第二章33 『いちに、さん、し』
カガミ、アリス、シンシアの三人は朝食を済ませツルギたちが向かった『中央広場』へ足を運んだ。
小さな歩幅のゆったりとした歩みのアリス。アリスを挟んで少女に合わせるようにゆっくりと歩む。
「ね? 自分の足で歩くのやっぱり気持ちいいでしょー?」
「……だから、前も、歩いてた……」
「でも、すっごい前の話なんでしょ。こうやってお日様の暖かさを浴びて風を受けて、アーちゃんと歩けるの。私、すっごく幸せだよー?」
「…………」
「私もアリスさんとこうやって歩くことが出来て嬉しいです」
幾度となく両サイドの二人がアリスを茶化している。その言動にアリスは表情を変えずに口少なく否定的に返している。
だが、否定的にしても表情が変わらずとも、アリスが不快な気分になっていない様に見える。故に茶化すというのは少々語弊もあるのだろう。
ともあれ、そんなこんなでサチコ宅を発ってから数分後。向かう方向から人々の声が聞こえる。
規則正しく大勢の声が「いちに、さん、し」と感覚を開けて繰り返している。
直線の道の先に村人たちと思える人だかり。老若男女様々な層の人たちが同じ動作を合わせてしている。
身体を前に倒して、背を逸らして、両足を揃えて軽く跳ねる。
「あ、あれじゃないー?」
シンシアが頷いて「そうです」と肯定すると、カガミはアリスの手を強引に引きながら駆け出す。シンシアもその跡を追いかける。
人々は腕を振り脚を曲げ伸ばしている。
『中央広場』の中央付近の石畳になっている所がある。小さめの舞台のようになっているそこで、その中で唯一違った行動をする者が、人々の視線の先にいる。人々の動きを見送ってその者が人々に聞こえるように大声を上げる。
「深呼吸。吸って―。吐いてー。いちに、さん、し」
その者の動作が伝染するように人々も同じ動きをして呼吸を整える。
「よし、これにて終わり!」
満足げな表情で両手を天に伸ばすと喝采が上がって、人々の顔には無数の笑みが溢れる。
「――さん、最高でした!」
「俺の故郷の体操いいだろ? でもカール、ここの朝陽の体操もいいじゃねぇか!」
青年たちが話しをする中お構いなしに駆け寄る小さな影が五つ。
終わりの宣言を聞くと子供たちがその者に駆け寄っていく。両手にそれぞれ抱き付く少年。背中に飛び乗る少年。それを少し距離を取って笑う少女二人。
その者の下へは数人の大人の人々が歩み寄って、他の人たちは解散をするのか、それぞれ散り散りに帰路につく。
数人の人々が通り過ぎる時、シンシアへ「久しぶり」などの挨拶がかけられる。
人々の波を避けながらその者へ向かった。
もちろん、その者とは、
「ツルギのこきょーの体操楽しいな」
「だろ。バウン、ロトリア村の体操もいいもんだったぜ」
「ツルギの服ボロボロー」
「男の修羅道は過酷なんだよ。バレン、詳しくは聞くな」
「ツルギひょろひょろー」
「バルターそれ言うな。これでも鍛えてんだ、ほっとけ」
少年たちのそれぞれに早口になりながら返事を送る。
その光景を一歩距離を開けた少女らがこそこそと何かを話しながら見守る。
「人気者だね、ツルギ」
背を向けて子供たちと戯れるツルギ。
「人気ってか、どっちかっつーと舐められてる気しかしな――ッ」
纏わり付く子供たちごと振り返ると眼前に現れたカガミたちに言葉を失う。
それもそのはず。先刻の別れ際の一件があるのだから。故に眼前のカガミを前に言葉を繋ぐことが出来なかった。
「お姉さんツルギのあれってやつー?」
「あれだろあれ、えーっと」
「愛人だよ愛人。オトナな関係ってやつ!」
「アイジッ!?」
「ちがッ!」
纏わり付く少年たちがケタケタと笑い二人の顔の紅潮するところを見るとそれぞれが小馬鹿にする。
その少年たちを引っ張りツルギから離させる少女二人。
「もう、そんなこと言っちゃダメだよみんな。ツルギ……さんも、お姉さんも困っちゃうじゃない」
「そ、そうよ! ……でも、オトナの関係……気になります」
「だからサチが言ってたじゃない。オトナの関係じゃなくて、幼馴染なんだってばー」
「そうなの。でもゆくゆくは、オトナの関係になる二人なの」
「おい、サチコ。変なこと吹き込むなよ」
「そ、そうだよー! まだまだそこまで考えるの早いもん。……でも、伴侶だし」
にへへ。と笑みを浮かべる姿を背を向けることで周囲に見せないカガミだが、ツルギは既視感を感じる。
「ゆくゆくは、ってことなんだから。まだそうなってないってことでしょ。だからまだただの幼馴染ってことだよ。お姉さんも困っちゃってるじゃない。ね? お姉さん?」
「え、あ、私はそこまで気にしてないから大丈夫だよー」
「ね、お姉さん?」
可愛らしい無垢な笑顔を向ける長く伸ばす髪、クリーム色、黄白色の髪を付け根で結んだ少女。
グレーテルの紫苑色よりも遥かに薄い紫色の双眸が微笑みかける。
「ミアちゃんったら……本当にお姉さんが困っちゃうよ……」
「うるさいコニー。あたしがお姉さんと話ししてるんだから」
「う、うぅ……」
コニー、赤みがかった黒色の短めの髪の少女は、ミアと呼ばれる少女よりも年下に見える。
年下に涙を浮かばされて観念したように自暴したように少し叫んだ。
「あー! もう分かったって。でもお姉さん、幼馴染なだけのお姉さん。ツルギ……さん、のことどう思ってるんですか!?」
「私がどう思ってるとかあまり関係ないんじゃないかなー。だって、ミアちゃんはツルギのことどう思ってるのー?」
屈み込んでミアより目線を下にする。
カガミの問いには返事はない。だが、先刻までの勢いが失速し胸元で拳をきゅっと握り締める。
「ツルギさんじゃなくて、ツルギって呼び捨てでいいと思うよ。まぁ、ミアちゃんがそう呼びたいんだったら、だけどねー」
ミアは口元で「つ、る、ぎ」と区切りながら囁いて頷く。
今のは少し意地悪だった。と心中で少しの反省をする。そして、今しがたのやり取りを当の本人であるツルギが少年たちとの戯れで聞くことをしていなかった安堵を溢す。
ミアが少しだけ距離が離れてしまったツルギに歩み寄ろうと一歩を踏み入れた。
その眼前を横切る人影。恰好は村人たちと大差ない。だが、その瞳は輝きを失い。乾いた双眸で踏み入れた少女を流し目で見る。
睨むでもないが、例えるのなら蔑む視線だ。
「――ませガキ。色惚けしちゃって」
威圧感を発するのは女の子だ。年はカガミと変わらないくらいか。
ミアは歩みを停止させて怯えている様にも見えた。少女が横切った瞬間にカガミは勝手に体が動いてしまう。
肩を強引に掴み相手の歩みが止まる。
「ちょっと」
「あぁん?」
振り返るその威圧は、暗い青色の前髪が上げられ大人の雰囲気を滲ませる。
少女がカガミの手を振り叩く。
「恋する乙女に、色惚けはないんじゃないかなー」
「ふん。媚びるしか能がねぇやつは言うことが違うねぇー。なんだっけか。あ、そうそう。ただの、幼馴染さんだっけかぁ」
「うふふふふ」
今にも沸騰爆発しかねないカガミの不敵な笑み。対称的に酷く落ち着いた瞳の少女。
その冷酷さから過半数の人は恐れ怯え震え出すことだろう。それほど眼力が冷え切っている。
二人の視線の間に火花が飛び散り合う。
周囲はその二人に近付くことも声を掛けることも、割り込むといった行為が出来ない。虎同士の睨み合いが数秒続いた後、少女が片手を拳にして素早くカガミの顔目掛けて放つ。
文字通り――カガミの眼前まで俊敏な拳が迫った刹那に紙一重の隙間を細めの指の小さくはない掌が割り込み、少女の拳を止める。
カガミは瞬きをする暇もなかったのか、瞬き一つせずにその一瞬を見届けた。
「――何があったか分からねぇけど、暴力で解決はよくねぇと思うぜ? こっちの連れが悪さしたなら謝るけど。そこら辺お姉さん的にどうよ」
「――――」
カガミを睨み付けていた瞳は少し横へずれて割り込んだ一人の少年に変わる。
睨まれる少年が今、どんな表情で対面しているのか見ることは出来ない。だがカガミは一つ言える。きっと男らしくカッコいい主人公っぽい顔をしているのだと。
時間の硬直さえ思える時間は少女の舌打ちで幕を引く。
「……チッ」
力のこもった拳が引き下がるとツルギもまた抑制を解除させる。
少女が背を向けて一言を置き去りにしてその場を立ち去った。
「他所の輩が調子乗ってんじゃねぇー。あと、突っかかるならその不細工な顔をどうにかしてからにしろよ。張り合いも何もねぇー」
カガミは前に回り込んでツルギの安否を確認する。
だが、ツルギの顔は、くしゃみと嗚咽を極限まで堪えている表情をしていて、カガミの想像していた主人公の顔とはかけ離れていた。
「――ブワックション!!」
風船が割れた音よりも大きな破裂音を不細工な顔が解き放った。
† † † † † † † † † † † †
『――ユルセナイ』
侵蝕する黒が脳内で一つの感情を押し向けてくる。
† † † † † † † † † † † †
ブラックアウトした視界を頭を振ることで引き戻す。気怠い身体の姿勢を正せば可憐な声が鼓膜を震わせる。
「ツルギ! だいじょうぶ?」
「おう。このくらい日常茶飯事、ぴんぴんしてるぜ。ところで君は、えっと」
触れないようにしながらも全力で心配をしていたのだろう。屈み込んで上目遣いで眉を八の字にしている幼い少女。クリーム色、黄白色の長い髪が後ろで一つに括られている。
その長い尻尾髪を一周くるりと躍らせると全身を使って自己紹介。
「あたしはミア。ミア・クリスチャン・アンデルセン。この間十一歳になったの」
「そうかミア。心配してくれてありがとうな」
「えへへ~」
少女らしい無邪気な笑みを浮かべるミア。頭を撫でてやりたい気持ちが渦巻くが『ステップ・ワン』に達してしまったこともあり思い通りにいかない辺りが悔やまれる。『ステップ・スリー』の意識喪失まで片足を踏み入れていたと感じたが気怠さはなくなっている。
ともあれ、広場にはまだ先刻の少女が姿を残す。意識喪失というには一瞬だった。
「あの人はカーナ。前まではあんなじゃなかったんだけど……」
「ミアちゃん!」
もう一人の少女コニーが叫ぶと、ミアは身体を跳ねさせて目を回す。
「あ! えーっと、ツルギ。今のは……」
「なんでか知らねぇけど、分かったよ。聞かなかったことにしとく」
胸を撫で下ろすミア。
この村の他言してはならない掟などなのだろう。『禁忌の兄妹』や『大罪の担い手』を知ったツルギにしても極力ことを荒げることはしたくないのが心情。だが、カーナの件は同い年特有の思春期なのだと本能的に分かった。
思春期には思春期なりに一人での時間が解決してくれることが多い。故に、そこまで気にすることでもない。
「おい! お前たちじゃあな!」
先刻戯れていた少年ら三人が無邪気な笑みと別れの言葉を適当に届けるのを見届けると少年らはどこかに駆け出して行った。
「ミアと、そっちの子は」
「コニーちゃん。ねー?」
「う、うん」
「なるほど、ミアとコニーもまたな。そろそろ出ないといけねぇんだ」
「うん、お気を付けてください」
「おう。ありがとなコニー」
少し照れているコニーの横でこの世の絶望を表情に浮かばせるミア。
「ミア、じゃあな」
「――――」
返事はないのだがいつまでも長居は出来ない。
「村の出口まで送りますよ。サチコちゃんも村の人たちに捕まっていますし」
「人気者だよな、サチコ。……シンシアよろしく頼むわ」
「ええ、承りました」
一泊の『ロトリア村』は朝陽の体操とラジオ体操を幕引きにいずれの再来を願ってツルギ一行は村の出入り口、『アリスメル村』の逆側へ向かう。
その背中に声を投げかける少女は初めての恋を噛み締めて涙を拭って、声を震わせないように拳を握りしめる。
「――またね! 気を付けてね! またね!」
ツルギ一行から返事はない。
だが、天を突くように伸びる腕。拳がツルギの全ての意志を物語っていた。




