ。
次なる希望のための、絶望の掃き溜め。そこで切り離された尻尾である夫はあがいた。
生き残った顔見知りは語る。
彼の槍が振るわれると、敵兵が三人同時に、宙を舞ったと。囲みを打ち破るべく、その眼は血走り、相手を気圧したと。
そして、薄くなった包囲の網に猛然と突撃していったらしい。
「死にたくなくば、どけ」と叫びながら。
それからの夫の姿は、誰も見ていないとのこと。
夫がいなくなってから三年。
妻は数々の求愛を退け、やもめとして生きていた。
息子はすくすくと育ったが、父がいないゆえか、戦国の世に似合わぬ穏やかな気性を持っていたようだ。
この子が大きくなる前に、平和な世が来てほしい。それが叶わないのであれば、夫に帰って来てほしい。
そう願って妻は生き続けてきた。
あの日から、夫の残り香を追って、妻は信頼のおける夫の友人たちと共に、何度も戦場跡へと赴いた。
戦場漁りが横行する中、夫の品がいくつか見つかったことは、まさに奇跡と言えるだろう。
彼の胴丸、槍、草履、刀、兵糧袋、服の切れ端。
それは全て、道から外れた森の中で見つかった。夫は囲みを破り、森へと潜んで、迫りくる敵兵と激闘を繰り広げたであろうことが察せられたんだ。
自分の命を永らえるため、次々と尻尾を犠牲にしながら。だけど、その命はまだ、あるべき場所へと帰ってきていない。
今日もまた、無駄足に終わる。それでも妻は夫の帰りを信じていた。
どのような姿になっても構わない。
私をないがしろにしても構わない。
あの子に父親の温もりを、教えてほしい。
妻は家へと戻り、収入源の一つたる、わらじ編みへと取り掛かった。
そして、家に夕闇が迫るころ。
家の戸が開く。
「ただいま」
忘れるはずもない。夫の声だ。
妻は飛び上がって、玄関口を見る。
しかし、そこにいたのは息子。
「遅くなって、すまない。今、戻った」
その眼差しは、母に対してではなく、妻に対して向けられていた。
懐かしい響きを、明かりのない家の中に、浮かばせながら。




