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次の朝早く少女達は船に向かっていた。
ドロシーと顔を合わせることが無かったのは、その時間を見計らって出て行ったせいだろう。彼らはドロシーがもし別の決心をしていたら、二人に会うことでその決心が鈍るかもしれないと思ったのだろう。
そうでなければ別れを告げる時間をドロシーに与えたのだ。
「じゃあ、行ってくるよ」
「ええ、ではお気を付けて」
短い別れの言葉、しかし最後まで優しい。
長く話せばきっと別れが辛くなる。一生会えないわけではない。短い間だけだ。その間、彼が無事でいてくれることを祈るばかり。
ドロシーはまるで近くに遊びに行く程度の軽装で船着き場へと向かった。
少女達が彼女を連れて行く条件として出したのは自分たちの護衛をすること。それだけだった。メンテナンスは彼女の技量を見れば問題ない。一瞬彼女たちが悪人だったらという可能性もよぎらない訳ではなかったが、自分を直そうとしている時の必死な姿、真摯な眼差しを思い出すだけでその可能性は消えていった。
不安があるとすればあの、少年の方。
あまり口をきかなかった。
ジルにはユマの兄だと名乗ったが、あれはどう考えても人ではない。穏やかそうに笑っていたが、それは表層人格の類だ。機械の自分にならわかる。シャットアウトをしているのかこちらから送って見た信号は受信しなかったが、送られた信号に気づき少し気にする様子を見せた。それはクサナギ型のロボットなら当然の反応だ。
(けど、ロボットでもない)
一体彼は何なのだろうか。自分とは違い完全に人の形をしていた。関節部分の動きも滑らかでおかしな所は一つもない。外見だけ見れば人間にしか見えなかった。生体反応もある。けれど、何かおかしい。
人でもロボットでもない。その中間にいるといってもしっくりと来ない。ドロシーは少年を見て初めて「恐怖」という感情を知った。不安よりも強く感じる得体の知れないもの。それを恐怖と呼ぶなら、ドロシーは間違いなく少年を恐れている。
(でも、まぁ、悪い子って訳ではないのよね)
何故怖いのかが分からない。自分に危害を加える訳でも、ジルに敵意を向けてきた訳でもないのに。
船着き場に付くと船上に少女と少年の姿を認めた。こうして見ると別に何の感情も湧かなかった。ただ、少しこの船に乗ったら暫くはこの地を踏むことがないと思うと少しだけ寂しく感じるだけで。
「うん?」
ドロシーは眉をひそめた。
少女達の他に、男の姿がある。体つきが良く、女癖の悪そうな大男。その男の手がユマの方へと伸びた。
「!!」
ドロシーはタラップから上がると言うことも考えずに高く跳躍した。柵や荷物やらを飛び越して船着き場から船上へと一気に移動する。
男が彼女の存在に気が付くより早く彼女の手は男の首元に巻き付いた。
「ユマに何するつもりだい! 大男!」
「……っっっ!!!」
「返答によってはただじゃおかないよっ!」
「ドロシー!」
悲鳴じみた少女の叫び声にドロシーは自分が力の制御を上手く出来ないことに気付いた。
「本当にすまなかった!」
ドロシーは男に向かって頭を下げる。
「さ、災難だったわね……っ」
ユマの声は笑いが混じっている。先刻窒息しそうな位笑っていたのがまだ尾を引いているらしい。
危うく殺されかけた大男はじろりと少女を睨め付けた。首にはドロシーの手形がくっきりと付いている。
「……ったく、俺を殺す気か!」
「まさかあんたみたいな酒と煙草と硝煙の匂いのする女癖の悪そうな男が、ユマの知り合いなんて思ってなかったから」
「ぐっ! さりげなく心臓抉ること言ってくれるじゃねぇか。嬢、護衛が一匹増えてんなら早く言えよな」
「言う暇も無かったでしょう? 再開を喜んだばかりだったし。それよりあなた、何しに来たの?」
「何しにってそりゃ……」
一瞬レオはヴィズを見て、それからドロシーの方を見る。
ばりばりと頭をかきむしるようにして大きな声で唸った。
「お前らが心配で付いてきたんだよっ! いくら少年が強くたって嬢ちゃん守って行くには限度ある。俺の名前の及ぶ範囲にも限度があるだろう。だからっ!」
「ひょっとしてまだ気にしているんですか? あのこと」
「うるせぇ」
ドロシーだけ話しが見えずに首を傾げる。
まぁ、いい、後でユマに聞こう。
「街はどうしたの?」
「あ、それは心配いらねぇ。…………、当面の間は俺不在で機能する。街だってもう恐怖で締め付ける次期は終わっても良い頃だろ」
「……何か沈黙の辺りが怖いんだけど」
「まぁ、気にするな。大人には色々と事情があるんだよ」
複雑そうな笑いを浮かべた男に少女は呆れたような溜息をつく。
少女の精神年齢が高いせいなのだろうか。何故だか中年男の彼の方が少女より子供のような気がしてしまう。何だかこの関係は面白い。
いいわ、と口にして少女は立ち上がった。
「ついてくるならご自由にどうぞ。私としても大人の男の人が付いてきてくれるならば都合がいいもの。でも、一つだけ約束してくれる?」
ドロシーのメンテナンス中だけは女二人だけにして。
それが少女の出した条件だった。
彼がその条件をのんだ証拠に、今船室にはドロシーとユマの二人きりになっている。ヴィズは閉め出されて複雑そうな表情をしていたがユマの頼みには逆らわないようだった。
ドロシーをベッドに寝かせて、少女は脳核と自分のパソコンをつなぎ合わせる。
「一応力の規制が出来ないかチェックしてみるわね。D回路はそういった細かい調整していたから、制御が利かなくなったのだろうと思うの。このままでは色々なものを破壊してしまいそうだから簡易プログラムでリミッターを付けてみるわ。人格の方に直結して感情で制御出来ないか試してみるわ」
「ああ、頼んだよ」
「でも気を付けてね。さっきみたいに激昂するとさっきみたいな事が起こりかねないから」
「肝に銘じておくよ」
少女はかたかたとパソコンをいじり始めた。
他のプログラムとの兼ね合いもあるせいか、無理にプログラムを作れば彼女が今のままを保てなくなる可能性がある。けれど多少規制をかけなければドロシーは直ぐに人殺しになってしまうだろう。未遂に終わったが、レオを殺しかけた。
キーボードを打つ軽快なリズムを聴きながらドロシーは少女に問いかける。
「聞いてもいいかい?」
「いいわよ、認めます」
「ヴィズは機械なのかい?」
別のいい方もあるだろうが、ドロシーはあえてストレートに聞いた。外見も表面もまるで人間だったが、中身はどうも機械という気がしてならなかった。
少し迷ってからユマは返事を返した。
「そうね、多少語弊はあるかもしれないけど、そう思ってくれて問題ないわ。レオには精巧に作られたロボットと言いましたが、世界で唯一のクサナギ型アンドロイドです」
クサナギ型アンドロイド、と聞いて驚いた。人型のアンドロイドなど存在しているとは思えない。倫理的な観点からロボット工学に関わる世界的な基準法で禁止されているのだ。それでも彼がそうだと聞くと納得できた。
内緒にしておいてね、と少女は笑う。
もとより告発する気など無い。分かっていてユマもドロシーに告白したのだろう。
これで二人が共有する秘密は二つになった。二人きりの秘密でないことが残念で仕方ないが。
「あれだけリアルに出来ているのは少しうらやましいね。私は見ただけでも機械だって分かってしまうから」
「あなたが外見も手に入れたら本当に人間になってしまうわね、貴方には感情があるもの。ロボットを沢山見てきましたが、貴方のような反応を示すのは初めて見ました」
「私の感情なんか、ただのプログラムの異常かもしれないよ」
「確かにそれが引き起こすこともあるでしょう。でも、人形に魂が宿るというのなら、大切にされた貴方に自発的な感情が芽生えてもおかしくない事だと思うわ。私は貴方の感情を電子信号の誤反応ととるよりも、その方が素敵だと思うわ」
「嬉しいこと言ってくれるわねぇ」
正直に言ってそれは本当に嬉しかった。
アキヤマの姓を名乗るだけあって少女は機械に対して友好的だ。
「アキヤマ博士は自分の作ったロボット達を娘、息子と呼んでいました。私は人のお腹から生まれましたが、貴方と代わらないと思うの。……私たちは姉妹のようなものね」
どうしてこうも彼女はドロシーの喜ぶことを言ってくれるのだろう。
嫌悪感を向けられるのは慣れている。好奇の目で見られることも慣れている。けれど彼女のように友好的な言葉を掛けてくれる人は滅多に無かった。ジルを除けば皆無と言っていいかもしれない。
だからこそ、彼女の言葉が純粋に嬉しい。
「そう言えばドロシー、オズの魔法使いっていう童話知っている?」
「童話?」
「そう。昔、一度母親に読んで貰っただけだからしっかり覚えていないんだけど、その主人公の名前がドロシーっていうのよ」
「へぇ?」
興味深い。
自分の名前はそこから付けられたのだろうか。
「どんな話なんだい?」
「竜巻でオズって言う世界に飛ばされたドロシーは家に帰るために魔法使いの住む都市を目指すの。途中で知り合った頭の良くなりたいかかし、心が欲しいブリキの木こり、勇気のないライオンと一緒にね。旅の途中、色々な苦難があって、みんな気付くの。本当に欲しい物は自分自身の中にあるんだって」
「ドロシーは? 帰り方はどうしようも無いと思うけれど」
「確かこうしたら戻れたはずよ」
ユマは両方の踵を合わせて三回鳴らす。
「こうして行きたい場所の名前を告げるとどこにでもいけるの。簡単でしょう? 答えを知っていれば簡単に戻れたのに、長い旅をする。そう言う効率の悪さ、昔嫌いだったのよ。誰かが端末使って調べて教えてあげればいいのにって。……勿論、そういう便利なものがある世界ではないけれどね」
「昔、ってことは、今は嫌いじゃないのかい?」
「そうね。少なくとも今は踵を鳴らして戻る気にはなれない。多分私、答えを知っている。だけど、これは自分自身で気付いて理解しなきゃ意味がない。だから私、オズの魔法使いの元へ行くのよ」




