車と死体と錆びたスコップ
おお、誰だお前さん。
初めて会うな。
うん?なんだよ急に。
怖い話が聞きたい、って?
なるほど、それならこんな話はどうだ。
今から俺がする話は、少なくとも俺にとっては怖い話だ。
ただ、生憎俺も怖がりでね。
しかも平然と話すにはちょっとここは寒すぎる。顔色がひどいのも、目がずっとぎょろりとしちまっているのもちょっと勘弁してくれよ。
さて、怖い話なんて映画も小説も世の中にはごまんと溢れているが、俺が一番思うのは『生きている人間ほど怖いものはない』というやつさ。それをうまく説明してやりたいが、どうにも俺は話をまとめるのが苦手でな。だから延々と話す代わりに、一つの話を喋りたいと思う。
まず、一台の車を想像してくれ。
今時の洒落た車じゃない。
安い中古車で、カーナビだって何代も前の古いやつさ。
その運転席には若い男。
金髪でピアスをして、頬に潰れた大きなニキビがある。いらいらと咥えタバコをふかしながら、何度もハンドルを指先で叩いているような気の短そうな男だ。
助手席には、男と同じくらいの歳の若い女。
こちらは黒髪でさらりと長い綺麗な髪をしていて、顔立ちもそこそこ整っている。少し気弱そうな顔をしているが、なかなかの美人には違いない。
後部座席のシートは倒され、後ろの荷物置き場とつながっている。
自転車なんかをつむのにもってこいの、あれだよ。
そのスペースに何があるかと言えば、……さて何があると思う?
何となく予想はつくんじゃないか。
そう、アレだよアレ。
死体だよ。
中肉中背、歳は中年といった風情の男の死体だ。
頭から血を流し、ブルーシートの上にスコップと一緒に転がされている。
ここまで言えば、状況は分かったろう。
この二人、殺しちまった男、さらに言えばサラリーマンを今から人里離れた山に埋めに行こうとしているのさ。
え、二人はどうしてサラリーマンを殺しちまったのかって。
そう、そこだ。
それが俺が話したい本題に関わってくるんだよ。
まとめちまえば単純な話なんだが、この二人は結婚詐欺をしていたんだ。
どこの会社にも一人はいるだろ。
人はいいけど女性にはモテない中年。
そんな男を狙って、じわじわと近づいてくる結婚詐欺だ。女の気弱そうな態度と見た目に、男はコロッと騙される。後ろで死んでいるこの男も、そうやって彼女に騙されたクチさ。ただ、タチが悪いのは女は根っからの女狐じゃないってことだな。下がり気味な眉も、話すときにすこしオドオドする癖も、彼女本来のモノなんだ。可愛いだろう。俺は嫌いじゃないな。
ただ、この殺されちまったサラリーマンも、人は良いが馬鹿じゃあなかった。
付き合い始めた彼女が、やたらと金をせびってくることには違和感は感じていたのさ。変だろう。ことあるごとに金をせびってくる彼女なんざ。
そしてある日、サラリーマンは彼女に問いかけたんだ。もしかして、誰かに脅されているんじゃないかと。彼女は頑なに黙っていたが、男は何度も誠実に優しく問いかけた。そんな男についに心を開いて、彼女も正直に事情を話した。「実は、元カレに脅されて結婚詐欺をさせられている」と。
自称ミュージシャンの金髪の男は、学生時代からの恋人だったそうだ。ただ暴力が酷くて、すぐに別れたと。でも付き合っているときに撮られたあられもない写真を持ち出されて脅され、やりたくもない詐欺に荷担させられているのだと。ひどい話だよな。本当にひどい。
女の話を聞いたサラリーマンは、自分が詐欺で金を巻き上げられていたことすら許した上で、心底相手の男に憤慨した。「怖かった、こんなことしたくなかった」と泣く彼女の背中を撫で、真摯に話を聞いて相談に乗った。職場では穏やかで人畜無害な男だと馬鹿にされるだけあって、サラリーマンの人の好さは女の心を癒した。いい男なんだぜ、本当に。ただ生前はモテなかったんだから悲劇だな。
そして二人が、意を決して相手の男の家に行くまでにそんなに時間はかからなかったさ。
さて、その結婚詐欺を命じていた男というのが、今運転席でハンドルを握り、ひたすら山の中の道を突き進んでいる金髪の男だ。本人はミュージシャンなんて言ってはいるが、実際は暴力団のチンピラの更にその下にいるような男でな。彼女を脅して巻き上げた金は、さらに別のキャバクラの嬢に貢いでるなんて、笑えないオチまでついてやがる。
そんな最低な男の家に、彼女とサラリーマンはのこのこ「犯罪は良くない」なんて正論をたずさえてやって来たわけだ。どうなると思う?まあ、想像通りのことが起こったから、今二人はサラリーマンの死体なんか乗せて深夜の山道をドライブしてるわけだが。
男は、二人を家に上げた。
そしてしばらくサラリーマンの告げる善良で真っ当な正論を聞いたあと、何かのスイッチが入ったかのようにサラリーマンを殴りつけた。何度も何度も。それこそ、骨が折れて鼻が曲がるまで。
そこに理性なんかなかった。
サラリーマンは、理屈が通じない暴力に晒された経験なんてもちろんこれが初めてで、そりゃあ非常に混乱した。人を殴れば警察が来て、悪事を働いた人間は罪に問われる。裁判で裁かれて、監獄に行く。ずっとそういう「正しい」社会で生きてきたから、人を殴ることと警察が来ることまでの時間に何が起こるかなんて具体的には考えたこともなかったんだ。
床に引き倒されて、殴られて。彼女はあまりの惨状に悲鳴を上げて泣きじゃくっていた。「死んじゃう、やめてやめて」と必死で金髪の男を止めた。金髪の男の部屋の床は、二人が来る前からひどく汚れていて、果物ナイフなんかも転がっていた。サラリーマンの指には、ナイフの柄が触れていたんだ。刺そうと思えば、刺せた。正当防衛ということで罪にも問われなかったかもしれない。
それでもそのサラリーマンは刺さなかった。
馬鹿だが、かっこいいだろう。彼は、暴力に怯えたトラウマを持つ彼女にさらなる暴力を見せたくなかったんだ。彼は最後まで、彼女に「逃げて、警察を呼べ!」と叫び続けた。最後にガラスの灰皿で殴られて言葉を失うまでずっとだ。結果的に彼はヒーローにはなれなかったが、ただ善良だったんだ。
やがて動かなくなった彼を、金髪の男と黒髪の女が車に運んだ。
どうしよう、どうしようと黒髪の女は助手席でずっと泣いている。
そんな言葉をずっと金髪の男は苛々した様子で聞いていたが、激高していた感情が収まったくらいのタイミングで男は女に「わるかった」と謝罪した。弱々しい声音で「こんなことに巻き込んで、悪かった」と。
意気消沈した様子で今までの悪行をぽつりぽつりと語り出した男は、車を走らせながら最後に「もう取り返しがつかないが、俺はお前を愛してた」と言った。最低だろう。最低だ。何が一番最低って、この男がそれを本気で言っているところだ。自分が殺した男が後部座席に転がっている車内で、金髪の男は「許してくれとは言わないが、俺はお前を愛している。悪かった」なんて言ったんだ。人間というのはつくづくクズだ。謝罪を捧げるべきは、まず彼が殺したサラリーマンだろう。
彼の脳裏には、殺した人間のことはもう存在しなかったのかもしれないな。緊急事態に追い詰められて目の前の元恋人への愛に目覚めてしまった彼は、その後もひたすらに彼女に謝罪と愛を囁いていた。
生きている人間というのは、本当に恐ろしい生き物だ。
なあ、怖いだろう?
立っているだけで脅かしてくる幽霊なんてメじゃないさ。
……ああ、ただすまない、話したかった怖い話はここじゃないんだ。
続けて話を聞いてくれ。
そんな告白をされた彼女の反応の方なんだが、なんとビックリ。答えは「許す」だった。「貴方と付き合ってきて本当に辛い思いをたくさんしたけれど、また昔のやさしい貴方に戻ってくれるならそれを支えて生きていきたい」のだそうだ。素晴らしい献身だろう。自分のために最後まで「逃げろ」と叫んでいたサラリーマンは彼女にとって金髪の男と復縁するまでの素敵な一ページへと昇華した。なんと素晴らしい物語だろう。死体が後ろに転がっていようが、鋭利なスコップをつんでいようが、今から彼らがする初めての共同作業が死体を埋めるための穴掘りだろうが、そんなことは関係ないのだ。
その瞬間、この車の中は紛れもない幸せなエンディングだった。
人間って怖いよな。
生きている人間がここまで薄情で、自分本位で、自分の心を守るために臭いものには蓋をする生き物なんだって、俺はこの話を目の当たりにしたときびっくりしたよ。
ただ、俺はこの話を聞いていて思ったんだ。
もしかしたらこの話全てが、彼の心を縛り付けておくための彼女の作戦だったんじゃないかって。
そして、もしそうなら大成功だ。
殺人の罪を忘れるため、彼は彼女への愛情をもってきて目を塞いだ。彼の愛を手に入れるため、彼女はその歪みをすべてなかったことにしてしまった。
男のやったことも恐ろしいが、女がやったことも恐ろしい。いやはや、本当に人間は怖い。
俺が最初に言った「生きてる人間が一番こわい」って話、すこしは伝わったかな。ただ立ってこちらを睨んでいる幽霊にはない、エゴイズムに満ちた怖さがあるだろう。少なくとも、俺は怖いと思ったね。
生きている人間は、とても残酷だ。
どうかこの話を聞いたあんたも、無意識のうちにこの車に乗って居る奴みたいな残酷な真似をしていないか生きていってくれよ。
と、ここで話を終わらせてしまってもいいんだが、最後に俺の話を聞いてくれ。
先ほどからこの狭い車内に転がっている、サラリーマンの死体があるだろう?
それが、俺だ。
つまらない人生を生きて、つまらない理由で死んだ、善良で退屈な男だ。
人を殺そうなんて恐ろしい事、考えたこともなかったし、愛のために自分の倫理観を捨てる人間がいるなんて思いつきもしなかった。ただ善良で、優しくて、騙されたと知った後もなお彼女のことを愛していた。まさか彼女が命をはって彼女を救おうとした俺より、俺を殺した男を愛するとは思わなかったよ。本当にびっくりした。びっくりしすぎてもう涙も出ないけどな。
あと、一つ誤解させて悪かった。
さっきから何度も死体死体と言ったが、実は俺はまだ生きている。
ひどい茶番のような若者二人の会話を聞きながら、冷たいビニールシートの上でずっと、自分を埋めるためのスコップを凝視し続けている。錆びたスコップの先はぎらりと光り、まるでそこだけが剃刀のように鋭利な見た目をしている。へんな神経でも切れたのかな、ずっと俺の目、目が閉じないんだ。車が揺れる度に目の前を何度も刃物のようなそれが横切る。最初は怖かったはずなのに、次第に楽しくなってきてな。ゲラゲラ笑いたいが声もでない。そういえば、血が流れ続けて寒くて仕方がないんだ。凍えてガタガタ震えると、ますますスコップの先が目の前を滑って、げらげらげら。ああ、笑えて笑えて仕方がない。あと、ずっと見つめていて思ったんだが、このスコップなかなかいい品だぞ。二十歳過ぎの男女の頸動脈を掻き切るにはなかなかいい重量感だ。
俺が生きていることには全く気が付かず、車はどんどん進んでいく。
人が埋められても誰も気が付かないような山奥へ、車はどんどん進んでいく。
ああ、車が止まった。
目的地に着いたようだ。
さてと。
唐突で悪いが、話はここで終わりだ。
俺は今からちょっとだけ忙しくなっちまうんでな。
うん? このあと何が起こるかって?
--ここから先は、あんたは知らなくていい話さ。