報復
SISの極東支部からのお達しだ。内容はFSBに対して報復作戦をしろ、とのこと。東京郊外の廃倉庫でFSBの下っ端たちのミーティングがあるらしい。それに対して襲撃するという作戦。
襲撃部隊は俺とそのほかSISの要員9人で構成されている。
「ロンドンに報告しないで独断でやっちゃっていいのかよ...。」
部隊のうちの一人、マイケルが心配そうな表情でつぶやく。いかにも欧米風の名前で英国育ちだが、実際はタイ人の血を色濃く受け継いでいる。東南アジア人らしい、褐色と低身長と言ったところか。ちなみに会話はすべて英語である。
「相手方のシギントに盗聴されたくはないんだろ。それに先制攻撃はあっちだからな...。」
と俺も焦りつつだが平常心を装って言う。
「エシュロンで下調べはしたらしいけど...。」
"エシュロン"、フランス語で"階層"を意味する。それはアメリカやイギリスなどが世界中に設置した盗聴器のことである。世界中のありとあらゆる電話、電子メール等がエシュロンによって傍受されているという。一応SISのシギントがそれを使ったってことか...。
倉庫周りに全員到着する。深夜で辺りは真っ暗。人通りもほとんどない。周りに目立ったビルや高層マンションはないが、一軒家が多く立ち並んでいる。表側の扉に俺とマイケル含む5人、裏側にも5人配置。現在、01:55。作戦によれば、02:00突入。俺はこの前ボスからもらったライフル銃、"M14 EBR"を皮手袋の上からしっかりと握る。要員たちは皆、防弾チョッキを着用し、目だし帽をかぶる。
倉庫内から、光とロシア語と笑い声が漏れている。
時計の長い針が、12を指した。小型爆弾でドアを爆破し、一気に中へ突入するが...。
「Sh*t!」
「F*ck!」
要員たちは悔しそうに声を上げる。英国紳士にはそぐわないお言葉なのだが。
結果、倉庫内はもぬけの殻。
中には机と壊れた機材があるのみ。そして、会話を絶えず流しているラジカセが...。くそ、罠にはまったか。中東のテロリストじゃあるまいし、エシュロンで盗聴されるぐらいアホなことはさすがにロシアもやらないか...。
しばらく倉庫を調査する。といっても、特にめぼしいものがあるわけでもない。
「Расцветали яблони и груши♪」
片耳にした無線用のイヤフォンから、女性の楽しそうな歌声が流れてくる。なんだこれ、ジャミング(=電波妨害)か?気にならない程度の日本語なまりが入っていて、結構ノリノリだ。これは、カチューシャの唄。この前佐藤と俺が歌ったものだ。
待てよ...?カチューシャの唄...?
「Пусть он землю бережёт родную♪」
"Пусть он землю бережёт родную = 祖国を守り"
それは、一瞬の出来事だった。爆音とともに倉庫正面の壁が吹っ飛び、外から中の様子が筒抜けになる。俺らはあっけにとられ、ただ呆然と立ち尽くすだけだった。
何かを切り裂く音が俺のすぐ横を通る。
次の瞬間、マイケルの左腕が血しぶきとともに吹きとんでいた。
「Хорошо!」
彼女の声がイヤフォンから漏れてくる。ハラショー、ロシア語で"素晴らしい"という意味だ。そして、歌の合間に、次弾を装填する音が聞こえる。
鈍い音と共に、要員がまた一人、被弾し数メートル吹っ飛ぶ。俺たちはけが人を物陰に運び、隠れる。だが、その合間にも一人やられた。マイケルは意識はあり、命は助かりそうだ。しかし、残る二人は心臓周りをやられており、すでに虫の息だ。仮に彼女がカチューシャだとして、PTRD1941で狙撃していたとしたら、防弾チョッキなどただの紙にすぎない。問題は、スナイパーに対抗できる武器を俺たちは誰ももっていない。撤退しようにも狙われる可能性がある。
その時、前方からロシア語とともに敵部隊が来る。完全に相手の策略にはまったようだ。反撃しつつ撤退しようとするが、敵の数が多く逃げられそうにない。物陰からうまくライフルの銃口をだし、応戦するが、正直勝てる気がしない。相手は約30人と言ったところか。相手方にはスナイパーもいるので、下手に陣地変換もできない。重症のマイケルまでもが拳銃で必死に応戦している。
「佐藤。救援を!」
無線で助けを乞う。だが、肝心の佐藤は応答しない。
落ち着いて敵をライフルで何人か無力化したが、60発持ってきたライフル弾が切れた。予備兵装はP226、護身用の拳銃しかない。このままでは押される。味方もみんな弾がなくなってきたうえに、また2人やられた。
「ちくしょう、ライフルの弾が切れた!」
俺はライフルを床に置き、拳銃に持ち替えながらマイケルに思わずつぶやく。
「明石、こうなったら一緒にカミカゼするかぁ?」
隣にいたマイケルが手榴弾を差し出してくる。カミカゼ、英語圏ではそれは自爆特攻を意味する。
「グッドアイデア...。日本人の軍人らしい最高の死に方だなぁ。」
俺は手榴弾を受け取り、安全装置を引き抜こうとするが...。
その時、俺たちの後方から、英語の叫び声が聞こえた。
「同胞を助けろぉ!」
SISの援軍らしい。まだ戦闘中だが、ほっとする。だが、生身のまま突撃してきてもスナイパーに撃たれるだけだ。
「スナイパーに気をつけろぉ!」
反射的に口が動いていた。
とはいったものの、もう歌声は聞こえない。
相手も援軍が来てはまずいと撤退した様子。俺は拳銃をしまい、急いで重傷者を車に運ぶ。一気に気が抜けてしまった。ここまで追い詰められたのは、5年前の平壌以来なのではないか。
作戦....失敗。誰が見ても明らかだ。
その後、隠れ家、"ハムレット"にて――――――
「お前無線応答しなかったろ?」
俺は厳しく佐藤に詰問する。
「ああ、わりぃ。あんまりにもお前らの被害状況がすごかったもんで、俺がスナイパーを撃退してた。PTRDを持った女だったから、この前と同じやつだな。間違いはないと思う。」
「お前狙撃できるの!?」
どう見たってこいつはデスクワーク向きだ。
「SIS入る前はイギリス陸軍の狙撃手だったんだよ。急いで"バレットM82"引っ張り出して狙ったけど、惜しいところで当たらなかったんだよね。相手はスモークたいて逃げ出したけど。」
"バレットM82"、アメリカ製の狙撃銃だ。PTRD1941にこそ劣るが、長距離射撃にはもってこいの銃である。
というか佐藤ってイギリス陸軍の出だったのか。身体能力はお世辞にもあまり高いとは言えないが、拳銃の訓練の時だけ結構当ててたのはそういうことか...。
「とにかく、死亡3名、重症2名。作戦は...失敗だな。」
やっぱり声の主はカチューシャなのか...?