掲げよ旗を
優勝旗の返還か。いつ見ても、心が引き締まるぜ。
今年も各地の会場で、夏の暑さに負けないホットファイトが繰り広げられるわけだ。人気では、野球やサッカーに水をあけられた競技とはいえ、見る者として燃えて来るぜ!
そういえば、知っているか、つぶらや。この大会の優勝旗は十数年前に新しくなってから、まだ関東圏内より外に出ていない。白河の関どころか、福島の関すら越えていないんだってよ。さながら、重要機密文書のごとしだな。
どうしてそんなことを知っているかって? おじさんが大会の実行委員会に入っていたから、聞いたことがあるんだ。
実は十数年前。旗を取り換えるきっかけになる、ある事件が起こったんだ。
件の優勝旗は、大会の主催者が第一回大会を行う際に、とある職人さんに依頼して作ってもらったらしい。
どんな旗だったのか? ああ、ちょっと待ってろ。おじさんに写メってもらったデータがあったはずだ――と、これだな。
どうだ、結構シンプルだろ。群青の生地をバックに「優勝」の文字と、月桂樹を模した刺繍はよくある優勝旗のパターンだ。
そしてど真ん中に、「優勝」の文字に挟まれた、大きな盃。優勝者に授与するトロフィーを兼ねていたらしい。
なんでも、スポンサーも少なく、大半の費用を宣伝その他に使ったら、用意する資金がなくなっちまったとか。
当初は、スポーツ振興の意味合いが強かったらしいからな。成金趣味に取られそうな優勝杯を断念したのだと、関係者の間では好意的な受け取られ方をされたようだ。
その年は、大会の歴史上、初めて中国地方のある県が優勝したらしいんだ。
過疎化が進んだ、海に臨む村の高校が優勝したものだから、地元は大騒ぎ。三日間の間、高校総出で優勝祝いをしたってくらいだから、その喜びようがどれほどのものかは、推して知るべきだろう。
そしてもう一点。優勝旗を作った職人さんも、中国地方の出身。優勝をした県っていうのは、職人さんの出身地なんだと。はからずも、優勝旗は時をこえて、里帰りをしてきたと言えるだろうな。
この奇跡的な幸運は、地元を明るくするニュースの1つとして取り上げられ、優勝旗は漁師たちの大漁旗と並び、英雄のごとき扱いを受けた。
日本一がここにある。それを示すために優勝旗は、天気の良い日に、村で一番高い位置にあるその高校の屋上に取り付けられていたらしい。それだけ久しく、みんなは興奮を忘れていたんだな。
だが、優勝旗を掲げて半月が経った頃。ある事件が起こった。
その村で魚を育てるのに使う養殖池が、いくつかある。そのうちの1つから、ごっそり魚が消えた。
いかに田舎とはいえ、一般人が手を出せないだけのセキュリティは備えている。手練れの泥棒の仕業だと思われた。
しかし、疑問なのが養殖池に近づいた形跡が、周囲にまったく見られないことだった。そもそも養殖池は、一番近い人家から1キロ以上。海に至っては3キロ近く離れた場所にある。
調査を続けても、魚がひとりでにいなくなったとしか考えられず、工場の人々はキツネにつままれたが、一層警備を引き締めることを決意した。
ところが、それからも度々、養殖池は被害に遭ったらしい。それだけでなく、村の方でも、店の売り物がいつの間にかなくなっていたり、建物の一部が破壊されたりといったことが起こり続けていたらしい。
そして、ついには子供が行方不明になる事態まで、起こるようになる。
警察も動き出すが、物的な証拠をなかなか掴めず、捜査は難航。村の人々にも神隠しに関しての注意が呼びかけられたらしい。といっても、神隠し相手にどう対処しろという話だが。
だが、高校生の女子が行方不明になった時、ある証言が注目を集めることになる。
行方不明になる直前、彼女は波打ち際でビーチバレーをしていた。少し休憩しようと、友人たちが目を離した、ほんの十数秒のうちに、ぱっと姿を消してしまったらしい。
慌てて周囲を探した友人たちが見たのは、波の穏やかな海の上を滑っていく、時代遅れの安宅船。その船首には、優勝旗と同じ形の盃をあしらった旗が、取り付けられていたとのこと。
念のために調べてみると、養殖池から神隠しに至るまで、いずれも晴れの日に行われていた。すなわち、あの優勝旗が掲げられていた日に限定されて。
半信半疑ながらも、人々は旗を降ろし、様子を見ることにした。
すると、どうだろう。翌日には養殖池に魚が戻り、日を追うごとに無くなった売り物、壊れた建物が、あるべき姿に戻って来る。
そして、行方不明者もひょっこりと家に帰ってきた。「いない間に、何があったのか」という問いに、彼らは口を揃えて答えた。
「盃をあしらった旗を持つ船の上で、霧に包まれたような視界の悪い海を眺めていた」
この奇妙な事件の後、学校は優勝旗を返還。主催者も大事をとって、その優勝旗を封印し、新しい優勝旗を手配したそうだ。
後の研究で明らかになるんだが、あの優勝旗に書かれていた盃は、かつて件の県の近海を中心に、暴れまわっていた海賊、「倭寇」が付けていた旗の柄と同じものだったらしい。
あの旗を掲げたことで、「同志」と勘違いした、かつての者たちが、物資や人員を補充しに船をつけたのだろう、ともっぱらのウワサになったようだぜ。