第一章24 『神に誓って』
揺れる身体。ゆったりゆったりと揺れる。柔らかい感触が腹部から胸元まで覆われ太股に添えられた温かな支え。頬を霞める静かな風。暗い暗い瞼の先に徐々にはっきり明かりが射してくる。遠くから鼓膜に入る声。
「俺は反対だった」
「やっぱりこうなる」
「可哀想に」
「とっとと追い出していれば」
反発的な言葉や非難と思える言葉、悲観している言葉が投げかけられる。それは誰に吐かれた言葉なのかどういった経緯があるのかも朦朧とする意識の中分からない。ただ一つその言葉の矛先はツルギを中心に吐かれていると分かった。
――俺が何したってんだ。
「……むぅ。みなの思いは分かろう、じゃが」
「アガ爺、大丈夫。明日にはアリスメル村を出るのは変わらないから。だから」
「アテラよ、何の助力も出来のぉわしをどうか許しておくれ」
それ以上の会話は二人の中にない。揺れる身体が支えられた温かさが先刻よりもどこか急ぎ足で、その温かい温もりは温かいのに冷たくて、
――俺は、やっぱり馬鹿だ。
人々の投げかけが自身への罵声ではないとすぐに察しが付いただろう。この村の人々の家への訪問の時でさえ分かれたことだ。否、分かっていたのだろう。でもその現実は受け入れたくないと目を背けていた。それに、集会の時でさえ気が付けただろう。村の人々の視線は彼女に一目せずに、声がかかることもせずに、すぐさまにその場から去ろうとしていた。
彼女がこの村から王国へ向かわせられた真意が集会での話とアテラ自身の目的もある。だが村の人々の心意は留めることのない感情はつまり、彼女への非難。故に合理的な彼女が選ばれたのだ。
村明かりは瞼を射していたが聞き覚えのある女性の声とその後に続けて戸の閉まる音が鳴る。
「アテラちゃん、おかえりなさい」
朧な意識はその重要な事柄を伝え終え役目を果たしたように意識の糸は切れ、再び現世と離れていく。
† † † † † † † † † † † †
どれ程の時間が経ったのか分からない。一つ言えることは空から見下ろしていた月が窓の先に見えることはなく、暗がりの夜空が幾層もの星々が彩り、今は夜と伝えるだけだった。
その部屋は二度目で時間はそれほど経ってはいないはずなのに遥か昔のように懐かしく、あの平穏に近い感情とはまた違っていた。空気は静かで外から侵入する音は無く、星々が煌く何も変わらないあの時間に近い時間。だが、人間と言う生き物は感情が移入すれば同じ場景が嬉しければ終わらないでほしいと祈り、怒れば気が済むまで壊し従わせ、悲しければ颯爽と過ぎ去れと願い、自身の感情の楽な方へと事が運ばせようとさせ故に、場景すら情景に変える。
だからだろう。その空気はこれからの異世界の期待に胸躍らせ、新たに人生を立て直そうとさせたあの時間と違い、この異世界への恐怖心によってこの先の未来への不安によってこの時間は有限であるが故に過ぎ去って欲しいと願い、終わって欲しいと祈る。リセットさせようとした未来を再び立て直しあの世界に戻りたいと思ってしまう。
窓辺に向けた双眸を逆側に向けると初めて逢ったあの可愛らしい凛々しい大人びたように見える彼女が椅子に腰を下ろして真紅の双眸を半眼にして視線を落としている。
「……アテラ」
口から独り出に零れた言葉に彼女はビクリと体を反応させてさらに視線を落とす。双眸は前髪で隠れ、そっとスカートの上に置いたツルギの袴を両手で握り体の芯を硬直させる。
再び彼女の名を口にして彼女の頬に掌を差し伸べようと伸ばすが、彼女はそれが分かると視線を少年の足元へ移動させて拒否する。
その行為はツルギに対する拒絶ではなく、人々が自身へ対する拒絶に対する恐怖心に近いものだと思う。だが、胸をきりきりと締める痛みは言葉にし難い感情が渦巻くのを感じ、
「服、直してくれてたのか?」
その言葉に首を少しコクリとさせるのを確認して続ける。
「アテラ、そのぉ、えっとな。なんつーかあのさ」
その戸惑ったあやふやな言葉の繋ぎを断ち切らせるように彼女は俯いたまま声を吐く。
「ごめんなさい」
その唐突な謝罪にツルギは言葉を声を息すら吐くことを忘れる。
「私ツルギに黙っていたの。私は、私はねツルギ。私は」
その躊躇する繰り返しにツルギは鮮明に先刻の村人たちの投げかけを思い出す。ただの非難の言葉の他に聞きたくない言葉があった。それらを踏まえても彼女は躊躇するのは必至。謝罪の意味は分からなくても彼女自身にその先を言わせたくない。そう思ってツルギは言葉を繋ぐ。
「あのさ、アテラ。俺はこの世界で産まれたわけでもねぇ、村に滞在してるのも一日。ってかこの世界に来て時間はそんな経っちゃいねぇ。なんつーか」
言葉を切らしてはいけないと分かっている。だが切れてしまう自身の愚かさが疎ましい。言いたいことも伝えたいことも分からないのに口だけが言葉だけが先走り支離滅裂と分かっても続けさせようと発してしまう。それらを振り返れば自身の伝えるべきことと違うと分かり口を紡いで数秒の空白を開けて、
「……あー! なに言ってんのか自分でも分からなくなってきた!」
自身への怒声を吐き出せば彼女は再びビクリと肩を一度震わせ身を縮こませていれば、ツルギは俯く彼女の頬を両側から掌で持ち上げて、真紅の双眸を見つめる。
彼女の瞳はきょろきょろと少年の一心の双眸を見ては目を逸らし見ては逸らすの繰り返し。
「アテラよく聞いてほしい」
意外と大きな掌、見た目通りの細い指に支えられ強制的にツルギに視線を送らせられる。アテラが一つ小さく頷くと、
「俺は誰が何と言っても君を傍で支えたいと思う。君が苦しい思い悲しい思いをしていたらその原因を取り除いて、君は笑っていたら俺も笑って笑って泣くまで笑って、君が泣きたくなくて泣きそうになったら俺が代わりに気が済むまで泣こう。君が泣いていたら俺も泣こう」
アテラがふと優しく軽くそっと添えられた掌に触れて自身の膝に導き、自身の掌にツルギの手を乗せて置くようにする。その行き先に視線を送っていれば、一滴二滴と雫が降ってくる。
「ほんとお馬鹿」
「おいおい、馬鹿なのは分かってるけどこの状況で言うことかよ、カルチャーショックだぜ」
「うふふ、ほんとお馬鹿。ツルギって泣き虫なの? 泣きすぎじゃない?」
悲しげな表情は消え去ったように、微笑みと瞳から零れる雫が頬に伝っている。まだどこか悲しげな表情と無理矢理に作る微笑みを満面の笑みに変えたくてツルギは、
「あ、確かに。でも前言撤回」
彼女の掌に乗る手をそっと彼女の頬に近付け下顎から雫を掬うように拭う。左に右に拭いながら、
「男はそう簡単に泣かねぇもんだよな。だから俺は、アテラが涙を流すなら拭う。だから泣きたければ気が済むまで泣けばいいさ。何分何時間何日と時間が過ぎようとも俺は君の涙を拭うよ。俺は君に触れれる。だから」
「……なんだか言い方がいやらしい気がするけれど」
「言い方はあれだけど実際そうなんだ。俺は君以外に触れるとアレルギー反応が出るんだ。だからって言い訳にするわけでもねぇけど君の涙を拭って拭って拭ったら、笑顔にさせたい。繕った笑みじゃない、満面の笑みで笑ってほしいから」
拭いきるとアテラが再びそっと手を掛けて前向きに俯く。微笑みを浮かばせて俯く。
「ありがと、ツルギ。私ツルギを召喚出来てよかったって本当に思うの。でも」
「なんなら俺は、神に誓って。君を傍で支え続ける。全然強くもねぇけど、他の誰もが君の敵になろうとも俺だけは味方であり続ける。君の目的が果たせてもその先も君の味方であり続ける」
「かみ、に、ちかって……」
アテラは窓辺の先の星空をどこか懐かしげに眺め、
「……ツルギの世界の神様はどんな神様なの?」
「そうだなー、基本何にも関与しないでここぞって時でも助けてもくれないな。なんせ話せねぇし見えもしねぇしぶっちゃけ不公平にステータス割り振ってて適当だな」
「う、そんな神様なんだ」
「……そんな放任主義な神様でも、弱ってたりする人の拠り所になってるからおかしな話なんだけどな。でもそんな放任主義な神様でも俺は誓わずにはいられないよ。君を傍で支えたい」
「……この世界の神様は二人いたの。男の神様と女の神様」
「二人ってことは見えたり?」
「うん。人前に姿を現すのは男の神様でたまに女の神様が国々に出向いては食物や富を豊かに繁栄させては人々に安らぎを与えていた。男の神様が表で人々に振る舞い、女の神様は裏で支えた。でも少し昔のある時、男の神様はこの世界を自身の思うがままにしようと守護半神の龍を喰らい、富や食物、木々、人々に至るまで衰退の一本を辿った」
「……女の神様は?」
躊躇しながらアテラは息の呑むと続けた。
「……狂ってしまった男の神様から逃れるために、この世界の国々、人々を見捨てて一人逃げ出したの」
知ったばかりの世界の知らない世界を再び知り言葉が喉で詰まりアテラが先に付け足す。
「だからツルギの世界の神様とは違って、この世界の神様は酷くて醜くて残酷で残虐で」
「んー、そうか?」
窓辺の先の瞬く星空にツルギも視線を送って、アテラはツルギの横顔を疑問符を浮かべて見つめて、
「酷くも醜くも残酷でも残虐でもないんじゃないか?」
「でも、この世界の神様は人々を見捨てて自身のために……」
「そもそも俺が思うに、初めから酷い神様なら富も食べ物も繁栄させないだろ。人々を好きで幸せを思うから自らが出向いて繁栄させてたんだろ?」
「それは……」
「そうゆうことだろ。なのに裏切ったとか見捨てたとか、そっちの方が酷いと思うぞ。あと、付け足すなら俺がいた世界の神様は放任主義っつったろ。そこまでお人好しの神様がちょっとサボって休憩してぐれたからって、ちょっと疲れてるだけなんだろうよ。なのにそんなこと思ったらその二人の神様が泣くぞ?」
白い歯をニヤリと出して笑みを彼女に向けて、
「あれ、でも神様って泣くのか? 感情あるんだし泣くこともあるよな」
唸り独り言を漏らし考えると、
涙を堪えるように再び無理矢理に笑みを作って、椅子を膝裏で押し返してツルギに抱きつき抱き寄せる。彼女の匂いが鼻先から肺まで浸透して心地よくなる。
「あると思う、泣くこと。そうだよね、ありがとツルギ」
「おう。って感謝されることあった? むしろアテラの考えを非難していたような」
「だから、神に誓ってくれたツルギだから」
一幕置くと優しい声と優しい香りと優しい感触が同時に襲う。
「神の加護がありますように――」
優しいそれらはその言葉が切れるとともに離れていく。
「かみのかご……?」
「この世界のおまじない。さ、私の使い魔さん」
「使い魔契約、か」
彼女は頷きもせずに少年の両手を優しく握って真紅の双眸を瞼で隠して、
「――汝、悠久の果て。現世の彼方。二つの世を紡ぎ、日向の円環に戻れ」
「さっきのとは違うんだ、な……」
その言葉たちに違和感を覚えて言葉が途切れかかり、
「――大罪の行使・暴食の追想――」
「なんだなんだ、まるでヘンゼルの真似……って」
少年は気付くには遅く気付いても回避出来ず全てが後戻りすることは出来ない。
朧になっていくこの世界の記憶。
少し青みのある薄い紫色の紫苑色一色の髪を持つ兄妹の名。顔。声。
目の前の彼女が何かを口にするが分かる言葉がない。
先刻の出来事であるはずの命がけの死闘すら、夢の中で見た夢のように儚く脆く消え忘れ、
彼女に手を伸ばしても届かず、声をかけても言葉が通じず、知るはずのない彼女の名を口にして少年は暗黒に呑み込まれる。
「――アテラ!」
その言葉は暗闇の深く奥底まで響くように、自身に反響して消えてその名すら忘れて、
少年は何も考えられず暗闇の中、一つの想いが伝わってくる。
『――また、逢えないの――』
† † † † † † † † † † † †
外からの陽の光が障子を伝って道場の中を照らしている。その光は艶やかな床に反射して本来の光の道筋を無視して四方八方に散りばっている。時間の感覚を無くしてしまいそうな空間。その中央で横たわり眠る下着姿の少年が一人。
――なんであんな恰好で!?
その切り取られた空間を一心に瞳に焼き付ける少女がそっと小さく呟く。
胸がキュッと締め付けられ頬は紅潮している。胸の高鳴りを急かすように落ち着かせるように手を胸元に置きながら彼女は想いを再認識する。
「……ってじゃなくて、つるぎー! そろそろ時間だよー」
目覚めを促す少女の甲高い声が夢から現実へと覚まさせる。
少年は、夢から覚める。
あとがきコーナー……と言いたいですが、今回は真面目に。
至らぬ点がありますが第一章完読していただきありがとうございます。
書き留め分が12話の時に投稿を初め、ペースも遅く追いつき初投稿から約2か月でようやくスタートラインに立てた気がします。
ともあれ、今後ともお付き合いご高覧くださいませ。
ツ「真面目ぶりやがって、そうは問屋が卸さねぇぞ」
ア「ほんとにね。最終話と言ってもどうせこの後に幕間とかあるんだから」
ツ「あのあのアテラさん。ネタバレはどうだろうか」
ア「そもそもこのお話を投稿日に見てくれる人がこの世界に何人いると思っているの?」
ツ「う……」
ア「あとネタバレって程でもないのだからツルギがその辺り心配することでもないのだけれど」
ツ「そ、それよりさ。裏話的なこと話した方がいいんじゃねぇか?」
ア「裏話……。と言ってもまずはツルギがなんで私のことを覚えてるの?」
ツ「ふっふっふ。気付いてしまったか。そう、俺は、俺は……!」
ア「まあ、あとがきコーナーだから仕方ないのだけれど」
ツ「……そうゆうこと。つまりこのあとがきコーナーは本編には一切関係ないんだからねっ!☆」
ア「……バカね……(超冷酷な眼差し)」
ア「……あはは……(超無情な苦笑い)」
ツ「う、辛い。けど男だ。泣いてたまるか!」
ア「……と、言うことで次回……」
ア「第一章幕間『さようなら』」
ツ「おた――」
へ「楽しみに待つといい、人間よ」
To be continued.