泳ぐ少女
ねえねえ、つぶらやくん、見た見た?
――その調子だと、絶対見てないわね。まったく最近の男連中は、男同士でくっちゃべって盛り上がるんだから。そんなだから、一部の女子の妄想の餌食になるのよ。
男ならさ、もっと女の子に興味を持ってくれない? 私の色々と、「ぱーふぇくと」なボディとフォームとか……って、帰る準備しないでよ!
恥じらいがある女の子じゃなきゃ、魅力を感じない?
このー、適当なことを! この間、私がしおらしくしていたら「もっとエッチくないと、男は興味を持たないぞ」とか言ったくせに! コロコロ変わり過ぎよ!
変わりやすいのは、オンナゴコロもオトコゴコロも同じだ?
くあー、まじで腹立つわー! 私をもてあそんだことを、絶対に後悔させてやるんだから!
はあ、今年も暑いから、こうしてプールに入らないと、やってらんないわよね。カンカン照りの日なんか、特に。
学校のプール期間って短いのよねえ。秋にも入りたい日があるのにさ。何の制約もなく、大自然の中で泳ぎたいわあ。
――何よ、間抜け面でこっち見て。「またアホなことを」とか思っているんでしょう。
だけど実際、自然の中で泳いでいた女の子の話が、私の実家にあるのよ。
今でもスイミングスクールがあるように、水練は人間の生活と切り離せないほど、近くにあるものね。
神秘的な、水のほとりで繰り広げられる物語。男と女にまつわる話もたくさんあるわ。
たいてい女が水浴びしていて、そこに男がやってくるのよね。もはや様式美ってやつかしら。まあ、逆のケースだと妙な需要が出てきそうだし、これでいいのかしら。
これから話すのも、ある男が泉を訪れた時の話よ。
その子は瀬戸物を焼く職人の徒弟だったというわ。
全ての陶器の元となる粘土。それを作るための水を汲んでくる役目だったのね。
毎日毎日が使い走りで、若さあふれるその徒弟は、元気を持て余していた。何か刺激的なことが起こりはしないのか、と心の中で、物足りなさが渦巻いていたらしいわね。
だから、その日。彼はいつもの川で、水を汲むことはしなかった。川の上流に向かって、ひたすらに歩いていったのよ。
「ここよりも、水源で汲んだ方が、質がいいに決まっている」なんて、心に言い訳しながらね。
木々を掻き分けて、もう半里は歩いたかしら。
その子の目の前に、泉が現れたわ。いや、もう湖と呼んでいい広さだった。こちらから見える向こうの岸は、はるか向こうにかすんでいた。
更に注意深く見ると、川につながっている手前側の岸は、水が比較的きれいなの。それに比べて対岸は、ここからでも、顔を背けたくなるくらい、濁っている。
今まで汲んでいた水。見た目がきれいでも、実は汚れていたのかもしれない。そう考えると、見ない方が良かったかも、なんて後悔もし始めた。
彼が踵を返して、帰ろうとした時。湖の端を何かが横切ったわ。とっさに彼は、湖面に向かって目を凝らす。
汚く見える、向こう岸近くで、何かが泳いでいる。更によく見ると、人のよう。
一体、どうして? 彼は湖の縁に沿って、向こう岸まで駆けて行ったわ。
チラリチラリと見える影は、確かに人。それも自分と同じ年頃の女の子だった。
ワンピース型の水着を身につけた、とても美しい子だったそうよ。その子が泥や動物のフンで濁った水面を泳いでいる。
ますます疑問と興味にあふれる彼は、木立を縫って、灌木くぐって、彼女にもっと近づこうとする。
だけど、泳いでいたと思しき場所まで着いた時、彼女の姿が見えなかった。おぼれてしまった様子もなく、彼は首を傾げたわ。
ただ、彼女が泳いだ場所は、先ほどまで汚れていた水面が、ウソのようにきれいになっていたそうよ。
以来、彼はしばしば湖を訪れたわ。その脳裏に、水をかいて泳ぐ、彼女の艶姿が焼け付いていた。
そんな彼をからかうように、彼女は必ず、彼が来る方向と反対側の岸で泳いでいたわ。彼女に近づこうとして、振られてしまうのも変わりない。ただ、泳いだ証として、きれいな水を残していく。
彼女とすれ違うたび、彼はそのきれいになった水を汲んで、家に持ち帰った。そして、陶磁器づくりの粘土に練り込む。そうしていれば、彼女と一緒にいられるような、そんな気がしたから。
彼にとっては、一方的な蜜月。思い焦がれながら過ごすその日々も、やがて終わりを告げたわ。
何日も続いた雨の日。
彼の住んでいる村の周囲では、川の氾濫が相次いだ。彼を含めた男手によって、どうにか田畑への被害は少なくて済んだけど、彼らの支えとなる水源はすっかり汚れ果ててしまったわ。
汲み置きもさほど残っておらず、雨水を蓄える余裕もなかった。やや、雨足が弱まり、人々が遠くの町まで、新鮮な水を買いにいく覚悟を固め始めた時。川を眺めていた少年は、見つける。
橋げたをも跳ね飛ばす濁流の中を、あの少女が泳いでいた。
時に流れに乗り、時に流れに逆らって、彼女は往復しながら、流水の怒りを掻き分けていたわ。
大人たちは、彼女のことが目に入らないかのように、立ち尽くす少年の腕を取り、屋内へと引きずっていく。それでも彼は一晩中、彼女を想って、手を合わせ続けていたそうよ。
翌日。村の人々は驚きの声をあげることになる。
泥水の独壇場だった川が、一夜にして元通りに、いや以前よりもはるかに澄んだ清水をたたえていたのだから。
ほのかに輝いているようにすら見えるその水は、一度飲んだら忘れられない、味とのどごしを持っていたそうよ。
それから、彼が彼女を見かけることはなかった。けれども彼は職人の道を歩み続け、生涯をかけて一つの傑作を生み出すことになる。
とある好事家が所有していると伝わるその皿は、縁の装飾も巧みながら、高台に仕掛けが施されている。
高台に清水を注ぐと、波を掻き分けて泳ぐ、美しくも力強さを感じる、少女の姿が浮かび上がるのだそうよ。