夢見飴
二人きりで食べるキャンディーアソートも、オツなものですね。
同じ味が四つも入っているから、平等に二つずつで……って、メロン味を全部がめましたね! 見てましたよ、四つとも口に放り込んでいくの! 楽しみにしてたのに……。
いいもーん、あなたの好きなオレンジキャンディーも、同じ目に遭わせるもーん。こんなこともあろうかと、私も確保していたのだ〜! 今さら、許しを乞うても手遅れですよ! いっただきまーす!
うん、この食べ物を巡る泥仕合というのも、オツなものですね。
そんなにオツがあってたまるものか?
おやおや、それでも物書きですか? 別にオツなものって、ナンバーワンという意味じゃないですよ。「他もいいけど、これもなかなか……」ってニュアンスに近いんです。
「それもあるね」の精神を疎かにするから、自分と違う考えを持つ人をやたらと叩きまくる、狭量な人が増えているんじゃないですか?
いかなる時もリスペクト、リスペクトです! 卑屈にならない程度にね。実際、今のアソートだってメロンやオレンジ以外も、美味しくなかったですか?
満足したし、ここでキャンディーにまつわる話でもいかがです?
キャンディーは日本の飴と、ほぼ同じと考えられています。日本では八世紀あたりから、姿が見られるようですね。
甘味料として使われることもあったようですが、次第に飴屋ができ、行商が現れ、お菓子として親しまれるようになったとのこと。
同時に、飴を売る者同士の競争も盛んになっていき、それぞれの持ち味の探究が盛んになっていったのも、想像に難くないでしょう。
そして、江戸時代後期。唐人の装いをした「唐人飴売り」が流行ることになります。その中でも一部の人たちの間で有名な、「夢見飴」の話をしますね。
唐人飴売りは、見かけからして異国風です。鳥の羽をあしらった、つば広の帽子。明朝の官吏が身につけるような服をまとって、笛太鼓を奏でつつ、独自のパフォーマンスで飴を売っていたそうです。
お話しする夢見飴を売る行商人は、当時の人形浄瑠璃を、指人形で再現したもので、皆を呼び込みました。
行商人は、指に登場人物をかたどった人形をはめて、怪談話や人情話。哀しい恋の話まで、ちょこちょこ声色を変え、人形同士を会話させながら、朗々と語ります。
話には多くの山場があり、行きかう人々の中には、足を止めて、そのまま聞き入ってしまう人もいたそうです。
けれども、彼の話はいつもいいところで終わってしまうとのこと。そして、言い添えます。
「続きを知りたければ、この飴をなめてくださいまし」
話と飴に何のつながりがあるのか。大抵の大人たちは、くだらないと切り捨てましたが、子供たちや物好きな者たちは、固い飴を買い、なめて味わったようです。
甘みが舌にからみついて、離れなくなる。そんな印象を抱いてしまう、特徴的な飴だったとのこと。
翌日。飴売りは昨日と同じ場所で、商売をしておりました。昨日買った者たちもほとんどが集まり、話の続きをせがみました。
これが連日続き、初め、興味を持たずに切り捨てた者たちが、飴をなめた人に聞くと、飴をなめた夜、昼の話の続きを、夢で見ることができるとのことでした。
ウワサが広がるにつれ、やがて行商人の売る飴は、「夢見飴」と名付けられ、幕末の不安定な情勢下にいる人々の、ささやかな心の慰めとして、広まっていたという話です。
そして、大政奉還が成され、明治時代に入って間もない頃。
夢見飴の行商人は、最後の飴売りになることを皆に告げました。今まで多くの夢を見させてもらった人々は、行商人の最後の話を聞きに、こぞって集まりました。
その日、行商人が語った話も人形も、今までのものと風情が異なります。
計十本、すべての指に人形をはめて、飴売りが話したのは、次のような話でした。
明かりが絶えた港に、いくつも立ち並ぶ船影。それはかの黒船もかくや、という巨大なものばかり。
大きなレンガ積みの倉庫では、音を殺しながらも、多くの人がぞろぞろと、荷を船へと運んでいます。
「こいつらが、戦局を変えてくれる」
彼らはしきりに、そんなことを話してくれたそうです。船べりには、日の丸の旗がくくりつけてあり、日本国のものであることが察せられました。どうやら戦争に向かうところのようです。
そして、船たちはゆっくりと夜の海へと、滑り出していったのでした。
戦のゆくえを知るには、飴をなめてくださいまし、といういつもの文句。
多少の気味の悪さを抱きながらも、人々は飴を買っていきます。やがて、飴がすっかり売り切れると、飴売りは荷物をまとめて、足早に去っていってしまったとのこと。
その夜、飴をなめた者たちは、一様に夢を見ました。
昼間の洋上。日の丸を掲げた黒船は、焼け焦げて、煙が立ち昇り、甲板のあちらこちらに穴が開いておりました。
人々の怒号がこだまする中で、空から次々に鉄の球が落ち、船体にぶつかると共に爆発。ますます火の手を煽ります。黒船は満身創痍でした。
場面はぱっと切り替わり、船が出港した港が映し出されます。そこも黒船と同様、もうもうとした煙に覆われておりました。家々からは火が噴き、粗末な頭巾を身につけた人々が逃げ惑います。
老若男女の嘆きさえも、轟音の渦に飲み込まれ、やがて全てが灰になっていく様を、人々は夢の終わりまで見させ続けられたのでした。
人々は、後味の悪い夢見飴の最後の夢に、いささか失望の色を隠せませんでした。しかし、文句を言うべき飴売りは、すでにどこかへ消えてしまっています。
夢見飴は、庶民は不快さに文句を言いましたが、使い走りを通して食した政府の高官たちは、これを占いの一種と捉えました。
あの夢が、日本の辿る末路であるならば、覆すために動くべきだと。
そしてかの岩倉使節団が、海外の力強さを裏付けます。明治政府を担う者たちの間で、国を富ませ、兵を強くする理念。「富国強兵」の考えが広まり始めたのです。
それから、日本の辿った戦争への道筋に関しては、あなたもご存知の通りでしょう。あの行商人が何者であれ、真実の一片を示したことを、時が明らかにしてくれました。
夢見飴。もし今、なめることができたのならば、どのような夢を、私たちは見るのでしょうか?