公爵様に弄ばれたおかげです
「無理に出世する必要は無いんだぞ。」
僕が諜報部にスカウトされ、出世する可能性があることの話をすると従兄弟や又従兄弟たちが口々に言ってくる。
貴族には税金の優遇がある。商人が普通に払うより税金が減るため、商人を営む我がポルテ家では全ての収入を男爵家の収入として計上し一括して税金を払う。
出世すれば、さらに減額されることになるのだが彼等は否定的だ。そんなことをしなくても十分儲かっているからだ。
ハッキリ言って僕の男爵の年金と兵役の収入では、男爵家の家計をギリギリ賄える程度しかない。
優遇された税金の一部を還元してもらうことで男爵家と最低限の格を維持できているのが現状だ。
もちろん従兄弟や又従兄弟たちの商人としての収入のほうが多い。
「でも・・・・・・。」
「この家の補修だったら大丈夫だ。いつも言っているように積み立てから取り崩してもらえば構わない。」
ハッキリ言って男爵家として不相応な屋敷だ。王女が降嫁されるということでかなり見栄を張った造りになっている。
お祖母さまが連れてきた侍女と共に住んだという離れは、物置になっているが屋敷よりも広い庭があり、その維持費もバカにならない。
従兄弟や又従兄弟たちは免除された税金や利益の一部を積み立ててくれているのだ。
「それよりも、お前が諜報部で危険な目に遭うのが嫌なんだ。死んでしまっては何もならない。」
「そんなに危険じゃないよ。護衛任務も騎士団でやっていたことと大差無い。せいぜい街で噂を集めたり、聞き込みをするくらい。それでお願いなんだけど、聞き込みをするときに商人の振りをするつもりなんだ。それでお店の名前を使わせてもらえないかな。」
「もちろん構わないさ。本名で聞き込み行うのか。誰かが訪ねてきたら、御用聞き専門だと言っておくよ。商品も店から持ち出せるようにしておくさ。貴族の屋敷を回るんだったら、流行物のほうがいいだろう?」
「うん。ありがとう。」
「御用聞きのやり方は覚えているか? 親父がミッチリ仕込んだから大丈夫だよな。」
15歳で成人するまでは男爵家長男としての顔と商売人としての顔を持っていた。2年間の兵役義務が終わったら、商売人に復帰するつもりだったからだ。諜報部に所属しても出世できそうになければ兵役義務満了でもって退役するつもりである。
「もちろん。」
本店の元店長には商売のイロハを仕込んでもらったのだ。今は表向きの仕事は彼ら従兄弟たちに任せ、仕入や商品開発といった裏方の仕事に精を出している。
「本店のほうも顔を出してくれよ。短い時間で構わないから。お前が居ると居ないでは客の入りが全然違うんだからな。」
僕が店番をすると幼い顔立ちと低い背丈が何故か親の世代の女性に受け、常連客になってくれる女性たちが続出したのだ。
貴族の屋敷に飛び込みで御用聞きに行って入れてもらうのは至難の業だ。彼女たちに紹介してもらうのもいいかもしれない。
☆
今日は護衛の仕事だ。
帝国の皇宮には、後宮と共に裏後宮ともいうべき重要な施設がある。
そこには、魔族の姫君たちが囚われている。
アレクサンドラ様を含む勇者たちの魔王討伐は成功裏に終わったが、戦後処理をどうするかが課題として残されていた。
魔王に後継者は居なかったが、他の冥界王、死霊王、緑樹王、翼竜王、好戦王、幻惑王には後継者が居たそれが彼女たちだ。彼女たちには隷属の首輪が付けられており、勇者たちの家系に属する人間には力を振るえないという制約が課せられているのだという。
普段は大人しい彼女たちだが魔界に戻れば各国の王座に就く人物ばかり、年に1度里帰りを許されている以外は200年間幽閉されることになっている。それも、もうあと100年で終わりなのだそうだ。
だからトラブルに備えて、裏後宮には必ずアレクサンドラ様の家系に繋がる人間が1人以上詰めていないといけないことになっている。その役割が成人した僕にも回ってきたのだ。
「サクラン!」
前日の担当者から姫君たちに紹介され顔を上げると、姫君たちが息を呑んだようだった。そして、死霊王の姫君と紹介された人物が一番奥で一声発したと思ったら、突然立ち上がり、ゆらゆらとこちらのほうにやってくる。
死霊王とは、死を司る王と言われており殺気を向けるだけでありとあらゆる生き物は死ぬという噂だ。
ハッキリ言って怖い。公爵様に感じていた恐怖の何倍も恐い。まるで底なし沼に落ちていくような感覚。近づくに従って毛という毛が総毛立っていく。もしかしてアレクサンドラ様の家系が薄過ぎて影響が出ているのだろうか。
周囲の景色が歪んで見える。視界がジワジワと侵食していっている。まるで景色も裸足で逃げ出しているかのようだ。
「わぁーっ。」
えっ。
突然、前日の担当者が叫声を上げたかと思うと一目散に逃げ出していく。
ま、待って! 置いていかないで!
そう思っても、前から来る女性から視線が外せない。視界がさらに黒く塗りつぶされていく。なのに目の前の女性は白く浮かび上がって見える。
死霊王とは良く言ったもんだ。まさに実体化した死霊そのもの。白く綺麗な肌には毛穴などないかのように透き通っている。銀色のロングヘアは艶やかで天使の輪が光り輝いてみえる。
スタイルも抜群だ。その見た目に相応しく大きくも無いが決して小さくも無い胸に細いウエスト。腰は胸ほどじゃないがしっかりと自己主張している。
しかも、スリットの入ったゆったりとしたスカートから覗く太ももから足首にかけては細く長く筋肉など何もないかのようだった。
「シロヴェーヌと申します。」
もう直ぐ手が届くところまで来たと思ったら、酷く寂しそうで何かを諦めているかのような顔をして目の前に手を差し出してくる。
いくら隷属の首輪をしているからと言っても僕の奴隷じゃないし、相手のほうが身分が随分高い。『手の甲にキスをせよ』ということだろう。庶民には無いが、高貴な女性に対する挨拶としては一般的だと母親から聞いたことがある。きっとお祖母さまを見ていたからだろう。
ここはこの女性の手を取ってキスをすればいいのはわかっている。わかっているが怖いものは怖い。触ってはいけないものだと全身の感覚が警鐘を鳴らしてくる。
しかし前日の担当者が逃げ出したということは・・・。この恐怖は隷属の指輪の効果に関係なく感じるということだ。隷属の指輪は効果を発揮してくれているはず。
ただそれだけを頼りに前に進もうとする。
足を踏み出そうとするが何か氷水の中に足を入れようとするかのように足先が冷たくなる。
「ポルテ男爵家当主モトラビッチです。よろしくお願い致します。」
それでも、めげそうになる心を叩いて叩いて叩き壊して、恐怖に無理矢理打ち勝つ。
敵意も殺意も向けられていない。かといって公爵様のように弄ぼうというような笑みも浮かんでいないじゃないか。何を臆することがあるというのだ。
差し出された手を取るのがまた大変だ。差し出されてから随分時間が経っている。もの凄く失礼なことだ。だがゆっくりだが動かせることは動かせる。
いつ叱責が飛んでくるかとビクビクしながらも、ようやくたどり着いて手を取ることに成功する。
ほら大丈夫だ。僕はそのまま、手の甲に軽くキスをする。
顔を上げるとそこには驚愕に満ちた彼女の顔があった。
やばい・・・何か間違ったのか?
しかし手を離そうにもガッチリ捕まえられてしまい外せそうに無い。なんて馬鹿力。
引っ張られるままに立ち上がってしまう。これは危害の内に入らないらしく、こちらの意志とは関係無く抱きしめられてしまった。
頭の中は死の恐怖一色である。漏らさなかったのが奇跡である。
散々、公爵様に弄ばれたのが良かったらしい。会う度に嬉々として、僕を恐怖のどん底に落としてくるのである。何度、漏らしそうになったか・・・。
彼女の腕の中で僕は主導権を取り戻そうとこちらからもギュッと抱きしめると彼女は身を任せてくる。それがトリガーだったのか急に視界が明るくなった。
少しは余裕が出てきたので周囲を見回すと他の5人の姫君たちも驚愕に満ちた顔をしていたのだった。
「サクランって誰ですか?」
かなりの時間が経過しても離れてくれそうにないので、そのままの格好で右手前の姫君に質問する。
見た目は美しく落ち着いた雰囲気の7歳くらい幼女だ。確か冥界王のクロノワール様だったかな。ここに連れてこられて100年以上は経っているので100歳は超えているはずだ。全く魔族の年齢はわからない。彼らは力を持つほど寿命が伸びると言われている。
「知らないの? あなた達に殺された魔王の名前よ。」
彼女はセミロングの黒髪だったがその艶やかさはシロヴェーヌ様に勝るとも劣らぬもので、その射抜くような金色の瞳が魔族であることを主張していた。しかも思わず頬を突いてみたくなるほど、愛くるしい顔立ちをしている。
「ぼ、僕に似ているのですか?」
「そうねぇ。彼も元人間だったし、似ていると言えば似てるかな。それよりも、シロに触れる生き物なんて魔族の王たち以外に居なかったのに・・・。」
とんでもない情報がもたらされる。魔王が元人間だったなんて話は聞いたことがない。でも魔族の王である彼女たちが言うのであれば本当のことなのだろう。
しかし、アレクサンドラ様は触れずにどうやって隷属の首輪を付けたのだろう。確かに自分の意志で首輪を取り付けて離れたところから魔法を掛ければ出来ないことは無いが成功する確率が低いはずなのに・・・。
???「だって! 怖かったのよ。145回目で成功してくれて良かった。」
お前は人から恐怖されるということを身を持って知っていると思ったんだがなあ。