パーセント〜最後のプロポーズ〜
切ない系です。
最後はサトリ的にはハッピーエンドなつもりですが、読者様に通じれば幸いです。
愛する彼は私の前から姿を消してしまった。
私の前だけではない、この世からも姿を消した。
有名大学に通う佐伯惣一郎と私、高見柚が出会ったのは、図書館のビデオ室での事だ。
当時、高校生だった私は、アルバイトをしておらずお金が無くて、趣味の映画を見るのも映画館に行ったら小遣いが無くなると、ほとんど行く事は無かった。
そのかわりに、家から自転車で十五分程走った所にある図書館に毎週日曜日になると行っていた。
友達と遊べば良かったのだろうが、私は当時から大人しく人前で話したり人と打ち解けたり出来ず、趣味の読書と映画鑑賞に没頭していた。
惣一郎と出会ったその日も、お気に入りのクリーム色のダッフルコートを着て、図書館まで来ていた。
中々都会な私の地元にある図書館は最新の設備だ。
パソコンは十台以上あるし、機械化が進んでいる。
私はその日、いつもビデオを見ている所定の席から三つほど離れた席で「エデンの東」を見ていた。
古臭いその内容がなぜか私には合っていて、主人公の性格の熱さに心を打たれながら時計を気にしていた。
ビデオデッキ諸々は三時間までしか貸して貰えない。
その時間ギリギリになって、ビデオを取り出すと受付へと急いだ。
受付を終えて、固まった体をほぐそうと、伸びをすると肩を叩かれた。
後ろには、私より頭二つ分位背が飛び抜けた男の人が立っていた。
「これ、君のカード?」
男の人の手元には確かに高見柚と書かれた図書館のカードがあった。
私は急いでいて落としてしまったらしい。
「あっありがとうございますっ!!!」
ドモリながら受けとると、男の人は優しく笑った。
「君、いつも来てるよね…俺、佐伯惣一郎っていうんだ。んで、ここの図書館でバイトしてて、良かったら今度見付けたら声掛けてよ」
驚きでまともに見れなかった佐伯さんの顔を見てみる。
艶のある黒髪は短く、整髪剤で整えられていて、精悍な顔立ちをしている。
この時、私は佐伯さんが茶髪だったらいい印象を抱かなかったと思う。
「じゃ、また会ったらね」
佐伯さんは私の肩を二三回叩くと帰ってしまった。
佐伯さんは今思うと少し馴れ馴れしかったけど、私とっては新鮮だった。
それから、私達は頻繁に会っていた。学校が早く終わったら必ず図書館に行っていたし、日曜日だけしか以前の私は行ってなかったけど、土日すべてを図書館で過ごす様になっていた。
本好きの佐伯さんと私は凄く気が合って、たまに面白い本を貸してもらったり、試験前は勉強を教えて貰ったりする仲になった。
「佐伯さんって本当に本が好きなんですね、大学も文系なんですか?」
「いや、理系だよ、文学とか難しいから勉強したいとまでは思わないんだよ」
「へぇ、漢文とか教えて貰った時凄く分かりやすかったのに……そういえば、何大学でしたっけ?」
「T大だよ」
「T大学?!凄いっ!!私には一生無理ですよ」
「ばーか、無理か無理じゃないかは、自分の努力が決めんの、もうすぐ卒業だから論文書かなきゃいけないんだよ、だから、今日でバイトも辞めんだ」
「えっ?!」
そういえば、もう初めて会ってから二月もたっていた。
もう、私たちの関係も終わってしまうのか。
「だから、はい」
そう言って、私に白い紙切れを渡してきた。
中にはメールアドレスと電話番号が書かれてある。
「まぁ、良かったらメールしてよ、飯でも一緒に食いに行こう」
照れた様に佐伯さんは言った。
私はその言葉が嬉しくて、何度も首を縦に振った。
家に帰ると早速メールをした。
私ももうすぐ高校卒業だったけど、就職が内定している私は、焦る事もなくて時間が有れば一緒にご飯を食べたり、佐伯さんの家でマッタリしたりしていた。
家に行くなんて付き合ってもいないのに奇妙だったと思う。でも、あの時は佐伯さんと過ごす時間が楽しくて仕方なかった。
その時から私は佐伯さんに恋心を抱いていた。
「柚っ!!お待たせ」
スーツに身を包んだ佐伯さんがこちらに駆けよってくる。
私はニッコリと笑って何時もの様に待っていない事を伝える。
今日も私達はご飯の約束をしていた。
本当は一時間も前に落ち合うはずだったけど、佐伯さんは学生の時から会社の期待の星で、今度は開発チームのサブチーフを任されたのだ。
なぜ私がこんなに詳しいのかというと、佐伯さんの働く会社の支店の経理をしているからで、佐伯さんが忙しいのも知っていたから腹を立てたりはしない。
「じゃあ、適当に飯でも食おうか」
適当とは言うけど、佐伯さんが行く店はいつもお洒落で美味しい。
今日はイタリアンで、店内はオレンジの光が暖かくて、家庭的な感じだったけど、やっぱりお洒落だ。
私は早速ムール貝のパスタを頼んで、佐伯さんはリゾットを頼んだ。
ご飯が来るまで、私達は食前酒を飲んでいた。
「あっ!!惣一郎くん」
背後から頭の先から出すようなキャピキャピした声がして、思わずそちらを見た。
声の主は今時のフェミニンなスーツを着ていて、髪はフワフワと巻かれている。
何より目がクリクリしてて、可愛かった。
不意に、一張羅の地味な色のリクルートスーツに髪をゴムで一つにまとめていた私が恥ずかしくなった。
「惣一郎くん、今日は早く帰ったと思ったら彼女とデート〜??」
「山口先輩こそ、今日は合コンですか?」
そんな冗談を言っている佐伯さんが珍しくて、私は二人を見遣りながらだんだん指先が不安で冷たくなっていた。
「そんな所だけどっ!!それより、彼女でしょ?紹介してよ」
「すいません、彼女では無いんです」
その言葉にツキンと胸が痛んだ。
笑いながら佐伯さんは続ける。
「一目惚れなんですよ、俺の片想いですから」
佐伯さんの言葉に、驚いて目を見開く。
今のはきっとそら耳だ、佐伯さんが私を好きになるわけが無い。
「あらら〜、地味な格好してやるわねぇ!!惣一郎くん部内で超人気だから、押さえておいたらお特よ〜!!じゃあ、私はさっき言ったように合コンだから、後はお若いお二人でっ」
山口という女性はニヤニヤと意地悪く笑うと、奥へ消えて行った。
重い沈黙―――…。
「さっき、言った通りだから」
佐伯さんはそう言うと、食前酒を煽る。
「あの………。なぜ、ですか?」
私はそれに尽きた。
佐伯さんの容姿や能力なら今の山口さんから始まり、部内でも他の社外の女の子でも飛び付くだろう。
よりによって、なぜ私なんだ?
「なぜって、一目惚れしたから、理由は解らないけどな」
なんだか、怒ってるみたいた。
自分でも解らないんだろう。
「できれば、俺は柚と付き合いたいと思ってる。でも、嫌だったら別に返事なんてしなくていい」
有無を言わせない物言いだ。こんな佐伯さんは初めてで、私は泣きそうになった。
それから、二人とも黙ってご飯を食べて気まずいまま帰りの道を歩いていた。
佐伯さんは車持ちだけど、私とご飯を食べるときはお酒を飲むから電車だった。
私は告白されて嬉しいのと、怒っているような態度で不安なのとで泣きそうだった。
「あの、今日はありがとうございました。えと、あの………」
言いたい言葉が喉に張り付く。
後から後から涙が溢れてきた。
「す、いませっ」
馬鹿みたいだ。
もうすぐ二十歳になるのに、私は恋愛に関しては赤ちゃんのようだ。
「泣く程、嫌だった?」
絶望に打ちひしがれた様に悲しい声音で、佐伯さんは肩を落とした。
私は必死になって首を何度も横にふる。
「うれ、しかったです…でも、どうしたら良い、かわからなっ」
つっかえつっかえで、やっと言いきった私を佐伯さんは抱き寄せた。
「柚ごめん。俺、意地悪だったよな、あんな言い方して、ごめん」
佐伯さんの匂いがまた私を安心させる。
「ほんとに、うれ、しかった…私も、佐伯さんがすきっ」
「バカ、そんな事言われたら手放せなくなる」
目の前に佐伯さんの顔。
私は生まれて初めてキスをした。
「惣一郎さんっ!!」
私と彼が初めてのキスをしてから二度目の冬を向かえた。
相変わらず、支社で経理をしている私と、異例の速さで本社で課長になった惣一郎さんは、今日もデートを約束していた。
私は精一杯のお洒落と、笑顔で惣一郎さんに駆け寄った。
「惣一郎さん?」
都内で噴水が有名な場所でいつも待ち合わせをする。
冬で噴水なんて寒かったのか、惣一郎さんは元気が無い。
「悪い、せっかくのデートなんだけど、具合悪いみたいだ……」
「えっ?!大丈夫??私は大丈夫だから、帰った方がいいよ」
二週間ぶりにあった惣一郎さんの顔は疲れきっていて、心なしか痩せていた。
「悪い、色々忙しくて疲れが出たんだと思う…帰ったら電話する」
「全然大丈夫だから、一人で平気?」
惣一郎さんは「あぁ」と頷くと辛そうな足取りで、帰って行く。
惣一郎さんは電話すると言ったけれど、その日、電話は来なかった。
あれから一週間、電話もメールも返ってこない。
惣一郎さんが一人暮らしをしている部屋に行って朝までまったりしたけど、結局返って来なかった。
「高見さん、お客さんが来てるわよ」
寝不足ながら何とか仕事をしてると、お局の先輩が声をかけてきた。
「こんにちは」
お局先輩の背後から以前惣一郎さんが先輩だと言っていた山口さんが出てきた。
「こんにちは、先輩、ちょっと席を外します」
何の用だろうか、何も言わないけれど、ひょうきんな彼女からただならぬ物が感じ取れて、私は山口さんと会社の近くにある喫茶店へ入る。
私はこの喫茶店のイチゴのパフェがお気に入りだが、寝不足の体はカフェインを欲しがっていて、ホットコーヒーを注文し、山口さんは、両手を擦り合わせてホットココアを注文した。
「あの、用ってなんでしょうか?」
コーヒーを一口飲んだ後、重苦しい空気の中に言葉を発した。
「課長……佐伯課長の事なんだけど……」
山口さんの言葉に私の心拍数は一気に上がる。
「惣一郎さんに、何かあったんですか?!」
静かな喫茶店に私の声がキーンと響く。
でも、昼食時ともお茶時でもない喫茶店の中には私達とウェイトレスしか居ないため、恥ずかしいとは思わない。
「落ち着いて、聞いて欲しいの。佐伯課長には言うなって言われたんだけど、今ね、入院しているの。面会謝絶だから、きっと凄く悪い病気なんだと思う」
山口さんの言葉に私は全身の力が抜けて、指先が冷たくなってゆく。
「いま、惣一郎さんはどこに入院しているのですか?」
「………」
山口さんは言いにくそうに渋る。
「お願いっ!!会いたいのっ!!」
山口さんは一瞬戸惑ったが、ペーパーナプキンを一枚取ると、ボールペンでサラサラとなにか書いていく。
「ここよ。何があるか解らないけど、頑張るのよ」
メモを受けとると、お礼を言って千円札だけ置いていき、急いで喫茶店を出た。
足が中を走る。
苦しいっ。
S県立癌センター302号室。
病院の名前だけで何が惣一郎さんの体を脅かしているかわかった。
「302号室、302号室、302号室……。」
佐伯惣一郎様
面会謝絶中―――…。
悪い夢を見ているようだ。
精一杯の思いやりで私はノックをしてから引き戸を開けた。
点滴が付いている彼を私はしっかりと見ることができなかった。
「……柚……」
たった一週間だというのに、惣一郎さんはまた痩せていた。
その痛々しさに涙が出そうだったけど、我慢した。
泣いたら、病気の惣一郎さんが私に甘えられないから。
「柚…帰ってくれ、」
惣一郎さんは苦しそうに言う。
「いやっ!!」
「いいこだから、帰ってくれよ」
諭す様に言う惣一郎さんの声は大きく震えている。
泣きたいなら泣いてほしい。
「俺は、お前なんか好きじゃないんだよ!!帰れ!!」
彼の怒鳴り声を初めて聞いた。
でも、私は引き下がれない。
彼を今見放したら、二度と私の元に帰ってきてくれない。そう思ったから。
「私を好きじゃなくても良い、惣一郎さんの分まで私が愛するから!」
「好きでもないヤツがいたら、治る物も治らなくなるだろうが!!帰れ!!」
「惣一郎さんは嘘をついてる」
「嘘なんかついてないっ!!帰ってくれよっ!!お願いだから……」
惣一郎さんは最後には泣き崩れていた。
私は骨張った体を包む様に抱き締める。
腕に背骨が当たって心がギシギシ悲鳴を上げた。
「大丈夫、私は惣一郎さんさえ良ければそれで良いから」
あの惣一郎さんが子供の様に声を上げて泣く。
何度も生きたいとごめんという言葉を繰り返しては、私にしがみついてくる。
背中をずっと擦ってあげると呼吸がだんだん落ち着いてきた。
「スキルス性胃癌なんだ、あと二ヶ月しか生きれないって」
私の胸に顔を埋めたまま、必死に話してくれる。
スキルス性の癌はガン細胞が横に這うように広がっていくため、進行が早い。
まだ二十代なのに、なぜ、惣一郎さんがそんな思いをしなくてはいけないのだろう。
「99%俺はすぐに死ぬ、だから、俺といたら99%柚は不幸になる。だから、離れて欲しい」
本当に病気は惣一郎さんを嘘吐きにする。
私は、精一杯笑って見せた。
もしかしたら、悲しみで、笑っていなかったかもしれない。
でも、必死に笑った。
「私は、惣一郎さんと99%の不幸と、1%の幸せを生きてみたい」
惣一郎さんの冷たい手を握る。
前は、手を繋ぐのも緊張したけど、今は、別の愛しいという想いが溢れる。
惣一郎さんは、泣いて泣いて泣き疲れて眠るまで、泣いた。
抗がん剤の治療は目を覆いたくなるようなものだった。
点滴をしたとたんに、断続的な猛烈な吐気、むくみと何日も続く高熱。
でも、あれから惣一郎さんが泣くことも、弱音を吐くこともなかった。
「惣一郎さん……桜が綺麗だね」
惣一郎さんは余命の二倍も生きてくれている。
酸素チューブを入れられて、一日三時間程しか意識を保てなくなった。
だけど、私は眠っている彼になんども話しかけた。
私のお腹には新しい命が宿っていた。
でも、未だに惣一郎さんには教えていない。
惣一郎さんの病気が治るまで、闘病に専念してほしかったからだ。
様々な医療機械に繋がれた惣一郎さんは、まだまだ頑張っている。
今、ここで私が諦めるわけにはいかない。
「先生!!302号室佐伯さん心停止です!!」
「惣一郎さんっ!!起きてっ!!惣一郎さんっ!!惣一郎さんっ!!」
必死に惣一郎さんの手を握る。
神様、私の命など要らないから、どうか……
「惣一郎さんっ!!早く起きてっ!!早くしないと死んじゃうよ!!」
惣一郎さん惣一郎さん惣一郎さん惣一郎さん惣一郎さん惣一郎さん惣一郎さん惣一郎さん!!
医師に肩を叩かれる。
医師は首を横に振っていた。
嘘だ。
嘘だ。
嘘だ。
あの惣一郎さんが死ぬ筈がない。
強くて、優しくて、私のヒーローだった。
「あぁぁぁあぁっ!!」
私は涙を流した。
涙を流す分だけ、惣一郎さんの死を実感した。
惣一郎さんの葬儀は親族と私を含めてひっそりと、とり行われた。
火葬場で最後のお別れをした。
あまりに死顔が美しかったから燃やしてしまうのはもったいなくて、私は蓋がしまる瞬間まで記憶に焼き付ける様に見た。
煙になって、上へ上へと惣一郎さんは昇っていく。
生ぬるい春から夏にかわる風が私と惣一郎さんを包み込んでくれた。
「柚さん。これ、惣一郎からのなの、受け取って……」
惣一郎さんのお母さんが目を真っ赤にしながら私に緑色の紙で出来た箱を渡してくれた。
「ありがとうございます」
中身が気になったけど、家に帰って落ち着いてから見ようと思った。
惣一郎さんからの最後のプレゼントなのに、落ち着かない場所で開けたら失礼だ。
無事火葬もお骨納めも終わって、私は惣一郎さんのご両親の計らいで、生前惣一郎さんが住んでいたマンションで今日一日泊まる事になっていた。
懐かしい。
惣一郎さんの気配がする。
私は早速緑色の箱を開けた。
中には、小さくて古い鍵と預金通帳、そして私宛てに書かれた手紙が入っていた。
しっかりとのり付けされた封筒を解くと、中から手紙が出てきた。達筆な筈の惣一郎さんの字が大きく震えている。
多分、病気が大分進んだ時に書いたのだろう。
高見柚様へ
この手紙が届く頃には俺は多分居ないんだろうな。
何か、この下りは柚が好きな映画に似てるな。
でも、自分がこうなるなんて思いもしなかったし、柚が俺を信じて必死になって看病してくれるなんて思わなかった。
先に逝ってしまう事、すごく申し訳ないと思う。
きっと柚は俺の最後の最後まで見送ってくれると思うから余計申し訳ない気持ちで一杯だ。
本当にごめん。
でも、今までの事本当に感謝してる。
ありがとう。
少ないとは思うけど俺の気持ちだから預金は受け取ってほしい。
番号は柚の誕生日だから。
柚の未来のために、思うように、使うんだよ?
それから、俺が死んでもあんまり泣かないでくれ。
ありきたりだけど、柚の笑った顔が本当に俺は好きだから。
柚が俺と付き合ってくれた事
ファーストキスを俺なんかにくれた事
デートを何回もしてくれた事
病室まで俺を追って来てくれた事
あんなに冷たく追い返したのに俺に気を使って泣かないで俺と居たいと言ってくれた事
俺の方が年上なのに泣いた時に優しく抱き締めてくれた事、眠っていても頭を撫でていてくれた事
抗がん剤の作用で吐いてしまった時に一晩中背中を擦ってくれていた事
何よりも、俺を愛してくれた事。
本当に本当にありがとう。
何度言っても足りないな、本当にありがとう。
それと、すごく柚の事愛しています。
だから、本当に幸せになってほしい。
天国なんて信じていなきけど、いつまでも見守ってる。
最後に、俺と柚の子供によろしく。
幸せになってくれ。
佐伯 惣一郎より
惣一郎さんは全て知っていたのだ。
死んでもなお、私は彼の寛大さに惹かれた。
言わなかった事に後悔が無いと言えば嘘になる。
だけど、これで良かったとも思った。
小さな古い鍵がどこのものかは解っていた。
寝室に向かう。
惣一郎さんの寝室は、勉強部屋と兼用になっていて、壁じゅう本だらけだ。
そこに、木で出来た使い込まれた勉強机がある。
1番上の引き出しは案の定鍵がしまっていた。
鍵は変色していたが、スヌーズに引き出しを開けてくれた。
まるで、宝箱を開けるみたいだね。惣一郎さん。
整理された引き出しには紺色をしたリングケースが入っていた。
ケースの中には銀に輝くペアリングが入っていた。
思わず涙が出た。
本当に惣一郎さんはお洒落だ。
小さい方をはめると、ぴったりと、左手の薬指にはまる。
惣一郎さん
お礼を言うのは私の方だよ。
沢山、私に思い出をくれた。
その日、私は惣一郎さんの匂いに包まれながら、久しぶりに深い眠りについた。
「パァパ、おししゃしぶりでしゅ。またきたよ!!」
「惣二郎、よく言えました。後はお墓を洗いましょう。」
「あいっ!!」
惣一郎さんが死んで三年が経ち、私達親子三人はつかの間の再会をしている。
惣二郎を親族達は産むことを反対したけど、私は聞かなかった。
今は、私は経理の仕事をしていて、二人で細々と暮らしている。
惣一郎さん。
私は今でも貴方への愛情は薄れません。
「ママっ!!あれっ!!」
「なぁに?惣二郎?」
惣二郎が指差す空へ顔を上げる。
上には大きな飛行機雲が走っている。
「あっ…飛行機雲……綺麗………」
惣一郎さん
貴方は私が、99%不幸になると言いました。
でも、なんでだろう。
今も昔も幸せで仕方ない。
最近それがなんでだかわかったの。
「惣二郎、キラキラしてて綺麗だね」
だって、私は今も昔も
「あいっ!!パパもみえるかなぁ!!」
貴方に100%恋してる。
「きっと見えてるよ!!」
晴れ渡る空の下で、銀色の指輪はキラリと光った。
最後までお付きあい下さりありがとうございました。