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ヴィザード、魔法使い、魔術師、そう言う名前で呼ばれるものは最早人ではない。
かつての大戦時に緑斑病のウイルスを作り、世界の半分を滅ぼした科学者「セイジ・クサナギ」の脳を中心として作られた巨大なコンピュータだった。
かのアインシュタインよりも天才と言われた男はもはや神の領域まで達していたと言える。自らの身体を実験台に使いながらも、様々な功績を残していた。彼の行うことはどの国でも違法行為とされていたことだが、実験は国連監視下の元秘密裏に行われてきた。その一貫としてクローン技術とアンドロイド作成が絡んでくる。
天才の頭脳を持ってしても作り上げたクローン体の寿命は何故か短くなる。遺伝子の配列を故意に変えれば歪な形のものが生まれ、同じ細胞を使って同じ存在をつくりだそうとしてもどうしても同じものにはならない。育つまでにも時間がかかる。彼は考え、機械とクローン体の融合であるアンドロイドを作ろうとしていた。
「彼の命が永遠なら世界は変わる。学者達は彼を永遠のものとして世界の神にしようとしていた」
「気色悪ぃ、いつの時代の新興宗教だよ」
「いつの時代もそう言う思想はあるのよ。セイジ・クサナギは間違いなく天才でした。一説によれば彼は普通の人間が使うことのない脳の部分まで使用していたそうよ」
「……そりゃ人の精神で耐えられるものなのか?」
「常人では耐えられない、というのが定説よ。ただ、彼は天才的な脳を保有しながら極めて人間的な思考をしていたそうなの。……人格的に問題があったという話もあるけれど」
幼い頃は他人と上手く接することが出来なかったという。天才と呼ばれる人間にはよくある障害であり、幼い頃の彼はアスペルガー症候群と診断されていたようだ。母親は彼を生んですぐに亡くなり、程なくして父親も亡くなり親族を転々としていた。
知能の高さ故に海外の大学に招かれるまで、彼はまるでロボットのように人らしい感情を殆ど示さなかったという。
「まだ十歳にも満たない頃、その才能を見込まれアメリカの大学に彼は招かれた。そこで彼の天才振りは遺憾なく発揮された。こと遺伝子学に関しての彼の熱中振りは驚異的だったと聞きます。そして彼を崇拝するように集まる者も多くいました」
実際にその場所に居合わせたのならユマも彼の才能に惹かれたことだろう。
真正の天才は凡人からは奇異に映るが、天才に憧れる者から見れば自分の理想を実現してくれるかもしれない存在となる。
才能に嫉妬心を抱きながらも、その存在に憧れずにはいれなかっただろう。
「けれど彼は突然死を選んだ。自らを緑斑病に感染させたらしいの。学者達は必死に彼を救おうとしましたが、汚染される前に摘出することができた脳と遺伝子、数体のクローンが残っただけでした。その一体、失敗作と言われたのが私の父親、アキヤマと名付けられたクローン体でした」
「やっぱり、お前、あいつの遺伝子を持っていたのか」
「ええ、劣化遺伝子と呼ばれていましたが」
ユマは自嘲するように笑った。
アキヤマが失敗作であった。クローン体にもかかわらず天才の性格を受け継いでいなかった。頭は良かったのだが、彼のようなずば抜けた天才ではなかった。彼は研究所の方に回されユマの母親ユリハと出会う。
ロボット工学の鬼才と呼ばれた女と、おちこぼれと揶揄されるようなクローンが出会ったことで少し歴史が変わったのかも知れない。
ユリハは酷くクサナギを憎んでいたが、本体とは全く性格の違うアキヤマと接するうちにアキヤマに好意を持つようになった。アキヤマも自分をただのクローン体として見ない彼女に好感を抱く。彼らが恋仲になるのにはさして時間は必要なかった。
やがて彼女はユマを身ごもる。
「……その頃はもう既にクローン体の寿命が尽きる頃でした。人より早く尽きることは分かっていましたが、母と出会い、私の誕生を待つ段階で欲が出たのだと思います。アキヤマは提案したの」
「何をだ?」
「制作途中だったアンドロイドに自分の脳を移植することを」
彼女が本当にアキヤマをヴィズの中に入れたことは分からなかった。だが、アキヤマの死後、芸術と呼ばれたアンドロイド「クサナギ」が誕生する。
「私は、ヴィズの脳の中にアキヤマがいるのか、確かめたかった。これだけ長く居てもやっぱり分からない。母の日記に残された父とは違う。けれど、完全に否定することも出来ません」
「それで……魔法使いに会いに?」
ドロシーの問いにユマは被りを振った。
それもある。だが本当の目的はそれじゃない。
「私は、悲劇の元凶を産んだセイジ・クサナギの脳核の使われたコンピュータを破壊するつもりだったの」
「お前……」
「ただの私怨よ。世界をこんな風にした一端は彼にある。私は綺麗な地球を知らない。……悔しいじゃない」
母が恨んだ存在。
同じ気持ちではないけれど、自分を突き動かすだけの強い感情がそこにあった。
「私はヴィズを起こして日本に行く決意をしました。もしもヴィズの中にアキヤマの脳が入っているとしたら魔法使いに深くシンクロできる。そうなればヴィズはあれを壊せるわ。……でも、今となっては」
今となってはユマがそこまで考えて行動することなど計算済みだっただろうと思う。
クサナギの遺伝子を含んだ人間がレオと出会えばレオは理由を付けて追いかけるだろう。そう言う事を計算してユマをダクスにとどまらせるように仕向けたのかもしれない。そのくらいのことは容易に出来ることだろう。
あの時、無理にでもダクスに留まろうと言ったのはヴィズだ。彼はあの前後で複数回衛星に繋がっている。そこを利用されればユマが気付くこともなくあの店に誘導することが出来る。
ただ、レオを日本へ向かわせるためだけに利用したのだ。今回の状態もそうだ。ユマが殺されてしまっていればなければヴィズを案内人にレオを自分の元へと導いたのだろう。
ドロシーのD回路が壊れたことと、ユマの声で一瞬彼が正気に戻ったこと。
それだけが彼の誤算。
それさえなければ全て計画通りだった。
(だけどそれってつまり……)
考え及んでユマはきつく目を閉じた。
そんな悲しいこと考えたくない。
自分がアンドロイドとして復活するために、支配できるアキヤマの脳をヴィズに移し、ユリハが完全体を作るように仕向ける。それはつまり、アキヤマはクサナギの支配下にあり、利用するためだけにユリハに近付いたことになる。
自分を生んだ母。思い出はないけれど、母と出会い自分の父となった人。
自分のことを呪ってもどうしても憎めない人たちだった。
そんな悲しいこと、現実であって欲しくなかった。
「破壊してどうするつもりだったんだ?」
「私の脳を入れるつもりでした」
言われてレオは唖然とした表情をした。
やがてぽつりと呟いた。
「……お前バカか?」
「あら、本気よ。……私、天才になりたかったのよ」
首を絞められて朦朧としていたせいもあるだろう。その時ユマは初めて本音で向かい合っていたのかもしれない。
「母親が鬼才アキヤマだったから、私を知る周囲の人は過剰な期待をしていたわ。だから私は天才を演じていたの」
努力は惜しまなかった。
天才と呼ばれるために様々な努力をしてきた。多分ユマの本来は「他人より少し頭の良い子供」だったのだと思う。天才ではなかった。
ただ、勉強をして、学んで、感覚で物事を知る努力をした。
でも周囲は彼女を認めなかった。天才天才と持て囃しこそしたが「アキヤマの娘だから当然」「天才の子供は天才」そう呼ばれ続けた。彼女の周りで評価する人間は結局芸術品を生み出した鬼才アキヤマ博士しか見ていなかったのだ。
「悔しかったわ。だからみんなに認められる存在になりたかったの。……確かに馬鹿なこと、って思うけど」
そして魔法使いの脳を手に入れたら、この世界を元の世界に近づけるための研究を始めるつもりだった。時間は無限に存在するのだ。荒廃した土地しか知らない自分がただ純粋に「見たい」と思った世界を現実にさせる。
むろん、そうなればドロシーの壊れた回路を直すのも簡単だと思ったのだ。むしろ今以上のドロシーとジルベールの望むドロシーにすることが出来る。彼女には協力してもらうことになるのは分かっていたから、それ相応のものを返したいと思ったのだ。
その時、今の自分は側にいられなくなるけれど。
「それが夢だった……って、何笑っているのよ」
口元を押さえて肩を振るわす男を睨め付ける。
ただでさえ恥ずかしい事を言ったとおもっているのに、笑われると余計に恥ずかしくなる。
「……悪い。や、だけど少しホッとした」
男は大きな手で彼女の髪を撫でた。
「お前、いつも背伸びしてたからな。……それに、夢を持つことは悪くないと思うぞ。コンピュータの脳核になる云々はともかくとして」
それは自分でも思っていただけに苦笑する。
正直夢は変わっていないし、出来なかったとしても魔法使いは何とかしたいと思っている。このままでは再び彼の意思に占拠されたクサナギ型によって世界が滅ぼされかねないからだ。
ユマは少し口をとがらす。
「だって、それしか思いつかなかったんだもの」
「もっと良い方法探そうぜ、天才じゃなくても秀才なんだろ?」
「こんな馬鹿な子供でも、そう思ってくれる?」
「お前は凄いよ。その歳で俺には真似できねぇようなことをやってのけようとしてる。実際に動いている。今の世の中、そういう奴のが珍しいだろ」
ユマは少し嬉しくなって笑う。
自分が欲しかった自分に対する純粋な評価。
それがこんな所で貰えるとは思っていなかった。
「ま、でも、これで決まったな」
「何が決まったって?」
「目的だよ」
「そうね」
そう、目的は定まった。
日本に行きヴィザードを破壊する。




