第二章幕間 『出会い』
「それにしても遅い気がするけど、迷子にでもなっているのかな?」
「…………」
「ボクがここに来て六日経っているけど、もう着いていてもおかしくないんだけど」
「…………」
「んー、ともあれ、王国議会は明日。あの戦いの傷は癒えたかい?」
「……うん」
「それならよかった。今の君は酷く脆い。無茶はしないで欲しい」
「わかってるわ」
「もしどうにかしなくてはならないのなら御璽を割るんだ。そうすればボクは全霊を捧げるよ」
「わかってるから。そろそろ出るわよ」
「おっと、くわばらくわばら」
汗を滲ませると浮遊していた精霊フンシーが翠色のその身を瞬間的に光らせて、半透明になると対話していた赤き少女アテラの耳朶へ宿る。翠色の装飾品に早変わり。
いつもの……と例えるには時間が経っている事実がある。以前の恰好である、白いローブを羽織り紺色のスカートに身支度を済ませたアテラが仮宿部屋を出る。
ベッドの上に丁寧に畳んだ袴と呼ばれる正装を見つめながら、
「少しの間だったけど、温もり……ありがと」
そして隣の部屋の扉を軽く叩くとすぐに返答。
「お、出掛けるのか?」
「うん、行きましょう」
扉から現れたのはこの数日行動を共にしているマモン・バン・ミコト。
「今日は夜から会合があるが……それにはまだ早い気がするぞ?」
「ちょっと用事があるの。そろそろ時間だから」
「『時間に追われても、己に追われるな』と言うし、な!」
「うーん、単に時間厳守なのだと思うのだけれど」
「がっはっは! では参ろうか」
「もう全く」
先にマモンが仮宿内を先陣するが、出た瞬間に行く先が分からず仁王立ちをしていて呆気らかんとしてしまったアテラ。
ともあれ、彼がこうしてアテラ自身の目的であっても行動を共にし続けるのは理由があるのだ。
本来、アテラ一人で済ますことの出来る私用であっても、マモンの同行は必須になってしまっている。マモンも若き男児。憧れの王国の旅で楽しみもあったはずなのだろう。だけど、それがアテラの存在。それと、アテラを狙った未確認刺客の襲撃が一度あった。
そのことでアテラは一人の行動が出来ない。フンシーという相棒精霊がいるのだから安易にされてしまうことはないのだが、それでも万全を越したことはない。それが、マモンとフンシーの意見だ。
† † † † † † † † † † † †
「なんだってー!」
大袈裟に反応しながら停止するマモンを放置して先を進むアテラが立ち止まる。
数秒経って傍らに寄ったマモンが目的地へ目を凝らす。それもそのはず、いつもは静かな正門がこの時に限って騒がしいのだ。
こちらから見えるのは正門に向けて群がる野次馬。
「なんか騒がしい、な!」
「そうね」
「なんだあっけらかんとしている、な!」
「まあ、そうね」
「驚くこともない様子だし、な!」
「…………」
「元より知っていた風に見える、な!」
「んー、そうかな。たまには賑やかなこともあると思うの」
「確かにその通りだ、な!」
「ええ」
アテラ自身の目的であったのだから驚愕をするのは違う。知り得ていた事柄であり、必然の摂理。
そしてもうじき姿を現す四人。
そう思えば群衆は散っていき見慣れた四人が正門から歩みを進める。
使い魔として召喚をしたはずの少年。そして、元いた世界へ送喚したはずの少年、クサナギ・ツルギ。
事実上まだ面識のないツルギの元いた世界での幼馴染の少女、ヤタノ・カガミ。
元来に王国までの同行を約束したが果たされなかった契り。最愛の兄を亡くし、虚構の兄を愛する『暴食の担い手』グレーテル。
すべき事柄を最低限に抑えて過ごしてきた少女。怠けることが少女の本分であり、その本分の役目を果たす少女は最も本願を受け入れる少女、アリス。
「おっとおっとおっと。ありゃもしやのもしや」
「フンシー」
アテラが自身の耳に触れて囁くと翠色の球体が顕現する。精霊フンシーの顕現。
「少し遅い気はするけど、明日には間に合ったからよしとしておくよ」
「マモンも久しぶりなのだから行ってきていいわ」
「兄弟に会うのは何日ぶりか、な!」
「九日……くらいだと思うけれど」
既にツルギたちの場所へ向かって行ったマモン。眼前を浮遊するフンシーが微笑を浮かべて優雅に踊る。
「ほらね。やっぱり来たじゃないか。君の使い魔の彼がね」
返事を待たずに精霊はツルギたちへ目掛けて飛んでいく。
一人になったアテラもまた、ツルギたちに向けて距離を縮めて歩む。一人ぼそりと小声を漏らして、
「……来てないわよ。来ることは、絶対にないのだから」
† † † † † † † † † † † †
「お前も相変わらず元気だな。そしてよく分からねぇぜ」
マモンがアリスの元へ歩みを向ける珍しくグレーテルもアリスと一緒にマモンと対峙する。ローブから微かに覗く懐かしく、そして戒めが胸を締め付ける。
ツルギの幼馴染であるカガミが先に口を開き一礼をした。
「えと、初めまして。私はヤタノ・カガミです」
頭まで被った白いローブを退かす。素顔を見せるアテラ。
嘆願だ。望みだ。願いだ。その瞳には一縷の希望の光が揺らぐ。叶うことのない希望は儚く脆く崩れ去る。
「俺はツルギ、クサナギ・ツルギ。初めまして、これからよろしくです。フンシーから聞いてますか?」
知っていた。分かっていた。だからそれを聞いても悲しくも虚しくも寂しくもない。当たり前の必然なのだから。
彼が覚えていることはない。思い出すこともない。それをしたのは他でもないアテラなのだから。
「えーっと、――アテラさん」
だから、言ったのだ。『――ツルギは来ないよ。絶対に』と。
世界の仕組みを崩さないためにも、元来の形を結ばなければならない。因果の収束を見届けることしか出来ないのだ。こうして、元来の姿で、望みながら絶望を待つことしか出来ないのだから。
――『再会』であるはずの出逢いは、『初見』になって、運命の因果は回り続ける。
故に、アテラは頬を柔らかく解して笑みを作る。
何度『初見』を味わえば辿り着くのか……。そんなことはもう分からないし、ないのかもしれない。
解かれることのない円環の束縛は、逃げ出したいと、諦めたいと、帰りたいと、願う彼女を聞き入れることはないのだ。
白日の下に晒されることのない信実を胸にしまい続けて、因果を待ち続ける言葉を口に開く。
「聞いてるわ。よろしくね、――ツルギさん」