シュガー
さて、バイトは終了1時間前が勝負だ。体力、集中力を奮い立たせなければならない。どんなに疲れていようが、レジ係は大きな声で接客、そしてあふれんばかりのスマイルが必要だ。
「ありがとうございました!」
午後10時前。ありとあらゆる人が来る時間帯だ。ヤンキー、仕事帰りのおじさん、OL、学生、そしてわれらがイギリスのSIS。うん...待て?なぜSISの要員がここにいる?
とりあえず仕事を終え、コンビニを出たところでSISの要員と話す。
「佐藤、どうした、またなんかあったか?」
「明石、まあちょいと話しこもうじゃん。」
ちなみに、こいつは日本語が達者である。イギリスにいたころの相棒で、語学の天才だ。中国系イギリス人なので、背が低く、肌も黄色人種がかっている。よって、日本でもそこまで目立たない。...ダボダボのズボンにパーカーで、結構ちゃらいが。こいつの本当の名前は知っている。だが、日本では偽名だ。
「場所を変えよう、"ハムレット"にしないか?」
と佐藤。"ハムレット"=隠れ家。隠れ家までの移動中は、ただの友達のような会話をする。日本語は大人になってから獲得したらしいが、こいつは完璧なアクセント、驚異的な語彙力で話す。他にも十数ヶ国を話せるらしい。
隠れ家は、SISが何人か必ずいる一軒家である。別に男だけってわけでもなく、いろんな人種が男女混ざっている。周りは塀にかこまれているが、一見すると普通の家だ。
「さて、本題に入ろうじゃないの。中国語でいけるか?」
「まあ何でもいいが...。」
俺は一応中国語は話せるが、話すのには結構エネルギーを使う。英語か日本語だったら幾分楽だが、盗聴も怖いしな...。
「FSBが最近動いてるのは知ってるよな?」
FSBってことはロシアのスパイかよ...。
「ああ、この前ボスから聞いたが。」
「最近、ツェントルの優秀なエージェントが日本で動いているらしい。」
FSBはいったい日本で何をする気だ...。しかもみんなFSBのことをツェントルという。本当はソ連時代の言葉なのだが。
「特徴は?人種とか、国籍とか。」
「一切わからない。ただ、シギントだ。」
「シギントォ!?」
思わず俺は大声を上げてしまった。シギントとは、"SIGnals INTelligence",つまり電子的な情報を扱うスパイのことを言う。人的諜報ならまだしも、シギントはシギントに任せるべきだろうよ...。
「どうした、そんなに驚くことか?」
と冷静に佐藤が言う。
「シギントなら、俺じゃなくてシギントであるお前が対処すべきだろ...。というか中国語で話すのも精いっぱいなんだからエネルギー使わせるな...。」
感情的になった自分を抑える。
「なんにせよ情報があったら教えてくれってことだ。そいつのコードネームは"カチューシャ"な。」
「Расцветали яблони и груши♪」
ふと、カチューシャから連想された歌を口ずさむ。ロシア語の歌だ。佐藤の含み笑いに気づき、おれはあわてて歌うのをやめるが、
「Поплыли туманы над рекой♪」
と彼は続けた。
「どうした、中国語よりロシア語の方がよかったか?」
「いや、結構です。」
中国語よりロシア語の方がもっと大変である。まあ、なんでもかまわないのだが。
「カチューシャってことは女なのか?」
「いや、なんもわからん。単にロシアっぽい真っ赤なイメージだから。ほら、さっきのカチューシャの歌みたいに。」
違うんかい。もっとましな名前つけろよ...。
「まあ、以上!」
と彼。
「うぃ。」
と俺。
「佐藤、お前外国語他に何しゃべれるの?」
ちなみにもう日本語で喋っている。
「日英露中のほかには...、韓、独、伊、西、亜、印、葡、泰、後は...。」
「もういいよ、よくわかった。ありがとう。」
こいつ俺より年下なんだよな...?いったいどこでそんなに習得したんだ...。というかシギントじゃなくて、普通のスパイになった方がよかったんじゃ...。
ここにいる要員たちも、特殊部隊上がり、天才的なハッカー、もちろんやることは想像できるであろう絶世の美女など、各分野のエキスパートたちだ。つくづくMI6の名は伊達じゃないなと思う。
"Катюша"、よく覚えておくか...。