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男爵は微笑う  作者: L→R
再会
8/48

再会◆7

 ピ、という軽やかな音が鳴り、ドアからカチャ、と音がした。

 了がドアを引くと、ひやりと冷たい風が廊下に溢れた。了はそのままドアを大きく開け、ユリを少し振り返ってオフィスへ入った。ユリも続く。

 オフィスは予想以上に広い。入り口の目の前は八畳ほどの空間があるが、壁際にコーヒーメーカーだの紙コップだのと言った雑貨が載った背の低いキャビネットが置かれている以外、特に何もない。ただ、このエリアだけは窓が全面張りになっていて、清清しい眺めと日当たりで、何もないのが勿体無いくらいだった。

 オフィスはそのまま左手方向へ広がっていて、角部屋なのか、内ニ面は全面ガラス張りになっている。ちょうどオフィスの中央には応接用かリフレッシュ用か妙にカジュアルなソファセットと観葉植物が置かれ、それを囲うように、窓辺に三台のデスクが鉤型に並んでいる。デスク個々の間も、有り余る広さ故か異様なほどに隙間が空いている。

 窓に面していない壁際はロフトのような造りになっていて、白く塗装された階段で行き来するようになっている。下には何やら資料やファイルがきつきつに詰め込まれたスライド式のキャビネットが並び、上には何台かのパソコンやディスプレイが見えた。そこには男性が二人いたが、まだこちらには気付いていない様で、二人でディスプレイを指差しながら何か話していた。

「ただいま。」

 了が声をかけると、二人は「お帰りなさい」と言った後にこちらを見た。

 そのうちの一人が、「高遠さん、出てますよ」と言ったあとユリを見つけ、にこりと笑った。

「ユリちゃん。」

 渡部だ。

「あ、こんにちは。」

「いらっしゃい。」

 まるで親戚の子でも遊びに来たかのように気楽にユリを出迎えた渡部は、もう一人が持っていた資料を「ちょい」と言って取り、早々と鉤型の角に配置されたデスクに着いた了の元へ走った。

「三笠さんは総務部に行ってます。

 高遠さんは、二十階に…。」

 渡部の説明に、了は「ふぅん」とつまらなさそうに答え、デスクに詰まれた郵便物の封を開けていった。

「あと、この間の件の調査経過です。」

 渡部が持って来た資料を了に差し出した。了はそれを無言で受け取ると、ぱらぱらと捲りながら「…何か言ってたか?」と訊ねた。

「はい。

 事件の事は、特にこれと言って何も話さないそうですが、蕪木さんは来ないのかと、しきりに気にしているようですよ。

 あと、面会の許可は取ってあるので、何時でも行っていいそうです。」

「わかった。」

 了はその間、一通り資料に目を通したようで、それを渡部に返し、「日下部」と、ロフトにいる男を呼んだ。ユリが見上げると、男はにこにこしながら足早に階段を降りて来た。駐車場でも言っていた、あれが日下部なのか。

 日下部が了のデスクに辿り着くと、了は立ち上がって、ユリに手招きした。ユリが近寄ると、日下部を指差し、「日下部」と簡素に紹介した。

 日下部は苦笑して、「酷いなぁ、蕪木さん…」と言い、ユリに向き直ると、

日下部(くさかべ) 直人(なおと)です。」

とにこりと笑った。

「芳生 ユリです。よろしくお願いします。」

 ユリがぺこりと頭を下げると、日下部は一層笑みを湛えて了を見た。が、にやにやと笑ったまま何も言わないので、何かを察した了が不機嫌な顔をする。

「なんだ?」

「別に。

 ああ、そうだ。さっき、この間の研修会に来たって子がここへ来ましたよ。

 蕪木さんに、レポートの添削を依頼したいって。」

「俺の講義のレポートを俺が添削してどうする。」

「そんなの知りませんよ…。」

 やや苛ついて了が言うと、日下部はにやにやと笑ったまま眉だけを下げた。どうやら、日下部も匠と同じように、元々笑い顔の様だった。表情の判別は、眉は目元のようだ。

 そこへ、「お、来てるね?」と突然声がかかった。

 振り向くと、鼻の下に調った髭を生やした小奇麗な中年男性が立っていた。

「おかえりなさい。」

 素早く了が言うと、男性はにこにこと笑ってオフィスの一番奥のデスクに鞄を置いた。鞄も服も、一見して気の遣われたものと解る。着こなしもスマート、というよりチャーミングだが、実に品が好い。

 男性が「ただいま」と言うと、了はユリに目配せをして、男性のデスクの前に立った。

「芳生ユリを連れて来ました。」

「ご苦労様。」

 少少女性っぽいニュアンスで言い、男性は了の斜め後ろに着いたユリを見た。了もユリを振り返る。

「高遠さん。」

 その言葉に、ユリが息をゆっくり吸い込んだ。そして、高遠を見る。

 高遠。

 何度その名を耳にしただろう。

 両親が出会う切欠になった人物。

 目の前の高遠は、柔らかな印象だ。

 そんな高遠はユリと目が合うなり、まるで愛しい者でも見るように目を細めて微笑んだ。

「高遠です。

 すまないね、ユリちゃん。大変な事に巻き込んでしまって。」

「い、いえっ。」

 ユリが思わず背筋を伸ばすと、高遠はさらに微笑んだ。

 そして、了を見る。

「さて、とーるちゃん。報告大会でもしようか。」

「はい。」

 笑顔を絶やさない高遠と対照的に、了の顔に笑顔はない。それを、高遠がいじった。

「なによ、とーるちゃん。

 いつも通りしなさいよ。」

 まるでオカマのように言い、高遠は少しだけ背の高い了を悪戯気に見上げた。了は了で、一瞬罰の悪そうな顔をし、すぐに腰に手を当てて仁王立ちの姿勢になった。

「いつも通りですよ。」

 そんな了に、高遠は「そう?」とも言いたげに含み笑いを浮かべ、「まぁいっか」と言いながら席に着いた。そしてユリを見て、

「立ってるのも疲れるでしょ?

 あそこのソファは自由に使っていいからね。

 あとで暇潰しでも用意させましょ。」

と言ってソファを指差した。ユリは、「はい」とだけ言って早々にソファへ向かった。恐らく仕事の話か、少し聞かせ辛い話があるのだろう、その前にユリを遠ざけたかった様子を汲み取ったのだ。

 ソファに座ると、渡部が白いプラスチックのカップを持って来た。手に取ると、冷たい赤茶の液体が入っていた。アイスティだ。

「ここの人、無糖派でねー。

 甘い飲み物ないんだよ。ごめんね。」

「いえ。大丈夫です。私もお砂糖あんまり使わないし。」

 そう言って、一口啜る。

 緊張していたのか、液体を口に入れると、途端に口が渇いていた事に気付いた。無糖と言うが、大分甘く感じる。若干疲れているのだろうか。

「じゃあ、僕まだやる事あるんで。何かあったら、そこの階段昇って声かけてね。」

「有難うございます。」

 ユリが言うと、渡部はにこりと笑ってロフトを登って行った。上には既に日下部が戻っていたようで、二人でこそこそとやり始める。

「…だし、そこんとこはとーるちゃんも理解してるだろうから、基本的には指揮権は今までどおりこちらに委ねて貰える事には、なった。」

 アイスティを二口目、口に含んだとき、高遠の声が聞こえた。声はかなり絞ってはいるが、基本的に静かな場所だ。聞こえてしまうのは仕方がない。

 ユリは、いけないと思いつつ、耳を澄ます。

「ただね…。」

「はい。」

「警視庁にもメンツがあるでしょ?

 ここのところ、首相の旗色も悪いしね。次期委員会長に大純系法人の津々見恒太郎が候補に上がってるんで、野党の動きも激しくなって来てる。これに便乗してと、今、不信任案提出まで漕ぎ付けられると面倒でね。

 下々のご機嫌を取ってみようかって話になったらしいの。」

「一穂は同意していないんでしょ、どうせ?」

 了の声がやんわりと不機嫌になった。『一穂』とは、恐らく了の父親である蕪木一穂の事だろう…。

「してないね。

 まったく、あの人は強気よね。後ろ暗いところも、相変わらずないしね。

 とーるちゃんの採用の時は、ちょっとゴタついたけど、それ以外は、特に揚げ足になるところもないからね。

 この話が出た時も、渋々承知したとか言ってたよ。

 で、結果としてどうするかと言うと、ウチで得た情報の一切を、国家公安委員会と東京公安委員会の双方に報告する。」

「そんな無茶な。」

「うん。流石にこれではウチがある理由がなくなるんで、生贄を立てる事になった。」

「誰です?」

「官房長官。」

 さらりと高遠が言うと、それまで苛立ちを醸し出していた了の背中が、緊張した。

「…野外(のや) 紘向(ひろむ)ですか…。」

「うん。打って付けでしょ?

 歴代五人の首相を補佐し、蕪木一穂に次いで誇るクリーンイメージと、『鷹の目(ホークアイ)』と呼ばれた鋭い眼で、裏の総理とまで言われて来た野外さん。

 …大臣の、親友だっけね…。」

 そう言って、高遠の声が少し切なげな声に変わった。

「何かバレたら、即座に『この人が隠してました』って、全員で指を指すの。

 でも、この人が罪人だとさ、民党もそう騒ぎ立てないんじゃないかって。

 立候補してくれたそうだよ。」

「…。」

 視線を二人に向けていないから、二人がどういう表情をしているのか見る事は出来ない。だが、その胸の内はひしひしと伝わって来る。

 口を噤んでしまった了は、きっと野外に少なからず好意的な感情を持っていたのだろうし、高遠も心を痛めているようだ。

「本件、何としても片を付けなければならないよ、とーるちゃん。

 ラストチャンスと思ってね。」

「はい。」

 了が返事をすると、ちょうどそこへドアが開いて、また一人やって来た。

 振り向くと、三笠だった。

 三笠はユリを見るなりふふと笑い、手を小さく振ると、そのまま高遠の席へ向かった。

「本部長、再公判手続き終わりました。」

「ご苦労様。

 とーるちゃん、続きはよろしくね。」

 三笠を笑顔で出迎え、高遠が言った。相変わらず、どこか女性のようだ。

 そんな事を思いながら、もう一口、アイスティを啜ると、了がユリを呼んだ。

「ユリ。」

「うん?」

 目だけを了に向けると、了が手招きをしていた。ユリがカップをテーブルに置き、了に歩み寄ると、了が今度は三笠を見た。

「三笠。フロアの案内をしておいてくれ。

 終わったら、喫茶ルームに置いておいてくれ。

 俺は今から少し出る。ユリは後で迎えに行く。」

「わかったわ。」

 三笠は頷き、ユリに微笑んだ。数日前の印象から何ら変わらず、綺麗だ。

「行きましょうか。ユリちゃん。」

「はい。」

 ユリが頷くと、了も高遠を見て、「出て来ます」と言った。

「いっといでー。」

 満面の笑顔の高遠に見送られ、出て行く了に付いてオフィスを出る。

 了は先ほど言っていた通り、二時間ほど外出の予定があるそうで、その間、オフィスではなく検察庁の一八階にある喫茶ルームで時間を潰しているよう言われた。

 調査室にいてもいいが、誰も相手が出来ないので、せめて気晴らしに、という事だった。

 足早にエレベータに乗り込む了を見送ると、三笠がフロアを案内してくれた。

 フロアには、到着時に聞いたとおり、使っていないオフィスが三つと、トイレ、小さな喫煙ルームがあるだけだった。喫煙ルームも、調査室内で煙草が吸える事から、余り使われていないようだ。備え付けの自販機は、少し年代を感じる品揃えだった。

「このフロア内なら、自由にうろうろしていいからね。

 オフィスには味気ないものしか用意してないから、こっちの自販機の方が気晴らしになるかも知れないわ。」

 三笠が笑いながら言った。

 そして、エレベータホールへ向かい、一八階へ向かう。

 エレベータには、数名同乗者がいた。既に一八階が押されていたので、そのまま壁際に立つ。

 同乗者はみな違う部の人間なのか、誰も一言も口を聞かないので、重苦しいほどにしんと静まり返っている。

 やがて、一八階に着くと、疎らに人が降りた。三笠とユリも降りる。

 一八階はフリーフロアと呼ばれ、ユリのカードでも来る事が出来る、と三笠が言った。

 見回すと、綺麗に掃除された床が、窓からの光を反射し、フロア全体が輝いているように明るかった。照明が多いせいもあるだろうか。デパートのレストランフロアよりも明るく、元々利用者が少ないのか人気は少ないが、雰囲気はフラットで居心地も良さそうだった。

 ウェイトレスも、紺地に白の縁取りの、派手ではないが可愛らしい印象の制服に身を包み、ここが検察庁内部だという事を一時忘れるほどだ。

 このフロアには、喫茶ルームともう一件レストランが入っているらしい。レストランは重厚な色合いの扉が閉められて中は見えなかったが、扉の前にいるホストの雰囲気からも、それなりのワードローブを必要とするレストランのようだ。待機スペースもあって、灰皿や自動販売機、窓辺のカウンターと、背の高い椅子が何脚か並んでいる。

 三笠が喫茶ルームのウェイトレスに声をかけると、ウェイトレスは窓際の角にある二人席に案内してくれた。

 二人が席に着くと、手拭きを置き終えたウェイトレスが「お決まりの頃にお伺いします」と言って立ち去った。

 メニューは席に置いてあって、価格も余り高くなかった。

「ああ、そうそう。お金の心配はしなくていいからね。

 護衛中は、ユリちゃんは一銭もお金出さなくていいから。」

 三笠が少し小声で言った。

「え…。でも…。」

「大丈夫。経費で落ちるし、こちらの心配は要らないわ。」

 そう言いながら、悪戯っぽく笑ってメニューを覗き込む三笠を、ユリが呆と眺めた。

 一々、動作が綺麗だ。

「何食べる?」

 そんな風に聞く声ですら、如何にも女性らしく、絵に描いたように愛らしい。

「あ、まだお昼からそんなに経ってないもんね。お腹空いてないか。

 でも、ケーキだったら食べられる?」

 メニューを覗きながら上目遣いに見上げる三笠に、ユリは思わず照れる。

「あ…。はい…。」

 おどおどと返事をするユリを見て、三笠がふと笑顔を消した。

「ごめんね。気軽には振舞えないわね…。」

 どうやら誤解をしたらしく、ユリが慌てる。

「いっ、いえ! 違いますよ。

 ちょっと…、見惚れちゃって…。」

「見惚れる?」

「はい…。」

 ユリは頷き、縮こまった。

「三笠さん、綺麗だから…。」

 ユリの言葉に、三笠が「まっ」と言って笑った。

「お世辞要らないわよ?」

「お世辞じゃないですよ!」

 ユリが精一杯否定をすると、三笠はふふと笑った。

「ありがと。

 で、どうする?

 オススメはねぇ、タルトかなー…。

 ここのベリータルトは、私はどこより好きよ。」

 三笠が言うなら、間違いない気がする。

「じゃあ、それにしてみます。」

「うん。

 それじゃ、私はオレンジタルトにする。」

 そう言って、三笠がウェイトレスを呼ぶ。ウェイトレスは、若干愛想が悪く、オーダーを聞くなり言葉少なくさっさと行ってしまった。

「あのカードねぇ。」

「はい。」

「この庁舎内ではクレジットカードみたいな役割もあるの。」

「へぇ…。」

「例えば、今みたいにちょっとお茶した後、レジでカード渡すだけで支払いが済んじゃうのよ。

 ユリちゃんが持ってるカードは、完全に来客用カードだから、全部申請部署の経費として処理される。

 私や了みたいに、庁舎に勤めてる人間のカードは、各自の銀行口座から引き落とされたり、カード請求になったり。経費として処理したい場合は、専用の経理ソフトで申請をするだけで、経費扱いになるの。

 だから、ちょっと食事とか休憩程度だったら、お財布持たなくていいから便利よ。」

「凄いですね…。」

「大きな企業じゃ、割とよくやってるらしいんだけど、システム構築とか管理が大変だから、採用している企業は決して多くないみたいだけどね。」

「そうなんですね。」

「そういえば、ユリちゃんは叔父さんの探偵事務所のお手伝いしてるんでしょ?」

「はい。」

「どう? 探偵さんって、大変?」

 三笠が興味津々な目でユリを見た。

 ユリは、大変とか大変じゃないとか、そんな判断が出来るほど、探偵として働いた事はないから、どう答えて良いか口篭った。

「そう…ですね…。でも、外回りとか、ちゃんと手伝った事ないから、良く解らないです…。」

「そっか。」

 そう答えるのが恥ずかしくて、縮こまるユリに、三笠は何も気にしていない風にあっけらかんと頷き、話題を次々に変えて行った。

 大抵は、ユリの事、三ヶ月前の”男爵”の事件の事だったが、緊張気味のユリを三笠がすかさずフォローしてくれるので、あっという間に一時間、雑談で時間が過ぎた。

 ふと、三笠が時計を見る。

「あっ、と。そろそろ私、戻るわね。

 了が迎えに来るそうだから、ちょっと独りになっちゃうけど、ここで待っててね。お腹空いたら、遠慮しないで頼んでもいいから。」

 言いながら、三笠が立ち上がった。

「はい。

 忙しいのに、有難うございました。」

「気にしないでね。」

 ユリが本心から恐縮したので、三笠は笑ってユリに手を振り、レジへ歩いて行った。

 レジでは、ウェイトレスと一言二言会話をし、カードを手渡した。会計の事だろう。やり取りが済むと、三笠が再度、ユリを見て手を振った。

 ユリが手を振り返すと、三笠は足早に喫茶ルームを後にした。

 三笠が見えなくなるまで見送り、ユリは小さく溜め息を吐いた。

 厭に緊張をしたので、体が強張っていた。だらんと弛緩すると、体中の血の巡りが一気によくなった。

 せっかく窓辺の席だと言うのに、結局話に集中して、風景を見ていなかった。窓の外には、皇居の堀や、東京駅まで続く大通り、所狭しと建ち並ぶ高層ビルの風景が広がる。大抵どのビルも同じ高さであるため、見渡すには不便はあるが、空が近いのは中々に清清しい光景だ。

 喫茶ルームの時計を見ると、そろそろ三時になろうとしていた。了が来るのは、夕方くらいだろうか。

 テーブルの上には、食べかけのベリータルトがある。三笠の言うとおり、とても美味しかった。話を優先していたので食べるのが遅く、ユリにしては珍しく、まだ半分も残っている。

 ユリはタルトにフォークを刺し、小さく切って口に入れた。

 甘酸っぱいブルーベリーとラズベリーのコンフォートと、甘ったるいカスタードクリーム、少し塩気の聞いたタルト生地の味が口いっぱいに広がる。

 改めて美味しいと感じ、少しずつ口に運ぶ。

 添えのミルクティがなくなったので、ユリはウェイトレスを呼んで追加で注文し、来るまでの間、フォークを置く。

 一息吐いて、三笠が座っていた席を見る。

 三笠 美香。

 了の幼馴染と言ったか。

 見かけも仕草も実に優美で、切れもよく、それでいて女性らしい。

 ユリとは正反対だ。

 そう思うと、並ぶのが、少し恥ずかしい。

 今まで、自分が誰より劣っているとか、優れているとか、そんな風に誰かと自分を比べる事はなかった気がする。だが、何の心境の変化か、三笠を見ると、無意識に自分と比べてしまう。

 優越という程ではないが、羨ましいとか、それに近い感情ではある。

 ふぅと溜め息を吐き、再び窓の外に目をやると、きゃいきゃいと甲高い笑い声が聞こえた。目をやると、女性が二人、喫茶ルームへ入って来た。ウェイトレスに案内され、ユリとは反対側の、窓側角の席に着いた。

 同時に、追加していたミルクティが来たので、一口啜ってタルトにフォークを突き刺した。

 暇なので、何となしに女性たちの話に耳を傾けてしまう。

「レポート突っ返されたんだって?」

「え、違うよ、本人がいないから受け取れないって言われたの。」

「えー、渡してくれればいいじゃん! なんだっけ、渡部だっけ? 気が利かないよねー、あの人!」

 どこかで聞いた覚えのある話だと思いつつ、タルトを口に入れる。

「そう言えば! 今日受付のリッコに聞いたんだけど、妙な女の子連れてたらしいよ!」

「女の子?」

「そう。女の子の事、呼び捨てで呼んでたって。」

「えー!? いいなぁ…。どういう関係なんだろ…。」

「親戚の子じゃない?」

「そうかなぁ…。」

「親戚の子なら、愛想振りまいといたら賄賂になるかしらね?」

「えー…、姑息じゃない?」

「何言ってんのよ! これから先、あんな好条件の人見付かる確率低いんだから、頑張って狙っとかないとさー。」

「そうだけど…。」

「でも、まさかここに入って蕪木家のご子息と会えると思わなかったわよねー。」

 やはりその話かと思いながら、ユリはタルトのベリーを弄った。自分の噂でもあるので、いい気分ではない。女性二人の会話はまだ続く。

「あの人が来てから玉の輿狙い増えたし! 敵が多すぎるわ!」

「周りに沢山いい人いるのにね。

 やっぱり蕪木さん狙っちゃうんだよなぁ…。」

「だって格が違うわよ! あの蕪木の息子よ!?」

 女性の一人が興奮して思わず大声になった。すると、もう一人が慌てて制した。何かと思い、ユリが顔を上げると、とてつもなく不機嫌な顔をした了が喫茶ルームの入り口に現れた。

 恐らく、彼女らの話し声は聞こえていただろう…。不機嫌な理由は安易に知れた。

 了は入り口に近い席にいる二人には目もくれず、ユリの席まで歩いて来た。

 そして向かいの席にどかりと座ると、横柄に足を組んだ。何の厭味か、足が長いからとでも言いたげに、若干斜めに座っている。

 了は片手を挙げてウェイトレスを呼ぶと、ブレンドとだけ言って組んだ膝に頬杖を突いた。

 了の向こうでは、女性が二人、思いっきり罰の悪そうな顔でこちらを窺っている。

「おかえり。」

 自分から話そうとは思っていなさそうだったので、仕方なくユリから声をかけると、了はユリを見て、つんとした顔をしながら小さく頷いた。

「早かったわね。」

「予定より早く終わった。」

「もう戻る?」

「いいよ。まだ食べてて。」

「うん。」

 了の了承を得て、ユリは切り分けたタルトを口に入れた。

 独りで食べているときと、少し味が違って思えた。何となく、笑みが零れる。

 その様子に、了が苦笑した。

 やっと、機嫌が直ったか。

「三笠は?」

「戻ったわよ。どのくらい前だろ…?」

「いや、いい。いなければ。」

 了はそう言うと、窓の外を見てしまった。

 居ては都合が悪いとも取れるような言い回しだ。

「三笠さん。綺麗な人ね。」

「…そうか?」

 ユリの言葉に、何の興味もなさそうに了が答える。

「うん。お人形さんみたい。」

 子供の頃流行った、ジェニーやバービーのようだ。綺麗な衣装に身を包み、いつもキラキラとした髪をした、すらりとした女の子。

 そんな印象だ。

 あどけない表情で言うユリを、了は暫し見つめた後、さらに乗ったユリのタルトを見て呟いた。

「…まぁ、人形のようではあるな…。」

「でしょ?」

「人形って言うか…。」

 了はまだ突いている頬杖にめいっぱい上半身を預け、視線だけを窓の外にやった。

「蝋人形。」

「え、ええ!?」

 仲が良さそうには確かに見えないが、同僚であり幼馴染だ。並んで歩けば様になるし、悪くは思っていないだろうと思っていたユリには、驚く発言だ。

「そ、そうかなぁ…。」

「あいつ、無機質だろ。

 感情が篭ってないって言うか、化けの皮被ってるっていうか…。」

「そんな風には…、見えなかったけど…。」

 つい数十分前の三笠を思い出す。

 ユリには、少女のように笑い、ぱりっとした男性らしさもある、妙に艶やかな女性という印象なので、了の言葉が理解出来ない。

「ま、別に何でもいいけどな。」

 そういう了の前に、注文していたブレンドコーヒーが置かれた。

 了はそれを何も入れずに一口含むと、静かにカップを置いてユリを見る。

「もう少しサボって、下で打ち合わせを終えたら、クレアのいる療養所に行こう。」

「! 会えるの!?」

「ああ。

 面会するには、事前許可が必要な療養所でな。あんまり頻繁には行けないが。

 今日は許可を貰った。」

 クレア。

 ここへ向かう前に了に聞いた話だと、様子がおかしいという事だった。

 色々なショックを受けたのだろうから理解は出来るが、どんな様子かが一番気になるところだ。

 気落ちしている程度ならよいのだが。

 そう思うと、不安が顔に出た。

 ユリが肩を竦めて俯くと、ピンと鼻先を弾かれた。驚いて顔を上げると、了の指先が目の前にあった。了の表情は、真面目だ。

「…痛い。」

 文句を言うと、了は真顔のまま指を引っ込めた。

「気落ちしてる場合じゃない。

 全部終わってから落ち込んでくれ。」

「…。」

 言葉はきついが、了なりの気遣いだ。何より、自分の身が危険だと知らされて了と一緒にここへ来たのだ。確かに気落ちしている場合ではない。

 ユリは了に膨れて見せ、残りのタルトを一口で頬張った。

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