再会◆4
三ヶ月前の事を思い返しながら、ゴロゴロとベッドの上を転がる。
あのあとクレアは月に一、二通ほど手紙をくれる。ユリもクレアも機械は得意ではないのと、やはり直筆からのほうが気持ちが伝わるのだ。相手の様子も、字を見れば解る。英語が出来ないユリに、日本語を勉強して来たクレアが合わせてくれるからこそ出来るやり取りでもあった。
そういえば、そろそろクレアからの便りが来て良い頃だが、少し間が空いていた。
まぁ、必ず手紙を寄越さなければならないという事でもないし、クレアもあれから色々と厄介事に巻き込まれそうになったりと忙しそうだったので、手紙が遅れている事も気楽に構えていた。
「ユリー! ごはん!」
夕飯に呼ぶカナエの声がした。
「はーい!」
返事をして、起き上がる。
天井ばかり見ていたので気が付かなかったが、部屋の中はすっかり暗くなっていた。
ユリはクッションに躓きながら部屋を出、リビングへ降りた。
ダイニングテーブルに、二人分の食事しか乗っていないのが見えた。
「あれ? 叔父さん、ご飯食べないの?」
「うん。蕪木…駆さんとお食事に行くんですって。」
「ふぅん…。」
生返事をし、キッチンを覗くと、目の前に米が盛られた茶碗が突き出された。
「はい。ユリの。」
「ありがと。」
茶碗を受け取り、カナエの分を持ってテーブルに戻る。茶を持ったカナエが、キッチンの電気を消して、席に着いた。
「食べましょ。」
「いただきまーす。」
暫く、無言で目の前の食事を咀嚼する。
食べながら、思考が、ぼんやりと了の事に移行していく。
何が起きるのだろう。
否、既に動いていると言う事は、何かが起きていると見た方がいいかも知れない。
無意識に眉間に皺を寄せたユリを見て、カナエがユリを覗き込んだ。
「味、ヘン?」
「えっ!?」
「ヘンな顔したから。」
「あ、ううん、いつも通り。大丈夫、美味しい。」
「そう。」
有らぬ心配をさせてしまったようだ。
ユリは考え事を止めた。
「ねぇ、カナエちゃん。」
「ん?」
「私、何の仕事が向いてると思う?」
「あんたは探偵以外向かないでしょうね。」
「…え…。」
「何を目指すのも構わないし、応援は出来るけど。
でも、あんたは公務員も、スーパーのパートも、何かのインストラクターも、向かないわね。」
「どれもやった事ないけど…。」
「やらなくて正解じゃないの?」
「どうして?」
「だって、そうやって育ってないもの。あんたほど自由に育てられた子も中々いないわよ。」
言われなくても、自由に育てて貰った事くらいは理解している。
「自由に育てられちゃったら、探偵にしかなれないの?」
「違うわよ。”普通”の仕事は出来ないだろう、って。
そうだから、あんたの場合は探偵しか出来ないのよ。」
「…?」
ユリが首を傾げると、カナエがふと笑った。
「だって、あんた探偵しか見た事ないじゃない。
そりゃ、了さんと会って検事さんがどういうお仕事かも知っただろうし、美術館の館長さんとか、大使さんとか、あとは…、ああ、そう、マミちゃんみたいに海外で仕事をする選択肢がある事も知ってるし、仕事自体は知ってるでしょうよ。
でも、そういうのを見ても、どうとも思わなかったでしょ?」
「…うん…。」
思いはしなかったが、それは、匠と一緒に仕事がしたかったからだ。あの時点で、ユリは探偵をやるつもりでいた。他の事など考えなかったからだ。
が、カナエはそんな気持ちを見透かしたように、ユリを見る。
「天職って、やってみて気付くって言うけど、私はちょっと違うと思うわ。
何も意識しなくても出来る仕事。それが天職だもの。
あんたは目敏いし、妙に勘も鋭いし、どんな仕事を見ても揺れ動かなかったし。
匠さんも、美術館の一件では、ユリは自然に体が動いてるみたいだって言ってたわ。
会社勤めするような育ち方はしてないし、ツメが甘い訳でもないし。でも型に填る環境では生きていけない。
だから、きっと、ユリは探偵が天職なのよ。」
そこまで聞いて、ユリが箸を置いた。
「…じゃあ、何で叔父さん、仕事させてくれないの?」
「仕事、ちゃんとさせてるじゃない。」
「…。」
「いきなり外回りとか、外部調査させられるほど探偵だって甘い商売じゃないわよ。
顔が広くなきゃ出来ない事もあるしね。
ユリにはまず、事務所に来るお客さんの応対をして貰って、ユリという人間がいる事を覚えて貰わないと。
探偵なんて、信用商売だからね。
一見さんもいるけど、大抵は同じ依頼主から繰り返し仕事を貰うのがうちの現状だし。」
「…了のお兄さんみたいな?」
「そう。うちはほら、高遠さんとのご縁もあって、調査室からの依頼も多いのよ。匠さん以外はそんな調査だと知らずに調べ周ってるけどね。
駆さんは今回が初めてだけど、弁護士さんからのご依頼もそれなりにあるのよ。」
「…そう、なんだ…。」
納得したらしたで、はっとする。
「私…、駆さんと了の事間違えたりしてるけど…。」
肩を竦めて言うと、カナエが大笑いした。
「そういうのは信用の有無じゃなくて、ただの早とちりでしょ。
それに、依頼人の事、別の依頼人に話してる訳でもないし、そこまで厳しくないわよ。
まぁ、早とちりは治すに越した事ないから、治して欲しいけど。」
「うぅ…。」
散々見に覚えがあるのでユリが小さくなると、さっさと食べ終わったカナエが自分の茶碗を重ね始めた。
「食べるの早くない?」
「ユリが遅いだけよ。
…ユリ、ちょっと痩せたんじゃないの?」
「…そんな事ないと思うけど…。」
そう言いながら、ユリは自分の体を見回すと、カナエが意味深に笑った。
「ははん…。」
「え、何よ気持ち悪い。」
怪訝な顔をするユリに、カナエはもう一度にやりと笑って、何か思い出したのか手を叩いた。
「ああ、そうそう。
ユリ、明日、家にいてね。」
「え、あ、うん。」
ユリが頷くと、カナエが茶を淹れ直しに席を立った。
「ねぇ、カナエちゃん。」
「ん?」
「駆さんって、どういう人?」
「駆さん? なんで?」
「ううん、さっき、依頼人の人と接した方がいいって言ってたから。
一度は会ってるし、どんな人か解っておいたほうがいいかなって。」
再び箸を持ち、食事を始めながらユリが言うと、カナエが茶を汲み終えて戻って来た。
「駆さんは、了さんのお兄さんで、弁護士さん。
東京弁護士会のちょっと上の方の人ね。
有罪の依頼人も無罪の依頼人も、自分が請け負うべきだと思えば区別なく請け負う人って言われてるけど、最近は、有罪確定の容疑者の弁護を持たされる事はないみたい。
弁護士と捜査機関は対立する事が多々あるけど、この人はそういうのを凄く嫌う人って聞いたけどね。
きっと、ご兄弟もお父様もみんなが法律に携わってるから、立場だけで法を扱うのが嫌いなんだと思うけど。」
「お父さん…?」
「あら、知らないの?
てっきり、了さんに聞いたんだと思ったけど。
駆さんと了さんのお父様は、蕪木法務大臣なのよ。」
「…っ。」
ユリが箸で摘み上げていた米を落とした。
二日前、マミコが何気なく言った言葉を思い出した。
”親族か何かに違いない”。
「法務…大臣の息子なの…?」
「そうよ、本当に知らなかったの?」
「し、知らない。家族の事なんて気にしなかったし、了も言わなかったし…。」
「そりゃ、聞かれない限り言わないでしょうよ。」
「あ、う…。」
そう言った境遇の子供ならば、聞かれず言うのでは自慢と取られる事もあっただろう。
「駆さんは蕪木兄弟の次男で、長男と駆さんが双子、三男と四男も双子で、了さんが五男だったかしら。
お歳は一〇違うって言ってたから、駆さんは四三歳よね。
結婚はしてらして、確か三つになる息子さんがいた筈よ。
了さんのご兄弟の子供の中で一番小さいって言ってたかしら。」
ユリの喉元が絞まった。口に入れていた食べ物を無理矢理飲み込んで、先ほど聞けなかった事を聞いてみる。
「…了も、結婚してるの?」
「了さんは独身よ。
今までも仕事に夢中だったし。暫く彼女もいないんじゃない? あの様子だと。」
「でも、同じ職場に幼馴染の女の人いるんでしょ? 凄く仲いいって…。」
渡辺が言っていた気がしないでもない。
「ああ、秘書の人でしょ? 彼女とは違うんじゃない?」
「…そうなの…?」
並んで歩く姿は、様になっていた気もする。
「あんた、そんな事、了さんに聞いたら怒られるわよ。」
「え、なんで?」
「だって、了さん、その秘書さんとの事、そう聞かれるの辟易してるって言ってたもの。」
「…そう…なの…。」
安堵してよいのか、何なのか、微妙な気持ちが込み上げた。
「ま、知りたければ聞けば答えてくれるんじゃない?
明日、了さんいらっしゃるしね。」
「えっ!?」
もしや、さっきの電話は…。
「あら、さっき連絡したって、匠さんに連絡が来たらしいけど、言ってなかったの?」
カナエがきょとんと言うと、ユリが首を大きく振った。
「なんにも。
近いうちに行くとは言ってたけど…。」
「そう。何にしても、明日、いらっしゃるから。
だから、家にいて欲しいのよ。」
「うん。」
ユリは頷き、タイミングよく終わった食事の片付けを始めると、カナエがじんわりと笑顔を消した。
そして、言い難そうに俯いて、手元の布巾を指先で弄り始めた。カナエが何かを躊躇うなど、滅多にない事だった。
「…あのね、ユリ。」
「うん?」
「明日、了さんがいらっしゃるのは、それほど良い事じゃないのよ。
詳しくは、明日、了さんと匠さんが揃ってから、きちんとお話があるから、そこで聞いて欲しいんだけど。」
「…何か、あったの…?」
「…うん…。私からは話せないけどね。」
なるほど。それで先ほどの了の言葉にも合点がいった。
自分が話をする前に、ユリの耳にその事が入っていないかを心配したのだ。
そして、言い方から察するに、それはユリにとって、衝撃を伴う事のようだ。
「変に気落ちする必要はないと思うけど、でも、あっけらかんとしてると、ショックは大きいかも知れないわ。
それだけ、覚えておいて頂戴。」
「…わかった…。」
ユリが頷くと、カナエはふと哀しそうに笑って、食器を片付け始めた。
カナエがキッチンで洗い物をしている音に耳を傾けながら、ユリは湯飲みを傾け、飲み残した茶を揺らした。
カナエが忠告をするなど、普段はない事だ。だから余程の話を、明日聞かされるのだろう。
何があったというのだろう。
雨戸の付いていないリビングの窓を見ると、都心の夜景がきらきらと輝いていた。
あの灯りのどこかにいる了が、明日ここへ持って来るらしい”良くない事”に、少し身構える。
何が、起きるというのだろう…。