第一話
「ちゃんとやろうよ。正直、今こんなくだらん話してても意味ないやろ。」
低いけどよく通る声がチュートリアル室の空気を一瞬にして凍りつかせた。
某国立大学医学部四年次。
最近、医大のカリキュラムに組み込まれはじめたチュートリアル実習中の光景である。
チュートリアル教育というのは、学生が小グループを作って、あるテーマについてディベートをしたり、症例検討をする実習だ。
講義のように受け身ではなく、自発的に文献や資料の検索やものの考え方を鍛える、というのが本来の狙いらしい。
しかし、現実は酷く合理的に課題を分担し、手っ取り早くインターネットで出処の怪しい情報をコピーアンドペーストしたレポートを作成する、不毛な時間となることがしばしばである。
医学部の学生、といっても100人超も学年にいるわけで、その中でもいろいろな学生がいる。
特に、本分であるはずの医学に対するモチベーションの違いは色濃い。
医学生は、留年しない限りは基本的に同じメンツで講義や課題を同じように課せられるため、様々なタイミングでお互いの姿勢の違いに気付かされる。
自己完結型のカリキュラムでは生まれようもない大きな溝が、話し合いが必須のチュートリアル実習では当然生まれうる。
しかし、大半の学生はお互いのスタンスをなんとなく理解し、生温い目線で真ん中に線引きをして上辺での均衡を保とうとする。
しかし。
「私はどうせやるんやったらちゃんとやりたいわ。こんな時間無駄やと思わん?こんなグダグダな時間でしょーもないレポート仕上げるくらいやったら一人でやるから。」
うまくやれない荒くれものは少なからずいる。
横山真衣は常にその筆頭だった。
歯に衣きせぬ物言いとストイックさは時として同級生に窮屈さを感じさせる。
「え、まじだるいんだけど。なんか飛躍し過ぎじゃね?」
「分担しないとさばききれないでしょ、そりゃみんなわかってるのが理想だけど…」
小さめの反論が何処となく聞こえてくる。
凍った空気は次第に不穏なものに変わり、発言した一人に対して痛いほど冷たく蔑むような視線がささる。
(ヨコ、はっきり言いすぎ。こういうスタンスが誤解される原因なんだよね。)
同じ空間で駒田翔子はいたたまれなくなって俯いた。
翔子と真衣は入学当初から気が合った。
というのも、お互い一浪で県外出身、人との付き合い方や勉強に対する考え方は似通っているにも関わらず、性格が正反対だからだ。
翔子は、真衣の潔さや行動力に魅力を感じていた。
逆に、真衣は常々翔子の努力家でひたむきな真面目さを褒めてくれる。
しかし、このように同級生に対するはっきりとした真衣の物言いを目の当たりにすると複雑な思いにかられるのであった。
「じゃ、もーさっき分担した分やるって感じで!」
「ちょっ…ちゃんと話し合い…」
「お疲れ様ー、部活いかなきゃだし。」
結局、会は強引なまとめ方でお開きとなり、残されたのは翔子と真衣だけになった。
空調の風がカサリと課題プリントを動かした。
「ま、こうなるやんな。」
真衣は誰に言うわけでもないトーンでポツリと呟き、クルリと振り返って教科書を開いた。
「…一緒にやろ。私達だけでも話し合おうよ。」
翔子はそう言って真衣の向かいに座った。
「ありがとう。」
真衣は小さく笑って目当てのページにたどりついた教科書を翔子に向けた。