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ポーカーでの一件以来、一行は船内の有名人となった。
腕っ節の強い大男レオに、可愛らしい娘のユマ、ユマの異父兄弟であるヴィズ、彼らの母親をかたどったロボットのドロシー。真実はさておき船内の人間達は彼らをそう認識していた。
いかにも天真爛漫に振る舞うユマも、いつも礼儀正しいヴィズも、そして妙に力があり船員に混じって力仕事をやる働き者のドロシーも人気だった。だから賭け事ばかりして酒を飲んでいるだけのレオに船客達は呆れていた。家族はあんなに良い子達なのに、と。
しかしどこか憎めない存在であるレオの周りには自然と人が集まる。
集まった誰もがレオがあのダクスの猛獣であり、今もまたこの船内で大きな役割を担っていることに気付いていなかった。
「少し航行速度が遅いですね。丸二日かけてこの距離です」
「確かにねぇ。少なくとも半日は遅れが出ている計算になるね」
テーブルモニタに映された海図を見ながら言うと、ドロシーが相づちを打った。ポケコンで作業をしていたユマも、手を止め難しい顔をした。
「気象条件は?」
「良好です。天候、風向き、風速、波の高さに至るまで遅れるどころか早まっても良いくらいの好条件ですね」
「私の試算でも同じ結果を出すね。私には航海ソフトが入っているから間違い無いだろうし、ヴィズ共々おかしくなったとは考えにくい」
ユマは頷く。
「そうね。さっきのメンテナンスの時も二人に異常はなかったわ。異常があるのは船の方か、それとも」
「海だ」
コーヒーを片手にレオが言う。
寝起きで機嫌が悪そうだが、体調に異常は見られない。元々彼は自己申告するレベルで寝起きの機嫌が悪いのだ。彼のむっつりとした顔を誰一人気にすることなく挨拶を交わす。一通り挨拶が終わると続きを促すようにユマが問いかける。
「やっぱり海に何かあるの?」
湯気の上がるコーヒーを飲んでレオが答える。
「ああ、いる、っての方が正しいみたいだな」
「いるって何が? サメか何かかい?」
「化け物さ」
短く言って彼はモニタを叩く。
タッチパネルになっているモニタは彼の指に反応して一帯の海図を拡大して示した。
「この辺りの海域は深い。昔からこの辺りで難破する船が多かった。それもこういった航海に申し分のない気候の時が一番危ない。だから連中は警戒して通る。必然的に遅くなるって訳だ」
「その化け物ってのは?」
「伝説の魔物だ」
「歌で魅了して沈める?」
「いや、そっちじゃねぇ。この辺のはどうやらシーサーペント……つまり海竜の方だ」
かたん、と小さな音を立ててコーヒーカップがテーブルに置かれる。
ヴィズは脳内に検索をかけて確かめてから言う。
「現実にいるという明確な記録はありません」
「だから伝説なんだ。だが、船が沈むのは実際に起こっている。だから航海士たちはその存在を信じている」
すっかりいつもの機嫌に戻った様子のレオをユマは面白そうに見上げる。
「ひょっとしてずっと聞き回ってたのってそれ?」
「まぁな。で、嬢ちゃんに黙ってヴィズを借りた」
「知っていたわよ、そのくらい。二人でコソコソして怪しいったらないわ」
ユマは苦笑する。
だろうな、とレオは悪びれもせずに返した。
ユマが眠ってしまうとヴィズはやることを失う。その間、レオは彼に試算を頼んだ。暇つぶしにもならないような試算だ。ユマを守ることに支障が出ない程度の。
「無断で勝手な行動をすみません」
「レオが強制したのでなければ、貴方の判断です。責めるつもりはないわ」
そう言われヴィズは少しだけホッとした。
彼女ならそう言うだろうと思っていたが、責められたらどうしようかと思っていたのだ。
「それで、どうだった?」
訊ねられヴィズは答える。
「何らかの生き物がいる確率は67%、いると仮定した場合、本日遭遇する可能性は82%です」
「だ、そうだ」
にやにやと笑って彼は椅子に乱暴に腰掛けた。揺れても平気なように船体に埋め込まれている椅子はぎしっと音を立てただけで動かなかった。
笑ったような困ったような複雑な表情を浮かべ、少女はパソコンに何か打ち込み始める。上の空と思えるほどゆっくりとした動作だった。
ドロシーは諦めたように頬杖をつく。
「ねぇ、ユマ、この男が嫌な予感を的中させる確率はいくつだと思う?」
「120%です」
確実を越えている。
その試算には間違いはないだろう。
ヴィズはレオを見た。
「分かっているなら話は早い。……潜るぞ」
どこへ、とは少女は聞かなかった。むろん改めて確かめる必要はない。
「船長は?」
「説得済みだ。潜水艇をこころよく貸してくれるそうだ」
「こころよく、ねぇ」
半ば脅したのではないだろうか。
レオの言葉は今ひとつ言葉通りにとっていいのか分からない。
「んで、嬢ちゃんからもこころよく貸してもらいたいものがあるんだ」
彼女は一度天井を仰いでから、一つ溜息をついて作業に戻る。
「そう言うのはヴィズ本人に聞いて頂戴」




