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この街に不似合いな身なりをした子供が二人。治安の悪い街で、ガラの悪い住人たちが物珍しいものを見るかのような無遠慮な視線を浴びせても怯えるどころか戸惑う様子一つ見せない。人々は更に好奇な目で彼らを追った。
一人は十代半ばか後半の男、もう一人は小柄な体型から十歳ほどの子供と想像出来る。小さい方は男の方に抱かれる格好で丸まっている。姿を隠すように大きな布で覆われていた。
「ユマ、大丈夫ですか?」
男は心配そうに問いかけた。大丈夫よ、と少女のか細い声が返ってくる。
「……疲れただけよ。少し休めば直ぐに良くなるわ」
「異変を察知できませんでした。ご譴責下さい」
「責めないわよ。そう言う場合、一言‘Sorry’でいいのよ」
「はい、すみません」
彼の素直な反応にユマは小さく笑いを漏らす。
あの研究所をでて10日ほど経つ。その間、ヴィズはずっとこの調子だ。言語プログラムも感情のプログラムもどこかおかしい。想像したより遥かに性能が悪い状態だ。力や頭脳の面では問題がないのだが、表層人格のプログラムを切った状態では彼はロボットと同程度の人工知能しかそなえていない。言語変換もどこかおかしくその都度ユマが人間らしい受け答えを教えなければならなかった。
プログラムされて「学習」していたはずの感情長い間使わなかったために退化してしまったのだろうか。彼は事前にユマが説明を受けていた状態とは異なり芸術と言われる程の人間らしさはなかった。
ユマ以外の人間と接する時は表層人格を出している。こちらの方が遥かに人間らしい。あえて二人きりの時は切った状態でいるのは彼に自力で人間らしくなってもらいたいからだ。プログラムされた人格ではなく、「学習」する「感情」で。
(学習させることが億劫にならないうちに回復したいんだけど……)
ユマはヴィズの腕の中で目を閉じた。
彼女の体調不良が起きたのは今朝方のことだった。起きた時から僅かに頭がぼんやりするような感覚に襲われたが、無視して先を急いでいた。だがいくら自分を騙しても身体は騙しきれず、つい先程倒れてしまった。
気がつけば熱はいつもより高く、動くのもままならない状況だった。
早くユーリカに行き船を確保するために進みたかったのだがさすがにヴィズに反対された。
今日のところはメドフォードで休みましょう、と。
だが着いたのはメドフォードの中でも治安の悪いダクス。近頃は多少良くなっているという話だったが、とても宿を取れる状況ではない。宿と呼べる場所がないのだ。ヴィズが衛星と繋げた結果、ダクスの街で一番「安全」な場所はリーダーのいる「SADIE」という酒場とのことだった。
「ありました、ここのようです」
彼女は緩慢に目を開いた。
いかにもいかがわしい雰囲気のある酒場には夕刻だというのにちらほらと人影が見える。ためらいもせずヴィズはそこに踏みこんだ。
踏みこんだ瞬間、カウンターにいた男が険しい表情をしたのが分かった。
何かを言うより早く厳しい言葉が飛んできた。
「ここはお前らみたいな温室育ちの坊主らがくる場所じゃねえ、身ぐるみ剥がされる前にとっとと帰りな」
言い返したのはユマではなくヴィズだった。
表層プログラムが作動している。
「ここが一番安全な場所だと聞きました」
「ダクスじゃあな。だが、ここにいるより街を出た方が安全だ」
それは当然だろう。
ユマたちの格好はこの街では裕福すぎる。普通そんな子供が二人で安全に済むわけがない。ヴィズはどう見ても人間の、しかも十代半ばの子供にしか見えない。
「病人がいるんです!」
ヴィズは困った様子でうつむいた。
「妹にこれ以上無理はさせたくないんです」
男がユマの方を見た。布にくるまれたままユマも男を見返す。
店内からは濃厚な酒と煙草の匂いがした。その匂いが彼の元で濃厚になっているようにさえ見える。男は上に立つ者としての風格はあるが、この街のリーダーと呼ぶにはまだ若すぎる。
(でも、彼が‘レオ’)
ユマには確証があったわけではない。それは直感的なモノだ。この男で無ければこの街をまとめ上げることは不可能だ。
泊めてやりなよ、と誰かが茶化すように言う。それに悪態を返して男は煙草の煙を吐き出した。
「追い出すわけにもいかないでしょう? レオさんの性格上。それにその子、休ませないと大変みたいですよ」
「うるせぇ、俺の問題を勝手に決めるな。大体お前らの誰かが泊めてやればいい話じゃねぇか。自警団を名乗るならそのくらい出来ねぇ訳じゃないだろう?」
「でも、僕ら今晩見回りありますから、レオさんみたいに常駐出来る訳じゃないですよ」
レオはユマが今までに聞いたことのないレベルの品の悪い言葉を口にする。それが相手を詰る言葉だと気付くのに少し時間がかかった。意訳すれば「黙れクソ野郎」と言うことになるだろうが、あまりの口汚さにめまいがした。それともこれは熱のせいだろうか。
男は気にいらない様子で二人の方に向き直った。一瞬ユマを見て驚いた様子を見せたが、すぐに面倒そうな顔つきに戻り大きく溜息をついた。
「余計なモンに触れたら叩き出すからな」
「泊めて下さるんですか?」
「そのつもりで来たんだろう? 上の部屋を使え。……アヌル! 俺の部屋に案内してやれ」
承知しました、とアヌルと呼ばれた男が頭を下げる。
彼に案内されレオの部屋へと入った。
ベッドに下ろされ、ようやくユマは安堵の息を漏らした。
熱があって身体が熱いためシーツの冷たさが妙に心地よかったのだ。煙草と酒の匂い、そして女の人の香水のしみこんだベッドだったが、それでも人の腕に抱かれているよりは休めそうだった。
「何かあれば言って下さいね。下にいますからその内線で通じます」
先刻男にアヌルと呼ばれた男は壁側にある電話機を示した。
「食事はどうしますか?」
「妹に何か食べやすいものをお願いできますか?」
いいですよ、と青年は優しそうに笑う。
「あなたはどうします?」
「僕は水があれば十分です」
「遠慮しなくていいですよ」
「いえ。本当に結構ですから」
そうですか、と言ってアヌルは部屋を出て行った。
ヴィズは基本的に食事をしなくてもいい。出来ないわけではなく、水と太陽エネルギーで補充できるために、あえて食事をする必要がないのだ。もちろん燃料も同じ事。下手に入れるとかえって効率が悪くなる。
大戦後、食料確保が大問題になった時、ヴィズの身体は理想的なものだっただろう。どんな過酷な環境でも彼は生き延びる事が出来るのだ。
自分とは違う、弱い人間の身体を持つ少女の額に触れ心配そうに見下ろす。
「体温の上昇が見られます。食事をした後、薬を飲んで下さい」
「ええ……ごめんなさい、ヴィズ」
「なぜ、謝られるのですか?」
「迷惑をかけてしまったから」
「理由がありません。迷惑とは感じません」
「そうね……気が滅入っているのね、ごめんなさい、ありがとう」
ユマは呟いて目を閉じた。
アヌルが栄養補給用のゼリー飲料を手に戻ってきた時、彼女は少し落ち着いたように寝息を立てていた。