第二章34 『忘れ物』
到着した時とは逆側の出入口。
正面に見えるのは節制の森同様のただの森林の中に軽い舗装をされた獣道。
「道なりに進めば途中に小さな村がいくつかあります。宿はそこで借りればいいかと思います。あとこれ、どうぞ、昼食です。朝食を食べてないツルギくんとグレーテルさんの朝食分もありますので、道中にどうぞ」
差し出された手荷物を受け取る。先日よりも少しの重みがある。
「おう。わざわざありがとうな」
「いえいえ。ご一緒出来ないことが気掛かりですけど、アリスさんもグレーテルさんもいますし心配はいらないのでしょうね」
「シンシア、わたくしの偉大さをその若さで分かっているところを見ると見込みがありますわ。今後もわたくしのために食事を用意させてもいいですわ」
「アリスメル村に戻った時にたくさん作らせてもらうことにします」
「……わたし、何も、しない……いるだけ……」
「ええ。アリスさんはそれだけでいいです、今は。きっと……いえ」
口籠ったシンシアが頭を軽く振って続ける。
「カガミちゃんもお気を付けてね? 危なくなったらアリスさんの後ろに隠れれば問題ないでしょうし」
「はい。自分が何も力ないことは痛い程承知してます! 何かあったら邪魔にならないようにアーちゃんを盾にしています」
早速アリスの背後に身を潜めるカガミ。その動作にアリスはいつも通りを崩さない。
中央広場からここまでの道のりでツルギはシンシアから一連の流れは説明をもらった。最初は半信半疑であったものの、今となってはカガミを拒むことをしないアリスを目の当たりに出来る。信じることしか出来ない。
だが、グレーテルといい、アリスといい、ツルギ一行の女性陣を幼馴染ヒロインであるはずのカガミにこうも容易く手ごまに取られるのは主人公として言葉にし難い気持ちがあるものだ。
ともあれ、ツルギ一行の仲がこの一日で深まっているのは良い結果だ。カガミの人望に感謝せざるを得ない。
「ツルギくん。女の子泣かしは許しませんからね?」
「どんだけ酷い男だよ俺は」
「ふふ。でも冗談ではないですよ。しっかり守らないとならない人。手を放してはならない人。信じなければならない人。そういった方を裏切ることはしてはいけませんよ」
「ええ、次会う時にはシンシアさんもこの輪に入りたいって思う程いい男になってますよ。英雄的な意味でもね」
「うふふ。懇願しています」
「それと、サチコにありがとう。って改めて言っておいて下さい」
「はい、しっかり伝えておきますね。それでは、またいずれ」
ツルギ一行はそれぞれ一度頷いて『ロトリア村』を後にした。
† † † † † † † † † † † †
シンシアは『中央広場』に着いた。未だに村人と話すサチコを見つける。
「まだお話してますのね、全く。……でも」
長話をする彼女を確認出来て、女性の性にちょっとした溜息が零れる。
だが、それと同時に安堵が混ざるのも事実。昨日の一件があったことを思えば誰の監視がなかった今は『アリスメル村』へ向かう好機であったのだ。
しかし、サチコはこの場に残っていた。つまり、シンシアの懇願と、ウァサゴの願いを受け入れた証明であるのだ。
「お話し中、申し訳ありません。サチコちゃんいいですか?」
サチコが村人の女性に一言言って一礼をすると女性は小さく手を振って去っていく。
「どうかしたなの?」
「いえ、ツルギくんたちが村を出ましたので、その連絡と私もそろそろ戻ろうと思いますので」
「……そうなの。別れは言ってないけど、また会えるなの。シンシアさん気を付けてなの」
「あと、ツルギくんから伝言です。ありがとう。と」
「本当に律儀な人なの。シンシアさん、村の門まで送っていくなの」
「お言葉に甘えます。……サチコちゃん、本当に夜這いに行ったのですか?」
「い、いってませんなの!!」
微笑む意地悪なシンシアと頬を紅潮させたサチコがツルギたちとは逆側へ向かって歩き出した。
† † † † † † † † † † † †
太陽も随分高くまで昇った昼上がり。
四人は腰を掛けやすい岩がいくつか並んだ場所で昼食をとっている。
昨日と同様な握り飯。中身に木の実が細かく割られた具材が入っている。
一つで食欲が満たされるほどの大きさの握り飯を頬張り、革製の水筒に入る飲み物で喉を潤す。
「ん、んく。――ぷはー。緑に囲まれた飯っていいよな」
「だねー。遠足みたいで楽しいしー」
「……あむあむ……えんそく……?」
「あーこっちじゃ遠足とかってないのかなー。遠足っていうのはね、こうやってお弁当持ってみんなで楽しくごはん食べて思い出作ることだよー」
「……えんそく……」
食いかけの握り飯を頬に近付けてハニカムカガミ。小さく呟くアリスが半眼のままカガミを見つめる。
楽しそうに笑うカガミが一口握り飯を頬張る。すると、アリスが小さな手を頬に近付ける。
「にゃ!?」
「……おべんとう、ついてた、から……」
昨日教えた日本でのお弁当といった意味を翌日に早速活用しているアリスに、頬を桃色に染めたカガミが「うへへ」と歪な笑みにシフトチェンジしたことを見届けて、ツルギは残りの握り飯を口に放り投げる。
水で流し込むと、頬に唐突に押し付けられる感触。
握り飯だ。
「――おい、おい、おい。グレーテル何やってんだ」
「ええ。兄さんがまだ食べ足りないと思いましたわ。ですからわたくしの分をどうぞ、どうぞですわ!」
「然も当たり前のように言ってるけど。だ、大丈夫だから! グレーテルの分はグレーテルの分。しっかり食っとけって!」
「そこまで兄さんが仰るのでしたら仕方ありませんわ」
あからさまに元気がなくなるグレーテルが両手で握り飯を自身の膝に寄せる。
安堵を正面を向いて溢すと俊敏な片手が頬に届き、ツルギの頬に付いていたお弁当を取って口にぱくり。そこは兄想いの妹だ、刹那にして頬に触れることがなかったのだ。
「兄さん、お弁当ついていましたわ」
「それお前がつけたやつな」
テヘペロと言いたげに小さな舌をちょろっと出す。
ともあれ、兄妹として近付き、友として新友に近付いている二人。異世界もののハーレムを築ける手前で違う方向性ではあるのだが、むしろこっちの方が気持ちが楽だと思い耽る。
数分後、太陽の木漏れ日と優しい微風を浴びた後、女性陣が食事を済ませた後。
「気持ちがいい昼で、昼寝をしたいところではあるけど、先は待っちゃくれない。特にマモンのやつは待たないだろうな」
「ふん。どこの誰だか知りませんが兄さんをお待ちにならないとは無礼極まりないですわ。生き血を晒してその屍を龍に呑ませてしまいましょうですわ」
「俺たちの仲間だからそんなこと俺が許さねぇぞ」
「そうゆう兄さんも素敵ですわ」
「もう訳わからねぇよ……」
「ほら、ツルギ行くよー」
「……ほんと、バカね……」
肩を落とすツルギに寄り添うグレーテルを置いて先に行った二人。
小さく呟くアリスが、ツルギたちが追いつくとその背後に視線を送って再び口を開いた。
「……なに……」
「あ? 何かあんの?」
「私には見えないけどー」
「――――」
長い長い道筋の奥。何もいない。何もない。
それは、人間であるツルギとカガミに限っての話だ。数秒経った時、奥先から小さな小さな影がこちらに向かって駆けてくる。
「――にんげん」
一日ぶりのグレーテルの冷めた声は、久々に聞いた気がした。
事実、ツルギのことを兄ヘンゼルと勘違いをしているだけであるのだが、それでもグレーテルの変化が仲間として、義理兄としても嬉しかった。
だからだろう。今のグレーテルの声が胸に閊える。当人はそんな気もないのだと分かっている。だが、願わずにはいられない、グレーテルが人を受け入れることを。
足の止めたツルギ一行に一つの人影が追い付く。
「ツルギさん待って下さい!!」
彼は『ロトリア村』の村人である。
ツルギがラジオ体操を披露する前に群衆の前で朝陽の体操を行っていた者だ。リーダーシップのある人望は他所のツルギが一言話を交えただけだがよく分かった。
「カールじゃねぇか。血相変えてどうしたよ?」
額に汗を滲ませ――否、汗を滴らせ息を荒くする。呼吸が整うには難儀なほどに疲労が溜まっている。
「なんか忘れ物したっけか……。してねぇよな。んー」
「はぁ……はぁ……、わすれ、ものじゃ……なくて……」
手を膝に押し当て体の崩壊を防ぐその姿は、必死そのもの。
忘れ物だと戯言を言ってしまったこの口を誰か裂いてくれ。そんなものは次回の再来で渡せばいい。それが出来ないとしてもこれほどになりながら追いかけることはしないだろう。
ツルギは『ロトリア村』に一泊をしただけの通行人なだけと言っても過言ではない。むしろその通りなのだ。
故に、カールがこれほどの状態になりながらツルギたちを追いかけたことは、――危惧。
「――何か、あったのか」
「…………」
「あったんだな。なんだ、どうした。何があったんだ」
その止まらない問いに答えることはなかった。
カールに話した事と言えば、ツルギたちが『ロトリア村』を訪れた理由。サチコの家に一泊をさせてもらったこと。ツルギの事情は今回は他言はしなかった。一つ気掛かりがあったから。
それは、
「……サチコか」
サチコは、昨日『アリスメル村』には行かない。そう約束をしてくれた。
だが、自身の身に置き換えて一晩考えたツルギは、それは信憑性が低くなってしまった。シンシアには同行することは出来ない。シンシアの目がある時点で迂闊に村を出ることは出来ない。
故に、シンシアが『ロトリア村』を発った後に、伏線として最低一人にはサチコの監視が必要ではあったのだ。
その伏線者こそがカールだったのだ。
だが、その伏線は早々に崩されてしまった。
カールが一つ頷くと、ツルギは背に居る仲間に声をかける。
「サチコが村からいなくなった。戻るぞ」
「うそっ!?」
「あの獣娘。やはり昨晩の言は偽りでしたわ。所詮、人間ですわ」
「…………」
「ついてきてくれるか?」
「もちろん!」
「兄さんがお戻りになるのなら……お答えを言わねばなりませんですわ?」
「…………」
アリスはいつもの無言。肯定と見ていいだろう。
故に、頼れる仲間に頼る。
「アリス、お前の従者でみんなを送れないか?」
「……わたし、何も、しない……」
「――そうだった!!」
大地に両手をついて絶望を感じるが、そんな暇はない。
手に着いた砂を払って『ロトリア村』への道を睨んでから一人喝采する。
「しゃあねぇ。行くぞ!!」
「ツルギさん! 行きましょう!」
駆け出す男二人。
その背を残る三人の女性陣が見つめて、思考する。
「んー、兄さんの情熱は分かりますわ。でも……」
「アーちゃん」
カガミがアリスの手を握り締める。
退屈そうに、暇そうに、飽きたように、鼻を鳴らす。




