6話・プライドと褒め言葉について
今回かなり長いです。
あと、タイトルのように二話分あります。
「ちょっと、聞いていい?」
ノートPCの前に座り、万年筆が書いた小説を読んで、問う。
すると、返事の声の代わりにPCの横に、原稿用紙の裏面が浮かんできた。
『 なんだ?夢原 』
さすがに三日も経てば、万年筆が宙に浮かびながら字を書いたり、原稿用紙がひらりと浮くことにも慣れ、このように違和感なく、会話……というより筆談できるようになった。
「いや、『慧太は大人達の会話を尻目に、おとなしく椅子に座っている』って文があるけど、これどんな意図があるんだ?」
今、僕は昨日できた二章の原稿を、ノートPCに写し取っている。
僕はこの作品の原案者ではないので、わからない・おかしいと感じた描写を万年筆に聞きながら、作品を映しているのだが、おもったより疲れる作業だった。
聞いたことを元に、それをどのように感じたのかを、感情をいれて書かなければいけない。
自分の作品では、心情描写は半ば無意識で書いているから簡単かな、と思ったがとんでもなかった。
『 まあ、トリックの伏線を少し強調するように書いただけだ 』
「そうじゃなくて、この描写を賢一はどう感じた、を聞いているだよ」
一旦原稿用紙が下がって、また浮いてくる。
『 いや、そこまで考えてないが? 』
そう、一つ一つの描写の裏にある感情を、万年筆は考えていないのだ。
一人で書いていた時は、〈誰々は何々をこう感じているな〉と自然に考えていたから、悩まずにすらすらと感情描写が出てきていた。
しかし、原案者がそれを考えていないとすると、自分で作り出すしかない。
書いた本人もわからない感情を、そもそもなぜこの描写があるのかわからない自分が作るのだ。
正直、自分で納得できるような心情描写を書くのは、かなり難しかった。
「はぁ、ここもか……」
嘆くように、両手を頭に当てる。一つわからない箇所があるたびにこの調子だ。
『 そこまで辛かったら、無理して書かなくてもいいんだぜ? 』
「あー、うん。大丈夫大丈夫。問題ない」
『 いや、明らかに大丈夫な声音じゃねえ 』
たしかに、この心情描写を付け足す作業は、かなり難しくて疲れる。
だからといって、自分の得意分野である「感情表現」で手を抜きたくないし、最高の文章で表現したい。
これは、自分ができることへのプライド。
少なくとも、小説のかなりの部分を万年筆に任せているのだ。
それをもっと良い小説にしたいから、僕は万年筆を手伝っている。
改めて、このことを自覚する。
「……大丈夫だ。直せる」
自分に言い聞かせるように、宣言した。
しばらくの静寂。
そして、カリカリと文字を書く音が少しだけ聞こえ、
『 だったら、任せた 』
そう書かれた原稿用紙が、目の前に浮かぶのが見えた。
それからさらに三日後の、午後4時。
僕は、「全ボツ」と里美さんに三度言われたカフェの一角に座っていた。
外出用の恰好で、胸ポケットにはあの万年筆が入っていて、カフェの机には、万年筆が書いた小説の一章が置かれてある。
「あぁ、心配だ……」
あまりに不安が大きすぎて、口から心の声が漏れるのが聞こえた。。
幾度も推敲し出来栄えを確かめたが、それでもなお不安は残っている。
もしかしたら今回もだめかもしれない。これで最後かもしれない。
そんな言葉が、次々と浮かんでくる。
その時、右手が押さえつけられるように動き、かってに胸ポケットにある万年筆を握った。
「うわっ」
そのまま強引に机の上の原稿用紙の束が丸ごとめくられ、一番下の裏面にペン先がつけられる。
手が原稿用紙の上を滑った。
『 大丈夫 』
ただ、それだけ書き残されると、押さえつけられていた感じが無くなる。
「……」
そのまま字の横に、今度は自分の意志で書く。
『 ありがとう、落ち着いた 』
顔を小さく縦に動かす。
原稿用紙の束を元に戻し、胸ポケットに万年筆をしまうと、ちょうど里美さんがやってきた。
僕の前の椅子に腰かけ、しっかりとこちらに目線を向ける。
「さて、こんにちは夢原さん」
「こんにちは、里美さん」
お互いに挨拶をした直後、短刀直入に聞かれた。
「で、新作はどうなったの?」
無言で机の上の原稿用紙の束を差し出す。
「ん、自信がある目じゃない」
目線が合い、そういわれる。
そうだ。今回は自信がある。
〈自分を信じる〉だけじゃなくて、〈相手を信じる〉もあるけど。
「さて、と」
里美さんの目つきが真剣になる。
僕は静かに読み終わるのを待つ。
今までこの時間は、期待と不安が入り混じった感情で目をつぶっていたけど、今回は祈りを込めて目をつぶる。
万年筆と出会ってこの一週間。自分ができることを頑張った。
必死にいろんな文章を考えた。もっとよく伝わる言い回しを見つけようと躍起になった。
難しくて苦しかったけど、それと同じぐらい楽しく書けた。
最低でも、最高の出来を目指すことをやった。
だから……
「……夢原さん」
暗闇の世界から、急に呼ばれる声が聞こえた。
「はっ、はい!」
びっくりして裏声になる。
周りを見ると、人がいない。
どうやら自分たち以外は帰っていったようだ。
いや、今それはどうでもいい。
小説はどうなったのか。
目の前の里美さんは、震えながら声を出す。
「夢原さん。この推理小説……」
おもわず息をのむ。
次の瞬間、告げられた言葉は。
「ものすごくおもしろかったです!!」
これまでの人生で一番うれしい、褒め言葉だった。
まだ終わりじゃないよ?
まだもうちょっとだけ続くんじゃ。