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男爵は微笑う  作者: L→R
記憶
39/48

記憶◆1

 四車線の道路には車が溢れ返っていて、窓を締め切っているというのに、外の排気ガスがどこからともなく入り込んで、充満するような気がしてくる。

 一メートル進んでは止まり、二メートル進んでは止まり、五メートル進んだかと思うと赤信号で止まる。

 くさくさとした気分になりながら、気分と足を切り離して機械的に運転をする。目的地は、クレアのいる療養所だ。

 単調で鈍足な時間に呆っとして来た頭の中で、三日前の夜を思い出す。

「いくらでも協力しますよ。私が知っている事なら、何でも話します。」

 マミコは嘘を言っているようには見えなかった。が、安易に信用するには、未だ早い気もしたので、「有難う」と簡素に返事をする。

「ユリと見に来た裁判。」

「はい。」

「被害者とは、知り合いだね?」

「はい。」

「俺が法廷内でも使用した被害者の携帯端末…。」

「はい。」

「キミが被害者に渡した。」

「はい。」

「どういう意図で?」

「ユリを守るためです。」

 マミコはきっぱりと言った。

「守る?」

 了が眉間に皺を寄せると、マミコは会って初めて深刻な顔をした。

「ユリのご両親の研究の事を、ご存知ですか?」

「いいや。オオトリ・ケミカルにいた事と、主に『毒物』とされる薬品の研究をしていたという事くらい。開発した薬品については、一応資料には目を通してるけど…。」と了。

「二十…七年くらい前のお話です。私は父からこのお話を聞きました。

 大鳥はその頃からシリングへの進出のための事業を進めていました。

 理由は二つです。

 一つは、新市場開拓と、労働市場の拡大と確保。

 もう一つは、油田開発です。当時からシリングの地下にはかなりの規模の原油田がある事は調べられていましたが、生憎絶対君主制である事と、油田に頼らずとも鉱山事業が軌道に乗っていましたから、国庫は十分潤っていたため、開発は無用と王室が判断したからです。ですが、将来的な事も考慮して、やがてはオイル市場にも参入しようというのはシリングも検討はしていて、それを一番最初に嗅ぎ付け交渉したのが大東でした。共同事業という前提の元、技術提供や市場開拓に必要なノウハウの一切は大東が保証するという条件で、話は比較的スムーズに進みます。

 一方で、日本国内でも医療薬品市場のシェアの過半数をオオトリ・ケミカルが握っていた時代です。その頃に、オイルとはまったく関係ない道筋の話ではありますが、新薬の開発を開始しました。

 蕪木さん、X連鎖遺伝子って聞いた事ありますか?」

 問われて、了が肩を竦めた。

「X染色体上にある遺伝子の事です。この遺伝子に変異が生じると、X染色体を受け継ぐ形になる子供に症状が出る遺伝性疾患の原因になります。

 一般的ではないですが、X連鎖遺伝で確認されている難病も幾つかあります。特徴として、そういった難病は男性のみに遺伝、発症すると言うことが確認されています。

 その新種と思しき症状が、シリングで確認されました。

 患者の名前は、エリム・ブルダ。当時五一歳の男性です。

 この男性は、いわゆる免疫不全と色素欠損を同時に発症していて、その上、体内に病原体が侵入したとき抗体を作るためのB細胞が分化する機能に異常が見られました。B細胞の成熟異常というのはすでに発見されていたものがありましたけど、それとは別原因で起こる異常でした。

 彼はすぐにシリングの国立医療研究所に半ば実験体として軟禁されます。そして、オオトリ・ケミカル監視下で詳しい研究が始まります。

 彼はシリング国内でも裕福な家庭の生まれで、鉱山を世襲経営していて、娘が一人いました。

 娘の名前は、シリシ。」

 了の眉がぴくりと動いた。

「エリム軟禁当時は、それがX連鎖遺伝のものとは解析されていませんでした。しかも、シリシは女児だったために遺伝していたとしても発症はしません。娘は異常なしと判断されました。

 ただ実際、外見的な症状の予兆は現れていました。」

「…瞳の色、か…。」

「です。当時エリムの親は両親とも亡くなっていましたし、詳しい記録も残っていなくて殆ど調べられなかったそうですが、近隣住民やお年寄りなんかの話では、ブルダ家は代々片目の色に赤茶の濁りが入っていたそうです。しかも他の家系と比べると、明らかに短命だったそうです。

 ブルダはシリング国内でとても古い家だそうで、名はそれなりに知られている旧家だそうですよ。御伽話みたいな事を言うなら、シリングにおける虹彩異色症を嫌う理由はここに行き着くかも知れませんね。」

 虹彩異色症を発症した者のうちのどれだけが、X連鎖遺伝の難病にかかっていたかは不明だが、虹彩異色症自体が割合的にも多くないからこそ、治療方法は愚か原因すらわからぬ病で次々死んで行くのを見れば、不吉なものとして禁忌(タブー)視するのも理解出来ない訳ではない。

「エリムの病気はオオトリの研究チームの独占案件でした。

 そして一年後、日本サイドで病気の研究を続けるチームに若い研究員が加わります。」

「芳生 貢…。」

「はい。

 彼は大変優秀で、研究所に通う傍ら、大学院の研究室でも研究を抱える熱心な研究員だったそうです。

 彼の加入により、研究もスピードアップ。一年満たないうちに治療薬の草案が出来上がりました。その頃、もう一人優秀な研究員がチームに正式に加わります。」

「熊耳 奈津子…。」

「です。」

「奈津子さん、毒物のスペシャリストとは言われていますが、元々遺伝子畑の人らしいですね。遺伝病研究の内、人体そのものを破壊する、或いは悪影響を及ぼす物質を発生させるような変異と遺伝についての研究を行っていた方で、X連鎖重症複合遺伝症の薬品治療の可能性についてのレポートを始め、一時期、海外の雑誌には毎号掲載されていた時の人だったとか。

 その奈津子さんの加入で治療薬は一応の完成をし、エリムに投与されました。投薬後一年、経過を見守りつつ、採取したエリムのB細胞について免疫力の変化について実験を行ったところ、問題なく…つまり、正常にB細胞の成熟や分化が確認されたそうです。

 X連鎖性遺伝症で、投薬による治療の成功例は中々ないそうで、骨髄移植や放射線治療より患者負担の少ない投薬での治療が見込めるようになれば、画期的ですよね。オオトリはさらに二年かけて研究を重ねるプロジェクトを立ち上げました。ただ、残念な事にエリムはその後、持病の心臓疾患で急死なさったそうで…。

 さて、その頃、シリング油田の現地調査を行っていたスタッフに同行していた医療スタッフから報告が入ります。

 『人口の半数が虹彩異色症を発症している集落がある』と。」

 エリムの治療薬の一件後、貢との結婚と妊娠をしていた奈津子以外の研究チームがその集落を訪れると、確かに虹彩異色症率が高かった。発症度合い、つまり、色差の強弱は区々だったのも気になったチームは、集落の全員から血液を採取、帰国後、直ちに研究を開始する。そこで判った事実。

「だいぶ古くから、ある一定環境下で発症する特殊な虹彩異色症と、それに誘発されるように発症するB細胞系のX連鎖性遺伝症が、住民に伝わっている事が判りました。

 しかもこれがとても特殊で、このX連鎖性遺伝症を遺伝している者のみが感染するヒト由来の伝染病があった事、それを空気感染で病状を抑える人体内自然発生したウイルスが抗体という形で存在した事、虹彩異色症とX連鎖性遺伝症を併発している男児同士が、その抗原と抗体というペアで存在するという事、抗原側のみが伝染病の症状を発症する事も。

 ペアは主に血族で、兄弟、親子、父方の従兄弟、父方のおじ甥の関係までが有効だったそうです。」

 人類史上、例を見ない『血族間で伝染病を発症させたり抑えたりする遺伝症』。奇病という外ないその病は、ペアの中だけで命を奪ったり救ったりを繰り返していた。

 そして、時折、血を薄めるために余所の集落から招いた花嫁たちの遺伝子と混ざり合い、徐々に姿を変え複雑な進化を進めていた。

「この伝染病の厄介なところは、第三者の遺伝子情報を自分の一部と置き換えて、進化して行ってしまう点でした。

 今まで抗原にも抗体にもなり得なかった『一般人』が、ある日突然その対象者になってしまう可能性が高い。抗原があっても抗体さえあればよいですが、変異過程で抗体の役割が消えるなんて事があれば、あっという間にワクチンのない伝染病になり、世界中に広がります。サンプルが増えれば増えるほど、病気は複雑化して行ってしまいます。」

 油田開発が進めば、集落周辺には人が住み始める。

 対策は急務だった。

 だが思いの外、進化の早い伝染病にワクチン開発は追いつく事なく、五年弱が経った頃…。

「ユリが小学校に通い始めた頃、奈津子さんも研究チームに復帰しました。

 そして再びオオトリの研究室でワクチンの開発チームに組み込まれて、二年後くらいでしょうか。

 抗体ウイルスの遺伝子配列が、ある生物の遺伝子配列を真似て作られた薬品の気化状態と類似している事を閃いた奈津子さんは、研究チームを一旦離れ、別の開発部門へ異動希望を出したそうです。その薬品、オオトリが特許を持っているもので、医療とはまったく関係ない用途にしか使用されない、『ヒトに対して極めて毒性の強い薬品』です。調べていただければ、すぐわかるものだと思います。どういうものかは、ここでは特に説明しませんが、いいですか?」

 事細かに説明をするマミコが省くという事は、この薬品そのものは何の問題もないのだろう。調べればわかるのであれば後で調べればよいし、改めて尋ねればマミコも答えてくれるだろうと思った了は、頷いて話を促した。

「異動が受理され薬品の研究に携わって約五年の間に、奈津子さんは結構な量の新薬品を開発しています。元々勘が鋭い方だったんでしょうか。当時の奈津子さんをご存知の方の評判は、一律で高いそうですね。

 そしてその期間中、問題の薬品の毒性を弱める働きを持つ薬品を開発しました。オオトリは抗体側が生成していたウイルスの解析も行ってはいたのですが、個人で微妙にレセプターの型が違ったりしていて、うまく統一が取れなかったそうなんです。結果、奈津子さんの提案もあって薬品をヒントにワクチンを開発して、今から九年ほど前までにほぼ全ての抗原側の人間に投与しました。

 人体に影響はなし。伝染病の発症も、その後ぐんと減ったそうですよ。」

 マミコが締めくくるように言い終えたので、了は思わず眉間に皺を寄せた。「で?」という気分である。了の心境を見抜いたように、マミコが苦笑した。

「これで終われば、好かったですね…。」

「……。」

「このワクチンが、夫人を殺した毒物そのものなんです。

 夫人もX連鎖性遺伝症は遺伝しています。つまり発症はしないけど伝染病には感染します。

 このワクチン、眼白皮症とか色素系疾患の原因であるレセプター遺伝子変異を補うための蛋白質と似た物質を配合してあります。と言っても、多くの疾患がこのレセプター異常によって起きるので、市販薬のほとんどがこのレセプターを標的に作られてるんですけど、このワクチンが標的にしているのは、集落で遺伝している虹彩異色症の原因になっているレセプター遺伝子。因みに、集落の虹彩異色症に似た眼白皮症は『Gタンパク質共役受容体-143遺伝子』っていうヤツらしいんですけど、集落の虹彩異色症の原因遺伝子は違うらしいです。そこは教えて貰えなかったですけど…。

 で、この物質が、集落の虹彩異色症に効果があった…。原因療法にあたるのか、対症療法にあたるのか、当時に限らず今でもよくわからないそうなんですけど、集落の虹彩異色症が、ワクチン摂取した次の代には発症しなかったそうなんです。さらに、現在調査継続中ですけど、次の次の代にも発症は確認されていないそうです。

 一方で、抗体側ではワクチンに反応して、正常なレセプターをワクチンが標的にしている変異レセプターと同型に変形させてしまうという異常反応が見られました。これは、抗原でも抗体でもない『一般人』の正常な免疫細胞にも影響を及ぼしてしまったそうで…。

 しかも、もっと悪い事に、このワクチン、服用…つまり口から飲む(・・)と人体にとって即死に至る毒になるそうで…。必ず血管から直接接種しなければならないそうなんです。尤も、ワクチンなんて元々は注射から接種するものなので、服用なんてまず念頭にないんですよ。でも、過去にオオトリは服用方のワクチンを作成している…。」

「……。」

「夫人、実は自殺じゃないんです。

 事故…と言ったほうがいいのかしら…。

 でも、その原因はオオトリの事情で隠されてしまったので、結局自殺とするしかありませんでした。

 虹彩異色症に効果があるという噂を聞いた夫人は、約七年前、ワクチンを接種します。」

「待て。」

 了がマミコの語りを止めた。了の睨む先で、マミコは待ってましたと言わんばかりの笑みを浮かべている。

「誰が渡したか…。」

「誰が渡したんだ。」

 二人同時に言う。

「ワクチンは、王室に入った時に持ち込んだあのカーネリアンのアクセサリーの、片割れの中に入れられていました。そこからご自分で摂取した事も確認されています。」

 シリシが持っていたのは”紅い”…。

「…?」

「気づきました?」

「シリシが飲んだ(・・・)毒はワクチン…。」

「ええ。」

「…俺らの調べでは、毒物が検出されたのは”泪”のみだった。」

「はい。」

「”心”からは、何も検出されなかった。」

「だそうですね。」

「…事故、と言ったね…?」

「はい。」

「シリシは少なくとも、ワクチンだとわかっていて飲んだ(・・・)んだろ?」

「だそうです。」

 シリシは”紅い泪”に毒物を入れていたと言う。それを証言したのはシリシに使えていた侍女で、中身についてはシリシから直接聞いたと言っていた。シリシがわざわざ毒物だと言った以上、毒物だと認識していた事になる。だが、マミコの話ではワクチンが入れられていたと言う。ワクチンだと知った上で服用したと言う事は、ワクチンは自分にとって毒物になると理解していた事になる。

 それで『事故』とは?

 …否、違うかもしれない…。

「シリシにワクチンの入ったアクセサリーが手渡ったのは、いつの事なんだ?」

「ワクチンが出来て、一年半後の事です。侍女の方にも、その頃にお話になったとか。」

 ならばワクチンの事を”毒物”だと侍女に伝えたのは間違いないのだろう。そして服用した事自体が『事故』なのだと言うのならば…。

「”心”も手渡った、のか…。」

「そのとおりです。」

 ”二つの想い”。

「夫人が王室に嫁いで約二年後の事です。

 奈津子さんと貢さんが研究所をお辞めになりました。『ある研究データ』を全て消し去って。」

 復元不可能なまでに消去、或いは物理的に破壊された研究データ。

 それは、伝染病に有効な、もうひとつのワクチンのデータだった。

「研究チームが開発したワクチンは、『一般人』には効きませんし、毒薬になります。

 それを、お二人は『一般人』が摂取しても悪影響を与えない改良を加えたワクチンに仕上げたんです。しかも、服用をしても害のないものに。

 でも、お二人はこれを『危険な物』として闇に葬ろうとしました。」

「何故…。」

「ここからが、核心です。

 そのワクチンが出来上がる事で、シリングの領土拡大計画が進む事になっていたからです。」

 油田は、地下で隣国との国境を越えてしまっていた…。

「あの辺り、国内では余り報道されませんけど、どこも国境付近ではいざこざが絶えなくて、紛争地帯と認識されています。シリングも、首都近郊こそ平穏ですが、辺境地域との治安の落差は目に余るものが…。

 地下油田が繋がっている隣国は、シリングほど資源も多くなくて、両国間は文字通り一触即発な状況。理由さえあれば、いつでも行くという勢いだけはありました。」

 シリング王国近辺は少数民族が複合的に集まって国家を作り上げたような小国で犇めき合っている。シリングのように資源に恵まれている国はごく一部で、大概は諸外国の整備の元、やっとに実った農作物を輸出品として収入を得る道しかなく、徐々に悪化して行く治安と貧困による格差により、国内の内紛や隣国との小競り合いが絶えない。

 そのような状況下でなくとも、自国地下に当面、国庫を潤すのに困らない資源があるとなれば、権利を主張するのは当然である。

「オオトリ側は発表を控え、当時の宮宰との秘密会議で『油田開発は当面保留』という結論を出します。」

 だがこの決定の陰で、この油田開発の話は着々と進んで行っていた。そして共同開発などという言葉を掲げて歩み寄るほどには、成熟していない国々が選んだのは、侵略による国土拡大。

 対話による歩み寄りとは、双方の精神が成熟していてこそ成し遂げられるものだ。

 これからという成長段階にある小さな国では、対話は負けを意味する事が多々ある。

 だから武力行使なのだ。

 それまで自分たちを守っていたのは他でもない、力だからだ。

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