第三章1 『合流』
「ともあれこうして合流しました我らがツルギ一同でございます」
「マモンさんとツルギってお友達なんですね。『顔を合わせた程度の仲』って聞いてたから思ったより——」
「違うぞ……カガミと言ったか?」
マモンの問いかけに柔らかく頬を解して頷き返すカガミ。
二人は、ツルギの後ろで会話の真っ最中。その間にグレーテルが挟まれている光景はどこか不思議な感じがする。人間を嫌った彼女が人間に挟まれ嫌そうな表情一つしていないのだから。ロトリア村の一件で兄心が芽生えたツルギからしたら妹の社会復帰は喜ばしく思えるものだ。
とは言ったもののマモンとカガミの会話に挟まれながらも口数が減っているのは初対面の相手に対して緊張しているのだろう。だが、プライドからか澄まし顏のグレーテルは凛々しくも王国の石畳を軽い音を立てて歩む。
ツルギの横に浮遊する精霊・フンシー。翠色が炎天下の下でその身の明度を透かしている。
この球体から暴風や激流が止めどなく溢れ狂うと思うと、なるほど異世界魔法はミステリアスだと感心しか出来ない。
「俺様と兄弟は一つの杯を交わし合った仲。いわば『血の隔たりを超えし情愛』と言うやつ、だ! それに、俺様と兄弟は肩を組み合うほどの仲」
「おおー、そんなになんですね!」
「——そんなにじゃねぇ!」
聞き捨てならぬ会話が耳に入り咄嗟に踵が返してしまう。
振り返れば少しの驚愕を浮かべるカガミ。一心にツルギを見つめ続けるグレーテル。ちなみに兄が振り返ったことが嬉しかったのか、頬を蕩けさせて微笑んでいる。いつもなら飛びついてきてもおかしくないのだが、やはり彼女は緊張しているのだろう。そして視線の先の大男マモンは堂々たる腕組みで満足気に何度も頷いている。
ちなみに、グレーテルの行動に対して『いつも』と思ってしまったツルギは兄としてが原因か、ともあれそのことには気付きながらも気付いていないと無意識に振り切っていた。
「第一に、実際話したのは数分程度。しかも杯は交しちゃいねぇし、肩を組んだ覚えもねぇよ! お前が一方的に背中ぶっ叩いてきたんだろうが!」
「ふむ。俺様の中では共に過ごした時間は何年……何十年と過ぎていると言うのに、寂しいものだ、な!」
「白々しいな、おい! 寂しい雰囲気なんか微塵も感じやしねぇ」
「がっはっは! それでもよい! 『事実を語れば嘘も減る』と言うしな!」
この気持ちの起伏は精神的に辛いものだ。言おうが言わずにしようが彼の中で完結している物語に口を割り込むことは出来ない。初対面のあの日がいい思い出だ。
でも、初見のことを思い出せばマモンの心根の優しさは本物だと知っている。だからこそ憎むことも出来ないのだ。
調子の狂う相手マモンに対してあからさまに肩の力を抜き落とす。すると、一人の少女がほっと息を漏らす。
自然と少女に視線は集まるものだ。ツルギとマモンとフンシーの男組のみだが。
「なんていうか……ツルギにお友達出来て、うん。……嬉しい、かなぁ」
心の底からの安堵が分かった。初対面の人との会話、しかも相手がマモンだ。それに異世界に来てからの数日間。
本人はストレスの蓄積を表に出すことはなかった。だが、その心中は不安でしかなかったのだ。
そして、異世界に召喚を望んだ原因のツルギ。彼が守りたいと思った世界に一人でも友人が出来ていたことが……一人の友人として、一人の幼馴染として、一人のツルギを想う人として。
「——いろいろ言ったけど、なんだ、時間なんて関係ねぇし、杯も肩組みも、……まぁ、これからよろしくな。マモン」
そのことを知っているツルギには、視線を全員から外して適当な商店に目を向け手を差し出すことしか出来やしない。
暑苦しさといい、人の話の聞かなさといい、天真爛漫なその姿といい、全てが苦手だ。だが、憎めないし嫌いにもなれない。だからいいだろう。今回は自分から手を差し出してやろう。
「ああもちろんだ兄弟!」
手を差し出しているのにも関わらず空いたままの掌。不思議に思い視線をマモンに移し変えた刹那。
「——うごっ!」
首に纏わりついた熱帯びる何か。
小麦色に日焼けした肉だ。たくましい上腕二頭筋だ。今まさに、ヘッドロックを決められているのだ。
苦しいのに口が塞がれていて声を出しことも出来ない。足をジタバタと手でマモンの上腕二頭筋を叩いて降参ギブアップ。
「やっぱり、肩を組むくらい仲良かったんだね。すごく嬉しいな」
——いい子! いい子すぎる幼馴染! だが待ってくれ。誰がどう見ても仲良くしてる構図じゃねぇだろうが。
と、心で叫んでも横にいるアホには通じずさらに力がこもっていく。絶対に仲良く出来ねぇこいつとは。異邦人の少女は目尻に涙を溜めて拭き取る最中、涙で前が見えませんでしたってことですか。そして、アホに出会ってから口を閉ざしている妹はどこか苦しげな表情が見え隠れ、兄の苦難を助けてくれてもバチは当たらないって。さらにその背後をゆったりと浮遊しながら寝ぼけ眼でツルギを見やる救済者、金髪ロリっ子。と思った刹那に顔を街並みへとずらす。気持ちが通じたのでしょうか?
なんて一人語りが脳内を構成していく。
不意に浮かんだのは周囲一帯が白色の世界。黄金の煌きの粒が自由に踊る世界。ツルギはすぐに察した。
——あ、三途の川ってやつか。死ぬのか。
† † † † † † † † † † † †
「こらマモン。えっと、ツルギ……さんが苦しいって。だから放してあげて」
「おっとっと。悪いな兄弟。大丈夫か?」
三途の川は唐突に世界を崩して現世へと輪廻させた。
脳の覚醒には多少時間を奪われたものの暗転した視界は完全に蘇る。
「がはっ。ゴホッ……。あぁ、死ぬかと思った……」
差し伸べられたのはツルギよりも一回り大きめな掌。その優しさを拒むことも出来ずに受け入れ、マモンが引く力だけで石畳から立ち上がる。
マモンのもう片方の手には革水筒。それを差し出して表情を歪ませている。
「おら、兄弟。飲めよ」
「んいや、大丈夫。それより——」
踵を返した視線の先。『エドアルト王国』の王城が立派な佇まいで鎮座。王城へ向かう大通りに敷き詰められた石畳み。
翠色の精霊が半透明に太陽の光を透かした先に、注意深く見なければ見落としてしまいそうな程の淡い存在。白色の布で出来たローブ姿の一人がそっとそこにいる。
他の人々には見つけようにも視界に入らないほどの空虚な存在ではあるが、ツルギにとってその人は大きな存在であるのだ。気付かぬうちに避ける通行人たち。でも、ツルギだけは見落とさない。
「待ってくれ!」
声が高らかに大通りに響く。人や亜人はツルギの叫びにも遠吠えにも似た声に少しの反応を見せる。周囲の視線はツルギに一度向かった。その人にも届いているはずの声。
だが、その人は微動だにせずに小さな足取りで歩みを止めることはない。
「待って。——アテラ! 待ってくれ!」
それこそ先刻の言葉よりは小さく聞こえづらい。周囲の人々はツルギの発言が自分らに向けられていないと分かれば素通り。
だが、たった一人には小さくも聞こえづらくも、ただただ果てしなく強かった。
小さな歩幅は停止して振り返ることもせずに立ち尽くす。
それは、「待って」の言葉を実行したからではない。聞こえていたのなら始めの言葉で停止していたのだから。故に、ツルギは気づく。自身の犯した罪、過ち、過失。
小走りで彼女のすぐ側に寄る。それほど大した距離でもない。
だが、建前なのか何かは分からなかった。けれどツルギは、大げさに膝に手を付いて息を整える振りをする。
陽炎が景色を揺らめく。一人を除いて。彼女だけは、はっきりと視界が捉えている。
息遣いと人々の足音、商店の活気、客引きが鼓膜を震わす時間は数秒で数十秒にも感じられた。
そして、その時間もあればツルギが犯した過失を謝罪させる文章を考える時間も十分にあった。
「えっと、アテラ……さん。すみません。会って間もないのに呼び捨てにしてしまって。でも、さっきマモンの馬鹿野郎を止めてくれて、なんていうか、えっと、……ありがとうございます」
その言葉に微動だにすることはない。周囲の音が大きい、それが原因なのか。単にツルギの声が小さかったからが原因なのか。それはないだろう。手を伸ばせば届く距離なのだから。
なら、彼女に対して働いた無礼がやはり大きかったから。それ以外あるまい。
「いや、本当に申しわけ——」
「——気にしていないわ。いいから、行きましょう」
その声は非常に穏やかで優しく棘はない。むしろ温かみさえ感じるほどに温もりが存在する。そう、ツルギは感じ取った。
だが、どうしてとまで分からなかった。胸に閊える言葉にならぬ想いがしこりとなっていることだけが。
それもアテラが付け足すように発したことで拭えた。そんな救いを感じた。
「私のことは、アテラ。呼び捨てで構わないわ」
だから、ツルギはアテラが見ていないのにも関わらず腰を折って感謝を捧げてから笑顔で一つ。
「……ああ。これからよろしくな、アテラ。俺のことも、ツルギって呼び捨てにしていいからさ」
ゆっくりと進み出す歩み。その背筋は糸を張ったように凛としていた。
故に、ツルギは安心を覚える。アテラが憤怒することがなかったことに。これからの案件をいざこざなく進められる。そのことに。
「ええ、お言葉に甘えてそうさせてもらうわ。……ツルギ」
少しの間を空けて声を絞り出した。そのことにツルギも気付いてはいる。「きっと、人見知りでどっかの誰かさんと同じで緊張してんだな」そう、一人で結論付けた。遠ざかる白色のローブの彼女を見やってから後ろに歩み寄っていた面々を見渡して、最後にその誰かさんを見つめて白い歯を光らせて先行く彼女へ親指を立てて言った。
「ほら行こうぜ。……グレーテルも、ほら、行こうぜ」
面々がそれぞれに言葉を返してグレーテルも一つ頷いて、アテラの行く先の後を付いていく。
ツルギにも、他の面々にも、フンシーにすら、分からない。
先行く者の真紅の瞳から一筋の雫が頬を伝ったことを。




