表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
男爵は微笑う  作者: L→R
再会
6/48

再会◆5

この話数書き終えた直後に誤ってブラウザバックして3時間をチャラにしたショックから立ち直るのに丸1日かかりましたという愚痴。

 翌日。

 いつも通りの時間に起き、いつも通りに匠と事務所を開け、いつも通りの庶務を手伝い、いつも通りに昼食の時間を迎えた。

 事務所員たっての希望で、昼食は大抵、カナエの手作り料理が用意され、みなで事務所のリフレッシュスペースでテーブルを囲う。今日もいつも通り、握り飯に汁物、簡単な煮物とデザートというメニューだ。

 外回りに出ている所員を除き、面々は一通り食事を追え、早々に席に戻ったのを見送り、カナエとユリで後片付けを始めると、そこへ外出していた匠が帰って来た。

「食事は終わったかい?」

「うん。叔父さんまだなの?」

 ユリが訊ねると、匠は「いや、僕はいいよ」と言い、カナエを見た。

「じゃあ、そろそろ話でも始めようか。」

 匠が言うと、カナエがユリの持っている盆を取り上げ、家に戻るよう言った。

 ユリは首を傾げつつ、昨夜カナエが言っていた話の事だろうと予想を付け、匠に続いて家に引き上げた。

 リビングへ行くと、了がいた。

 ユリを小さく振り返った了は、三ヶ月前と何ら変わらぬグレーを基調としたシンプルな服装で、数日前のスーツ姿とは別人のようだった。髪も、整っているのだかいないのだか解らない。

 ただ、数日前と同様、若干痩せたように見えた。

「待たせて悪いね。」

 言いながら、匠が了に座るよう促した。

 三ヶ月前、了がここへ食事に訪れたときと同じ座席に各々座る。

「さて、誰が話そうか。」

「…ボクが、話します…。」

 如何にも気が乗らないという風に了がぼそりと呟き、匠も仕方がない事のように「そうだね」と俯いた。

 了は椅子に深々と座り直し、暫し弛緩した。

 気持ちを整えているのだろうか。了の横に座るユリは、了をじっと見た。

 やがて、了が小さく深呼吸をし、俯きがちにユリを横目で見た。

「…最近、クレアから手紙が来ないんじゃないか?」

 了の言葉に、ユリがどきりとする。

「え、何で知ってるの?」

 家にいるのだから、手紙のやり取りをしている事自体は、匠もカナエも知っているし、別に隠している事ではない。頻繁にやり取りをしている訳でもないので、ニ、三週間空く事も当たり前だ。だから、”最近来ない”という感覚はユリ個人の感覚だったし、これは誰にも話した事がなかったので、驚いたのだった。

 ユリの反応も予想通りとでも言うように、了は身動ぎもせず深く息を吸い込んだ。

「…二週間ほど前、エルシの話を聞かせてくれたシリングの医者から、俺に連絡があった。

 『精神状態が芳しくないので、クレアを日本で預かってくれないか』と。」

「…え…?」

「今、シリングは民主改革派と君主制継続派で国が二つに別れて小競り合いをしている。

 民主派は一般国民が組織するデモ組織が主体、王制派は主に軍幹部や政治家、資産家が主体だが、三週間前を境に、王制派の一部の権力者が民主派に鞍替えする動きが見られるようになった。

 切欠は…、クレアだった…。」

「な…。クレアに何かあったの…?」

 溜まらず、ユリが了の袖を掴んだ。

 了はその手を見つめながら、続ける。

「報道規制が敷かれているのか何なのかは不明瞭だが…、日本では全く報じられないが、三週間前、現国王とシリシの秘密が、シリング国内のマスコミに流された。

 そんな噂が流れては、王政派に留まれば自分の立場が危うくなる。そう判断して民主派に乗り換える権力者が出た。

 同時に報道を受けた民主派にとって、クレアは瞬く間に悲劇のヒロインとして祀り上げられた。

 その時点で当のクレアの耳には、まだ何の情報も入っていなかったが、デモ組織のリーダーがクレアを広告塔として祀り上げた事で、クレアの耳に入った。

 その時、何の手違いか、意図的か、菅野の疑惑の件もクレアの耳に入った。

 クレアの様子がおかしくなったのは、その時からだったらしい。」

「…誰が…、そんな事を…?」

「…確かな情報はないが、シリングのマスコミへは、”男爵”名義で情報が流れたらしい。」

「どうして!?

 だって、クレアのお兄さんは、クレアを守りたかった筈でしょ…!?」

 ユリが、了の袖を掴む手に力を入れた。袖を引っ張られるようになった了の手が、だらりとユリの膝に零れた。この状況で手を引っ込めるのも躊躇われ、了はユリの手を握りる事にした。ユリが気持ちを取り乱すのを抑えたかった。

「正確な情報は、俺の手元にない。

 だから、聞いた話しか出来ない。

 ただシリング国内では”男爵”によるものだと報じられていると、医者は言ってた。」

「…。」

 念押しでユリの手をぎゅっと握ると、ユリは眉間に深い皺を刻んだまま、弛緩してしまった。

 クレアは菅野からの疑惑については何も知らなかった筈だ。

 あれだけ懐いていた菅野の真実を知れば、深く傷付くに違いなかった。

 シリシの事だってそうだ。

 仮令事故死が嘘だったとして、それを受け入れたとしても、その先にある真実は自死という重いものだ。

「シリング国内の治安も、報じられているより遥かに悪い。

 身の危険と、精神の危険とを鑑みて、クレアの身は医者の依頼通り、駆と高遠さんが入国管理局に掛け合って、本人の同意を得ぬままに、日本へ入国、保護する事にした。

 今、東京郊外の療養施設にいる。」

「会いに行く!」

 そう言って立ち上がろうとしたユリの手を、了がさらに握って制した。

「まだ話は終わってない。」

「…え…?」

 立ち上がる事を止められ、前のめりの妙な姿勢で、ユリが了を見た。

「後で、クレアの元へは連れて行く。

 ただ、今日来たのは、本来はクレアの件のためではない。」

「…どういう…事…?」

「話の続きがある。」

 了が、匠を見た。匠もその視線を受け、小さく頷いてテーブルの上に何かを取り出した。

 見覚えのある、箱だ。

 数日前、匠に渡すよう了から預かった、あの箱。

「あ…。」

「開けてみ。」

 短く言って、了がユリの手を離した。

 ユリは了と匠を見た後、おずおずと箱を手に取り、ゆっくりと開けた。

 中には、紅く輝く宝石が入っていた。

 これは…。

「…”紅い泪”…。」

 ユリが呟くと、了が頷いた。

「”男爵”の事件の時、美術館から持ち出され、所在不明となっていた、”紅い泪”だ。」

「え?」

 ユリが驚いた。

 あの事件の後、”紅い泪”は菅野が倒れていた美術館の敷地内の茂みの中で発見された筈だ。

「”紅い泪”には、対となる同じ姿の宝石が存在する。

 名を”紅い心”。

 この二つは、夫婦だった頃のアレン・バークレイとシリシ・バークレイの発注によって一つの巨大なカーネリアンから作られた宝飾品で、元は”二つの想い”と言う二つで一つの作品だった。

 アレンとシリシが将来、一つをエルシに、もう一つをクレアに受け継がせるつもりで作ったものらしい。

 その後、あの一件でシリシの手元にあったものと、アレンの手元にあったものは別れ別れになり、シリシは石の小瓶に隠していた毒を呷って自殺。それが美術館へ搬入された。

 だが、事件後回収され、警視庁に保管されていたそれについて、指紋採取の一環として科学捜査班が調べたところ、毒物は検出されなかった。

 シリシが服毒自殺に使用した毒は、六〇度以上でないと気化しないもので、通常の室温保管でも十年は保存容器に付着して残っていると言われるものだった。

 だから、一切検出されなかった以上、”物が摩り替わった”と見るのが正しい。

 元々あの美術館の事件は、”盗難未遂事件”であって、アレン殺害についても”紅い泪”は関連性がなかった事から、毒物やシリシの一件については警察も把握していない。これと毒物について関連付けているのは、”男爵”の捜査をしている特別調査室(ウチ)だけで、警視庁を始めとする捜査機関には一切この情報も開示していない。

 だから、警視庁内部では、未だに警視庁で保管しているのは”美術館から盗まれた紅い泪”なんだが、特調の行った科学捜査により、これから毒物が検出された。

 つまり、ここにあるものが”本物の紅い泪”、警視庁で保管されているものは”紅い心”だと言う事になる。」

「それが…どうしてここに…?」

「俺はそれを、『クレアが持っていた』と言って、医者から預かった。」

「…えっ!?」

 ユリが目を見開く様子を、匠は静かに眺めていた。

 匠はクレアを見送った日に気付いていた。だが、高遠に相談すると、これについては口止めをするよう言われ、この事実を知っているのは、了を含む特別調査室の一同と匠だけという事になったのだった。

「何で? なんでクレアが…?」

「…それについては…、クレアに聴くしかないと思っている。

 でも、肝心のクレアは、今そんな話が出来る状態にない。

 そして…。」

「そして…?」

「クレアを日本に保護し、これが俺の手元に来た二週間前から、あの事件と関わった事のある人物が立て続けに襲われている。」

「!?」

「統計的に見て、俺たちが勝手に”事件と関わりのある人物”と捕らえているだけで、本当は別の条件で襲われているのかも知れないが、今の時点で、菅野と飛澤さんが被害に遭っている。

 飛澤さんは軽傷で済んだが、菅野については傷が深く、現在集中治療室に収容され、意識もない。」

「そんな…。誰が…?」

「解らない。飛澤さんも、菅野も、自宅にいるところを狙われたらしい。どちらのマンションの防犯カメラにも、不審と思われる人物は映っていなかった。」

 襲撃後、飛澤については自力で救急車を呼び、菅野については玄関で血を流して倒れていたところを、近所の住人が発見、搬送されたらしい。

「……。」

 ユリがすっかり黙り込んだ。が、了が見る限り、肝心な事には気が付いていないようだったので、了はユリを向いて座り直し、肩を窄めて縮こまるユリの手を力いっぱい握った。

「次は、ユリが狙われるかも知れない。」

 ユリが、ばっと了を見上げた。

「俺も、匠さんもカナエさんも、その可能性は高い。」

「…。」

 発言すべき言葉が見当たらず、ユリは口を動かしかけて、そのまま噤んでしまった。

 そこへ、匠が静かに言った。

「僕もカナエも、自分の身は自分で守れるけど、ユリは違う。

 そこで、ユリの身を暫く、蕪木クンに預けたいと思うんだ。」

「え…。」

 何故、自分だけが…?

「保護という形を取るつもりでいる。

 暫くは、この家から離れて、俺の目の届く範囲にいて貰う。俺が止むを得ず離れなければならない時は、調査室の誰かが君を護衛する。」

「家を離れるの…?」

「暫くな。」

「だって、自分の身を守れたって、叔父さんもカナエちゃんも危険には違いないんでしょ?」

「…。」

「なのに、どうして私だけなの?」

「……。」

 黙り込む了と匠の顔を、ユリが交互に見た。

「なんで、私だけなの?」

 尚、黙ったままの二人の態度で、ユリには大方の予想が付いた。

「…本当は、私が狙われてるんでしょ…?

 飛澤さん、菅野館長、私…。

 あの事件で、この三人に共通するのはただ一つよね…。」

 ”男爵”と、直接やり取りをした事がある人間だ。

「了も勿論、狙われてるんでしょ?

 だから、残りの私と一緒にいれば、狙われる機会は少なくて済む。

 …そうでしょ…?」

 了の顔を覗き込むと、了が手の力を緩めた。咄嗟に、ユリは了の手を握り返した。

 これで、確信した。

 ふと、東京駅でばったり会ったあの日を思い出した。

 あれは、偶然ではないのだろう。きっと、ユリを心配した了が、後を付けたに違いない。

「…わかった。

 その方が都合がいいなら、その通りにする。」

 ユリが頷くと、了が険しい顔をして詫びた。

「すまん。」

「仕方ないじゃない…。

 私がここにいない方が、叔父さんもカナエちゃんも危険は少なくなるんでしょ?

 その方が、いいわ。」

 そう言って、ユリが立ち上がった。

「家出る準備、した方がいいでしょ?

 何がどのくらい必要?」

 荷造りをしなければならない。出て行くなら、早い方がいいだろう。

 テキパキと、なるべく明るく言うが、了はその切り替えに呆気に取られて何も答えられずにいた。

 一方で大凡この展開を予測していた匠は、にやにやと笑っている。

「蕪木クン、取り合えず三日分の着替えくらいでいいよね?」

「え…、あ、はい。

 ちょっと、旅行に行くような荷物でいいと思う。必要なものがあれば、あとで買うか届けて貰えばいい。行き先はここでは言えないが、洗濯は出来る環境ではある。」

「そ。なら、三日分用意するわ。

 ちょっと待ってて。」

 そう言うと、ユリはぱっと了の手を離し、四階の自室へバタバタと走り出した。

 未だ呆気に取られている了は、ゆっくりと匠を見た。

 その様子が面白くて、匠はテーブルに頬杖を突いて了をからかった。

「面白いだろ、ユリは。」

 匠の暢気な口調に、やっと気を持ち直した了が、苦笑した。

「参りました。

 やっぱり強いな…。」

 了は、ユリの感覚の残る手をまじまじと見つめて、そう呟いた。

 それを聞いて、匠は満足げに笑った。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ