1
土地は日本に向かう程乾いていく。元は海だった場所をバギーで走ると土煙が後を舞った。多くの海の生物たちが死滅した土地は白くまぶしい色が続いている。美しく見えるこの場所でさえ、人の作った毒で汚染されている。
すぐに死んでしまうほど猛毒でもないが、長時間晒され続ければ必ず身体の不調は起こる。アトランティスで解毒作用の認められている薬を買ってはいたが、人間である二人にはどんな影響が出るのか分からないと言うのが実状だった。
水もないこの場所では植物も生きられない。海の死骸を踏みつけてバギーは日本へと急ぎ進んでいる。
彼らがこの土地に唯一存在する生物なのかもしれない。
あれからヴィズ達は衛星につなげるのを止めた。バギー搭載のレーダーと地図だけを頼りに日本への道を進んでいた。衛星に繋げれば軌道修正も容易く出来るが、想像していたほど不自由するわけではなかった。
「……嬢ちゃんは眠っているのか?」
難しい道を抜けた後、バギーを自動操縦モードに切り替えレオが振り向いた。
後部座席ではヴィズの膝の上でユマが寝息を立てている。疲れているのか少女はこのところ眠っていることが多い。乾いた土地を進むバギーの中は震動も強くけして寝心地の良い場所ではない。よほど疲れているのだろう。少女はすやすやと眠っていた。
「ええ、眠っています。今のうちにあなたも休んでおいたらどうですか?」
この先、日本に入ればいつ休める状況に入るか分からない。今のうちに休息を取っておくのは正しいだろう。
レオは苦笑した。
「寝過ぎると身体がなまっていけねぇ。お前らこそ休まないで良いのか?」
彼は助手席に座るドロシーとヴィズを交互に見た。もちろんそれは愚問だろう。ロボットは休息をほとんど必要としない。特にヴィズは自己メンテナンスが可能なので眠らないことをレオも承知しているはずだ。
不安と緊張をほぐすためにわざと冗談を言ったのだが、笑顔の作り方に失敗しテイル事にすぐに気付く。
彼は溜息を付いた。
「……俺は臆病者なんだよ」
ハンドルにもたれて心の底から吐き出すように言うと、助手席でドロシーがくすりと笑った。
「あんたが臆病だったらほとんどの人間が無菌室から出れないだろうね」
「それもまた勇気がいることだろ。無菌室しか知らないならともかく、出ない覚悟も勇気だろ」
戦うことだけが、行動することだけが勇気という訳ではない。
自分で選んだ事には先が見えない。どう転ぶか分からない。けれど自分で選んだ以上、結果は全て自分にのしかかってくる。
選択すると言うことはそう言うことだ。
例え悪い結果になってもそれが自分の選んだ結果ならば受け止めるしかないのだから、それでいいと思う。
だが、問題はその後だ。またあの腐ったような生活に戻るのだろうか。
ダクスのリーダをやっていることは楽だった。望まれるままに望まれるように行動すれば良いことだった。あの街に戻ればまたレオは元の生活に戻るだろう。仲間達もそれを望む。だが、自分はそれを望まない。
「あんた、ヴィザードを破壊した後、どうするつもりなんだい?」
「うん? 何だ急に」
見透かされている気がしてレオは口を曲げた。
「少し気になっただけだよ」
何気ない口調で彼女は言う。
ひょっとして励ましてくれているのだろうか。
「そういうお前は?」
決まっているだろう、と彼女は笑う。
「ジルのところに戻ること。元々そのつもりで私は来たのだからね。……その後は、絵本を読む」
「絵本?」
「私の名前の由来になった絵本をさ。ユマに教えて貰って少し興味があってさ。……なんだいその目は?」
「別に」
ただちょっと意外だった。
港町に住む老人のところに戻るというのは話を聞いていて分かっていたが、絵本を読むというのは何とも可愛らしい答えだ。それも自分の名前の由来になったと言う絵本。それがどんなものかは知らないがドロシーが自分自身に興味を持つのが意外な気がしたのだ。
少年は、と問うとヴィズはレオの顔を見返して答える。
「もう一度あの海に潜りたいですね」
「……あの海? お前あの中で何を見たんだ?」
「秘密です」
「あら、私にも秘密なの?」
いつの間にか目を覚ましていた少女はヴィズの膝に頭を預けたまま笑う。
繊細なガラス細工でも愛おしむように少年は少女の髪をなでた。金色の細い髪がヴィズの指に絡みついた。
「あなたには直接見てもらいたいんです。だから、それまで秘密です」
「ステキ、ロマンチックね」
少女は優しい笑みを浮かべる。
まるで恋人同士の会話のようだ。
「俺らには見せるつもりはないのか?」
ちょっとした疎外感を味わって問いかけるが、返った言葉はもっと疎外感を味わうような内容だった。
「ありません。世界がもう少し綺麗になったら考えます。あなた達ならば見せてもいいと思っています」
「何だそれは」
「いいんじゃない? 絶対に教えないって言っている訳じゃないんだからさ」
明らかにむっとした様子のレオとは対照的にドロシーは朗らかに言う。怒ったところでヴィズにとってユマが特別なのには変わりない。完全に拒否されていないだけレオやドロシーが他のその他大勢よりも格上なのだ。
「ユマは? 世界を元通りにする方法を探す?」
「ええ、そうね。でも先にヴィズの言うものを見たいわ。ジルベールさんとも話がしたいし、ダクスの街にももう一度行きたいわ。……どうしよう、何だかやりたいことが沢山あるわ」
困ったような口調だったが、彼女は楽しそうだった。
「ま、時間はいくらでもあるんだ。それくらいあった方がいいだろう」
「そうね。忙しい位の方がいいわ。……あなたは? 答えてくれていないみたいだけど」
問われてレオは苦く笑う。
「……それは全てが終わってから考えるさ」
ダクスの町を出たときから終わった後のことなど考えていなかった。その先などないと思っていたのだ。
ユマのような明確な目的があったわけではない。殺人衝動と言うべきだろうか。破壊衝動はあったが現状の‘奴’がどんな状況にあるのかレオには分からなかった。故に目的も持てなかった。日本に奴に繋がるものがあるのは知っていたがそこに辿り着いて何になるかとも考えていた。
以前ヴィズに目的を問われて答えなかったのは目的を知られたくなかったからではない。目的と言えるほどの強いものはなかったのだ。ユマの進む道に便乗するように歩き始めただけのこと。セイジ・クサナギの遺伝子を持っている顔をした二人が、何をしてどんな結末に辿り着くのか興味があっただけのことだ。場合によってはセイジ・クサナギにまつわるもの全て破壊して終わらせようと思った程度だ。
翻弄されるのは癪だが現状が変わるのなら少しくらい無様に踊ってやろうと今も思っている。だから、先のことなど何も考えられない。
「時間はいくらでもあるのだから、先のことは後から考えても十分ね」
ユマは楽しそうに笑った。
「お嬢の言うとおりだな」
言ってレオは視界の端に奇妙なものを捕らえた。レーダー解析を済ませた‘地図’の情報を信じるのならば暫くこの先に行く手を阻むようなものはなかったはずだ。
自然物も、人工物もだ。
「何だ?」
呟きにヴィズが答える。
「不明です。レーダーには何の反応も示されていません」
レオは顔を顰めた。
「あんなでかいもの見落とすか? どんなポンコツだよ」
「ステルス性能を備えている船と推測出来ます」
「あら、幽霊船かもしれないわよ」
レオは意外な気分で彼女を眺める。
「お前、そう言うの信じる質なのか?」
「科学的に証明出来ることが全てではないと思うわ。大戦で沢山の命が失われて、沢山の想いが世界中で散っていった中、何も残らない方が不思議よ。まぁ、ヴィズの意見が正しいと思いますが」
少女は近づく大きな船を見上げる。
レオは手動に再び切り替え、バギーを止めた。




