大きな商談が舞い込みました
「あれっ。クロさんはいらっしゃらないのですね。」
シロさんを外に連れ出すことについて反応をみようと思っていたのだが、翌日の担当者と交代するために広間に行くとクロノワール様が居なかったのだ。
なんか見透かされているようで気持ち悪い。魔族といえども心を読んだりはできないはずなので、たまたま偶然なのだろう。
他の5人の姫君たちの前で交代することになった。
「ではシロさん。また6日後にお伺いします。」
「うん 楽しみ してる 」
意外とあっさりとした返事が返ってきた。もっと引き止められるかと思ったけど、そうでもなかった。でも返事の割には寂しそうな顔をしている。
「心配無い 馴れて いるから 」
顔を上げてそんなことを言うシロさんを見ていたら、胸がキュンとする。これが恋というものなのだろうか。
ずっと傍に居てあげたい。
いいや違う。僕のほうが彼女の傍に居たいんだ。
彼女に出会い。彼女に触れたときに感じた恐怖を克服したときよりも多くの意思の力を使い、後ろ髪引かれながら、背を向けることに成功する。
「ただいま、戻りました。」
いつものように執事のリチャードに外套着を手渡す。
「お帰りなさいませ。坊ちゃま。」
「いい加減にその『坊ちゃま』は止めてくれないかな。別に『旦那様』じゃなくてもいいから、名前を呼んでほしい。」
「如何なさいました。坊ちゃま。何方か好きな女性でも、お出来になりました?」
「・・・う。」
なんでこういちいち鋭いかなぁ。執事という人種は。まるでこちらの心を読めるのかと思うほどに鋭い。
「昨夜は魔族の姫君たちに会われたのでしたね坊ちゃま。どちらのお嬢さまをお見初めに? 慈悲深いと有名な冥界王クロノワール様ですか? お祖母さまである王女アネッサに似ておいでと言われている幻惑王ユズシェル様ですか? 母性の塊の緑樹王マッチャロール様でしょうか?」
100年も経過している所為か裏後宮で囚われている方々にしては、随分と世間に情報が流れているようである。でも微妙に的をはずしているなあ。
「違う。死霊王シロヴェーヌ様だ。身も心も性格もお美しい方だったよ。」
「・・・死霊王。坊ちゃま。・・・たった一晩でモロゾフを攻め滅ぼした死霊王様でしょうか?」
首都モロゾフ。勇者召喚の原因となった105年前の魔王のモロゾヴァ国侵略。そこで各国の重鎮が犠牲になり、魔族との戦争の引き金になったと言われている。
「それは噂だろ。それに先代の死霊王じゃないのかい?」
「いいえ真実です。坊ちゃま。死霊王様は一代限り。一万年前から生きていらっしゃるそうです。」
「そうか。シロさんは一万年前から一人ぼっちだったのか。」
「まさか本当に・・・。坊ちゃま。まさか奥方にお迎えしたいなんてことは思っていないでしょうね。」
「ぼ、僕の奥さん? それは出来たらいいなとは思っているけど。身分も違うし無理じゃないかな。僕は片時も離れずにいつも傍に居てお慰めさしあげたいと思っているけどね。」
「本気なんですね。『旦那様』 私、一身上の都合でこの仕事を辞めさせて頂きたいと思います。」
リチャードはあれだけ頑なに『坊ちゃま』と呼んでいたのに掌を返したように『旦那様』と呼び、執事を辞めると言い出した。
「いきなり辞められたら困るよ。お前の息子もまだ一人前じゃないと言っていたじゃないか。しかも一身上の都合とは何だい?」
「田舎の母から危篤の知らせが届きまして。」
「リチャードの母上は3年前に亡くなっていたはずだろ。」
「いいえ、嫁の母でして。嫁と息子共々、看取ってやりたいのです。」
「えっ。後宮総料理長のアンジェリーカさんですか。間違いじゃないんですか? 今夜、後宮で夕食を頂いたときにお逢いしましたよ。とってもお元気そうでした。」
「どうなさったの貴方。そんなに汗を掻いて。」
奥からリチャードの奥さんであるメイド頭のアンナがやってきた。
「いえ。突然、リチャードさんが執事を辞めたいと言い出したのです。アンナさんのお母様が危篤と仰られたのですが、アンナさんにはアンジェリーカさん以外にお母様と呼ばれるべき人物の名前が思い浮かばないのです。」
「貴方。私にはアンジェリーカ以外に母と呼べる人間は居ませんわ。どういうことですの? まさか、妾が居て妾の母親の面倒をみさせようという魂胆じゃないでしょうね。」
「いや違うよ。妾なんて居ない。私はアンナひとりしか愛せない人間なんだ。信じてほしい。」
「そんなことを言ってっ! 妊娠したあとに発覚したあの人のことはどうなんですか? 私は一生忘れませんからね。」
思いがけずリチャードが昔、浮気をしていたことを聞かされる。今の今まで誠実な人間だとばかり思っていたのだけど、この人はこんなにも不誠実な人間だったのか。
市民階級どころか貴族であっても一夫一妻が主流なのに浮気をするなんて。血統を重んじる皇帝こそ正式に一夫多妻制が許されているが侯爵や伯爵といった高位の爵位を持つ人間でさえも隠れて妾を持つ世の中なのだ。
だがその分、家に縛られない人々は自由恋愛を標榜し、複数の恋人を持つことも可能で子供を複数の女性と育てることも可能だ。さらには男性が亡くなったあと、女性たちだけで家庭を持つこともできる。もちろん、経済力のある女性ならば反対もありえる。
実際にアレクサンドラ様は皇帝がお亡くなりになったあと、何ヶ所か複数の男性と家庭を築き援助していたようである。それ以降、同性同士で同じ場所に住むことはさほど珍しいことではなくなったという。
「そんなことがあったんですか、それは是非この家にお連れして紹介してほしいですね。」
「アンナ。お前、怖く無いのか? あの死霊王だぞ。」
「そりゃあ怖いですよ。でも誠実な旦那様が慕っている女性でしょ。家族も同然の私たちに悪いことなさるはずがありませんわ。」
*
結局リチャードが執事を辞めるという話はうやむやになった。いったいなんだったのだろう。
「そういえば旦那様。今日の朝、本店の店長が慌てた様子でお見えになり、明日の接待相手の話を持ってみえられました。特特特Aランクらしいです。どうなさいますか?」
僕の休みの日は、本店に顔を出すか。商売上持て成す相手が居る場合、ポルテ家当主として接待することになっている。通常、B・Cランクだと店長でも代わりに接待しても失礼に当らないランクの人間なのだがAランクとなると殆ど断れない。
さらに上の特Aランクだと病気以外では休めないほぼ強制。特特Aランクの場合、熱が出ても高い治療費を払い、回復魔法を受けて接待しなくてはいけない客だ。
今回はさらに上のランクらしい。僕は今までせいぜいAランクの客しか接待したことが無い。それがいきなり特特特Aランクだとは、僕をご指名ということらしい。
「それは受けるしか無いじゃないか。いったいどういう相手なんだい?」
「それが何でも魔族の流通業界ではトップの地位に居る商人だそうで、今回帝都で我が商会に独占的に品物を扱かわさせて頂けるそうですよ。」
「随分と大きな商談なんだな。」
「はい。店長の試算では、この先10年に渡って毎年利益が2倍以上になり続けるとお聞きしました。」
「国の紹介にしても大きすぎる。間違いじゃないのか。どう考えても侯爵家直営の商人クラス対応する相手だよな。」
時折、王女が降嫁された家として商談が持ち込まれることはあるが、もっと小規模であり厄介な相手であることが多い。そこまで美味しい話が舞い込むことなんてありえない。
「それが直接、ポルテ家直営の商会として相手方が話を持ってこられたそうです。」
「わかった。了解したと伝えてくれ。きっと今か今かとまっているだろうからな。」