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「さて……」
ユマを見送って一服してからレオが立ち上がるとウィズも倣って立ち上がる。
店の主に軽く礼をを述べ出てくると黙ったままヴィズが付いてくる。
レオは彼を振り返って笑う。
「……何か俺に言いたいことは?」
「特出して言うべき事はありませんが」
「ふぅん?」
微かにレオは笑みを浮かべる。
本当に人間にしか見えない良くできたロボットだった。感情面で希薄な所はあるが、そう言った人間も別に珍しい訳ではない。生きるだけで精一杯で笑わない人間だって多い。ダクスすらそう言う人間は多い。考える事を放棄し、ただ生きているだけの人間。その方が楽なのだ。目を閉じ何も考えなければいい。必要なら笑顔という無表情のまま生きればいいのだ。ただ、彼の場合そういった無感情の人間とは違う。
「じゃあ、どうして俺の方を見ていた?」
問われ、彼は少し驚いたような素振りを見せた。
ロボットの表層人格の受け答えともどこか違う、人間が自分の無意識に驚くような表情だった。
彼はそのまま少し考え込み、やがて頷いた。
「確かにこのところ頻繁に貴方のことを見ていたようです。不快に思われたのでしたら申し訳ありません。改善します」
「別に不快とかそう言うことじゃねぇよ。これから先もまだ長い。腹ん中積もってる事があんだったら、先に言っておけ」
ヴィズは少し目を伏せ、考え込んでから、遠慮がちに言う。
「……少し、気になっていることならあります」
「何だ?」
「貴方は何故、ユマに付いてきたのですか?」
レオは苦笑いを浮かべた。
当然の疑問だが、今更それを問いただされるとは思っていなかった。ヴィズにしてみればマスターであるユマが何も言わないのだから自分が言う必要はないと考えていたのだろう。二人きりになって、問われ、ようやく口にするような事柄だったのだ。
「お前らに迷惑かけた罪滅ぼし、って言っても納得はしねぇだろうな」
「はい」
彼は素直に頷く。
「貴方にはダクスでの生活がありました。それを捨ててまで罪滅ぼしに来るようには思えません。貴方の行動はあの町を守るためのものでした」
「いいかげん嫌気が差していたんだよ。あんな生活に。脱するためにお前らというきっかけがあっただけだ」
「ならば余計に不可解です。きっかけになることなどいくらでもあったはずです。一応の筋道は通っていますが、貴方の行動を見れば納得の出来ない部分が多く見られます」
レオは笑う。
「……例えば?」
「そもそも、僕たちである必要はありませんし、日本へという長旅に付き合う必要はありません」
「ま、そうだな」
「ユマは貴方をお人好しと言いますが、それを理由にするなら、貴方はダクスの生活を正しい形で終わらせてから来るはずです。貴方には貴方の思惑があり、日本に行くか、若しくは僕かユマのどちらかと行動を共にする必要があった。……違いますか?」
言って彼は真っ直ぐな視線で見る。
心の奥底まで見透かそうとしているような、硝子レンズのような透き通った瞳。
レオは煙草を取り出して一本銜えた。先刻一服したばかりだったが、妙に乾いて感じる。
煙を吐き出し、逆に彼に問いかける。
「……そりゃ、嬢ちゃんかお前が、俺に何かを企ませるだけの理由があるってことか?」
「僕自身の価値は不明です。ユマの価値を彼女が人質に取られた場合に安全保障と引き替えに支払われるべき金額と考えるならば、先刻ユマが宣言した通りです」
「嬢ちゃんが金持ちなのは匂いで分かるが、俺に野心を抱かせる事情があるとでも?」
「ユマの素姓に関しては、僕が申し上げられる事はありません。ただ、ユマは世界的に見ても特別な人間であることは貴方も認識をしているはずですが?」
特別な人間。
それを普通の人間が、自分を称する為に使ったのならばレオは笑って捨てるだろう。けれど確かにユマは違う。年齢不相応な程に大人びた態度はもちろんであるが、話をすれば分かる彼女の知識は一般人のものではない。ましてヴィズのように精巧に作られたロボットを連れて旅をしているのだ。最初に出会った時にドロシーを連れていたのなら、これほどまでに彼女を‘特別な人間’と感じなかっただろう。せいぜいどこかの資産家の令嬢が家の事情で逃げる先を探している、若しくは酔狂で世界を見て回っている程度にしか思わなかった。
それがこんな芸術品にも似たロボットを連れ、よりにもよってレオが管理するダクスに辿り着き、宿泊先に「SADIE」を選んだ。
興味を持つなという方が不可能だ。
レオは彼女の素姓をおおよそ見当を付けている。だから付いてきた。それだけのこと。
「特別な人間とか言うなら、お前はもっと慎重になるべきだ。少なくとも俺のような人間を近づけるべきじゃない」
「それは貴方がユマに危害を加えるつもりがあるということですか?」
「……だとしたらどうする?」
「排除します」
彼は表情を変えないまま言う。
身構えもしなかった。
反応速度や身体能力を考えればレオが攻撃態勢に入った瞬間彼はレオの首をかっ切るだろう。
能力の差から来る余裕か、それとも、レオを信頼している証か。
彼の乏しい表情からはそのどちらとも判断が出来なかった。ただ、本気であるのは分かる。ユマに危害が及ぶと判断すれば彼は迷わない。
感情を孕まない、合理的な判断。
それがロボットというもの。
レオは薄く笑う。
「なら、今のうちに俺を排除しときな。今は何もする気はねぇが、それが長く続くとも限らねぇ」
「犯してもいない罪のために貴方を排除することは出来ません。……ユマが望みません」
「ユマが、ねぇ……」
紫煙を吸い込むと、独特の匂いが口の中に広がる。
ユマが死ねと命じれば自殺でもしかねないと思う。ロボットである故に‘自殺’という単語が合っているのかどうかは分からないが、活動を停止するという意味では自殺と言えるだろう。そう言ったことを何の躊躇いもなくしてしまいそうだと思う。
そういった誰かに対して従順な人間も珍しくない。人殺しを名誉と教えられてきた子どもは戦場で人を殺すのを躊躇わない。おかしいと思うようになる年齢に達した頃には既に人殺しが日常的になり、考えるのを放棄してしまっている。同じように教育を受けてきた人間なら誰かの為に命をなげうつのを躊躇わないのも分かる。ロボットであればそうプログラミングされていることもあるだろう。
けれど、何か違う気がした。
ロボットはマスターに従うように動く。ドロシーのようにマスターが‘喜ぶ’ことを学習し、そのように動くロボットもある。
でも、彼のこの行動は本当にそんなものなのだろうか。
そもそも、彼らと自分との思考にどんな差があるのだろうか。
「それにユマの言ったように、貴方は‘しない’と思います」
「思う? お前の思考か?」
「貴方の今までの行動、ユマの考察、その他の事情を考慮し試算した結果、69.79%の確率で貴方がユマに対して直接的に危害を加えることはないという結果になりました」
「……そりゃ高いのか?」
「現在進行形で変動しています。人の行動で七割近くの数値は‘高い’と判断できる数値です」
断言された言葉にレオは笑う。
「なら、間接的に危害を加える可能性は?」
「不明です」
間髪入れずに彼は答える。
「その可能性を計算するために貴方を見ていました。貴方が誰にも話をしていない事柄が不確定要素ですので」
「秘密なんかねぇ、じゃ納得しない」
「はい」
「堂々巡りになるな」
「その通りです。そのため追及しても無意味と判断をしていました。機会があったので話をさせて頂きましたが、不快にしてしまったのであれば申し訳ありません」
レオは片手を振った。
「ま、いいさ。……絡んで悪かったな」
「謝られる理由がわかりません。不快にさせていたのはこちらのはずです」
「じゃ、まぁ、互いに水に流すってことで俺らも用をすませに行くぞ」
「はい」
歩き出すと、ヴィズもそれに従うように付いてくる。
今は従順な飼い犬のような彼が、自分に牙を剥く日がくるのだろうか。




