知恵こもり
う〜ん、こーらくん。やっぱり缶詰するなら図書館にしようか?
勉強会するんだったら、誘惑が少ない場所にしないとまずいだろ。お互いの家とか、絶対に遊び始めるし。
図書館も本の誘惑が多すぎる? あのね、なんで教科書やノート以外の本を読みだすのが前提なのさ……。あ〜、もうだめだめ。勉強に関係のないものは、即刻取り上げます! 以上!
こーらくんは余裕かもしんないけどさ、僕はこれ以上成績が下がると、小遣いが減るの! もっと遊びたいから、我慢を学ばなきゃなの!
あ、でも食事とかは別だよ。頭が回らなかったら、かえって効率が悪くなるからね。
念のため聞くけど……ちゃんとした食べ物を持って来たよね?
いや、ちょっと知り合いのお兄さんで、おかしな目にあった人がいるんだ。お兄さんの友達の話なんだけどね。
いつの時代でも、「こもる」という表現は使われるよね。
古くは「籠城」。城にこもることで、敵をしのごうとする。だけど、これって相手の補給線を絶つ策がないと、座して破滅を待ちかねない作戦。追い詰められない限り、採りたくないよね。
「こもる」のはいつだって、何かにせっぱつまった時だ。殻にこもって脅威をやり過ごそうとし、僕たちみたいに図書館にこもって、差し迫った困難に牙を突き立てる準備をする。
こもり方次第では、空気に溶けた熱が、新しい境地を開いてくれるかも知れない。いいか悪いかは、別問題だけどね。
これはそんな境地に至ったかもしれない話になるよ。
知り合いのお兄さんは、一夜漬けの名手だった。ヤマを読むのが非常に得意で、単元ごとなどの、限られた範囲のテストであれば、一日の勉強で及第点に達するほどみたい。
しかし、中学二年の学年末テストはそうはいかなかった。担当している先生が発表した範囲というのが、中学校一年生の最初から、今までの学習内容というざっくばらんな出題。ちょっと一人かつ、一日では取りこぼしがあるかも知れない。
範囲が発表された日の放課後。一体、どういうペースでヤマを張っていこうかと考えていると、お兄さんは声をかけられた。
その子は男子バレー部のキャプテン。お兄さんの学校のバレー部は、県でも屈指の強豪。テスト期間中も、ギリギリまで部活をねじ込まれるから、本当にバレーをやる意欲がないと、勉強と両立できない。
そのキャプテンが提案してきたのは、共同勉強。
彼は部活に押されて、少ない勉強時間にもかかわらず、お兄さんと遜色ない成績を取っていた。一夜漬けというわけではないようだけど、二人で分担すれば効率よく勉強を進められるはず。
そう考えたお兄さんは、申し出を受けたんだって。
場所は学校近くの図書館が選ばれる。お兄さんたちの学校は、勉強に意欲を燃やす人が多い。テスト直前は図書室を始めとして、すし詰めになっている教室が多かった。知った顔がおらず、間合いも詰まり過ぎていなければ、集中しやすい。
ところが、いざ勉強する段になると、キャプテンは頻繁に席を立った。一ページの半分もやれば席を立ち、数分で戻ってくる。隣同士で座っていて、何度もこれを繰り返されると、さすがに気が散った。
「すまん、花を摘みに行っていた」
キャプテンは毎回、そう答えたらしい。生理現象に文句をつけたくはないが、水分を取り過ぎているのだろうか。こんなに頻繁に歩いていては、とてもじゃないが勉強にならない。
結局、食事時間を挟んで、閉館まで一緒にいたものの、彼が席に座っていたのは、お兄さんの半分に満たない時間。けれども確かめてみたら、お兄さんよりも単元の理解が進んでいる。
理由を尋ねると、「天啓が降って来るんだ」と、彼は菜っ葉を挟んだだけの、サンドイッチを頬張りながら、答えた。
こいつ、直感型の勉強スタイルなのか、とお兄さんは顔をしかめたらしい。お兄さんのヤマを張る方法は、あくまで研究スタイルで、勘に頼ったものじゃない。一緒に勉強したとしても、さほど意味がないかも、とお兄さんは思った。
でも、彼はどうやって短期間で知識を身につけているのか。それを知ることができれば、成績を上げることができるかもしれない。
だけど、教授をお願いしたとたん、彼は不機嫌になってしまったんだって。それからはまた別々に勉強するようにしたんだってさ。
テストの前日、お兄さんは相変わらず、図書館に詰めていた。今まで一夜漬けでカバーしていた分、効率の良い勉強とは無縁。もう頭は限界ギリギリまで酷使されていみたい。
少し休もうと思って外に出ると、遠目に例の彼の姿が見える。あの日から疎遠になっていて、なんとなく声をかけづらく、遠目に眺めるだけだったらしいよ。
彼は図書館の敷地の外周を、ゆったり回っていた。どうやらそこに設置された花壇を眺めていたらしい。
花を見てリラックスしているのかな、とお兄さんはのんきに眺めていたけれど、次の瞬間、彼は花壇から一輪の花を、引っこ抜いた、その動作は、まるで花が消えたかと思うほどに早い。
お兄さんが固まっている目の前で、彼は花壇のそばを歩き続ける。並んで咲いていた花たちの列は、思い出したようなタイミングで途切れていく。何も事情を知らない者が見たら、さほど不自然さを感じない間隔。
彼は花壇の端までいく。すると最後に一輪をもいで、口に運んだ。先ほどと同じような素早い動作で。
「やっぱり、図書館の花は味が違う。知恵がこもっている」
そうつぶやいた彼は、胸を張るように空を仰いだ。その様子は陽の光を存分に吸収しようとする姿に見えたらしいんだ。
彼は今回もいい点数を取ったけれど、お兄さんが彼を見る目は、もうただのバレー部のキャプテンというものではなくなっていた。
あとで聞いた話だと、彼は大会などの大一番でも、試合の合間によく席を立ち、弁当も毎回、菜っ葉を挟んだサンドイッチだったみたい。
それもよくみると、花びらや、がく。苞といった、植物の一部らしきものが混じっていたワイルドなものだったんだって。