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オズ  作者: みえさん。
四章 魔法使いは孤独に嗤う
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10

 深い眠りに落ちていた。

 夢。

 これを夢というのだろうか。

 暗闇に包まれた海の中の「楽園」で少女が眠っていた。

 ここは正常な世界。

 マスターが望んでいた世界。

 純粋な水と、空気があるこの世界。

 この空気が地上にあれば、マスターは死ななくて良かったのかもしれない。

「マスター?」

 呼びかけても少女は動かない。

 似ている。

 金色の髪をしている少女。だけど、彼女はマスターではない。誰だっただろうか。大切な人だったはずなのに思い出せない。

 少女は息をしていなかった。

 首には手形がくっきりと残っている。

 はっとして見つめた自分の手のひらと、その痣はしっかりと一致した。

「僕が……殺した?」

 手を見つめると震えていた。

『初めまして、あなたがクサナギね』

 少女の声が蘇ってくる。

『あなたの新しい主人になるわ』

 そうだ、この人は、新しいマスター。

 ユマ・J・アキヤマ。

『ウィズというのはどうかしら?』

 自分に名付けてくれた少女。

 自らマスターと言いながら、けして自分に命令をすることが無かった。

 擬似的にでも兄妹になった自分たち。どちらが上なのか分からないくらい彼女は大人びていた。教えられることのほうがずっと多くて、彼女の笑う顔をいつまでも見ていたいと思っていた。

 そんな彼女はもう動かない。

 締め付けた感覚が蘇ってくる。

「僕が殺した?」

 何故、何故彼女の首を絞めたのだろうか。何故この手でこの少女を殺してしまったのだろうか。

 恐ろしいほど細い首の感触が残っている。

 それだけを残して自分は永遠に失ってしまった。

 優しかった少女の笑顔、手のぬくもり。

 何もかも。

 もう二度と触れる事がない。

(何で………目が、熱い)

 失ってしまった右目以上に左目の方が酷く痛みを感じた。熱く何かがこみ上げてくる。

 涙。

 流れる機能はある。けれど、流れる感情を抱いたことはない。

 押さえるとそこから水が溢れ出てきている。

 泣くという状態が今起きないとしたら、いつその感情を抱くことになるのだろうか。

「……ユマ」

 マスターとしてではない。

 一人の人として、大切に思った人。たった一人の家族なのだ。なのに、自分が殺してしまったのだ、この手で。

 何故あの時思い出せなかったのだろう。こんなにも大切な人だったのに。

「ユマ……っ!」

 呼んでも、叫んでも、叫んでも。

 自分に言葉はもう二度と戻らない。

 優しい声は自分に帰ってこない。

 彼女は二度と動かない。


「僕は……僕はっ!」



 目を開くと急速に感覚が蘇っていく。

 目覚めたことの安堵感と言いようのない不安感が彼の中を駆けめぐっていった。ここはどこだろうか、強制的な眠りに付かされてからどれくらいの時間が経っているのだろうか。そしてユマはどうしたのだろうか。

 身体を急いで起こすとめまいのような感覚に襲われる。

 右目がない。頭痛がする。

 そんなことはどうだって良かった。

 視界の中で必至に少女の姿を探す。

「……目が覚めた?」

 呼びかけられて彼はホッとする。

「ユマ」

 少女がいた。変わらないブルーの瞳。

 良かった、と安堵した直後彼は絶望感にうち拉がれる。

 手足が震える。いや、もう全身がどうしようもないくらい震えていた。

「僕は……」

 彼女の首には貼り付くような手の跡。

 自分の手の形と酷似している。

 少女は生きている。

 しかしその首に残る跡は、自分が彼女を殺そうとした紛れもない事実。

 怖かった。

 彼女を見るのが怖かった。

 嫌われただろう、怖がられるだろう。

 当然だが怖い。そして再び彼女を手にかけてしまうのではないかという恐怖。身体が震え、思うように言葉が出ない。

 少女が暗闇の中で動いた。

 彼はびくりと身体を振るわす。

「ごめんなさい、貴方の右目治してあげたかったのだけど、ここでは機材が少し足りなくて……。表層皮膚の方は自己修復を始めているみたいなのだけど」

 言って少女はヴィズの頬を撫でる。

 柔らかく、華奢な手。

 生きている証を示すように温かい。

 少女の手は自分を怖がっていない。拒むこともない。いつもの優しい手のまま。それでも、少女の鼓動の速さを感じる。

「私は無事よ。……そんなに怖がらないで」

「しかし、僕はあなたを……」

 殺そうとした。

 ブルーが微かに震える。それは恐怖が含まれている色ではなく、まるでヴィズを慈しむような優しい瞳。

「あなたがおかしくなってしまった時、正直恐怖を感じました」

「申し訳……ありません」

「謝らないで」

「はい」

「私が怖いと思ったのは殺されるかもしれないっていう恐怖ではなかったわ。死に際して何の恐怖も抱かなかったと言えば嘘になるけれど、あなたが‘お父さん’に乗っ取られたのかと思ったのよ。あなたが声の届かない知らない人になってしまったようで怖かった」

 いつか記憶した柔らかく暖かい手のぬくもりが再び頬に触れた。

「今は、嬉しいわ」

「……うれしい?」

「あなたは貴方のまま。私の大切な人。……ちゃんと泣けるようになったのね、ヴィズ」

 言葉が染みる。

 少女の声で呼ばれるのが嬉しい。触れられて、小さな身体で目一杯に抱きしめられて、頬にキスをされた。

「あなたは人間ではありません」

「はい。クサナギ型アンドロイドです」

「けれど、この世界でも最も人に近い存在だと思っているの。一番新しい種類の人だって言えるのかも知れないわ」

 少女は笑う。

「私、あなたを人間にしたかったの。倫理的に間違っているかもしれない。だけど、あなたが本当の意味で人になれたなら……人は、どんな世界でも生きていける。この世界を変えることも出来る。そう思っていたの」

 そして、と少女は微笑んだ。

「私の望み、もう半分叶ってしまったわ。あなたはこんなにも人間らしい感情を持っているのだもの。私、それがとても嬉しいの」

「ユマ……」

「覚えておいて、ヴィズ。私はあなたのことが大好きよ。例えどんなことがあっても、それは変わったりしない」

「僕も、あなたが好きです。この世界で誰よりも大切です。……もう二度と、あなたを傷つけたりしません。だから」

 だから、あなたの側に置いて下さい。

 彼女を殺そうとした罪は一生消えないだろう。

 それでも彼女がこうしてくれる事が嬉しかった。

 ヴィズは少女を抱きしめ返す。

 小さな身体。信じられないほど軽い体。

 それでも彼女は生きている。


 それだけが嬉しかった。



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