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「ぐっ……」
力を入れると止血したはずの場所から血がにじんだ。刺された傷口は深いが致命傷には至らない。失血で死んでしまう可能性もあっただろうが止血のやり方を知っているレオはそんな失態はしない。
それを見越して刺したのだから嫌味なやつだ。
二十年前もそうだった。突然レオを尋ねて来た男は自らを父親だといい、自分がユージンという男の遺伝子を使って試験管で作られた人間だと言うことを知らされた。当時十歳そこそこの少年だったレオは驚くよりも目の前にいる男を憎んだ。子供ながら真実だとわっかったからだ。
男はレオをユージンと呼び、故郷日本に戻ることを望んだ。だが、レオはそれを拒んだ。
そしてレオ少年は男に刺され、瀕死の重傷を負う。
傷が癒え、父親と名乗ったあの男「セイジ・クサナギ」を殺すためにダクスの街を生き抜いてきた少年は終戦と同時にクサナギの死をも知ることとなる。あとは気持ちの悪い煮え切らない感情と共に惰性で生きてきた。
その中で、二人と出会った。
同じ遺伝子を含んだような顔。運命を感じた。彼らがダクスを通った理由は知らない。だが、クサナギに関わる感情に蹴りを付けられるだろうと思ったのだ。
今となってはどちらかの思考がダクスの街を訪れさせたのだろうと思う。それは最初から全て奴に仕組まれたことなのだ。
「……時間がねぇんだよ、くそったれ」
自分がロボットの身体を持っていたならどんなに良かっただろう。思い通りにならない身体がもどかしい。
早く行かなければ、ユマが危ない。
※ ※ ※ ※
手のひらに暖かな感触がある。
これはどこで感じた感触だろう、思い出せない。
「……っっ!」
少女の顔がみるみる赤くなっていく。力に任せて握れば簡単に折れてしまいそうな首をしている。
誰だっただろうか。
思い出せない。
だが、大切な人だった気がする。
迷いのせいなのか、ひと思いに殺すことが出来ない。そういえば、殺す、という行為は禁止事項に含まれていたのではなかっただろうか。
『殺せ』
マスターの声が聞こえる。
あらがえない絶対的な命令の言葉。
だけど。
『ヴィズ』
笑った顔が思い出せる。
自分を見てこの少女は楽しそうに笑う。
『犠牲者が無くてよかったじゃないの』
人が傷つくのを嫌っていた。
『そう言うのはヴィズ本人に聞いて頂戴』
そう言えばこの人の命令する言葉を聞いたことがない。お願いと言うことはあっても、絶対的な命令は彼女はしない。いつも自分を尊重するような言葉を選んでいた。マスターではないから当然だろう。
いや、マスターだった?
誰だ、この人は?
この人は、誰だ。
「ヴィズ!」
強い力で押しのけられた。
無理矢理少女から引きはがされる。
「あんた、ユマに何て事を」
「……誰ですか?」
女性体のロボットは驚いたような表情をしている。
見覚えがある。
だが、思い出せない。
「あんた……一体どうしたんだ、ヴィズ」
「私の名前はクサナギです」
女性体をつかみ上げる。
命令が聞こえる。
耳元で囁かれる声。
『それも敵だ、排除せよ』
はい、マスター。
つかみ上げられ、ドロシーは恐怖を抱いた。
自分が殺されるかもしれないという恐怖ではない。ユマの様子がおかしい。首を押さえたままうずくまっている。意識はある、だが呼吸音がない。咳き込んでもいない。こちらを見ようともしない。
あのブルーの瞳が見えないと不安でたまらない。
「放しな!」
ヴィズの顔面を蹴り上げ彼の手から逃れる。
何とか攻撃を交わしながら冷静にならなくては、と考える。戦闘能力は互角かヴィズの方が上だ。スピードも軽い分彼の方が速い。自分が勝っていると言えば力だけだろう。それもヴィズ自ら制御を外せば大差ないレベルになる。
彼は完全に狂っていた。どこからかウイルスにでも感染したのだろうか。
ドロシーは真上から落とされた踵をクロスした両腕で受け止める。
「さすがユマの護衛ロボット、性能が違うねぇ」
余裕があるように見せているのははったりだ。
当たり所が悪ければドロシーの身体など直ぐに折れてしまうほどの力だ。
改めて実感する性能の違い。
敵に回ったことの恐ろしさを感じた。
「私はクサナギ型アンドロイドです」
「やっぱり、あんたは全クサナギのオリジナルなんだね?」
クサナギ型のアンドロイドはこの世界には存在しないことになっている。天才アキヤマが作った最初で最後のアンドロイド。その後作られたクサナギ型のロボットはわざと彼よりグレードを落として作られている。アキヤマは彼以外の完成品をつくらなかったのだ。
人の柔軟さ、機械の正確さ、人の学習能力、機械の丈夫さ、あとは感情さえ発達すれば彼は人類が望む最高の形の「人間」になるのだ。
だから倫理的に赦されなかった存在。
「マスターを襲うなんてとんでもないアンドロイドだね。それも性能かい?」
「誰が、誰の、マスターですか?」
ヴィズは一切表情を動かさないまま言う。
本当にこれが彼なのだろうか。冷たくて無感情で、怖い。
「ぐっ!」
再びドロシーは襟首を掴み持ち上げられた。足下の感覚が無くなり宙に浮いていることが分かる。
「答えて下さい、誰が、誰のマスターなのですか?」
「……ユマが、あんたの、マスターだよ!」
「私のマスターはアキヤマ博士です」
「アキヤマは死んだっ!」
「いいえ、生きています。現にまだ命令が来ています」
今の彼はアンドロイドではない。機械の部分が勝っているのだ。だからどこからか受信した信号を命令と思いこみ、ユマを殺そうとした。そして邪魔をするドロシーも殺そうとしている。
ドロシーの脳はそう判断した。
先刻、ユマを狙ったボウガン。
同じ者だろうか。だとしたらあの攻撃はレオを引き離すための作戦。相手が挑発に乗ってきていたのだと思っていたが、のせられたのはレオの方。
どうしたらこの暴走したヴィズを止められるのだろうか。
まずは彼から離れなければ。
(どうやって?)
先刻のような技はもう通じない。例え今逃げられたとしても捕まってしまうのが目に見えている。なら、どうすれば良いのだろうか。
レオがいれば、何とかなるだろうか。
悔しいがこの状況で頼れるのは彼だけだ。
「……っ!」
感覚機関を切っているために痛みは感じないが恐怖を覚える。
首が、ミシミシ音を立てる。
「……誰か………オ……」
刹那、
パンと乾いた音を立ててヴィズの右目が破裂する。少年の手元が緩んだ。彼女は身をよじって強い手から逃れる。
「レオ!」
ドロシーは仲間の姿を認めて叫ぶ。
彼の手元には白煙の立ち上る拳銃が握られている。脇腹は真っ赤に染まっている。
今にも倒れそうな程にふらつきながら男は笑った。
「へっ、ざまぁみろ、クサナギ」




