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異世界召喚されたのは御伽世界  作者: 樹慈
第二章 【再会】
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第二章44 『離脱』

 紫色の魔力。暴食の狼がツルギが通る軌道の中で静かに瞳を閉じる。


 ――妹を頼む、ツルギ。


 微かに届く声……否、情。想いが胸にすとんと落ちてくる。それは誰の言葉なのか、想いなのかは知れたこと。だから、ツルギはほくそ笑む。


 ――当たり前だろ、俺の妹でもあんだからよ。


 濃かった魔力体が瞬間的に空気に溶け込むその時に一笑された気がした。

 それは馬鹿な人間に対した嘲笑か。一人の少女の兄になる決意を目の当たりにした満悦か。


 魔力は完全に消失し溶け切り、その中を一人の少年が突き進む。

 標的ヲルフォ目掛けて突き進む。黒ずむ血液が真っ赤な左目をグラデーション。瞳の中央の瞳孔が縮み込む。時間的感覚は長くゆったりだ。

 だが、ヲルフォの次の行動変化があまりにも遅いことで気付く。ツルギ自身の感覚だけが一つの鼓動を鳴らす時間が相対する存在よりも遥かに速い。


 故に、この機を逃すことはない。

 しっかりと柄を逆手持ちに握り直し、自身の飛ぶ軌道の確実さを再確認し、獣の赤眼を見やる。瞳孔は少しだけ縮小しているだけでその前を防ぐ瞼は存在しない。犬手もツルギに届くには時間が二秒と足りない。


 そして、内側に寄せた刀を外に投げるように、赤眼へ斬撃を与えた。


 右目のあった部分は全てが消失し、左目の瞼も消失し、露わになった左目は横に一筋の切傷が流れ、『暴食の獣』否、『節制の獣』は視界を失った。

 血の溢れる右目部分を抑え込み、露わになる傷付いた左目に手を覆わせ視覚を凝らす。


 だが、何も見えない獣は、いない獲物の場所へ咆哮を投げかけ血を散らばらせる。


「ヲォォヲオォォッ!! ヲヲオオォォッオオォッッ!!」


 怒気、憤怒は露わになり、文字通りの節制は皆無になった獣は、ただの獣だ。

 自身の課せられている権能を行使することもせずに鬱憤を怒気に混ぜ合わせ噴散させる濁った黒ずむ血と共に吐き散らす。


 暴れ狂う獣から離脱したツルギは岩肌の大地の手前で暴食の狼を顕現させていたグレーテルに衝撃を受け止められ大地に落ち着く。


 のた打ち回った獣が怒りを奥歯で噛み締めながらなくなった視覚でツルギたちを睨む。


「てめーらは、ゆるさねー。よくもおれの眼ヲ」


「俺もお前を許さねぇよ。人々を恐怖に貶め、少女を攫い……そして、グレーテルにしたことを、ぜってぇ許さねぇよ」


「人々? 少女? はっ、暴食の担い手? てめーらが勝手に呑まれただけだろーが、神のご意志は、暴食でも、傲慢でも、憤怒でも怠惰でも嫉妬でも強欲でも色欲でもねー」


 ヲルフォは憎悪を露わに溢れさせて神の意志とやらを語る。


「忠実であり、寛容であり、勤勉であり、慈愛であり、分別であり、純潔であり、……そして、節制である。よく覚えとけや。てめーらに死を与える存在の名を……『節制の担い手・ヲルフォ』をよく覚えとけや。『大罪の担い手』さんよー。神の求めるべき業はおれら『美徳の担い手』が引き受けっからよー」


 淡々と吐き捨てていくと抑え込んでいた右手を退かして横に伸ばすと、現世からこちらの世界に来るために通ったワームホールが禍々しく出現する。それはきっと現世に繋がるゲートではない。魔界の類なのだと分かる。

 だが、今の機を逃したらまたしても被害が出るのだ。そしてヲルフォは言ったことでもある。死を与えるのだと。

 ならば今ここで止めていい足はない。


 足を踏み込み駆け込んでいくと、ヲルフォはゲートへ半身を入りかけながら一言を置き去りにする。


「そいやー、言い忘れてたけどなー。追いかけよーとか考えねーほうが互いのためだぜ? おれも、てめーらも消耗しすぎたってことよ。……あと、暴食。てめーの暴食、痺れたぜー?」


 見せびらかすように無くなった右目部分を覗かせてゲートに姿を呑ませる。

 ツルギは追いかけた。だが、足は思いと反比例し折れた枝のように転がるのみ。


「動け、動け動け動け動けよ! 今あいつをやらねぇとまた――ッ!」


 足へ憤怒をぶつけるが意志に反して力が籠らない。ガタガタと震え出す始末。

 だが、ツルギの焦燥感を打ち消す風が背から駆け抜ける。紫色の狼が獣を追う。そして、ゲートから覗く傷付いた赤眼。


「暴食の行使! ――暴食の空隙――!」


 未だにその距離は明らかに遠く離れている。その場からの一噛みは遅延時間が長すぎるのだ。一噛みがヲルフォの場所へ辿り着いた時にはすでにそこにはいないのだから。

 だが、今回グレーテルの発動した行使は、『暴食の空隙』だ。その行使の宣言を待ちわびていたかのように魔力体の狼は刹那に姿を消して……。


「いただきますわ」


 ヲルフォの姿を眩まそうとするゲートを丸呑みしようとする暴食の狼が口を大きく広げて、豪快に閉じた。

 空間は歪み音が無数に不平してその次の瞬間に暴食の狼は消え去り、その空間には何も残っていない。


「……やったのか?」


 棒と化した足を腕で支えさせて立ち上がらせると、少し離れた場所でグレーテルは前のめりに倒れ込む。

 足を引き摺り寄り添うと苦渋のグレーテルが無念を表情に浮かばせていた。


「申し訳ありませんわ。……逃がしてしまいましたわ」


 言葉通りに標的を逃してしまったのだ。

 第三者から見ては確実に仕留めたと思えた空隙は空間だけを喰らいそれ以外何も喰らうことは出来ずにその場から消え去った。


 アリスメル村の人々の『暴食の担い手』の認識はヘンゼルとグレーテルであり、ロトリア村……世界の『暴食の担い手』の認識は『節制の担い手』ヲルフォなのだ。

 世界の恐慌の一端である一つを排除が叶う寸前でヲルフォの離脱術が一枚上手だったのだ。


 だが、世界の認識齟齬の一つに対して深手を負わせたことは誇るべきことなのだろう。

 ヲルフォの視覚を奪えた功績は大きいと思える。今はそれだけで、脱落者が出なかったことへ安堵をすべきなのだろう。


「グレーテルはよくやってくれたさ。今回はあいつから目を失くせたことと一応みんな無事なんだからそのことを喜ぼうぜ」


「兄さん……」


「それに俺はもっと成果あったと思うし」


「兄さんは何をニヤニヤとしているのです?」


 思わず、が正しいだろう。笑みが溢れてしまっていたのだ。

 かつては人間を蔑んでいたグレーテルが今はその人間のために躍起になっているのだから。それは過大に見てしまっていたとしても……グレーテルの心情の変化はある。それが、嬉しく思えるのだ。ついに兄としての自覚が芽生え始めてきたとも言えるのではないか。


 兎にも角にも状況の安静化は文字通り一時だけだ。

 微笑むツルギを見つめて眉を寄せながらも口元が笑みに染まっているグレーテル。その二人の営みを妨げるのはグリフォン。


「仲良しラブラブなのもいいけどよ、そろそろやべぇぞ?」


 光を帯びる半透明のグリフォンが頭上を睨む。

 亀裂の入った天井に、柱の代わりになっていた鉱石たちが砕け散っている。亀裂からは砂がさらさらと漏れ、ぽろぽろと岩が剥がれ落ちていく。


 節制の森穴の崩壊だ。


「おちおちしてられねぇな。グレーテル行こう。グリフォンまだ頼めるか?」


「はい兄さん」


「ああ、しっかり掴まっとけよ」


 二人を文字通り鷲掴みにして軽い跳躍と羽ばたきで未だに眠る少女サチコの元へ。

 ツルギが抱き抱えるとグレーテルが怒りを露わにする。……怒りと例えるよりも嫉妬と例えるべきだろう。


「兄さんに抱かれるのはこのわたくしですわ! 今すぐ立場を!」


「こら暴れんな!」


 鷲手を振り解き駆け寄った三歩で足を棒にして転がる。

 少ない暴食から暴食の行使の乱舞でグレーテルの身は消耗しきっているのだ。ヲルフォの言っていた通り。


「ったく。だから言ったろ。お前じゃ俺の上には乗ってられない。もちろんこの村娘を支えることも出来ねぇし、この村娘を俺が掴んでってのはリスクがでけぇってもんだ」


「そ、そんなこと……言われなくても分かっていますわ」


 ツルギが苦笑を浮かべながら戻り、グリフォンの翼に到達した時のことだ。

 仏頂面のグレーテルがそっぽを向いたと思えば、何かを思い出したのか少し驚愕の表情を浮かばせて疲労困憊ながらに少し離れた場所へ駆け出す。


「グレーテルそろそろまじでしゃれにならねぇぞ!」


「少々お待ちになって下さいですわ」


 地面から何かを拾い懐へしまったグレーテルがツルギたちの元へ戻るとハニカミながら謝罪で一礼。


「申し訳ありませんですわ。もうよろしいです――わっ!」


 息を整える最中のグレーテルを再び鷲掴みにすれば離脱の準備は整った。

 二人を優しく自身の背に乗せて崩壊を進める岩壁を見渡す。


「離脱するぞ。落ちんなよ、ツルギ」


「ああ、よろしく頼む」


 一息吸い込み鷲口から炎弾を吐き天井に穴を空ける。

 離脱を果たすと、節制の森穴を覗く空には待ちわびていたかのように月が優雅にそこにいた。


 そして、ツルギ、グレーテル、グリフォン、サチコが脱出に成功した刹那に森穴は激しい轟音を鳴らしながら崩壊していく。広範囲に砂煙を上げて月夜の下で一つの闘いの終幕が今訪れた。


 月光に急かされたのか、ヲルフォの権能が解除されたのか、サチコが瞼を微動させてから薄らと黒目を開いた。


「おはようさん」


「あれ……くさなぎさん? どうしてここに? あれ、ここはどこなの?」


「ここは空で、どうしてって言うと――」


 目覚めた少女に一連を説明していく。その中で少女は稀に相槌を打つが大人しく自身の身に降りかかった危惧を聞き続けるだけだった。



 † † † † † † † † † † † †



 グリフォンの巨体を小さな丘に落ち着かせると人々が駆け寄る。

 ツルギが飛び降りてその後をサチコがツルギに手助けをされながら大地に足を着けた。グレーテルはその場でうつ伏せになりながら気分が優れていない様子。飛行機酔いもといグリフォン酔いだ。


「ツルギ! さっちん!」


 一番に駆け寄ったのは幼馴染の少女カガミ。

 その後ろにはニコラスとカーナ。さらに後ろを村人たちが。


「ツルギさん、サチコさん! ご無事で何よりです」


「サチコも無事そうじゃんか。あんま心配かけんなよ」


「カーナごめんなの。ニコラスさんもごめんなさいなの」


「こいつには謝罪も何もいらねぇーっての。このへたれ、へたれのくせにすげぇー頑張っちゃってさ。全くバカだろ? 普通暴食の獣がいるってのにアタシのためにこねぇーっての、全くバカじゃん。サチコもそう思うっしょ?」


「うわぁ、酷い扱いだなぁぼく。割とかっこよかったと思うんですけど」


「うっせぇーよへたれ。だまってろ」


 言葉と口調の割に態度に齟齬があるカーナ。満悦の一言で表現できるカーナに一笑。


「あははは。ごめんなさいと……ありがとなの、二人とも。助けに来てくれてありがとうなの」


「ありがとうは、アタシがしたくてしたことだからってのがあるからいいけど……なに笑ってんの?」


「……多分カーナさんの言動が噛み合ってないからだと」


「てめぇーはだまってろ!」


 うな垂れるニコラスがツルギに涙目を向ける。


「なんつーか、いいことあるさ。きっといつか想いは届くぜ」


「ありがとうございます。……あれ、想いが届く?」


「だってニコラス、お前はカーナのこと好きなんじゃねぇの?」


 数秒の停止の後顔面を紅潮させて湯気を出しながらに叫ぶニコラス。


「ふえっ! ぼ、ぼくがカーナさんを大好きなんていつから知ってたんですか!?」


「大好きとまでは言ってねぇよ」


「だいすっ!? は? ふえ!?」


「ああおふてれいおはおうはあっ!!」


「しゃべれてねぇぞニコラス」


 互いに紅潮し合う若者二人から視線を幼馴染に戻す。

 胸元に握り合う手に一度力が籠り潤んだ瞳が揺らめく。


「ただいま、カガミ」


「おかえり、ツルギ」


 こうして月光の下で、負傷は最小限。大きな成果をもたらした『暴食の担い手』と『節制の担い手』の闘いは幕を閉じた。




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