愛し、愛され、愛すてる (歴史/★★)
こーらくん、どうだった、今回の作品。読者としても書き手としても、忌憚ない意見をちょうだい。
前半の日常シーンが長すぎで、読む人が飽きるかも? 確かに事件がないのは考えものね。自己紹介しながら、事件に巻き込みましょうか。
伏線が目立たなくて、ご都合主義に見える? う〜ん、上手い伏線の張り方かあ。編ごとに、すぐに解決する伏線とその消化をする。本命は全編に渡って、何度もさりげなく入れ込むって感じかしら。
登場人物の心が弱い? あ〜、キャラ先行で書いてたからね。確かに八方美人で、情緒不安定かな。これじゃ、生きている人間に程遠いわねえ。
でも、セリフは神がかっている? 説明チックだけど、地の文を抜きにしても話が分かるし、語尾や方言に頼らずに、二十人以上を書き分けるのは、正直、俺には難しい?
それ、ほめているかしら。でも、ありがと。ズバズバ言ってくれて。
毒舌ですまん? 長い付き合いだし、こーらくんのことはよく分かっているから大丈夫よ。あなたが、真剣に読み込んでくれているのが伝わったわ。うれしい。
だけど、セリフだけかあ。こーらくん含めて、みんなそこだけはほめてくれるのよね。小説よりも、脚本にシフトしようかしら。でも、専門知識の取り入れがネックね〜。
脚本といえば、脚本家の奥さんに関する昔話があったっけ。作品読むのに時間を取らせちゃったし、代金代わりに受け取って。
学校の歴史で出てくる、著名な脚本家といえば、近松門左衛門かしら。人形浄瑠璃における脚本家として、紹介されている教科書はたくさんあるわ。
作品としては「曽根崎心中」などが紹介されていることが多いけど、当時の流行りとあっていなかったみたいで、再演されたのは昭和になってからと聞くわね。
とはいえ、流行りのジャンルでないにも関わらず、ヒットした脚本家であることは変わりない。そして、ヒットを生み出すために犠牲になっていった人たちがいる。
とある脚本家もそうだったわ。彼が得意としていたのは、近松門左衛門と同じ「世話物」。江戸時代の庶民の話題、風俗をメインとしたテーマね。
彼も決して下手だったわけじゃない。ただ、太陽がある限り、人々の目には映らない小さな星々の一つだったの。いつか、自ら恒星にならんとする、小さな惑星。
だけど、流れに逆らうことは容易ではなかった。自分の世界を書き続ける彼は、いつ報われるとも知れない戦いに、傷つき疲れていく。
彼を支える妻も、夫と息子という大きな子供を二人抱えて、その心労はかなりのものだったみたい。だけど、同時に二人とも彼女の生きがいでもあった。
夫は脚本を練る時、孤独を望む。その間、彼女は息子と共に、外に出て用事を済ませてくるの。
息子の評判は良くない。図体が立派なくせに、母親にべったりなのだから。もう働きに出ていてもいい年なのに。
誰かが声をかけても、どもって、しどろもどろになり、最終的には母親が答える。何をするにも、母親が手を出し、口を出す。
本人もそれに唯々諾々と従うだけ。不平不満を言いもせず、付和雷同の意志薄弱。
母親も、自分の思うがままに息子を操り、上機嫌。
いい加減に親離れをさせなければ、と周囲が促しても、「この子の面倒は私が見ないといけないの」と母親は頑として譲らなかったらしいわ。
世間の視線が冷たくとも、二人は全く動じなかった。
数ヶ月が過ぎ、夫の脚本による人形浄瑠璃の初公演。
当然、妻と息子も最前列に陣取って、しっかり見届ける。
客からの反応は上々。拍手は、幕が下りてからも、しばらく止むことはなかった。
夫にも見せたかった、と妻が思ったほどだったみたい。肝心の夫は、辛口批評を直に受けることへの重圧から、家の中に引きこもっていたらしいわ。
客がすっかりはけた後、親子はゆっくり立ち上がった。人通りのまばらな大通りを、手をつないで家へと向かう。
その時だった。
後ろから人の悲鳴があがり、馬蹄の音が響き渡る。
振り向くと、黒い馬が一頭。こちらへ向かって疾走してくる。その更に後方には、馬の蹄にかかったと思しき、数名の人が倒れていた。
乗り手のいない暴れ馬は、まっすぐに親子の方へと向かってくる。母親は必死に足を速めるが、馬にかなうはずもない。両者の距離はみるみるうちに、縮まっていく。
そこに居合わせた誰もが、次の犠牲者の姿を目に焼き付けるのを覚悟した。けれど、馬の前に立ちふさがった者がいたの。
それは息子。先ほどまで母に手を引かれていたでくの棒が、握る手を振り払い、馬へと向かっていったわ。母親が止める声も聞かないで。
双方の正面衝突。しかし、その結果は多くの予想を裏切った。
横倒しになり、土をつけられたのは、馬の方だったの。
息子は立っていたけれど、様子がおかしい。
右腕が変な方向にねじれている。肩が明らかに外れている。服の袖から血ではない、金色の液体が流れ出ている。
なのに、その表情に苦痛はかけらも浮かばず、ただ前方を呆然と見つめるのみ。
母親は悲鳴をあげて、息子の体を覆い隠すように抱き込むと、さっさとその場を後にした。
翌日、脚本家一家は町からいなくなったわ。
その金色の液体。油とも脂とも違う独特の臭いがして、消えるには何日も時間を費やしたとのことよ。