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男爵は微笑う  作者: L→R
記憶
43/48

記憶◆5

 辺りはしんと鎮まり返り、足音だけが、甲高い音を響かせている。

 鼻に付く、黴臭い据えた生温い空気を縫い、考え事をしながら、あっという間に辿り着いた部屋のドアを、二度、ノックする。

 中から返事が聞こえ、名乗らずにドアを開けると、エランがこちらを向いて、笑っていた。

「お待ちしていました、蕪木さん…。」

 座っていた椅子から腰を上げた彼、エランは、恭しく了に頭を下げた。

 いつもの仕草、いつもの声、口調、そして、いつもの雰囲気(オーラ)。憎らしいほど冷静で…、否、冷ややかと喩えた方がいいのだろうか。

 それが、今は癪に障る。

「座ってください。」

 いつもとは違う敬語で着席を促すと、彼が一瞬躊躇したのが見えた。あの美しい瞳に反射する部屋の灯りが揺れたのだ。そして、彼の纏うオーラが変わった。こちらを威圧するような、それでいて包み込むような、とにかく巨大に思えたオーラがふと消えた。

 了の言葉に、彼はこれから怒られる事を直感的に悟っている小さな子供のように身を縮めて座った。

 了は、苛立っていた。怒りと言うよりも、許容量を超えてしまったのだ。マミコの話で知ったエルシとエランを取り巻く人間たち。どれも状況だけで裁いてはいけない気がして、一つずつ、一人ずつ、行動から感情を汲み取って行った。そうしたら、土壺に嵌った。嵌り込んだそこは、まさに肥溜めのようだった。どす黒い何かが蠢き、他人同士で利己益を天秤にかけ薄ら笑う人間たちの巣窟。人の感情とは胸のうちから吐き出された排泄物に過ぎないと思った。その中で、家族を、国を握り潰されそうになった少年たちが余りに純粋すぎたのだ。彼らの感情を汲み取るのが、一番厄介だった。

 蝕まれるように、彼らに心を寄せる。でもそこにあるのは、自分が体験した事もない世界。汲み取り、そして理解するなど、無理だった。

 エランと向かい合い、座る。

 真っ先に訊ねる事は、一つしかない。

 だが、中々切り出せなかった。躊躇っている訳ではない。答えを聞くのが怖いのだ。

 乱れてもいない呼吸を整え直して、そしてエランから視線を外し、やっと訊く。

「君らは…、どっちがどっちなんだ?」

 了の問いはエランにすんなりと理解されたようで、エランは少しだけ嗤った。

「希望的観測に則った回答をお望みですか?」

「茶化すなよ。」

 馬鹿にされたような気がして吐き出すと、エランがくすすと微笑った。

「私たち、どちらがどちらにでもなれます…。これは、皮肉です。」

「君らのどちらがどちらか、証明するものは何もないからな…。」

「あの国で生まれた事その事が、私たちが自分自身を証明出来ない一番の要因になってしまいました。」

 双子に生まれ、奇病を持ち、生き別れ、サンプルにされ、再び会い…。生き方は別れたが、そもそも生まれた時に、或いは別れた時に、どちらがどちらだったかなど、本人もわからない。それを証言出来る者は、もう誰も生きていない。

 名前など記号に過ぎぬ。個々を区別するための。それを入れ替える状況があるのならば、記号すらその役割を全う出来ない。

 秩序の欠けた世界で、目の前の青年ととの片割れは、己を何だと思って生きて来たのだろう。

「…私の言葉を信じますか?」

「俺が君を疑った事があったか?」

「公判の時に。」

 了がたまらず不機嫌な顔をすると、エランはいつも通りの…、否、いつもより幼い笑顔を浮かべた。

「…そろそろ、潮時だとは思っていました。」

「……?」

「時間がないって、言ったでしょう?」

「俺はそろそろこの事件の関係者の誰に対して、切れても誰からも怒られないと思ってるよ。」

 実際、我慢の限界はとうに過ぎていたのだ。それを誤魔化し誤魔化し、同情で上塗りをして過ごして来た。総ては決意した結末のための我慢だった。だがマミコと言い、エランと言い、父や兄たちと言い、そしてエルシと言い…、誰一人、事実をこちらの心境を探らず淡々と語る者はいなかった。どこかで自分を試しているような、そんな話し方をする。

 遠回しに、まるで、騙そうとしている様に。

 そうやって、誰かを欺いてこの事件を隠して来たのだろう、と言う言葉を飲み込んで耳を傾けるのに、一体どれだけの労力を費やして来たと思うのだ。

 その心境を「こっちの身にもなってくれ」というたった一言で代替し、エランに視線で話を促した。

 エランは何が可笑しいのか苦笑して、「蕪木さんは本当に面白い人ですね」と言った。

「私が知る全ての司法従事者が、あなたのような人ならどんなに善かっただろうと、ずっと思っていました。」

 そう言うエランは遠くに視線を放ち、話し始めた。

「私がエルシと再会したのは、十三年前。私が里親の家を出、独り暮らしを始めた頃でした…。

 街中で最初に私がエルシを見付けて…、尋常じゃないくらい私と瓜二つの彼がとても気になりました。私はその頃、まだ自分が双子だなんて知りませんから。でも中々声をかけられませんでした。何と言うか、彼と私は違いすぎたんです。身成も、仕草も、纏っているもの何もかもが、私と雲泥の差があったんです。

 彼は毎日、私の行きつけのカフェの横の道を通ってどこかへ行くんです。私は、それをずっと眺めて、声をかけられずに過ごして…。

 それがある日、大学から下宿先へ帰ると彼がいるんです。彼は私の部屋のドアの前で、ずっと私を待っていたそうです。思い掛けない展開に驚きながら、やっと彼と話をする事が出来た喜びは、今でも覚えています。彼もあのカフェで私を見付けて、ずっと機会を伺っていてくれたそうです。でも一向にそんな機会が訪れないので、痺れを切らして私をつけて、家を把握したと。

 それから、私と彼の交流が始まりました。

 彼は私と双子だと言う事を知っていました。信じてくれないかも知れないけどと前置きをして、総てを話してくれました。最初は本当に信じられませんでしたが、目の前の彼が何よりの証拠だと思いました。

 だから信じる事にしました。

 私たちを取り巻く人々と、哀しい出来事と…。語り合ううちに私たちは、大鳥の言いなりになり国の現状を維持して行くか、改革によるゼロからの復興を覚悟するかで、意見が別れて行きました。」

 そこから続く話こそが、了が知りたい事の総ての答えだ。呼吸を整えるエランを、了は見据えた。エランも了の視線に、真っ直ぐ見つめ返す。

「彼は改革による復興を、私は現状維持を望みました。私も、改革を頭ごなしに否定した訳ではありません。でも、彼の事は止めなければならないと思いました。

 彼の望む改革は、君主制の廃止に留まりませんでした。国を荒らす諸外国総ての偽善の手を振り払い、自立をする事。諸外国による介入を食い止める事が急務だと言いました。そのために必要なのは、復讐だとも…。」

「復讐…。」

「特に大鳥グループの事は敵視していました。彼ら(大鳥)はなんとしても壊滅させるとまで言い切った。

 まず手始めに、スガノと言う男を殺す事だと。」

「クレアの件か。」

「それもありますが…。」

「?」

「スガノは、ミカサ ユウイチの代理人と言う役割がありました。スガノは語学力と日本国内での立ち位置を利用して、シリング王家との金銭や利権の中間地点と言う役を与えられていました。それともう一つ、一連の事実を知る者を貶める役。」

「貶める?」

「はい。主に『殺すよりも、直接手を下す事の方がリスクの高い人物』を、社会的地位から引き摺り下ろす役です。」

「対象人物は、…バークレイか。」

「はい。何もかもご存知だと言う前提でお話しますよ?

 スイス銀行の件も、大鳥がスガノに指示をしてやらせていた事です。

 シリング国内と言え、父ほどの役職の者にはボディガードが付きますし、周りの関心が高いので自然と監視対象になります。安易に危害を加える事は出来ない。だから、まずは離職させる事から始めなければなりませんでした。

 しかし、父は優秀すぎて…。

 そこで、何とか足元を掬うべくスガノが動いたのです。大鳥としては、失敗してもスガノ一人に責任を負わせればいいですし、そのための口裏併せはミカサと大鳥サイドで調整済みでした。エルシに、スガノがクレアに行った愚行を伝え、あとはスガノがシリングへ向かうタイミングを待つだけという状況で、数年待って漸く、その時が訪れたのです。」

「大鳥サイドのある人物は、菅野がシリングに入国してから始末するつもりだったと言っていた。」

「はい。日本国内で事件になっては処理が面倒ですから…。」

「そして、それをエルシに実行させ、エルシも消し、君を後継者に祀り上げる事が大鳥が望んでた事だと。」

「はい。エルシ自身も、それは察していました。

 だからエルシは、シリングへの便が立つ前に行動を起こしたのです。」

「最初から、騒ぎにする事が目的だったわけだな。」

「そうです。先程言ったとおり、エルシは改革を望んでいた。そのために、大鳥を手っ取り早くシリングから追い出す事が目先の目標になっていました。

 大鳥サイドも二派にわかれているのは、その時点で気付いていましたし、あちらからの接触もあり…、カトウ氏の事ですが。彼らからの援助や補佐がある今しかないと…そう、言っていました。

 一方で、私は国内をこれ以上荒らしたくなかった。何とか騒ぎが起きないようにしたかったんです。父もそうなんじゃないかと思って、日本にいる父の元を訪れました。」

「それは、いつ?」

「八年ほど前です。母と王の婚約の、少し後。母が亡くなる、少し前…。」

「……。」

「私はエルシが、日本の研究者と接触している事を聞いていましたし、これから起こる事、起こそうとしている事も聞いていました。

 父に何とか止めて欲しかったんです。

 でも、父は何も言ってくれませんでした。

 その代わりに、ある人を紹介してくれました。」

「ある人?」

「はい。その人は、一連の出来事を事細かに把握していて、事態の収拾を目指し動いていると教えられました。私は彼に指示され日本の就労ビザを取得して、ずっと日本に。」

「……誰なんだ? その『ある人』は。」

 マミコの言う、『あの方』と同じ気がした。だが、エランもまた、この人物については口を閉ざしたのである。

「まだ言えません。」

「またそれか。何故だ。君といい、大鳥サイドの協力者といい、何故そこまで頑なに隠すんだ。君らが証言している事を辿れば、行き着く人物なんだろ?」

「……行き着かないと、思います。」

「……?」

「『その人』は、この事件に殆ど関わっていません。」

「何だって?」

「『その人』は、この事件の詳細を知りながらも、関わっていないんです。」

「どういう意味だ。」

「……道標だけを示す役どころに居られます。」

 …道標…。

「私も、数度しかお会いした事がありません。でも『その人』は事のあらましを総てご存知で、そしてこの事件を『行き着くべき先』へ進み、『訪れるべき』状態をシリングに齎すために必要な事だけをなさっていらっしゃるんです。」

「随分仰々しい言い方に変わったな。」

 半ば皮肉染みた口調で言うとエランが微笑んだ。

「はい。私にとっては、彼が最期の希望ですから。」

「口が滑ったな。」

 『彼』か。

 了が邪悪に笑い返した。エランが柄にもなく慌てる。

「…口外無用でお願いします。シリングの一件に関しては、本当に『あの人』が心の支えなんです。」

 その懇願する眼差しは、これまで彼を覆っていた化けの皮を剥がしてしまった。今まできっと、『その人』がいたから強気に出て来られたのだろう。どこからどこまでが計算された事なのかは判らないし、今それを探ったところで知る事など出来ないだろうが、エランにとってはそれを貫く事で自身の心願が成就すると信じているのだ。

 それは同情に値するだろうか。改めて考える。

 彼や彼の信じる人物が目指す先が何なのか、きちんと知っておくべきなのではないかと思った。

「…なぁ。」

 我ながら馴れ馴れしいと腹の中で苦笑をする。

「はい。」

 何だかずっと、こんな返事を聞いてきた気がする。エランもマミコも、返事の仕方が似ていた。声に澱みがなく、そして真っ直ぐなのだ。人柄なのか、育ちなのか、ただの癖なのか。こんなときなのに、人は様々なのだななどと思い耽る。

「教えてくれないか。君らが何を目指しているのか。」

「…何…とは…。」

「国を荒らしたくない。それは理解した。でも、じゃあこのまま大鳥の好きにさせておくのか? このまま君主制の国としてやって行く事が望みなのか? 反君主の流れになっている今、改革が叶って民主国家になった時、君らはそれを受け入れられるのか?」

 「君らは、どこに行きたいんだ…?」溜め息交じりの声で尋ねるのは、信念についてだ。エルシや加藤 圭吾が大鳥支配からの脱却を目指す一方で、エランや『その人』が目指すのは相反するもの、つまり大鳥の支配の継続という解釈で本当に正しいのだろうか。

「…私たちが望んでいるのは…。」

 言い淀むのだから、違うのだろう。否、違って欲しいと思う自分がいる。

「私たちが望んでいるのも、エルシと大して変わりません。」

 了は、腹の中で胸を撫で下ろす。

「私たちだって、これ以上、駄目な国王や私たちの国を好き勝手する輩の言いなりになるつもりはないです。君主制は廃止しなければならないと思うし、大鳥もシリングから追い出さなければなりません。

 誰も苦しむ事無く、知るべき事とそうでない事をきちんと区分けし、国民に告げるべき事だけを告げ、知らぬ者が巻き込まれないように守りながら、前向きに私たちの国を立て直す事が、私たちの使命だと思っています。

 そのためには、クレアの事も、母の事も、国民が知るべき事ではなかった。あれを知る事で、国民は抵抗する選択肢しか選べなくなってしまった。赦されなくなってしまったんです。

 でもそれじゃ駄目なんです。色んな人が傷つくから。時間がかかってもいい。誰も武器など手に持たずに、言葉と自分たちの意思で民主国家を実現させたという地盤がなければならなかった。

 そのために、エルシの手を汚したくなかった。汚してはならなかった…。」

 「だから…。」と、エランの声が消えかけた。

 俯くエランの表情から辛うじて見える目は伏せ気味で、少し哀しそうだった。その割りに、口元には自嘲するような笑みが浮かんでいる。

「…だから?」

「…だから…、ボクが手を汚して来たんです。」

「……?」

 首を傾げる了を、エランが見上げて嗤った。

「ボクが、母の痕跡を掻き集め、クレアにそれを託したんです。」

 言葉は上手く脳に理解されなかった。

 一呼吸置いてやっと、その意味に気付いた了は、たまらず椅子を蹴って立ち上がった。

「それは…。」

 それは…。目の前のエランこそが…。

「ボクがあなたが追う”男爵”と呼ばれている男です。あの日、あなたの首を掻き切ったのも、あの日、父とあなたの腹にナイフを突き刺したのも、あの日、スガノを屋根から突き落とそうとしたのも…。」

 息が上がる。肩が大きく揺れる。耳の奥がきんと鳴っている。頭が真っ白になるとはこの事だ。エランを見ているのに、その視界の情報が頭に留まらなかった。考えている事は山ほどあるのに、思考の中の言葉はあちこちに散らばり、形を成してくれない。

 それでもたった一つだけ理解しているのは、”男爵”が目の前にいるという事だ。

「…な…ん…。」

 それ以上、声が出なかった。そんな了を、エランは悲しく哂って見つめている。

「あの日、”泪”と”心”を入れ替え、クレアに託したのも。」

 点と点が繋がって行く。

 今まで見えなかった事が見えてくる感覚は、まるで体中を血が駆け巡るようだ。指先がじんと痛い。拳を握ると、大して伸びてもいない爪が突き刺さって痛かった。

 その痛みに、了の意識が還って来た。口の端を上げ、有りっ丈の皮肉な笑みを浮かべる。

 後ろで扉がノックされ、「そろそろ時間です」と係官が接見時間の終了を告げた。

 その声もまた、了の意識を現実に引き戻した。

「…時間を作ってくださいませんか、蕪木さん。」

 言わずもがなだ。だが延長と言う仕組みがないから再申請をしなければならない。

「一時間ほどで申請出来ると思う。」

 そう答えると、エランが淡く微笑った。

 了はその笑みに、ふとある言葉を思い出す。


 『余り、時間がないので』…。

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