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おや、とジルが声を上げたのは二人が上の階へ上がった後のこととだった。
ドロシーはフロアの天井を見上げて唸っている老人に声をかける。
「どうしたんだい、ジル?」
「ああ、電球が切れていましてね」
老人は困ったように言う。
他に客のいない時でも彼は丁寧なしゃべり方をする。長年丁寧な言葉遣いをしていたため、癖になっているのだと彼は言う。
それとはうって変わってドロシーのしゃべり方はぞんざいになる。この方がジルが喜ぶからだ。彼の好むことは表情で学習し記憶している。彼はドロシーにインストールされているこの表層人格を好んでいるようだった。インストールされているいくつかある人格の中、剛胆な女性という設定の人格を選んだ。一度だけ彼は若くして亡くなった妻に似ているのだと漏らした事があった。その癖や性格を模倣しようとしたドロシーにそれは必要ないと彼は笑い、今の状態のドロシーになっている。
「電球は先月変えたばっかりじゃなかったかい?」
ドロシーは上を見上げる。
天井の高い位置にある電灯が完全に暗くなっている。電球が切れているわけではないと、ドロシーは直ぐに分かった。
「これは。内線の方がいかれてるようだね」
毎日使っているものとはいえ切れるのは早すぎる。世界大戦前に発売されたもので、少々割高だったが一度変えると物理的に壊れない限り40年以上も保つという電球が僅か一ヶ月で切れる訳がない。電球だけなら取り替え用の器具で簡単に出来るが、内線の異常となると脚立を使って上まで上がる必要がある。
それはジルの仕事でなくドロシーの仕事だった。
「仕方ないね、ちょうど客もいないことだし、今のうちに治しちゃうよ。工具だけ用意してくれるかい?」
「女性にさせる仕事ではないものを、すみません」
老人は苦笑いをした。
「いいって。私はそのためにいるんだから」
彼は高いところが苦手だ。高所恐怖症というやつだ。本当に高いところよりも脚立の上という中途半端に高いところの方が苦手らしい。そういうのは人間には意外と多い。むろんそれを責めるつもりはなかったし、ジルのそう言うところは可愛いと思っている。何より自分を頼ってくれることが嬉しい。
ドロシーは脚立を壊れた電灯の下に設置した。
ジルは自分を廃棄されていた自分を拾って治してくれた恩人だった。機械の自分がこんな風に考えるのはおかしいかもしれないが、感謝しているし、ジルのことを大切だと思う。元々ドロシーには感情というものが存在しないのだから、その感謝する気持ちは気のせいかもしれないし、ジルが自分を治す時にプログラムしたのかもしれない。
だが、ドロシーはそれを感情だと思っている。
彼女の感情が働く時はいつもジルに関連している。自分がどんなに蔑まれても何も感じはしない。人型ロボットに対して嫌悪感を覚える人間に罵られても、ドロシーがロボットである事実は変わりなく、人間が嫌悪感を覚える場合があるのを知っている。何か感じる予知もない。けれど、ジルが責められたり詰られている姿をみるとどうしようも無かった。殆どの場合、その原因がドロシーであり、自分が原因である以上見ているのが辛かった。
初めて怒りを覚えた時は自分は壊れてしまっているのかとさえ思った。ドロシー自身‘怒る’という表情や行動はプログラムされているが、それとは違う電気信号を感じ、主や人間の生命を守るため以外では禁止されている暴力を振るおうとしたのだ。
本当に壊れてしまった。そう思ったのだ。
でも、違うとジルは言う。
それは人で言う感情なのだろう、と。ドロシーも人として生活しているからそう言う事が生まれてもおかしくないという。どこかの宗教では大切にされた人形には魂が宿り、感情が籠もるものだと彼は話した。だからドロシーもそれを感情だと信じている。
「さてね、先に上に上がって様子を見ておくか」
そう独り言のように言ったドロシーは脚立の金具が錆びて古くなっていることに気付かなかった。
そしてその一本の金具が自分の運命を変えてしまうことになることなど、その時彼女はまだ知らなかった。
意識が回復した時、彼女は瞬時に落下したのだと判断した。
身体が動かない。損傷が激しいのだろうか。どれだけ損傷して自分はいまどんな状況にあるのだろうか。まるでわからない。ただ、脳核に様々な情報や解析プログラムが送られてくる。
ざわめくホールの中で自分を修理しているのがジルでないことは直ぐに分かった。脳核に直接繋がれたプラグを通して複数の信号が送られてくる。それはソフトのように無駄なものはなく、今ここで直接組まれているものだと推測出来た。
「ジルは……」
唯一動く眼球を動かして彼女は自分の主を捜した。
それに気付いた少女がドロシーの方を見て小さな端末を打つ手を止めずに答えた。
「修理に必要なものをそろえてもらっているわ」
綺麗な金色の髪の少女だった。
顔立ちは幼く東洋人が混じった風の顔立ちの為、余計に幼く見えた。それでも少女の指先からは的確な信号が送られてくる。機能を確かめるように刺激があり、確認するとすぐに切断をし、生きている機能と生かせる機能を模索しているように感じた。
「……私、死ぬのかい?」
壊れる、でなく死ぬと表現した自分がおかしい。
人間のつもりだろうか。
高いところから落下をしても涙も血液も一滴も流れない。せいぜい流れるのは燃料として使っているものくらいだろうか。それも頑丈な固形のもののため液漏れすらしていないだろう。
そんなものが人間のはずがない。それなのに‘感情がある’と勘違いをして人間ぶっている自分がおかしい。
だが、彼女は自分の気持ちを思いやるように丁寧な口調で答える。
「大丈夫よ、貴方は生き延びるわ。私がいるもの」
言われ、欲が沸く。
信じていいのか分からない。こんな若い年齢の少女に何が出来るというのだろうか。
それでも縋りたくなる。
それが唯一の希望のような気がして。
「……死にたくない」
呟くように言うと少女の手が一瞬止まった。
「死にたくない……ジルが悲しむのは嫌なんだ」
アイスブルーの瞳が彼女を見つめ、微かに微笑んだ後再び作業に戻った。
小型端末を動かす彼女の手が早まる。
「秘密にしておいてね。本当は隠そうと思っていた事なの」
「……何を」
「私の名前はユマ・J・アキヤマよ」
「アキヤマ?」
懐かしい単語だ。
クサナギ型ロボットを最初に作り出した工学者の名前。
「あの、アキヤマ?」
本人では勿論ない。アキヤマはもうとっくに亡くなっている。そもそもアキヤマというファミリーネームを持つ者は沢山いることだろう。この人物が天才の縁者とは限らない。
けれど、そうであるならば、自分は救われる気がした。
少女は優しい口調で言う。
「多分そのアキヤマです。ロボット工学者で鬼才と呼ばれたアキヤマの娘です。安心して、私もこれでも天才と呼ばれる類なの」
天才の名前を引き継いだ人間ならば確かに安心できる。実際に、彼女の中に流れ込んでくる情報は的確だった。それに手早い。この少女なら自分を直すことが出来るだろう。
「損傷は激しくないわ。動けないのは修復のために脳核に制限をかけたからよ。記憶の損傷は軽微です。転落の前後の混乱を除けば平常通りでしょう。どこまで完全に戻るかは分からないけれど、出来る限りのことはします。だから少しの間我慢してね」
まるで自分が人間であるかのような言葉だ。
こんな言葉、ジル以外の人間からかけられたことは殆ど無い。
「……ありがとう」
事務的な事を除きジル以外にあまり口にしたこと無い言葉を口にすると何か心のなかで暖かいものを感じた。
アキヤマの名前を持つ少女はふわりと笑った。
「こちらこそ、どうもありがとう」




