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男爵は微笑う  作者: L→R
追想
32/48

追想◆5

 気落ちと混乱で落ち着かぬ心を鎮めるために、三時間半ほど書類整理に明け暮れた。

 渡部は既に死亡が確認された菅野の病院へ向かっていておらず、暫くして高遠は一穂に呼ばれたと言って出て行き、オフィスには日下部がキーボードをタイピングする音だけが響く。

 時計をちらりと見ると、一八時を少し過ぎた頃だった。

 そろそろ空港までの道が混み始める頃だ。うかうかしていると、マミコの乗る飛行機の到着時刻までに着けなくなるかも知れない。

 了は日下部に一声かけて、スケジュールボードに直帰の文字を走り書きし、オフィスを出た。

 駐車場から庁舎前の道に出、海を目指し、南へ車を走らせる。

 日中の車の交通量に比べると若干増え始めていた。

 空は夕闇を羽織るように東側から徐々に暗くなり、ビルの灯りとテールランプが星のようにキラキラと光っている。歩行者の姿も陰り、影絵の中を走っているような気分になる。

 考えねばならない事は山ほどあるが、まとまってくれなかった。

 だからという訳ではないが、頭の中は自然とユリの事でいっぱいになった。

 六に話もしていないと気付いた。了の生活の仕方からすると仕方のない事ではあるのだが、拙いとも思っていた。独りにする事が、不安だった。もちろん例の指輪の事も、折を見て話をしなければならないが、もっと別の、雑談めいた会話のやり取りが必要だと思った。何でもいいのだ。下らない事で、笑い合えればいい。

 ユリに起きていて貰えればそれも叶うが、いくら日がな一日家の中にいると言って、自分の生活に合わせろと言うのも気が引ける。元々、この半ば軟禁生活を強いたのは自分だからだ。 はぁ、と溜め息を吐く。

 湾岸道路を北上し、県境を跨ぎ、そろそろ遠巻きに空港の灯りが見えて来る頃。

 道は大型トラックと乗用車がごちゃごちゃに入れ子になり、各々空港へと突き進む。その中に混じって進む自分を、一瞬この世の要素の一つと自覚する瞬間だ。機械的に無機質に流れるだけの中に混じる事が出来る瞬間。

 普段、『普通』とかけ離れた暮らしをしているからこそ感じる『溶け込む』という感覚は、了にとっては少しだけ、特別なのだ。そしてこの感覚を失った時が怖いと思っている。二度と『人間』に戻れないような、異質なものになってしまうような、そんな気がしている。

 だから大事なのだ。ユリが作る空間は、了にとって特別であり必要な『普通』で満たされている。今やその欠如は、死に等しく思えた。

 物理的なものではなく、精神的なもの。

 だからこそ、失うのが怖い…。


◆ ◆ ◆


 空港の駐車場が満車になる事は少ないが、今夜は何故か混んでいた。寸でのところで空き枠を確保し、手早く車を停め、第一ターミナルへ向かう。

 国際線到着ロビーから入国審査のカウンターまでを見渡せる位置に陣取り、携帯電話で時間を確認する。二一時四〇分丁度。なんだかんだ、時間がかかってしまった。

 辺りは出迎えと思しき者の姿、これから国を出るのであろう荷物を持った者の姿が行き交う。

 そして、七年前のことを思い出す。

 七年前も、ここにいた。そして、ユリを見つけた。

 七年。あの時、十代だった少女は、今や二十代も半ばの女性になってしまった。自分自身も、あっという間に三十代を迎えた。ずいぶん長い時間だ。

 今日何度目か、溜息を吐く。

 ちょうどそこで、アナウンスが流れた。

 マミコの乗る飛行機が到着したようだ。予定より三分ほど早い到着だった。

 アナウンスから数分で乗客がバラバラと現れ、入国審査カウンターへ向かう。あっという間に出来た行列の中に、了はマミコの姿を確認した。

 裁判所で見た時と寸分違わぬ小洒落ながらも清楚な服装で、脇に小さなボストンバッグを抱えている。荷物の量が気になったが、もしかすると国外にセーフハウスの一つや二つはあって、必要な荷物しか持ち歩かないのかも知れないと思った。マミコの手続きの順番になり、了はゆっくりとカウンターに近付いた。そして手続きを終えた者が必ず通る付近で立ち止まり、マミコを凝視する。

 手続きを終え振り返ったマミコは、了を見るなり一瞬目を見開いて驚き、その後すぐににやりと笑った。然も事態を予測していたかのようだ。

 了がくいと肩を上げて応えると、マミコは今度はにっこりと笑い、了に歩み寄った。

「こんばんは。偶然ですね! どなたかのお迎えですか?」

 あからさまにわざとらしい言い回しをする。

「マミコさんをお待ちしていました。」そう答えると、マミコはまたにやりと笑い、辺りをきょろきょろと見回した。

「私、お腹空いてるんですけど!」

 そう言って、マミコは通路脇にあるレストランを指差した。

「私も夕飯未だなんですよ。遅いけど、ご一緒しましょう。」

 了もにやりと笑い、先立ってレストランへ歩き出した。高速バスの最終便と、電車の終電一時間前までの営業になるレストランもこの時間では客も疎らだ。入り口で待機していた店員に二人と告げると、すぐに席に案内された。図らずも店の隅、窓側という好条件な席だった。

 置かれたメニューからさっさと料理を選び、オーダーをすると、マミコが水を飲んだ。

「はぁ、やっと落ち着きました。今回大変だったんですよ…。」

 にこりと笑って言う。

「旅行が? それともお仕事が?」

 薄笑いを浮かべつつ了が言うと、マミコが上目遣いに了を見て笑った。

「野暮ですね、蕪木さん。」

 再び水を飲み、背凭れに凭れる。

「私の事は、どこまで?」

「身分程度です。」

「なるほどです。」

 探り合いをするつもりは双方にないのだが、何故かこんな口調になった。二人揃って、苦笑いする。

「私、蕪木さんやユリの敵じゃないですよ。」

「……。」

 突然の言葉に、了が真顔に戻る。当のマミコは、笑ったままだ。

 『敵』とは…。

「何から話せばいいですか?」

 確かに、確認すべき事が多すぎて、そして事件も複雑すぎて、何から話せばいいか了もよくわかってはいなかった。だから、一番最初から話す事にしたのだった。

「…七年前の事を、ご存知ですか。」

「はい、もちろん。ユリのご両親の事でしょ?」

「その事で、三ヶ月前に美術館で事件が起きた事も、ご存知ですか?」

「ええ。大鳥の事なので知っています。」

 思いの外、話は早そうだと思った。

「その事件の容疑者と、マミコさんがシリング王国内で合っていたと言う目撃証言を得ました。これは、事実ですか?」

「ええ。」

 マミコは了の予想以上にすんなりと答え、ちらりと脇を見た。

 店員が料理を運んできたのだ。

「お待たせいたしました。」

 店員は二人の前に大型のピザとパスタ、サラダとブレッドを置いてそそくさと引き上げて行った。夜二二時。遅くはあるが、腹もそれなりに減っていたため、やや重めのチョイスとなった。

「食べながらお話しましょう。」

 マミコはそう言うと、ピザを一切れとパスタを少し取り分け皿に乗せ、了に差し出した。

「ありがとう。」

 皿を受け取り、マミコが自分の分を取るまで待って、二人で静かに口に入れた。

 腹が空いていたためか回転が鈍っていた頭も、食べ物を一口口にしただけで活性化したような気になった。

 了が租借を終え、続ける。

「彼の事を、知っていて会ったんですか?」

「ええ。エルシ・バークレイ。知っていました。私がシリングを行き来している目的のひとつが、彼ですから。」

「え?」

 了が、パスタを絡めていたフォークの手を止めた。

「私、反王政派の組織の幾つかと接触しています。多分、それはもうお調べになっているんですよね?」

 推測どおり、それは高遠から聞いている。

「技術提供やらなにやら、オイルの利権を得るために必要だからなんですけど、それだけじゃないんです。

 あの国、民主政治なんかに移行出来るはずありません。」

 マミコはさらりと言い、オリーブオイルで濡れた指先をナプキンで拭った。

「今よりうんと譲歩した形で王政継続となると、大鳥では踏んでいます。

 寧ろ、大鳥としては、そうでなければ困るんです。」

「なぜ?」

「簡単ですよ。あんな小さな国で、資源豊富とはいえ、今の今まで国が総てを管理していたんですよ?

 それを、民衆が簡単に引き継げる訳ないじゃないですか。

 国連や、海外企業がバックアップしたとして、利権を完全掌握されては今度は国が潤わなくなる。そうなって困るのは誰でもない、国民です。

 一時的に民主主義へ進んだとしても、その事実を目の当たりにすれば自ずと今までの王族関係者に助けを求めるようになります。

 日本だってそうでしょう? 今政党が替わって、事がうまく運ぶと思いまして?

 それまで築き上げてきた信頼や、口裏合わせが総て無になるんです。

 大国であればそれを自分で支える事が出来ますし、外との信頼回復の時間も稼げますが、小さな国であってはそうは巧く行きません。

 大鳥はそこを狙っているんですよ。」

 マミコはそこで一呼吸置くと、手を組み合わせて肘を突き、悪戯気に笑った。

「民衆を支援しておけば、民間企業への根回しは簡単になります。

 では政府へはどうするか。

 答えは簡単です。いずれ王政に関わる者に手を回しておけば良い。」

「王政に関わる者…?」

「はい。シリング国王には子供がいません。何故か解りますか?」

 問われて、解るはずがないという素振りを見せると、マミコは可笑しそうに口元を緩め、一言呟いた。

「認知しなかったからですよ。

 バークレイ夫人、アレン氏と結婚する前、国王とは親密にお付き合いをされてました。婚約寸前までこぎつけて…、でもそれが、とある体の特徴を理由に破棄されてしまったんです。」

「特徴?」

 聞き返しつつも、了には答えはわかっていた。

「瞳です。虹彩異色症のあの瞳。

 シリングでは、虹彩異色症は災いの源とされて、王室では嫌悪されてきました。

 でも、あれ、突然変異だったり遺伝だったりで、発症については防ぎようがないじゃないですか?

 夫人は、コンタクトで目の色を隠して生活してたんですけど、どうやったってバレますよね。

 一目惚れで付き合ったはいいけど、『忌み目』を持つ女性と解って疎ましく思った。

 だから追い出しました。それを受け止めたのがアレン氏だったんです。

 アレン氏と夫人は幼馴染で、将来は結婚するんじゃないかって言うくらい仲が好かったそうですよ。それが、夫人が王に気に入られて一時落胆したところへ、帰って来た。

 当然結婚しますよね。でもその後すぐに、夫人が妊娠している事がわかりました。

 双子の男の子。エルシとエランです。

 紛れもなく、王の子でした。

 そして、二人は生まれました。でもそこでも悲劇が。」

 二人とも、虹彩異色症だったわけか…。

「アレン氏は双子をとても可愛がったそうですよ。自分の子ではなくても、夫人の子であるという事実だけで十分だったそうです。一方、国王は皮肉な事にその後、次のお后候補の方とは巧く行かずご結婚も取りやめになりました。

 だから双子が二歳になった時、万が一引き取りたいと申し出を受けた時に逃がし易いようにと、一人を手元に残し、一人を死亡した事にして、偏狭の街へ里子に出しました。もちろん、後で引き取る事を前提に。双子が王の子である事も、一部の人間しか知りませんでしたし。結婚後に生まれた子ですからね。

 そして、やがてバークレイ夫妻には三人目、実質夫妻の初子であるクレアも生まれました。

 数年後、王が夫人に再度コンタクトを取ります。王の子を産んだ事がやっと王の耳に入ったからです。誰の口から伝えられたのかまでは定かではありませんが、王としては跡継ぎがいないと困りました。だから養子としてエルシを迎える相談をしたのですが、相手は王でしょ? 実質的には、命令みたいなものなんですよ。

 夫妻は悩んだ末、夫人がもう一度王の子を産むという提案をしました。

 元は『忌み目』を理由に追い出したんです。仕方なく養子を取るにしても子供までもが『忌み目』である事を王も易々とは受け入れられませんでした。致し方なく夫妻からの提案を飲み、夫人はアレン氏と離婚…、この離婚は書類上、死亡という事になっていて、夫人には新たに『シリシの双子の妹』という取ってつけたような戸籍が宛がわれ、王と結婚しました。

 しかし今度は、王と夫人の間にいつまで経っても子が出来ませんでした。

 夫人は日々追い詰められて…。」

 マミコが言葉を切り、肩を竦めた。話は件の自殺に繋がる訳だ。

「反王政派の人たちは、この事実を知りません。だから、民主政治に切り替えるなら、跡継ぎがいない今と考えています。でも、さっきも言いましたけど、すぐに慌てふためくのは目に見えています。

 そこで、今までバックアップしてきた大鳥が、この世でたった一人の、王すらも知らない後継者を担ぎ上げたらどうなると思います?」

 なるほど、と、了は鼻で溜息を吐いた。

「国王は現時点で信用がない。だが、王政という器の中でしか成り立たない諸外国との関係を保ちつつ、自分たちを支えてきた企業が新たな国王を連れて来た。しかも不遇な身の上を背負って、か…。」

 アイドルに、成り得るだろう。少なくとも、混乱の中では一時的にでも、彼は光に見えるはずだ。その後の操作は、大鳥がやればいい。

 そこまで考えて、ふとマミコを見た。マミコはにこにことしながら、運ばれてきた食後のコーヒーに砂糖をぼとぼとと入れている。入れすぎではないかと突込みを入れたいという衝動に駆られつつも、了は一番疑問に思っている事を口にした。

「キミ、何でそんな話を俺にするんだ?」

 了から話す事などなくても、マミコは了の正体など当に把握している様子だし、罷りなりにも、こちらは大鳥を調査するための組織の人間である。当然なぜ自分に接触したかも解っているだろう。自分からは技術の不正漏洩やそれに繋がるであろう証拠は出ないと踏んでの証言なのだろうか、それとも、もっと根深い何かがあるのか。

「蕪木さん、物事を複雑に考えすぎですよ。」

 眉間に皺を寄せる了に、マミコがふふんと笑った。

「私だって人間です。心がない訳じゃありません。

 会社も大事ですけど、友達も大事ですよ。」

「……。」

「大鳥の中にいても、やり方に賛同していない者はいくらでもいます。

 父も、その一人です。

 だから、私たちが表立って動いて回っているんです。調整をしながら、犠牲を出さないように動く。難しい事ですが、出来なくはないと思っています。」

 そう言ってスプーンでコーヒーを掻き回すマミコは、俯きがちな顔に淡い微笑を浮かべた。

「いくらでも協力しますよ。私が知っている事なら、何でも話します。その代わり、勿論、協力はしていただきますけど。」

 嘘を言っているようには見えなかった。が、安易に信用するには、未だ早い気もする。

 了は、一言「有難う」とだけ言い、本題に入る事にした。

 言わずもがな、携帯電話の事である。

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