記憶◆3
母親を殺す気概があるのならば、それは至極当然の行動であると理解出来る。
了の眉間の皺の深さに、マミコは心境を理解したのだろう。やや慌て気味に付け加える。
「ただ…。
バークレイ氏は、エルシが爆破事件の犯人だと知っていますし、当日もこれから起こる事を知った上で空港に出向いています。
ただバークレイ氏は、エルシが自分だけを狙っていると信じていましたし、それを願っていました。でもエルシ自身は菅野館長も、そして自分が母親が死ぬよう誘導したという事実を知っている芳生夫妻も邪魔でした。そして、最大の狙いはオオトリそのものでした。
だから日本で大きな事件を起こして、シリング自体を注目させようとしたんです。
空港には搭乗予定もないのにシリングの大使がいて、飛行機にはシリング行きの乗客がいて、爆破の原因は不明で、そこには法務大臣の息子までいて…。」
「待ってくれ。」
もう何度目かと思う。話が突然すぎるのだ。
「俺があそこにいたのは…。」
「警備部の先輩の指示ですよね? 名前は、北代。」
「…そうか…。北代は…、キミの父上側なんだな?」
「はい。本家側では、エルシがオオトリに対抗して菅野館長を国内で殺す事を予測していました。だから問題にならないように、と言うより、何かあっても後処理を有利に進められる様に、保険をかけなければなりませんでした。
そこで父の判断で、空港までの送迎を警視庁内の『信用し得る派閥の者』に依頼する事になりました。それが、蕪木さんです。
蕪木さんは、貢さんと奈津子さんが助けを求めたKCIや一穂大臣との繋がりを持ち、ご兄弟は法曹界に従事する方々。蕪木さんが現場に居合わせる事が、バークレイ氏を辿ってシリング、そしてオオトリへと捜査を進める切欠になると信じていたんです。」
「巧い事巻き込まれた訳か…。」
憎たらしかった北代が、少なくとも敵ではないと言う事実を知った今、心中は複雑だ。
「ごめんなさい。でも、大鳥には外部からの圧力が必要でした。既にその前から、諸外国からの献金問題だったり、細々各種組織から目は付けられてはいたものの、問題としては小さなものでしたし、そもそも、その組織内部に大鳥本家派が多かった訳ですから…。」
バークレイは、自分の息子を信じて。
菅野は私欲のため、そして大鳥から排除されるために。
ユリの両親は、全てを止めるために。
そしてエルシは、そこに都合よく集まる人間たちを殺し、父親に憎しみを当て付けるために…。
「これだけの要素があったら、何が起こるか、と言うより必ず何かが起こるのだから、早く片付ける事が最善策でした。」
「エルシはどう知ったんだ? それに、別の日の出発なら、バークレイがあの場にいたのはおかしいだろう?」
「その双方に、ある方からの手引きがありました。」
またか。主要人物なのなら、名を隠す必要などないではないかと、了は苛立った。
「また『ある方』か。誰なんだ?」
「…それは、私の口からは…。」
「何故?」
長く厭な話で気分もうんざりしていた。了が食い下がると、マミコは困惑の表情を浮かべ「そのうち、ご本人がお話になると思います。」とだけ言った。
「そう言った経緯であの爆破事件が起きて…、三年後の事です。相変わらず、芳生夫妻が隠したデータを見つける事も、解析復元する事も出来ない、そしてエランの居場所も特定出来ていなかった状況です。
その頃すでに私も大東に出入りしていて、少しずつ仕事を任されている時で、流れで佳澄さんとも知り合いになって。
ある日、一緒に夕飯を食べようってなった時に、ちょうど佳澄さんの彼って人が同席する事になって…。」
それが、エランか。
「父から話は聞いていましたから、その日のうちに父に報告して、翌日、父と佳澄さんと三人でエランの話をしました。巻き込むのは心苦しかったですけど、放っておいても巻き込まれてしまうと思ったから…。」
話を聞いた佳澄は当然の事ながらそれは驚いたと言う。
「でも、その後、手伝い出来る事があればと言ってくれて。
そこで、もしかしたら本家が動いて来るかも知れないので、何かあったときのためにと、携帯電話を渡しました。」
「何故?」
「エランが日本に来た理由がわからなかったので…。
エルシも本家も芳生夫妻のデータを探していました。エランもそうだとすると、彼らが手を組んでいる可能性もありましたし…。あの段階で、残るは『芳生夫妻の遺品』だろうと言うところまでは考えが及んでいましたし、オオトリはその線でユリに目を付け始めていました。本家やオオトリの監視ならいくらでも可能ですけど、エランは大鳥とは接点を持ちませんし、事実上の一般人。監視を付ける訳に行きませんでした。
なので、佳澄さんにお願いして…。
常に持ち歩いている事に不自然がなく、いざと言うとき手にしても怪しまれないものと言うと、携帯電話くらいしかありませんでした。」
「内蔵されていた機械は?」
「元々、本家…というより、三笠さんのお父様が作った物を、父が没収していたんです。その時は『大鳥の名前に傷が付くような行為』を窘めるためだったそうですけど、まさかこんな事に使い道が生まれるとは…。」
「キミはそれを知ってて、あの裁判を傍聴してたのか。」
了が思わず苦笑いをすると、マミコは申し訳なさそうに首を振った。
「ごめんなさい。ユリの叔父さんに行けって言われた裁判が、その件だとは思いもよらなくて…。行ってびっくりしたんです。」
マミコが肩を窄める。
「…で、エランは何故、佳澄さんを刺したんだ?」
話を戻し、問うと、マミコはさらに縮こまり丸くなってしまった。
「…わからないんです。
裁判で、彼が言っていた事は本当だと思います。佳澄さんからも確かに別れたと聞いていますし、別れてからは会ったとも連絡なかったですし、元々強制は出来なかったので。私と佳澄さんも、それからは頻繁に連絡を取り合っていた訳ではないし、何かあったら連絡するって約束してただけで…。」
マミコの言い回しに嘘は感じなかったが、「ああ、そう」と消化出来ぬ何かが残ってもいた。その一つが、マミコの関わり方だ。
「君も、『遺品』を探ってたのか。」
「…はい…。話を聞いてからは。
大学で出会ったのは偶然でしたけど。」
「それはどうだか。」
信じられる筈はない。結局マミコが大学入学前にユリの事を知っていてもおかしくはない訳だし、可能性ならいくらでもあった。
「手厳しいですね。無理もありませんけど。でも、本当です。嘘なら、こんな話もしません。意味がありませんもの。」
「…何故?」
「わかってるんじゃないですか? わかってて突っ込まなかったでしょう?
だって、私、あの爆破事件の犯人を知っているんですよ。居場所も。知ってて黙ってました。
人伝に聞いた話だからと言っても、情報には違いないでしょう?
それに、この話を聞いたとき、ユリだけでなく蕪木さんの事も知りました。普通の人になら話せないこんな話でも、蕪木さんは捜査で知っているからいくらでも話せる相手です。
そんな人に犯人の事黙ってたって、今、白状してるようなものですもの。」
マミコがあまりに前のめりに言うので、了は面白くて鼻で笑った。
「キミは賢いんだか賢くないんだか、わからないな…。」
「ずいぶんはっきり言いますね」と、マミコが不貞腐れる。
「刑法第一〇三条 犯人蔵匿罪。罰金以上の刑に当たる罪を犯した者又は拘禁中に逃走した者を蔵匿し、又は隠避させた者は、二年以下の懲役又は二十万円以下の罰金に処せられる。」
「…はい…。」
「そもそも匿ってた訳じゃないだろ。それに、その認識があるなら、こんな開けっ広げな場所で話をするのもおかしい。」
「……。」
長話で疲れたのだろうか、マミコがしょげたまま俯いた。
「まぁ、状況もあるし、何か責められても争える部分は十分あるから俺も余り脅かさないけど。」
了がもう一度鼻で笑うと、テーブルの傍らに店員が立った。
「お客様、そろそろラストオーダーとなりますが。」
慌てて携帯端末で時間を確認すると、二三時半きっかりだった。
「出ようか。」
まだ聞かねばならない事があるのだが、そう言って、致し方なく席を立った。
先にレジカウンターへ歩き、支払いを済ませると、小走りで追って来たマミコがあの日のように恐縮した。
「あの…。」
「いいよ。今度は経費で落とすから。」
と、領収書代わりになるレシートをひらりと見せる。
「有難うございます。」
「うん。」
答えながら辺りを見回す。さすがに最終便も終わり、空港内は人もほとんどいなかった。
「帰りはどうするの? 送ろうか?」
「いえ。自分の車、駐車場にあるので…。」
「そうか…。じゃあ、駐車場まで。」
「はい。」
マミコと並んで駐車場へ歩く。来慣れてないので案内板を見ながら歩く了の横で、マミコはすたすたと歩く。
「さすがに慣れてるね。」
そう言うと、マミコが笑った。
「目を瞑っても、歩けるかも。」
「大変じゃないのかい?」
「仕事ですか?」
「うん。」
了の問いに、マミコが伏し目がちになった。そして、「うーん」と考える。
「…どうだろう。でも私、日本に帰って来るのが、幸せだから。」
「…?」
首を傾げる了に、マミコは今度は大きく笑った。
「ユリが待っていてくれるので。」
◆ ◆ ◆
空港でマミコと話をしたのがつい二日前の事だと思えぬくらいに、日が経った気がする。
駐車場で別れる時、名刺を渡された序にその日最後の質問をした。
「大鳥は、『遺品』が何か検討は付いているのかな?」
その問いに、マミコは首を横に降った。
「いいえ。だからユリにも闇雲に手は出せないでいるようだと、父が。」
「そうか。」
ユリを連れて実家へ向かったあの夜の襲撃に、やっと合点が行ったのだ。
遺品をユリ自身が持ち歩いている可能性は十分にある。だが街中で襲う訳には行かない。自宅に押しかけるなども問題外だ。
衝突事故にでも見せかけて、ユリの持ち物でも漁る事が出来ればと考えたのだろう。その行き先が三笠本宅であった事で、それは一層確信を持てる推測になった。
頭の中で記憶を転がしている間に、街を抜け、風景は山の樹木の緑色に変わった。そして見える濃い緑色の屋根。
検事という仕事をしていても、特別調査室で主任という肩書きを背負って仕事をしていても、この施設を訪れるのは人生で両手の指だけで足りるくらいの回数だろうと思う。
一週間ほど前にユリを連れ、訪れた療養施設。クレアも滞在するこの施設に、今日はマミコに会うために訪れた。
マミコは後頭部を強打されたが幸い軽症で済んだそうだ。とは言うものの、事件の性質上、一般の医療施設では危険も多い事から、この施設への入所が決まった。
意識もはっきりしているし、何よりマミコ自身の希望もあってここを訪れた。時刻はもうすぐ四時。昨日の事件当日は処理と三笠との接見だけで時間を使ってしまった。佳澄とも話せぬまま帰宅となり、今朝も事件処理に立ち合ったばかりだ。
いつも通りの忙しなさではあるが、忙しさの内容が内容だけに、了の神経もかなり擦り切れていた。
重くなりかけた体を引き摺るように廊下を進み、マミコのいる病室の扉をこんこんと叩く。
「はい」と予想以上にはっきりとした返事が聞こえ、扉を開けると、ベッドの上に座ったマミコが笑顔で了を出迎えた。
「ようこそ、蕪木さん。」
自宅に遊びに来た友人でも迎えるように了に言うと、マミコはベッドの脇にあるクッションの良さそうな椅子へ招いた。
無言でそれに従い、椅子に腰掛ける。
「元気そうだね。」
そう言うと、マミコはにこりと笑った。
「はい。頭打っただけですし。ご迷惑をおかけしました。」
実際迷惑をかけられたのだろうか…。
何も言い返せない了を見て、マミコがそれを悟ったのか、「ユリは大丈夫ですか?」と言った。
「うん。検査結果に異常はなかったそうだし、芳生さんに尋ねても昨日の夜は変わりなく過ごした様だよ。」
「それはよかったです。でもこれでバレちゃいますね。」
「…何が?」
「私がフリーターじゃない事。」
マミコが小さく肩を竦め、「友達続けられるかな…」ぽつりと呟く。
「…心配ないんじゃないかな。」
何の根拠もないがそう言うと、マミコが苦笑した。
「ユリだから?」
「ユリだから。」
然も当然と言う顔をしてみせると、マミコも「そうですね」と納得する。
「佳澄さんも、無事だよ。無理して傷が少し開いたようだけど。」
佳澄はエランに刺された傷口が少し開いてしまい、再縫合の手術を受けた。余程激しく体を動かしたか、強い衝撃を加えられたようなのだが、本人からの詳しい証言は、手術や体調回復などを待つまで得られそうもなかった。
「そう…。それが、何よりかも知れません…。大変な事に巻き込んでしまったわ…。」
空港で聞いた、携帯端末に関するマミコの話。
事実であれば、佳澄にとっては了承したのが自分と言えど、やはりとばっちりにしかならなかった。
それを悔いているのであろう。
落ち込む様子は演技には見えないが、どうなのだろう…。勘繰りつつ、マミコに問う。
「で、俺に何か話があったんじゃないの?」
了の問いに、マミコがはっと顔を上げる。
「はい。
昨日の事、美香さんから、きっと証言得られてないだろうなって思って。」
マミコはさらりと言うが、図星だった。
昨日午後、三笠との接見で行動の真意を問い質したが三笠は何も語らなかった。ただ微笑むだけで、後は弁護士立会いの下でしか話さないと言い切り、無言を貫いた。
三笠を疑い捜査までして来た自分としては現金な話だが、『元同僚にもその態度か』と言う一言を飲み込み、呆れたまま時間切れとなったのだ。
黙りこくる了に、マミコが悪戯っぽく笑う。
「やっぱりですね。」
「何か知っていると?」
「たぶん。」
「たぶん?」
「私も意識が朦朧としていましたから…。」
「…なるほど。」
当日、見聞きした”であろう”話を聞かせてくれるのか。
「証言の信憑性はここで問うものじゃない。話はすべて検証させてもらうけれど、もちろんそれで問題ないね?」
「はい。」
了の念押しにマミコは頷き、話し始めた。
「蕪木さんと空港で別れた後、自分の車に乗って一旦家の近くまで帰りました。ただ、ちょっと用事が合って、ああ、この用事は、たぶん事件とは関係ないと思います。一応お話しすると、父との取り決めで、帰国した事と帰宅した事の証明として、いつも社の入出社履歴を使用する事にしてるんです。社のセキュリティカードの。」
大企業なので、時間帯限らず社員も警備員もいる。社屋への立ち入りは社員証でもあるセキュリティカードがあれば比較的簡単だ。そのカードの使用履歴は社内のシステム管理部のデータサーバ上に記録され、権限を持つものであれば閲覧までは自由に行えるらしい。
加藤 圭吾とマミコはこのシステムを利用し、所謂生存確認のような事を行っていた。
やる事は簡単だ。社屋に入り、セキュリティゲートを通った後、再びカードを通して出るだけでいい。
「で、これが終わった後、車に乗ろうと思ったら、声をかけられました。振り向くと佳澄さんがいて…。」
元々顔見知りだった佳澄に、マミコも気を許してしまったらしい。何故ここにいるかとか、こんな時間に一人でとか、そう言った疑問をすっ飛ばして、佳澄を自宅まで送ると言ってしまった。佳澄を車に乗せ、マミコは佳澄の誘導で自宅への、─本当は、美術館への─、道のりを走った。
「美術館が見えて、正門当たりに車が一台停まってました。妙にヘッドライトが強くて、迷惑だと思ってたら、急に発進してきたのでぶつかりそうになって、停めました。」
すると相手の車から一人、何者かが降り運転席の窓をノックした。
窓を下ろし、よく見ると、三笠 美香だった。
三笠は「こんばんは」と言って笑ったと言う。そのやり取りの間に佳澄が助手席から降り、それに気を取られている内にドアのロックを解かれてしまった。
「窓を下ろし過ぎたのがいけなかったですね…。」
場違いな反省を挟んで、マミコは続けた。
「車から降りるしかなくて、そのまま美香さんについて行きました。」
美術館には不思議な事に警備員がおらず、三笠たちは普通に地下へと降りて行った。そして保管庫まで行くと、腕を後ろに縛られた。
「腕にちくっと何か刺されて、そこからの記憶がないです。」
マミコを診察した医師からは、睡眠剤を注射投与されたようだという報告が上がっていた。睡眠剤は、市販されている弱いタイプのものを水で溶かし作ったものを使用したようで、特に体に害がある訳ではないし、医師でも時折この方法は採用するらしいと言っていたのを、了は思い出した。
「目が覚めたら暗くて臭いところにいて、暫く待っていたら扉が開いて、佳澄さんが入ってきました。」
佳澄は本当に申し訳なさそうに「ごめんね」と繰り返し詫びながらマミコを立ち上がらせると、警備室へと連れて行った。
「保管庫の、個室の中だったみたいです。で、警備室へ行ったら美香さんがいて…。」
三笠は言った。「ユリちゃんと会った?」と。
帰国したてで会っている訳がないと答えると、三笠は薄く笑ってこう言った。
『ユリちゃんのご両親の遺品の事、何かご存知?』