第二章23 『石碑』
ヘンゼルとグレーテルの隠れ家を後にしたツルギ一行。
深緑に囲まれてる中、ほんのり優しい温かさを贈りつける太陽の陽射しは深緑に阻まれながら木漏れ日を抜けて数えることも未知数な光が地面に幹にツルギたちに射し込む。涼風が徒歩と同じくらいの速度で共に進む。
「まぁーったくぅ。ハラハラしたと思えば妹ゲットなんてツルギも隅に置けないなぁー」
「兄さんは隅に置いておくような小さな方ではありませんわ。あなたは先程もそうでしたが何を仰ってるのですわ。寝ながら歩くなんて器用な真似、わたくしには到底出来ませんわ。それにしたくもありませんわ」
「大小の問題じゃねぇぞグレーテル。それに俺もそんなこんなでこんなことになるのは想定外すぎてなんて返していいか分からん」
「しかもしかも超ブラコンときたぁもんだ。異世界ハーレムも夢じゃないんじゃないかなぁー?」
「ぶらこ……? なんなんですの?」
「ブラコンって言って、男兄弟がだぁーいすきなことだよー」
「――! わたくしブラコンですわ! 兄さん、わたくしブラコンなのですわ!」
「せいせい、分かったからちょいと離れてくれ。朦朧としてきた……」
新しい称号を手に入れたグレーテルは感極まり、兄となっているツルギの言い付けである「極力接触をしないこと」を約束してから数時間後破ってしまう。
ツルギの左腕に全身で抱きつくグレーテルがハッと我に返りその柔肌を剥がしてしまう。
「――これはこれは、兄さんご無事ですか!? わたくしとしたことが兄さんにお辛い思いをさせてしまいましたわ……」
「大丈夫。この数日で耐性付いたのか多少なら耐え……」
少女の細い腕と少し低い体温の冷たさと成熟した果実の柔らかさを堪能し切れない後悔が否めない。などと考えていれば罰か罪か、耐えがたい込み上げが食道を征服する。
その瞬間に悟った。まずいと。瞬時にその身を近場の木の根元に投じて、
逆流。
酷い嗚咽と胃液を少々流して、親指を立てて誇らしげに笑みを浮かべた。
「耐えられるようになったから大丈夫だぜ」
「……みじめ……」
「数時間ぶりに発した言葉がそれってどうよ、その辺お嬢さん的に読者的にもいいとは言えねぇぜ」
と、相変わらずなアリスに対してツルギはしっかりと異世界召喚物のお約束のメタ発言を溢しながら、口元から胃液を垂らす。
「申し訳ありませんですわ。兄さんの体質がこんなことになってしまって……わたくしどうしたら!」
「ほんとにねー。でも触れれないからこそ言葉と態度で……気持ちで触れようって必死になれるからグーちゃんもより一層がんばれるよ!」
大袈裟にうなだれるグレーテルの背中を優しく擦ってガッツポーズを見せるカガミ。その励ましに対してキラキラと瞳を輝かすグレーテルがカガミを見つめる。
「――そんなことあなたに言われなくても分かっていますわ。兄さんに近寄る猫娘めっ!」
「私そんなつもりじゃないのにー」
擦る手を払われたカガミは瞳を細めて悲壮な表情を見せる。しゅんと落ち込みその姿はまさしく求愛を断られた猫に見える。
「まあカガミも悪気はねぇんだからグレーテルもそんな悪態つけんなって。旅仲間なんだ、仲良く行こうぜ」
「兄さんがそう仰るのですのなら。……愛猫程度には仲良くしてあげてもいいですわ」
「ほんとに! やったー。にゃにゃあ」
「はいはいよしよし。このまま兄さんに近付かせずわたくしが塞き止めますわ。ふふ」
大袈裟に……本人は感情のままに行動しているのだろうが、第三者から見たら大袈裟なのだ。大袈裟に茶色がかった髪を揺らしてカガミは双方に流れる紫苑色の髪を宙に浮かせて抱きつくと、グレーテルは嫌そうな表情を浮かべながら左手で頭部を、右手で顎下を撫でる。その表情はどこか嬉しそうにも見える。
そんな女の子二人の戯れを眺めていればふっと声が無意識に漏れる。
「いやぁ。ゆりゆり、いいねぇ。百合って素晴らしいよマジで」
心の底からの微笑みを向けて女の子同士の戯れに夢中になっていれば、ツルギから二歩程離れた位置で宙に座っているウェーブのかかった金髪少女が半眼を横目で向ける。
「……気持ちが悪い……」
「その気持ちが悪いって言い方どうにかならねぇ? まだキモイとかキモ。の方が受け取りやすいわ」
その返答はなく宙に座ったままゆったりと上下に浮遊して進行していった。
いつも通りと化したアリスの反応に無意識に癒しを求め眼前の少女たちの続く戯れを眺めて、ふっと思う。
――カガミは元々猫っぽい節あるけど、実際はグレーテルは犬なわけだ。
構図的に逆ではないかと思うのと同時に、犬が猫を愛でる構図も脳裏に過ぎり笑みが溢れた。
「……なじられて喜ぶ変態……」
「喜んでねぇよ! アリスの発言に対してじゃねぇよ! カガミとグレーテルだよ!」
先行くアリスが横目で冷酷な眼差しを送りつけながら、
「……気持ちが悪い……」
その罵倒を置き去りに先陣するアリス。背後の二人が大声と共に背中に寄り添った。
「呼んだツルギー?」
「お呼びになりましたか?」
刹那の一瞬で込み上げるものがある。それはもちろん。
「ちょっと猫娘。兄さんに気安く触るなですわ」
「猫娘……もいいけど、私はカガミ! ツルギの幼馴染なんだから少しくらいいいんだもん」
「猫娘は猫娘ですわ。それより兄さん?」
その直後、喉を這い回る感覚が大きなくしゃみとして静寂だった森に響いた。
真実はくしゃみとともに森に溶け込んだ。
† † † † † † † † † † † †
先行くアリスが舗装された水分の含まれない道が少し曲がりくねったところを過ぎた所でツルギたちが追いつくと、ツルギ一行を出迎えたのは見覚えのある『石碑』だ。
「あ、これって」
ふっと声を漏らして立ち止まると一同もそれに同調して進行を一旦止める。
記憶にある石碑。前回の召喚でたまたま遭遇した石碑である。禍々しい者と思っていた者から生を守るために必死に逃げ走った先に月光に晒されながら鎮座していた石碑である。
「あんときの石碑か。なんつーか、懐かしいな」
「これ知ってるのー?」
「んや、見たことある程度で何かは分からねぇよ。アリスとグレーテルは何か知ってるか?」
「わたくしは兄さん以外興味ありませんわ」
何食わぬ顔で平然と口にするグレーテルに苦笑で返して逆側で宙に座る少女に視線を送ると、またしても無視か。とツルギが思った矢先にアリスの薄い唇が開かれた。
「……これ、英雄の、墓……」
「英雄の墓、か」
未だこの世界の伝承などを知らないツルギはその英雄が何を成し遂げた人物なのか、どれ程の力を持っていたのかも分かり得ない。
このような森の一角に居座るのだ。大変素晴らしき英雄なのだろう。場所はともあれ、周辺と言い、人の手が入っているところを見れば少なからず英雄の存在が忘却の彼方に逝っていないことが分かる。
伝承として唯一知っているのは、この世界の『二人の神様』のことである。それを除けばエドアルトの非道とアガレスの辛労もあるが例外ではある。
「この世界の英雄伝とか聞いてみてぇな」
「わたくしは存じないですわ。兄さん以外興味ありませんわ」
「知ってた。アリスは――」
「…………」
口を噤む彼女が意味示すものは、その行為に対して労力を割きたくないか、ただただ面倒であるが故。どちらにしろ怠慢なのであることに変わりないが。
「まあ、英雄伝とか、伝説とか言い伝えとか気になるっちゃあなるし、また機会あったら誰かに聞くさ」
石碑に彫られている解読の出来ない文字を眺めながら、かつての英雄の姿を想像する。
きっとガタイも良く大らかで誰にでも優しく、人々から慕われた。そんな人物だったら、と。
そんなことを考えていればどこからともなく低い音の唸りが静寂を破る。
それは間違えようのない空腹の虫の囀り。
辺りを見渡せば、いつも通り半眼で済ました少女のアリスは至って無表情。平然な立ち振る舞いで双方に分かれた髪の右束をさっと翻す少女のグレーテルは丸い瞳でツルギと見つめている。
残るカガミに視線を送ると、顔を、耳まで赤らめて遠慮がちに手を顔の前に広げてハニカム。
「えっと。私だったりしまぁーす……」
可愛らしい表情と仕草を見届けて再び石碑に視線を戻してから返す。
「そうだな。そろそらあ、昼飯の時間だしな」
なんてフォローを差し置いて、紅潮した少女に整った胸を張る紫苑髪の少女と、宙に座る金髪の少女が先んじてツルギの上をいくフォローを成していた。
「……生き物はお腹が空くから……」
「わたくしは少し特殊ですわ。お腹が空いてしまうのは当然ですわ」
「うぅー……。二人ともありがとー」
そんなこんなで邪見にしていたグレーテルも愛猫としてなのか、カガミを徐々に受け入れつつあり。無表情で無関心と思われたアリスも同年代の少女に対しては何か思うのか、督励をするといった彼女らしくない節が見えた。否、それが本当のアリスという少女なのかもしれない。
そのことに、これからのことに、どこか安堵してシンシアから持たされた手荷物を探って目的の物を二つ取り出す。
「ほれ、シンシア特製の握り飯。歩きながらでも食えるからって。足疲れてるようならここで――」
「ううん。休憩は大丈夫。どれくらいかかるか分からないんだもん。ありがと、行こ」
ツルギから受け取り感謝をすると受け取った握り飯を二つ、グレーテルとアリスに一先ず渡してから、握り拳を掲げて笑みを弾けさせる。
「ゴーゴー!」
「はむはむはむ。お世辞一つ、美味ですわ」
「……あむ……んむんむ……」
少女には少しばかり大きめの握り飯を頬張る少女は二人先陣して石碑の前を後にした。
残った二人の異邦人は少女二人の背中を見つめてから『石碑』に再び視線を送り合う。
「これって、ツルギ」
「ああ。日本語だ」
『石碑』に彫られている文字は二人の異邦人の故郷の言語で彫られていた。
だが、
「でも、読めない……ウァサゴさんの言語の譲渡で分からなくなったのかなー」
「多分な。こっちの文字は読めるようになってる気がするし」
彫られた文字が日本語であることを理解しても意味を、読み方を理解出来ないもどかしさが悔やまれる。英雄と呼ばれた人物がツルギたちの元いた世界の出身である事実に心躍る部分もある。それこそラノベやゲーム、アニメの世界の話であったが故だ。
「まあ今となっちゃあ読めねぇんだ。考えても仕方ねぇし、二人に置いてかれるし、行こうぜ。ほいおにぎり」
「うん、ありがとー」
そうまとめるとカガミは納得したように握り飯を頬張り笑みを浮かばせる。
「うんまぁーっ」
「弁当付いてるぞ」
「あれま。お恥ずかしい限り」
頬に付いた一つの米を指で探って小さな口に運んで上機嫌気味に二人の少女の後を追いかけて行った。
残されたツルギも自分の握り飯を取り出して一口運ぶ。
「――こんなに綺麗にしてあったっけか?」
その言葉を置き去りに三人とマイペースな歩幅で追う。
『石碑』は、ツルギの見たあの日あの夜の、苔に張り付いた石碑でなくなって苔が綺麗に取られ先日に掃除をされた。それほどまでに見違えていた。
あの夜は変な宗教に紛れてしまった焦燥感もあり、月光だけが頼りだったこともあって明白にはならない『石碑』。
だが、あの夜の出来事を忘却から返却したツルギがその記憶を甦り間違えることがあるのか、と。一人疑心暗鬼になりながら、シンシア特製握り飯を呑み込むと同時にその危惧も呑み込む。