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男爵は微笑う  作者: L→R
記憶
42/48

記憶◆4

「佳澄さんの件でお話しましたけど、私自身は遺品が何かは知らないので、知らないと答えたら後ろを向けって言われて。

 後ろを向いたら、叩かれて後ろに倒れてしまって、そのまま…。」

「何で叩かれたかわかる?」

「わからないんです。思い出せる範囲で、叩かれ方からすると棒かなと思ったんですけど…。」

「…そうか…。」

 現場捜索では、そのようなものが発見されたという報告はない。

 ユリが庁舎を抜け出したその日、高遠に舞い込んだ報告から、マミコが家に戻っていないという情報までは調査室でも認識をしていた。

 内密にマミコの父、圭吾へ確認をしたところ、事実である事と捜索依頼を受けた。

 その後、三笠の行方を見失い、ユリを見付け、昨日の朝の事件となる。

「俺はこの間、キミに、大鳥も探すべき『遺品』が何かは把握していないと聞いた。」

「…はい。ただ、美香さんの言い方だと、わかってる感じでしたけど。」

「……。」

 七年前の事件で発見された遺品については、資料がまだ警視庁内に残っている筈だ。マミコの父はどうか知らないが、三笠の父親なら本家や諜報部経由でその辺りは幾らでも手に入れられる。

 ユリは三笠の指示で、ロケットを持って行った。では何故、マミコにそれを尋ねたのか…。

 警視庁の資料には何と書いてあるだろうか。事故遺品は家族や親類に返還されたあと、その旨を遺品の詳細とともに記載し、それを記録とする。

「そうか…。」

「…?」

 自分の事だから自分がよくわかっている。だが他人がそれを窺い知る事は出来ない。了はこれをほぼ誰にも言った事がないからだ。

「どこにあるのかわからないのか…。」

「え。」

 警視庁の資料には、芳生 貢の遺品は芳生 匠に返還されたと記録されている筈だ。例えばその時は未だ遺品に価値を見出していなかったとすれば、その直後にそれがどこへ行ったかまでは探れていない筈だ。予想して精精、娘の悠璃の手に渡ったと考えるだろう。

 ところが実際は、遺品は了が持っていた。知る者は、匠、カナエ、ユリ、そして高遠しかいない。この四人がこれを他人に告げる事は有り得ない。

 三笠はユリを保護して以降、接近出来る時に粗方ユリ自身は調べたのだろう。だが持っている気配はない。そしてあの裁判当日にかそれ以前にか、マミコが友人である事を知った三笠は、ユリが普段ロケットを身に付けているかを尋ねたかったのだろう。もしかすると、その序にと加藤 圭吾サイドが『遺品』について把握をしているかも確認したかったのかも知れない。

 マミコが知っていたらユリは呼ばれなかったかも知れないが、それは考えても仕方がない…。

 了はきょとんとした顔で自分を見つめるマミコに目を細めた。

 言うべきか否か。正直、言う必要性はない。

 だが、マミコが知っている事で、事態を有利な方向に持っていける瞬間が訪れるかも知れない。問題は、マミコの話が真実なのかどうか、そして、マミコが信用に値するかどうかだ。

「マミコちゃん。」

「はい。」

 返事はいつだって聡明だ。マミコの声には厭味がない。厭味のない声と言うのは、感情を読み辛い。言葉の目的を汲み難いので、話し相手としては苦手だ。

 信用すべきか否かで言えば信用すべきではあるが、『信用出来るか』という論点からは微妙に外れる。ここから先、ロケットを自分が持っている事は、信用すべきかどうかではなく、信用出来るかどうかで話す相手を選ばねばならない。

 了は短いながらも熟考の時間を挟み、目を閉じ息を吐くと、首元に手をやった。そのままか細い鎖を手繰り上げ、ずしりと重いロケットの付け根を摘む。そして目を開け、何も言わずにマミコを見やる。マミコは勘が鋭いようなので、何も言わずともこれが何かを悟れるだろう。その了の思惑通り、マミコの視線はロケットに真っ直ぐ注がれていた。

「……。」

 暫し無言になる。ユリと来た時と比べ時間も早いので、施設内には雑音が乱れていた。大声こそ上がらないが、時折殺さない笑い声がドアの向こうから聞こえる。外からは虫の音が入り込み、二人の無言を潰していた。

 やがて、マミコが口を開いた。

「…それが…、ユリのご両親の『遺品』…。」

「三笠の言葉を鵜呑みにするなら、これこそオオトリが探しているものだろう。」

「何故…、それを蕪木さんが…?」

「七年前の事故の後、ユリの叔父の匠さんに頼んで、預からせて貰っていた。目的はない。中は何の変哲もない、幸せそうな家族の写真だからね。これがそんな重要なものだとは考えてもみなかった。

 俺はただこれを、事件を解決する決意と覚悟として、頼んで預からせて貰った。」

 言いながら、ロケットの蓋を開ける。

 中には、その事情を知らなければ少し裕福ながら何の変哲もない、三人家族の写真が入っている。

「…そう…でしたか…。」

 了の言葉に、何故かマミコが大粒の涙を落とした。

「私たち…、その幸せな家族をいくつも壊してしまったんですね…。」

 後悔か、同情か知れないが、了はこの台詞に、マミコと自分の共通点を見出した。今まで、我が物でない罪の罪悪感に耐え忍んできたのかも知れない。

「こういう事は、すべて解決してから言いたいところだが、キミには今言わなければならない気がするから、敢えて言う…。

 キミが空港で聞かせてくれた話が確かなら、芳生夫妻にも責められるところはあるし、彼らが自ら招いた不幸も沢山ある。

 シリングへ行く決意をしなければ彼らは死ななかったかも知れないし、事態はここまで長引かなかったかも知れない。

 どんな道を選ぶとしても、結果として何もかも壊れるならシリングへ行くのではなく、手っ取り早く警察に駆け込んで国際問題にしてしまえば良かった。

 夫妻が亡くなった事象の一端には、彼らの行動も影響しているものだよ。

 『騒ぎは、騒ぎ立てる者がいて始めて存在するもの』だけど、『騒ぐ事が一番楽なやり方』なんだ。だけど誰もが騒ぎを嫌った結果、誰かが苦しんで、誰かが余計に死んで、だからきっとユリも哀しまなければならなかった。

 でも、騒ぐ事で失うものも多い。その一番の犠牲者が、自分である事を理解しなければならない。

 事を荒立てるか否かは、結局自分が傷付くか、他人が傷付くかの違いだけだ。

 自分の大切な誰かを傷付けたくないなら、自分が死ぬ覚悟で騒がないと。

 そして騒ぐ事で、自分たち以外の誰かを自分の手で傷付けるのだと、何もかもが壊れるのだと、自分の手には何の幸せも残らないのだと、知っていないと。」

 背負う事に価値が生まれるのは、最小限の犠牲でそれを終わらせる事が出来た時のみだ。だがそれは結果論であって、今語るべき事ではない。この重圧に耐えられないのならば、そもそも背負ってはいけない。そして、やがて自分を押し潰すそれは、無闇に背負ってよいものではない。だから今、手遅れにならないうちにマミコに言わねばならない。

 問題とは、その大きさに拘わらず固く尖った金属のような物だ。大事な者も自分自身も守りたいなら、それは早々に手放してしまうに限る。仮令それで事態が大きくなってしまったとしても。だが誰かがそれを手放した瞬間、物蔭から転がり出て光を反射してしまう。それは誰かの視界を潰すかも知れないし、潜む誰かを照らし出してしまうかも知れない。

 それが怖いなら手放してはいけない。

 何事も、結局はその二択しか用意されていないのだと思う。

「俺は、生まれたその年に母親が死んで、ずっと片親で生きて来た。

 普通の家ならまだマシだったかも知れないが、生まれた家は蕪木家だった。

 みなが持っている当たり前のものを持っていないのに、身に覚えのない事で怨まれたり、疎まれたり、内心散々だった。

 でも、一穂に何を言おうとも思わなかった。

 『騒ぐ』のが怖かったんだ。何か言えば、俺が生まれた事まで突き詰めなければならないからな。俺は自分を殺すほど度胸もなかったし、多分、ロマンチストでもなかった。他人にも自分にも何かを期待するなんて、しなかったしな。

 だから俺はその問題を手放した。誰にも問わない、考えないと決めた。でも決めるまでに時間がかかったから、一穂も兄貴たちも悩んだし気を遣った。

 でも、それも仕方がない事だと結果を飲み込むしかない。

 世の中、色んな人間が動いて成り立っているのだから、好い事も悪い事も、ただ必然的な当たり前の事のみ起こるものだと思っていた方が気が楽だ。

 自分の行動が誰に影響を与えたかなんて、人生で関わった人間が一対一でない以上は、証明出来ない。

 それでも自分が悪影響側にいるのだと思いたいなら思えばいい。俺みたいにな。

 でもそこから立ち直るのは、結構体力が要るぞ。」

 最後に苦笑して見せると、マミコはきゅっと唇を噛んで俯いた。

「だから帰る場所を、見つけておくんだよ。

 芳生 貢と奈津子夫妻がそうしたように。

 あの人らは、自分を殺す覚悟で『騒ぎ』の一端を担った。でも帰る場所はちゃんと作った。全部見越した上で、これ(ロケット)を作ったはずだ。」

 ロケットは彼らにとって、意思であるのと同時に自分自身でもあったのだろう。いつかユリの手に戻って、真実も引き継がれる。それが、彼らの覚悟だったのだろうと思う。

「キミ言ったろ?

 『日本に帰ってくるのが幸せだ』って。じゃあ帰る場所はあるよな。

 あとは『騒ぐ』か『騒がない』かだけだ。」

「……。」

「どうする? すでに片足突っ込んでるが、その足を引っこ抜くかい? それとも、もう片方も突っ込むかい?」

 了にはもう一つ、確認したい事があった。

 空港での話の流れでは、それを拾う事が出来なかったためだ。

 了が聞かずとも、自ずと捜査が入る事にはなる。だが、道が別れるのは今なのだ。

 マミコが自分の口で語るか、流れに身を任すか。その選択で、事件の行き着く先が変わってくる。語るとは、当事者になると同義だと思う。マミコもそれを解っている。

「…今更、赤の他人には戻れません…。都合が好過ぎると思いませんか…?」

 マミコが小声で言った。「今更、保身をしても…。」

 「まぁね」と、了は軽く答える。

「まだ、お話終わってませんでしたね、一昨日の…。」

「残り僅かと言う感じだろうけどね。」

「はい。あとお話していない事は、数えるくらいしかありません。」

「エルシの事を、聞かせてくれないか。キミが、シリングで彼に何を渡していたのか。接触する切欠は何だったのか。」

「…単純です。エルシは各国を偽名で飛び回りながらも、拠点はシリングに置いていました。

 シリングの混乱は、エルシが炊き付けたものなんです。

 エルシは軍にいた頃に知り合った若い友人たちに声をかけて、自分の身分を隠した上で、オオトリと王室の関係を暴露しました。そして、将来的には油田開発も必要だから、大東石油との関係は保ちつつ、君主制の廃止をと呼びかけました。その時点で彼はオオトリが本家と大東、つまり父側で二つに別れつつあるのも解っていましたから。大東がダメでもメジャーは沢山ありますし。未開発地域だから、他社も挙って開発に乗り出す事は期待を持つに十分でした。

 父もエルシに賛同して、国内が混乱しても十分な生活雑貨や食料が確保できる様、シリング国内の海外企業との連携を彼らが率先して行うように色々と…。私がエルシや彼らに渡していたのは、対応を了承してくれた企業の担当者の情報やら、その取引に関する資料です。

 彼らは勉強熱心で、資料を手渡すだけで流通経路を確保して行きました。

 でも、先立つものが…。」

「…金か…。」

「私たちが援助するにも限界がありましたから。

 そこで、エルシが言ったそうなんです。資産家たちをこちらの味方にする方法があるって…。」

「妹の事だな…。」

「…はい…。

 クレアちゃんを担ぎ上げる事で一気に国民の興味を引いたんです。民衆なんて、裏でどのくらい大きなものが動いているかとか、本当は何が起きているかなんてどうでもいいじゃないですか? ただ可哀想、酷い、裏切られたって安易な気持ちだけで声を上げるんです。

 そして波に飲まれたのは、資産家たちです。

 彼らは庶民からの反感を恐れて、改革派に資金提供を始めました。あっという間でした。」

「…マミコちゃん。」

「はい。」

「俺はさ…、それをエルシがやったとは思えないんだ…。」

 マミコが首を傾げる。こればかりは仕方のない事だ。

「エルシは”男爵”という名でシリシの遺品を追っていた。そのために姿を消す前、クレアにこう言ったんだそうだ。」

 『記憶を埋めたままなら、きっと幸せになれる。

  だから、そのまま生きていくんだよ。』

「勿論、この言葉はクレア以外に聞いた事がないから、クレアが嘘を吐いていれば見解も変わって来るが、今は俺の手元にある情報だけで判断すると、やっぱり整合性が取れないんだ。

 厭な事を思い出すなと進言するほどに大事な妹の耳に入るような距離で、その事実を言うだろうか…。」

「……でも、多分、シリングでそれをやったのはエルシです…。」

 気が変わったなどと言う単純な理由がそこにあるとは思えない。資金繰りのためなら可能性も無きにしも非ずだが、調べれば判る事でもそこまで公に発表する必要はない。少なくとも、『自分が知るエルシならそれは行わない』という確かな自信があった。

 ただ、エルシの人間性については、マミコの話でややその印象がぐらついている事も事実だ。親を殺すような人間なら、妹も切り棄てるかも知れない。

 だがそれでも、了はエルシを信じたかった。


 『あなたが、もう少し早く、現れていたら…』。


 あの日呟いた言葉は、本心だと思う。

「エルシは改革派なのか?」

「…協力はしているので…。」

「それを問い質した事はないんだね?」

「はい。」

「なら、その部分では言動は一貫している訳だ。」

「…そういう事になるんでしょうね…。」

 何か理由があったのか、それとも…。

「芳生夫妻とエルシは、『抗体』となるエランの居場所を共有したと言ったね…。」

「そのお話も、途中でしたね。

 エルシとエランは、どう知り合ったかかなり昔から交流があったそうなんです。エランは中心市街にアパートを借りて学校へ通っていましたし…。

 その住所を教えたそうなんです。」

「実際に、夫妻はエランに会えたの?」

「エルシからは、『会えなかったそうだ』と聞いています。」

「…シリング行きも、エランを探すという目的が含まれていたんだろうな…。」

「多分…。」

 マミコの話はこれまでの調査室の方針や集めた情報の殆どを意味のないものにしてしまうような内容ではあったが、ぼんやりと浮かぶ情景の向こうに真実があるという確かな情報でもある。

 自分の頭の中で信じてきた何かを棄てるのは容易な事ではないが、一つずつでも置き換えながら前に進むしかない。誰が罪人で、誰が犠牲者か、混沌とした中で選り分け、そして適切な者の腕を掴まねばならない。

 マミコの話を仕上げるのは、エランだ。

 エランの話を聞かねばならない。

 そう、エランの姿を思い浮かべて、ふと脳裏を過ぎった言葉があった。


『私の顔をよく覚えておいてください。』


 一卵性双生児のサンプルなら身近に十分いる。四人の兄たちはその見分けも、個性的な外見的特徴も持っている。だから、まさかと思う。だが、見慣れない者ならどうだろうか。或いは、数ヶ月でも空白の時間を隔てて再会しても、それが通用するだろうか…。

 その状況はもしかすると、血の繋がった妹の目も狂わせてしまうかもしれない。

「最後に一つだけいいかな。」

「はい。」

「マミコちゃんが最初に会ったのは、”どっち”?」

「……。」

 質問を理解出来なかったのか頻りに瞬きをするマミコは、ただ呆然と了を見つめ、そして唐突に目を見開いた。

「エランとエルシ、マミコちゃんは見分けがつく?」

 何故疑問に思わなかったのだろうかと思う。

 マミコはエランを初めて見た時、どちらだろうと言う疑問を持たなかったのだろう。だから話に出て来なかった。

「わかりません…。私…、シリングでエルシだと言われて”彼”に会って…、その後…、佳澄さんとの食事で…、似てるとは思いましたけど…。」

 誰も、彼らを並べて見た事がない。

 ならば、どちらかが、どちらかであると名前を偽っても、赤の他人にそれを見分ける術はない…。

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