第二章45 『二度目の出立』
事の顛末を綴っていこう。
まず今回の発端であるサチコの一件。
サチコが『節制の森穴』に訪れた原因であるが、サチコ本人が語るにはこうだ。
祖母ウァサゴとの思い出の地である小さな丘に訪れたサチコが『節制の森』から何者かに呼ばれその先が森穴であったと。
森穴に入ってからの記憶はないに等しい程に曖昧に朧だと言う。これも『節制の担い手』の権能が影響していたと思って間違いないのだろう。
だが、サチコはヲルフォの死に悲嘆せずに寧ろ安堵を見せていた。
これはサチコ曰く、
「生ある者は『愛』を尽くすことが必要なの。死ねば『愛』の表現を実現させることは難しいなの。だから、みんなが怖がったり嫌う獣だとしても、サチは生きていてくれてよかったって思うなの。獣が愛する者、獣を愛する者が一人でもいるのだとしたら、決して死んではならないなの。生きて生きて愛して愛されることが生き物としての在り方なの」
自身の恐慌を実感していないわけではない。だが、サチコという少女の本質は優しさなのだろう。どれほどに混沌させる存在だとしてもそこに『愛』があるのならそれは『悪』にはなりえない。とそう言うのだ。
その考えが正しいとツルギ個人と思わない。だが、それこそ人一人一人によって価値観も考えも違うのだからサチコの思いを否定することはしない。
そして、祖母ウァサゴに関した件は自身の今回の落ち度含めツルギたちの意見を善処した。
祖母ウァサゴであるが、アリスの従者チェシャネコからの連絡で憤怒することがなかったことが、ツルギにとって最大の安堵だった。
カガミと言う少女の命を握る預言者ウァサゴは戦力的に非常に強者であるだろう。だが、それ以上に最大の脅威でもあるのに他ならない。
ともあれ、ウァサゴ自身が感謝を綴っていたことが驚愕である。
「ありがとう」
それ以外の言葉は発することはなかったらしいが、何度も何度も感謝を口にしていたとチェシャネコが言っていた。
偏にサチコのおばあちゃんなのだと、疑いを掛けていたツルギは自身が情けなく思えてならなかった。
ツルギは、祖母も、その孫も、優しさの彼女たちを一度でも疑いを沸かせたことを悔やみ今後、彼女らを信じ抜く。と胸に刻んだ。
シンシアが一番心配し責任を感じてしまっていた。
「わたしがもっとサチコちゃんに気をかけれていれば。もう少し周りを見れていれば。何も出来なかった……ごめんなさい」
自省を続けるシンシアにチェシャネコ越しにサチコが思いを綴ったことでシンシアは落ち着きを戻し、いつもの彼女に復帰した。それほどにサチコはシンシアにとっても大きな存在であったのだろう。
「シンシアさん。シンシアさんのこと大好きなの。シンシアさんもサチのこと好きなら、サチがシンシアさんに後悔して欲しいなんて思っていないって分かって欲しいなの。後悔の中にはサチはいてもサチはいないなの。サチを愛して欲しいなの。サチを想って欲しいなの。サチのことを考えて欲しいなの」
後悔の中にはサチはいてもいない。
後悔の原因や要因はサチコなのだ。だが、その想いの矛先にはサチコはいないのだ。自身の反省を、悔いを、失望が胸中を渦巻く。愛を欲し愛を認め愛を焦がす少女は自身に向けられない念よりも自身に向けられる『愛』を欲するのだ。その形が真っ直ぐでも歪んでいても、サチコはサチコ自身を見てほしいのだ。
その真意が分かったのかシンシアは一度の謝罪と感謝と無数の愛をサチコに届けようとしていたらしい。
これもチェシャネコを還したやり取り故に端的なのだが、二人の思いは通じ合っていた。
次に、村の人々。
子供たちも事件の当初は衰弱していたが『節制の担い手』の権能範囲からの離脱によるものかは定かではない。しかし、建前で奮い立たせていた空元気はツルギとの初対面の時と変わらず……否、割増しで元気を取り戻していた。
「ツルギ血まみれー!」
「服ぼろぼろー!」
「ここきたないー!」
バウン、バレンがツルギの外観を嘲笑っているとバルターがジャージの切れた合間から覗く黒ずんだ背中を遠慮なしに叩き怒声を上げたのはいい思い出になったものだ。
汚れ切れ、着て歩くには目に余る服装に成り果ていると思ったが、さすがのサチコ。一晩でツルギ、グレーテルの服を直し上げたから翌日の出発の時には新品同様の一張羅になり三馬鹿も目を丸くしていた。
コニーは父の背で気持ちよさそうに寝息を立てていた。
ニコラスが帰還したことが心の安堵だったのか寝言で、
「お兄ちゃん、おかえり……。……るぎ、しゅき……」
特に寝言なわけで聞きづらく何を言っていたのか流していたツルギだったが、その場にいた他の者はコニーが「ツルギ、すき」と言ったのだと理解していた。
そしてもう一人の少女、ミア。
カガミは大いにミアの気持ちを理解していたから一番の驚愕を一人で抱え込み尋ねたのだ。
「ミアちゃんは行かなくていいの? ツルギのところ」
「うん」
「そっか」
「……どうして? って聞かないんだ」
「あれれ、聞いて欲しかったのー?」
「べ、別にそんなことないけど」
「ふふ」
「なんで笑うの!」
「ごめんね。でも、聞かなくても分かるからさー」
「何それ。……かがみんも戻って来ちゃったもんね」
「だから気持ちは一緒かなって。……? かがみん?」
「ひゃっ! 今のはそのその……えっと、な、なんでもないから!」
「ミアちゃんっ! いやいやいや、ミアたんっ!」
「――たん!?」
「えへへー。愛称大切だもんね?」
「……うん」
月の下で一人の少年を想う二人の少女は恋敵であり、友であり、姉妹に等しくなった。
謙虚故に、下がった場所から死線を潜り帰還を果たした少年へ視線を送る四つの瞳は潤みながら安堵と想いの歯痒さに瞳を細めていた。
二人は思うのだ。
『ツルギが落ち着きたいって思った時の拠り所になれれば――』
儚い思いが煮えたぎり交差することなく一つの夜に溶け込んでいった。
村人と言えばニコラスとカーナの関係だが、事件当日から翌日の出発にかけてもツルギには分かっていなかった。他人に無関心であると思えていたグレーテルでさえ分かり切っていたことは盲点ではあったのだが。
ツルギが二人の関係を教えてもらったのは魔獣事件から三日後、『エドアルト王国』に到着した時のことだ。
そして、カーナだが、思春期特有であった反発心は柔らかく解れた。
翌日にツルギたちの元をカール同伴で訪れた時に確認出来た。この日まで半信半疑であったが実の兄妹だったことに驚きを隠せまい。性格の正反対な二人なのだから。
「馬鹿な妹が迷惑をかけました! ほらお前も頭下げろ!」
「うっせぇー馬鹿アニキ! アタシはアタシの用があって来たんだよ! 謝りなんか来てねぇーってんだ!」
反抗的な一面の後に暗い青色の髪とは対照的に白い肌の頬を紅潮させて髪を雑に掻き上げた。
「……その、なんつーかさ、……ありがとな」
「はい?」
「……それだけだ。もう帰る」
「おいカーナ! 何言ったのか聞こえなかったぞ! 言葉とは伝えるためにあるんだ、しっかりツルギさんたちに伝えてから! ……ああ、もう。あんな妹ですが、みなさん、本当にありがとうございました」
「……しっかり聞こえたよカーナ。元気そうで何よりだ全く」
思春期ならではの感謝の伝える恥はその枷を解くきっかけさえあれば、少女はもう大丈夫。
時間はまだ少しばかり掛かってしまうだろうが兄とニコラスと村の子供たちの輪に溶け込むのも容易いだろう。
カーナの兄であるカール。それにニコラス、村の人たちの足枷だった掟。
『節制の森穴』に近付いてはならない。
これを自身たちで打ち破ったことで彼ら彼女らのこの先の未来の可能性が広がったのだ。
掟に囚われることで届かぬ希望。掟を破る勇気に指先を向けることで手に入れることの出来る希望があることを知った村人たちは『何かに囚われ続ける』ことから逃れることの出来ることを知ったロトリア村は、村にとっての幸福。
そして、ツルギの本命である『エドアルト王国』その王制を変える。故に一つの村が総意で仲間になったと思えばこれほど心強いことはない。
こうして、サチコ失踪事件と魔獣騒動は静かな幕引きを果たした。
ともあれ、『ロトリア村』を舞台にした王国へ向けた怒涛の旅路がこの先、平穏な旅路であることを祈るばかりだ。
† † † † † † † † † † † †
一件……二、三件の事件の翌日。ツルギ一行の『ロトリア村』の出立の朝。
異文化交流を果たしたラジオ体操と朝陽の体操をしっかりと終えた後。王国へ向けた門。
「みんなもみんな、見送りしてくれんの嬉しいけど……多くね?」
「なんかアリスメル村を出た時も村総出だったよねー?」
「多ければいいわけではありませんわ。全く何もお分かりになっていませんわ。まー、でもそれほど兄さんの存在が偉大だと言うことですわ。そのことをしっかりと弁えている辺り見込みがあると言えば見込みのある方々ですわ。とは、言っても兄さんの一番はわたくしで、わたくしの一番は兄さん。が故にあなた方の入り込む余地は微塵もありませんけど、でもそれほどに兄さんを思うのでしたらこのわたくしも善処しても構わないとも思えなくもありませんわ」
「……ふぁー。……ねむねむ……」
ずらずらと言葉を並べる本調子のグレーテル。紫苑色の髪が緩やかな風に流されるのを掻き上げる仕草をしながら一人で先に行ってしまう。
その後ろを宙に座る金髪少女アリスが寝ぼけ眼で追うように漂う。空色のエプロンドレスが金色の髪を栄えさせる。
マイペースな二人を差し置いてツルギとカガミは昨日に一度出立を済ませた『ロトリア村』の出立を再び行う。
村人の代表としてカールとサチコが二人ツルギとカガミに相対するようにいる。
「ツルギ様、本当にこの度は感謝してもしきれません。ありがとうございます」
「カガミさんごめんなさいなの。これは村からのお詫びも含めたものなの。少ないけど旅の資金に当ててほしいなの」
革袋を受け取るカガミは異世界の通貨は貨幣、つまり金貨や銀貨を想像していたのだろう。
少しの驚愕の表情を見せるが中身が全て紙幣の場合の重さに驚愕の色を濃くする。
「ありが、え、あ、えぇ……あ、ありがとー」
「ありがたいけど結構な額ないかこれ。さすがに受け取れ――」
「わたしたち『ロトリア村』からのお礼なんです。受け取ってください。村人たちの気持ちなんです。お金で解決していい問題ではないのは重々承知です。ですが、昨日の今日で出来ることと言えば最善は資金でしょう。どうか収めてください」
カールの後ろを見渡す。村の人たちが見ている。感謝の瞳で、愁いを帯びた感情で、羨望を握り締めて、ツルギたちを見つめている。開く口は子供たち以外全て同じだ。
「ツルギ様」
「カガミ様」
深い関わりはない。一晩サチコ宅に仮屋として泊まり、朝陽の体操をし、ラジオ体操をし、村の掟を破らせた張本人であるツルギ。
村のためにしたとしても、それは結果論だ。サチコの件を感謝されるのはお門違いであるのだから。ツルギがうまいこと話せていたらサチコは祖母ウァサゴを想い小さな丘へ訪れることはなかっただろう。たまたま、その罪悪を拭う行為が村のため、人々のためになった。それだけだ。
結局、自身に課せられた罪悪、罪滅ぼしなのだ。
だが、村人たちはそんなツルギの思いとは裏腹にいくらツルギが否定しても言い訳をしても感謝されることは変わらない。寧ろ謙虚な態度で讃えられるのだろう。
だからツルギは、腰に手を宛がい親指を立てて白い歯を見せつける。
「ありがとうみんな! これはしっかり受け取っておく!」
「うん。ありがとうございます!」
カガミに注ぐ朝陽が頬と唇を照らして笑顔を作った。
「それと、次会う時は『様』は付けないでくれよな」
踵を返して、カガミも踵を返して、二人は天を突くように拳を掲げて叫ぶ。雄叫びを上げる。
「――行ってくるッ!」
「行ってきます!」
深緑生い茂る木々が生え盛る森に風を浴びながら少年少女は行く。
二度目の出立を済ませ、晴れ晴れとした正面のさらに奥の先に小さく見える王城の屋根。エドアルト王国へ向かう。




