第二章26 『もう一つの見送り』
――村から発ったあの瞬間の喝采は地響きをも思わせる。
彼ら、ツルギ一行が『アリスメル村』を発った後、村人の胸の高鳴りは治まるには時間が必要だった。
「酷いことも言ったのに、ツルギさんは……実に男の中の男!」
「ツルギさんが思う彼女のことを私たち住民は酷いことをしてしまったわ」
「そうだ。俺たちは最悪なことをしちまった。償っても償えるものじゃない」
「次……帰ってきたら村人総出でおもてなそう、みんな!」
「あったりまえだ! 今、あの子は誰のために苦難に向かおうとしている」
「もちろん自身のため、それ以上に」
「我々『アリスメル村』の住民のために」
「みんな! ひとまず帰ってきたら『アリスメル村』のおもてなしの心髄を、最高の食事で迎えよう。そして……」
一人の短髪の青年が数十人の村人をまとめ上げて次の機会に備えて作戦会議を始めた。
先日……否、今日と言う日の以前までの日々。それらの日々の村人の眼は怯え恐怖し悪者へ向ける眼をしていた。だが、今の瞳は違う。それが本来の『アリスメル村』の住民の瞳なのだと分かる。
それは幼き頃、物心つく頃からずっとこの村で過ごしてきたシンシアにはよく分かった。
村人は皆優しく他の村からや旅人、王国からの追放人も拒むことなく温かく受け入れていた。純血の人間も、混血のハーフも、人ならざる亜人も、受け入れていた。
だが、そこには例外がいつくか存在していた。幼き頃から成人になるまでに村人の掟として周知させられる事柄。それは口にすることもなく、教えを授けるのは親だけであった。住民は家族同様ではあるがその住民の掟だけはそうではなかった。
それは『村の掟』ではなく『住民の掟』であるがためだ。村長であるアガレスが村人に掟を酷使させることは人としての人権を破棄させることに変わりないと、人権を尊重するが故に出来てしまった掟だ。
人には恐れるものがある。
自身よりも大いなる力を持つ者。自身または集団としても敵対した時の多数の力。そして、自身らと違う者。
大いなる力とは、『大罪の担い手』である。
多数の力とは、『王国』である。
自身らと違う者とは、人ならざる者ではない。亜人でもなく、混血のハーフでもない。恐れの対象のそれが舞い降り、それが知れ渡ったのは暫し昔のことになる。噂話の類の事柄であるが、それが故に人々は怯えるのだ。不確かな存在、自身らと違う考えを持つことへの恐怖、不安、危惧、それらの負の感覚は確かな存在にならない限り払拭することは叶わない。
節制の森のどこかに存在する『隠れ家』に住まう兄妹。禁忌に触れた二人を人々は『禁忌の兄妹』として遠ざける。これは本人らも承知していた。だが、禁忌なことが重大だったわけではない。兄妹が人だったのなら既に老成しきっている。
だが、老成することがないのは禁忌に触れた兄妹がその罪を償うと決したその時に授かった『暴食』としての担いが真意。幾度の年月を隔ててもその身に衰弱の兆しも老成も見えないことが語った。
それが故に、兄妹は『禁忌の兄妹』として節制の森に隔離を望んだ。
エドアルト王国の非道は今や貧民街もこの村も王国内部にすら通っている真実だ。だが兵士は王国に仕え、単体の力は軍団の武力に平伏される。
村人が王国へ向かうことに難があるのはこの二つが原因。この世界にいる七人の『大罪の担い手』その見極めは極めて難しいが、年月と担い手の持つ能力がきっかけで見つかることは必至。
そして、不確かな存在。それが先の喝采以前の、アテラへ対する感情の矛先である。
アテラと出会ったのはシンシアが一五、この世界の成人を向かえる前日であった。
衰弱の激しいアテラは節制の森の逆側の森から姿を現した。
シンシアはアテラを家へ迎え入れた。そして看病をし深く事情を聞いた。その頃から一人暮らしだったシンシアは空き部屋をアテラの部屋として住まわせると決めた。
だが、その事情を盗み聞きしていた村人が一夜にして『アリスメル村』へ広めた。
それは罰せることではないと、アテラは言い一時は村を出るとは言っていたが懸命な説得で在住を継続してくれてから十年。
二十五になったシンシアは村人から恐怖と怯えと不安を聞くのは幾度もあった。この十年が教えてくれた村人たちの負の感情が一人の少年の旅立ちをきっかけにこうも容易く変えられた。
この十年の懸命な説得はアテラ一人に対してではない。もちろん村人たちにもし続けていた。だが、不確かな存在への恐怖は拭い切れなかった。
二神のいない世界の恐怖は世間知らずのシンシアですら分かっている。
だからこそ、神に縋らず人と人と亜人とが手を取り合い作る確かな信頼を大切にしていかなくてはならない。それはアテラも同じだ。ということに村人たちは、ツルギの旅立ちで思い知らしめられたのかもしれない。
『王国とか貧民街とかよく分かんねぇ』
『……ぶっちゃけこの村そんな好きじゃねぇんだ』
異邦人の彼は、この世界とは関係なく、王国も貧民街も知らず、この村さえ好きではない。そう言った。
だが、
『俺はぶっちゃけ嫌いだよ。だけど、それでも……大好きになりたい』
その言葉を聞いてしまったからなのか。異邦人の少年が懸命になっているだからなのか。
それでも分かったのだろう。その言葉の意味が。言葉の途切れた隙間にある意味が心を通して聞こえたのだろう。
『それでも、アテラが好きな村を、大好きになりたい』
――そう、聞こえてしまったのだろう。村人も村長も、そして、私も。
村人の恐怖する存在はその時割れた。新たにお客人として迎え入れようと決心がついたのだ。
今の村人の瞳は輝き未来に向かって闘志を燃やす。苦難を抜け切り帰った彼と彼女に最大のおかえりを言うために作戦会議に奮闘している。
シンシアもその輪に入るべく歩みを寄せた刹那に割り込まれる。
白髪の老人、白髭を弄りながら猫背の腰を優しく叩く老人。
「アガ爺さん?」
「ぬぅ。シンシアよ。頼みがあるのじゃがのぉ……」
いつもに増して謙虚な姿の態度を見せるアガレスに首を傾けて無言で言葉の続きを待つ。
「言い辛いのじゃがのぉ……」
「はい?」
咳払いを無理にして間を一度開けると言葉を綴った。
「ツルギらを見守ろおてくれぬかのぉ?」
「へ?」
「じゃから、ゴホン。ツルギらを見守ろおてはくれぬかのぉ?」
「ほ?」
「ツルギらを見守ろおてくれぬかのぉ?」
「だからなんでですか?」
「ゴホン。それはのぉ……」
ようやく本題へ帰還しアガレスは語り始めようと白髭を弄っていた手を杖に支えさせて口を割った。
「アリスへ言伝をしてはあるのじゃが、ちょいと不安要素が拭い切れのぉてな。それもアリスはあの性質な分、考えが鋭くてもぉ行動せんことには意味をなさのぉて」
「簡潔につまり、アリスへの頼みごとが不安だからお爺ちゃん的にアリスを見守ってってことですか?」
「ほぅ。そうゆうことじゃな」
感心するように白髭を集束させる。
「ツルギもこの地は未知であろうて、あとのぉ。先の召喚の際のツルギの言い分もあろう。故に節制の森は安息とはいかのぉて。じゃが、節制の森を抜け『ロトリア村』から先は苦難はないはずじゃ。主も知る『禁忌の兄妹』じゃ。あの子らの隠れ家を抜ければ安堵出来るのじゃがのぉ。しかし王国へ辿り着いとぉも、アリスへの真意の言伝、王国議会じゃがそれは、むぅ。どうも心配な症が抜ける間がなこうよ。ぬあ、隠れ家を抜け『ロトリア村』まで行くに半日かかろうて、主は一泊あちらの村に泊り戻るようにのぉ。主の結界魔法はこの村には必須。今や老成した村長に無口老婆、村の有力者は不在、故に主が一筋の鉄壁かのぉ。ぬあ、じゃがアリスのことじゃ、釘は刺せど念は押せぬがアリス。わしの言伝はどうなろうか、しかし――」
「ああー! なーがーいーでーすーよ。分かりました分かりましたよ。私は一先ず、隠れ家での安否を確認し手出し不要なら『ロトリア村』へ向かいます。そして一泊させてもらいます。その時にアリスへの念押しします。だめなようでしたらツルギくんか、しっかり者のカガミちゃんにそれとなく伝えておきますよ」
一挙に上げられた危惧を丸く収めて溜息を一つ溢して、村人たちの喝采に一度目を向ける。
不安な表情と怯えた表情と怨みを持った感情が流された清々しい闘志の燃える瞳ら。
不確かな存在であった彼女という絶対的な存在が、確かな『愛』の証であると証明を受けさせた少年。
彼の行く道は安息にはならない。この村の人々の心の根っ子が優しさであったからこそ受け入れられたのだ。
村人の過去を知るシンシアだからこそ分かる真実。彼女の存在を聞かされたからこそ分かる世界の真実。
彼女の行く先はこの村の一部の過去と相違ない。寧ろ難儀な事象だと明白。
その彼女を追い、支えようと立ち上がった少年は全ての真実を知った時何を想い何を救おうとするのだろうか。
その答えを目の当たりにすることが出来ないことは少しばかり残念であるが、そこは胸を張って言い切れる。
――ツルギくんの選択はアテラちゃんの幸福。ですものね。
少年は一人の絶対的存在を前に何を口にして何を願い何を行うのか、それはかつての召喚と今回の忘却後の召喚であっても変わることのない彼の心意なのだ。
だから、信じて自身に出来ることをするだけだ。と、シンシアは活気に溢れる村に背を向けた。時は満ちたと言わんばかりにアガレスがシンシアの背に向けて声を掛ける。
「ツルギのこと、カガミのこと、アリスのことを頼んだのぉ。特にアリスのことを」
「過保護ですものね。任せてください。明日の夕方には戻ると思います」
「主も道中気を付けるのじゃぞ。なんせこの間のこともあろうて」
「分かってますよ。では、いってきますね」
当事者であるシンシア。確かにこの目で見た赤目の魔獣。あの一件は未解決である。
結界を無効化させた犯人も魔獣の存在も今となっても解決の糸口はない。
アガレスの不安も村人の祈願も世界の不況も、シンシアの懇願も全てを背負うことになってしまった少年が安息な道になるように。
シンシアはツルギ一行を少しの駆け足で追い駆ける。
その背を一人の老人が見つめながら声を漏らす。
「気を付けてのぉ」




