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「もう大丈夫なんですか?」
支度を終えて廊下に出て行くとアヌルに呼び止められた。ヴィズは既に店の方へ降りて行っている。出る前にシャワーを浴びたいと頼んで先に別の支度を任せたのだ。
ユマはアヌルに笑う。
「ええ、もうすっかり良くなりました。良く効く薬ね」
「その薬ですが、ザイさんから当面必要になるだろうと預かってきました」
そう言ってアヌルは紙袋をユマに手渡す。
風邪がよくなるまでの当面の薬にしては量が多すぎるのだが、アヌルはあまり気にかけていない様子だ。分からないのか、それとも分かっていて知らないフリをしているのかその表情からは読みとれない。
ユマは苦笑した。
「ありがとう。……それと、バギーを貸してくれてありがとう。おかげで今度の出港には間に合いそうよ」
「礼には及びません。そもそも彼が貴女を囮にしてしまった罪滅ぼしのために準備したものです。示談金と思って下さい」
それはまた古い言い回しだ。
法がまだしっかり生きていた頃に良く使われていた言葉だ。ユマが実際に使われているのを聞いたのは初めてだった。
「レオには何度も謝られました。ちょっとしつこい位に。本当にあの人が本物の猛獣? 身体が大きいだけで子猫みたいに可愛らしかったわ」
アヌルは吹き出すように笑う。
あの男に対して‘可愛い’と表現する者など数える程しかいないだろう。
「あれでもこの街のリーダーなんですよ。誰も成し遂げられなかった‘基盤作り’を成功させた男です」
「あの時、私やヴィズが死んでいたら一生自分を責めていそう」
「そう言う男です」
「だからこの街をまとめられたのね。納得はいかない部分があるけれど、理解できるわ」
結果を全て考える前に行動する男。彼には強運という強い味方が付いてきていたのだろう。仲間であろうと刃向かうものに容赦しないと言う一面の向こうに、人の死を悼んで自分を責めてしまう優しさを備えている。だからこそ彼には人が付いてくる。人を惹きつける魅力を持っている。
「あなたは頭のいい人ですね」
アヌルは言った。ユマはまた苦笑した。
「そうね、理解力の事を言うなら努力の分、同年代よりもという自負はあるわ。でも天才ではないの。本当は天才に生まれたかったわ、私」
天才に生まれたのなら全てが簡単に済んでいたはずだ。自分が日本を目指す必要などなく、ヴィズを起こすこともなかった。
(でも、彼を起こしたこと、後悔していないわ)
そう考えると少し天才に生まれなくて良かったと思えるのが救いだ。
先のことを考えなければ現状には満足している。こういう道を歩くのも悪くないだろう。天才と呼ばれたアキヤマ氏に近付くために膨大な時間を勉強に費やし、少なくとも周囲の大人に「さすがはアキヤマの血筋だ」と言われるほどにはなっていた。
天才と呼ばれることもあったが、ユマは自分が天才でないことを自覚している。天才というのはヴィズを作ったアキヤマのことだ。自分は努力だけの平凡な人間だ。努力をつつけて勉強以外のことを殆どしなかった。まるで興味がないと言わんばかりに同年代が当然してきた遊びを自らシャットダウンした。もう少し、子どもらしいことをしたかったと思わない訳ではないが、今ヴィズと旅に出ている自分がその結果だとしたら、全て無駄でなかったと思える。
それがせめてもの救いだ。
「ここに立ち寄ったのは正解でした。後味の良くない事件に巻き込まれたけど、あなた達に会えて良かったわ」
「そうですか」
「ええ、特にあなたにです」
一瞬きょんとして、やがて男は微笑む。
「光栄です」
一拍置いて、ユマは笑んだ男に問いかけた。
「間違っていたらごめんなさい。あなたの脳の半分は機械ですね?」
触れるのは失礼な事柄なのかもしれない。けれど確かめずにはいられなかった。
「……!」
青年の目が見開かれる。
狼狽している、と言うよりは素直に驚いていると言う表情だった。
長い、それでも五秒ほどの沈黙があって男の表情が元の軟らかい表情に戻る。そうです、と答えが返ったのはそれからまた一拍置いた後だった。
「良く分かりましたね」
「これでもロボット工学者です」
そしてあのアキヤマの娘。
見てきたものの数が違う。
「何割ほどの損傷がありましたか?」
「27%程です。銃で撃たれ壊れてしまいました。人としては致命的なものでしょう。私を必要としていた者たちが慌てて手術をしましたが私は元のようには戻れませんでした」
「脳が機械を受け入れなかったのですね?」
「そうです。脳は電気信号で動いています。同様の役割をしようとした部分を、私の身体は異質の物質として認識をしていました。故に私の身体は動きませんでした」
ユマは少し目を細める。
「それがどうして現状のように?」
アヌルは少し時間を置いてから言葉を紡いだ。
「……随分と経ってから変化が訪れました。私の身体が機械の部分を受け入れました。私自身はもう殺して欲しいとさえ思っていたのですが」
そう言って笑った彼の表情には自嘲のようなものが浮かんでいる。さらりと言ってのけたが、苦労はその一言で片付けられる事ではないことをユマは知っている。
そもそも脳に機械を埋めるというのは違法とされている行為だった。脳に機械を埋め込んでも人の方が受け入れることが無かったからだ。仮に成功したとしても何らかの後遺症は残る。種の保存と言えば聞こえは良いが、人は未知のものに恐怖していたのだ。だから今までやる者はいなかった。……公ではそうなっている。
後遺症とでも言うのでしょうか、と彼は困ったように言う。
「これのおかげで疲れると言う言葉を知りません。眠ると言うこともです。空腹も感じませんから便利と言えばそうですが、身体は人間のものです。時々長い間食事をするのを忘れて身体が動かなくてビックリすることもありました。今は慣れてそう言うへまはやりませんけど」
くすりと笑う。
「ラギに夜中出歩いているところを見られたのも焦りました。眠りもせず動き回るのは変人ですからね。おかげで殺人犯に間違われるところでした」
「詰めが甘いのよ、それは」
「手厳しいですね」
「………不安なことは?」
「病気にかかりにくくなりました。老化も緩やかになりました。不安があるとすれば私がいつまで生きるかという事ですね。いつかは朽ちるでしょうが、前例を知りません。先の見えない人生というのは疲れます」
「疲れ知らずなのに?」
「ええ、疲れてしまいます」
二人は顔を見合わせて笑った。
不意に真顔に戻り、ユマは男の前に手を差し出した。
「本当にありがとう。成功例を見ると少し自信が出てきたわ。もしも無事でいられたのならまたあなたに会いたいわ、それまでさようなら……ダクスさん」
アヌルはおかしそうに笑う。
「それは統率に失敗して脳を撃たれた哀れな男の名前ですよ。でもまぁ……」
彼は少女の手を握り返した。
「……久しぶりにそう呼ばれるのも悪くありませんね」