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男爵は微笑う  作者: L→R
記憶
45/48

記憶◆7

「ありがとうございます。」

 礼を言われる筋合いなどないのに、エランは了に深々と頭を下げた。

「ずいぶん日本的な事をするんだな。」

 笑う余裕の出て来た了が苦笑すると、エランが柔らかな成熟した笑みを浮かべる。

「日本に長く居過ぎました。」

「それも皮肉か?」

「どちらかと言うと。」

 受け持ちの公判の被疑者と、接見を通じて軽口が叩ける関係になる事は、世間のイメージほど少ない訳ではない。こうして話せるという事は信頼度の高まりを意味する事が殆どで、元々の被疑者ないし担当検事の人懐こい性格から派生するただの厭味の言い合いとは違う。気を付けねばならないのは、お互いの距離を見失う事である。根底にあるのは、飽く迄も罪を問われている『被疑者』とその罪を立証する『検察官』という相対する関係であるのだから、これを間違えると罪そのものを追及出来なくなってしまう。

 自分とエランはどうだろう。少なくとも、自分はエランに対し、言うほど警戒も心を赦しもしていないと自負しているが、エランはどう受け取っているのか、これを監視する係官はどう見ているのかまでは、了でも察する事は出来ない。

 エランに席に着くよう促し、自分も向かいの席に腰を下ろす。

 高遠との会話で頭が冴えて来てはいるものの、状況を完全に把握した訳でもない。頭のどこかで情報の時系列が前後している可能性は否定出来ないから、この場で話をまとめ直すと言う事はしないと決めた。

 とにかく、情報を得るのだ。まだ、エランから聞ける話は山ほどありそうだから。

「正直、整理出来ていない。」

「でしょうね。」

「うん。なので、どうせだから、聞ける事は聞けるだけ聞いておこうと思って来た。」

「はい。答えられる範囲で、何でも答えます。」

 エランのこう言った姿勢は、身柄を拘束されたその日から、実はあまり変わっていなかった。聞けば答えるし、答えられない事は大抵弁護士と調整の必要な事だった。これは、初犯の被疑者にはそうそう出来ない対応だ。だからと言って、エランが犯罪を繰り返して来たとここで断言する事も決め付ける事もしない。

 了としてはこの対応を、物事の真実を一貫して見通している故の態度と受け取っている。先々の事も見越しているのだ。

 だから、了に問われる事も察しがつくのだろう。自ずと、了としては心を見透かされているようなやり取りが発生する。

 勿論その影には、『あの人』がいるのだろうし、もしかすると『あの人』が彼を指導したのかも知れないが。

 だからこそ、こう言う聞き方が一番いいだろうと思った。

「芳生 悠璃という女性の事は知っている?」

「ボクたちを調べていたご夫婦の娘さんですよね。」

「…なるほどね。」

 『芳生』という名の事は知っていて当然だろう。

 問題は別にある。『自分こそが”男爵”である』というエランの告白が真実ならば、ユリと直接接している事になる。そこで、エランの語り方の特性と合わせ、『会った事がある』事を含む答えが出て来れば、『エランが”男爵”である事を真実とする事で得られる結果』がエランや『あの人』にとって重要なのであろう。

 だが、エランの返答はその期待予想を裏切るものだった。

 ”男爵”は三ヶ月前、確かにユリが『芳生夫妻の娘』であると認識する機会を得ている。

 紛れもない、了自身がそれを告げたからだ。遠回しであったが、彼には十分にそれが伝わっていたと思っている。

 それがこの反応だ。

「?」

 エルシが怪訝な顔をした。流石に真意は伝わらなかったのだろう。

 そこからも、汲み取れる情報はある。

 了はエルシの反応を受け流し、続けた。

「その芳生 悠璃という女性が、三笠氏の娘に襲われた事は耳に入っているかな?」

「…いいえ。」

 エランが一瞬だけ返答に間を開けた。

「シリング王室を掻き回した、大鳥から持ち出された行方不明のワクチンに関する情報を、彼女が持っていると推測した三笠の娘が、彼女を襲った。」

「…。」

「俺は薬品開発の事には明るくない。だから解らないが、芳生夫妻が持ち出したワクチンやウィルスはまた作る事が出来るんじゃないのか? なのに大鳥はそれに固執している。

 大鳥だけじゃない。”男爵”つまり、キミもだ。」

 ”泪”強奪を謀った事がその証拠であると思う。

「あれじゃなければならない理由は何だ?

 キミが”男爵”なら、あれを手に入れて一体どうしようと思っているんだ?

 キミは『侵略は望まないと考えている』のだと俺は思っている。なら、油田に絡む問題ではそれを使う気がないと言う事だ。それを材料に国王でも脅すのか?」

「…事の発端とも言うべきものですからね、存在を完全に抹消してしまいたいんですよ。

 勿論、脅迫の材料には使えます。君主制を廃止するためには、国王とそれに癒着した海外企業のシリングへの冒涜は国民が知るべきであるし、それにより隣国との関係に摩擦が生じても元も子もないです。シリングを変え、隣国との関係、諸外大国との関係を均等に均すのに、”泪”とその曰くほど効果の高いものはありません。」

「でも混乱や騒ぎは求めていないんだろう?」

「はい。だからこそボクたちが手に入れなければならない。ボクたちはあれを革命の材料に使うつもりはないです。ボクたちはただ、あれをこの世から消してしまいたいだけなんです。あれなしに国を変えなければなりません。だから取り戻したいんです。

 でもオオトリの持っている理由はは違います。”泪”のみならず、彼らは情報総てを取り戻さないとならないんです。」

「何故?」

「『この世に複数ある脅威は本当の脅威にならないから』です。」

「……。」

「芳生夫妻が作り上げたワクチンやそのウィルスは、とてつもなく画期的で、そして特定の人物にはこの上ない脅威です。言うなれば、この世で決して敗れる事のない矛と楯です。

 脅威は類似品を嫌います。『たった一つの脅威』というラベルこそが脅威を脅威足らしめるからです。

 似たような、或いは同じウィルスは時間をかければ作れるかも知れない。ワクチンも。

 でも、二つ目が出来た時点で、それは脅威ではなくなるんです。だからオオトリは頑なに再開発をしない。」

「…それを阻止するために、革命派の人間に事実を打ち明けたと?」

 クレアやシリシの事。何も知らぬ国民に突き付けた真実は、火種として十分すぎるものだっただろう。

「……蕪木さんは、あれをやったのがボクだと思っているんですか?」

「…俺には、エルシがやったとは思えない。

 クレアの話を聞けば聞くほどな…。

 いくらキミとエルシが双子で見分けがつかなかったとしても、生まれた頃からずっと一緒にいるエルシをクレアが見間違えるだろうか。直接対峙して、言葉を交わす距離で。

 これがずっとわからなかった。もう一度確認しようにも、クレアは放心のままだしな…。」

 クレアの一件は、件の医者以外から話は全く聞けていなかった。シリング国内での捜査許可が下りていないのもそうだが、日本国内に於いて反君主派とのパイプとなり得る者が調査室サイドにいなかった理由が大きい。今ならマミコやエルシの伝手も期待出来るだろうが、当時はそうもいかなかった。

 クレアの様子は相変わらずで、話を聞こうにも距離的にも頻繁に面会にいける場所ではない。

 たった一人、証言が欠けるだけでも真実は消えてなくなる。否、仮令関係者全員の証言を引き出せたとしても、結局、了や高遠を始めとした第三者に真実など見えぬ。

 第三者に見えるのは、起こった事と、その結果だけだ。その奥底に何があったかなど、総てを知る事は出来ない。それが、第三者と言うものだ。

 だから、何も知らない第三者が裁くのだ。

 秩序とは、そういう風にしか守れない。

 然し今の自分は、第三者なのだろうか。それだけが疑問だ。

 法曹界へ足を踏み入れた時、秩序を守ろうなどとは微塵も考えていなかった。

 私欲のためだけに検事になったのだ。そんな自分が第三者となる資格を持つのか。平等に裁くための情報を手に入れることが出来るのか。裁く者に提供出来るのか…。

「…ボクは彼女とほとんど接する事無く生きて来ました。正直なところ、赤の他人のような感覚なんです。

 でも…。」

「でも?」

「愛着がない訳でもありません。だって妹ですからね。深入りしたくはないですが、全く関わりたくないとか、どうでもいいという感情は持ってないです。」

 了は敢えて黙って聞いた。エランがその姿勢に興味を持ったのか「嘘臭いですか?」と尋ねた。

「…多少はね。

 もう一つ言うと、俺はキミが嘘を吐くとも思えない。」

「……。」

「だから困っている。

 何が本当なのか、何が嘘なのか、或いは誤解なのかわからない。」

 検事として、これは御法度に近い。

 入ってくる情報を無感情に整理しなければならないのに、了は感情移入しすぎている。こと、エルシとエランに対する信頼が厚すぎるのだ。

 これが大問題である事は自覚をしているが、この事件はこうして処理して行かないといけない気もしていた。

 身の振り方が定まらないのは、この悩みの所為だ。自分自身、どういった姿勢で臨むのが『正しい』のかわからない。

 了の言葉にエランが笑った。

「蕪木さんは、全く検事さんらしくないですね。」 

「検事をやるつもりがないからな。」

 若干不貞腐れて答える。指摘された事は何より誰より自分が一番自覚している事だ。それ自体は悩みではないが、問題ではあるのだろうと思っている。

「問題発言ですよソレ。」

「構わないよ。元々鼻ツマミ者だもの。今更どう思われようと何も変わらない。」

「でも、ボクたちの事には真剣になってくれるんですね…。」

 エランの笑顔が柔らかくなる。

 事件に優先順位をつけている訳ではないが、了にとってこの一連の事件は特別なものだし、再三自問自答しているように、目の前のエランや追っているエルシはその中でも特に特殊な位置付けにある。

 おこがましくても、『掬い上げてやりたい』のだ。

 わざわざ言う事でもないので、わざとらしく肩を竦めると、エランはくすくすと笑って呟いた。

「だから、ボクたちも信用しているんですよ…。」

「…それには、有難うと素直に言っておくよ。」

 了が口の端を上げると、エランはさらに肩を揺らして笑った。

 接見の時間が終わり、係員から声がかかる。

 了が立ち上がると、エランも立ち上がり「蕪木さん」と呼んだ。

 振り返ると、エランは淡い微笑を浮かべて、そして哀しそうに言った。

「蕪木さんが信じている人は、決して蕪木さんを裏切りません。

 それが誰であれ、今どんな立場であれ。」

「…。」

 その言葉が何を意味するのか、誰を指して言っているのか、見当は付くが解りはしない。

 ただ、ひとつ解るのは、それにエランも含まれるのだろう、という事だ。


◆ ◆ ◆


 再接見で得た情報を手に調査室オフィスに戻ると、宣言通り高遠が待っていた。

 エランから聞きたい事の内、聞かなければならない事は一通り答えを得られたと思っている。遠回しに煙に巻かれた質問はあるにはあるが、それは仮説として組み込めばいい。

 一偏に把握しないほうが好い。

 これが、了や、恐らく高遠が根底に置いている考え方だ。

「戻りました。」

「お帰り。」

 すっかり闇になった夜空を背に、高遠は手を組み顎を乗せ、微笑んでいる。お決まりのポーズだ。

 事態を楽しんでいるような、総てを見透かしているような。

 そういった圧力をかけるような…。

 高遠の目の前に立って、背筋を伸ばす。

 無駄な事は考えない。すべき事をする。

「エラン自身が”男爵”であるという証言は鵜呑みには出来ないかと思います。」

「うん。」

「クレアについての”男爵”による告白については否定と取れる発言をしました。そもそも、こちらとしてはそれを証明する『話を聞いた』という反君主派のリーダーとの接触も出来ていませんし、今の時点でこれを肯定も否定もする材料がありません。」

「うん。」

「ただ…。」

「ただ?」

「推測を述べるなら、エランの証言は真実であると。

 しかし、エルシも”男爵”であると考えます。」

「ほう。」

「これについては、どの事件が『どちらの犯行であるか』を立証する必要があります。証言を取る事は安易と考えますが、ここで虚偽証言をする可能性はまだあるので。」

 あの言葉を否定はしない。だが、信じ切るのは危険だ。

「そうだね。」

「”男爵による一連の事件”の実行犯が割り出せれば、少なくとも俺への殺人未遂案件と三ヶ月前の菅野暴行案件は片が付きます。」

 そこから導き出せるのは、バークレイ殺害実行犯と、”紅い泪”窃盗容疑及び実行犯だ。

 この二つの事件はいずれも大鳥のワクチンの件と関係する事件の中でも、特に目立つ事件だ。調査室情報漏洩で足元を掬われかけている今、大事な突破口でもある。

「それと。」

「それと?」

「秋山佳澄への事情聴取がまだなので、エランに例の事件について訊ねる事が出来ていません。」

「聞かない理由は?」

「エランに対しては、こちらがある程度の情報を持っている事が偽証防止に有効なのではと考えています。」

「なるほど。」

「なので、秋山佳澄への事情聴取を優先させたいです。」

 エランは了を警戒していない訳ではないが、『信用している』という言葉は本当だと思う。だからこそ、こちらも『根拠もなく疑っている訳ではない』という誠意を用意する必要があった。

 エランが質問に対して少しでも疑問に思う事があるなら、それにきちんと返せる答えが自分の中に欲しかったのだ。

 了のこの考えは、高遠も理解しているだろうと踏んでいる。

 案の定、「ま、好きにしなさい」という短い了承が得られ、これでこれまでと同様ある程度は了の裁量で事を進めていいという暗黙の了解を得られた訳だ。

 そして、今までの高遠の言葉に持った疑問を自分の中で消化する時間も得られた。高遠は何か知っている。どこまで、何を知っているか。了の中で確定しつつあるのは、高遠は『この先どんな事が、誰の手によって起こるか』という事がある程度見えている、という事である。

 高遠はこの事件が向かうべき方向を知っているのだろうと思う。

 そう思うと、エルシやマミコの言う、『あの人』や『あの方』が、もしかすると高遠を指すのかも知れないとも思えて来るが、それはそれで違う気もしている。今の自分には、それを否定も肯定もする権利はない。

 今まで高遠の指示通りに動いて、真実に着実に近付いているという現実もある。

 だからこそ言える一言が見つかった。

「…言うべき事は、必要なときに必ず残さず言って下さいね…。」

 何かを知っているのだろう? もしかすると、総て知っているのだろう?

 知った上で自分を動かしているのだろう? 情報を小分けにする事で、イレギュラーな自体にも微調整が利くようにしているのだろう?

 次に出す情報は、何だ?

 総て皮肉だ。だが、そんな事は言葉にしない。

 高遠ならこの一言で総てを察する筈だ。

 そしてこの七年、その手のひらで踊ってしまって来ているなら、今更自分までイレギュラーな因子になる必要はない。

 ふと、三ヶ月前に耳にした言葉を思い出す。


 『大人が内緒話をしているときはね、あなたのためにならない事、あなたが知ってはいけない事を話している、そんなときよ。

 そういうとき、無理に聞いてはダメ。心が壊れてしまうから。』


 カナエが言っていたのだっけか…。

 知っている事を総て話せと言えば、話すだろう、そんな気がする。だが敢えて最後まで良い様に動かされてやろう。

 それが恐らく、『一番多くの人が救われる結果』を導き出すのだろう。

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